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しおりを挟むイザベラの部屋は、朝の光を受けて静かに輝いていた。白い机の上には書類が整然と並び、彼女は淡々と筆を走らせていた。銀髪をまとめた横顔は落ち着き払っており、昨夜の騒動の影すら見えない。
その静寂を破るように、扉が乱暴に開いた。ノックの音はなかった。
「おい!」
怒声とともにロキシーが踏み込んできた。黒髪を乱し、寝巻のままの姿で、怒りを隠そうともせず部屋に乗り込んでくる。イザベラは視線すら上げず、書類に印を押しながら淡々と告げた。
「マイナス30ポイント。
ノックのない入室が10、『おい』呼ばわりが10、私の使用人を自分の物のように言ったのが10」
ロキシーは机を叩きそうな勢いで詰め寄った。
「訳のわからんことを言ってないで、答えろ! 執事も執務官も料理人もいないじゃないか。どこへやった?」
イザベラはようやく顔を上げ、静かに言った。
「上級使用人らは実家へ送りました」
「なぜそんなことを? 昨日の腹いせか!」
怒鳴る声が部屋に響く。
イザベラは小さく首を傾けた。
「腹いせ? 宣戦布告されたから応戦するのが、腹いせ? まあ、あなたがそう思いたいならご自由に。
執事たちに関しては、もうすぐ破綻するこの家の仕事をさせても時間の無駄なので、移動させただけです」
ロキシーは言葉を失い、次の瞬間には怒りを爆発させた。
「勝手な真似を! 俺の許可なく移動させるなんて、許さん!」
「家政は女主人の仕事ですので、使用人を移動させるのに許可は要りません」
イザベラは淡々と返す。
「お前を女主人だなどと認めてない!」
ロキシーは必死に言い返した。
その言葉に、イザベラの瞳がわずかに細められた。冷たい光が宿る。
「それは王命による結婚が、不服ということですね。国家反逆罪です。
処刑される前に、離縁していただきます」
ロキシーは青ざめ、口をぱくぱくと動かした。
「いや、それは、そうではなく……」
「結婚した時点で妻は、女主人になります。あなたには、そういった常識がないようです」
淡々と告げられ、ロキシーは完全に言い返せなくなった。怒りも威圧も通じず、ただ立ち尽くすしかない。
イザベラは机上の書類を整え、静かに立ち上がった。銀髪がさらりと揺れる。
「では私は仕事に行きますので、失礼します」
背を向けようとした瞬間、ロキシーが苛立ちを隠さず声を上げた。
「仕事? とは、なんだ?」
「実家の領地と商会の経営です」
淡々と返され、ロキシーは鼻で笑った。
「はっ。嫁いだ娘にまで雑用させるなんて、どっちが非常識なんだか」
イザベラは一瞬だけまぶたを伏せ、深い溜息を落とした。
「……あなたは婚姻前に、私の素行調査をなさらなかったようですね」
「は? 何故そんなことせねばならん? どんな女が来ようと、俺が愛するのはケイティーだ」
「そういう話ではないのですが……問答する時間が無駄なので、失礼」
イザベラは本当に興味がなさそうに言い残し、扉へ向かった。
「は? おい! 俺の食事は、どうするんだ?」
背後からの叫びに、イザベラは振り返りもせず答えた。
「雑草か犬の糞でも、食べたらいいと思います」
「はああ?!」
ロキシーの怒声を完全に無視し、イザベラは静かに部屋を出ていった。
扉が閉まる音だけが、彼の怒りをあざ笑うように響いた。
ロキシーは苛立ちを抱えたままキッチンへ向かった。広い厨房は、いつもなら朝食の香りで満ちているはずだった。
しかし、そこには誰の姿もない。鍋も皿も片付けられ、まるで使用人が存在しない家のように静まり返っていた。
「……とりあえずパンとチーズで凌ごう」
ケイティーと2人で棚を漁る。しかし、どの扉を開けても空っぽだった。
ロキシーは信じられないというように呟く。
「何もない……」
ケイティーも青ざめた顔で棚を覗き込み、震える声を漏らした。
「調味料すらないわ……」
ロキシーは舌打ちし、苛立ちを隠そうともせず言い放った。
「仕方ない。外食しよう」
その声には、昨夜までの傲慢さとは違う、かすかな焦りが滲んでいた。
キッチンから出ると屋敷の中は、異様なほど静まり返っていた。廊下を歩いても、誰1人として姿を見せない。いつもなら朝の支度で忙しく動き回るはずの使用人たちの気配が、どこにもなかった。
ロキシーは苛立ちを募らせながら庭へ出た。しかし、そこにも誰もいない。庭師の姿も、掃除をするメイドの姿も、まるで最初から存在しなかったかのように消えていた。
不安を覚えたケイティーが、ロキシーの袖をつまんだ。
「ねえ、何かおかしいわ」
「気のせいだ。さあ行こう」
ロキシーは強がるように言い放ち、ケイティーの手を引いて街へ向かった。
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