上州無宿人 博徒孝市郎

久保 倫

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十三

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 孝市郎が大前田一家の部屋住みになって一か月が過ぎた。
 その一か月間は、掃除に始まり、掃除に終わる日々であった。
「ちったぁ見られるようになったか。」
 二人が掃除した部屋を見て、それだけ言って栄次は去った。
「ふぅぅ~~。」
 息を抜いて茂三が腰を下ろした。
「おい、気を抜くには早えぞ。あの人戻ってきて、部屋汚すんじゃねえ、くらい言いかねねえ。」
「そうだがよ、疲れたぜ。」
「とにかく、雑巾とか片づけだ。それが終わったら何か仕事が無いか聞いてみよう。」
「そこまでやるかぁ。俺、もう動きたかねえぜ。」
「どやされても知らねえぞ。」
「おめえ、博徒になる気はねえ癖に、よく頑張れるな。」
「おめえこそ、漢修行してんだろう。修業はきつくて当たり前だぞ。」

 二人は雑巾などを片付け、何か仕事が無いか聞くべく栄五郎がいるであろう広間に入ろうとした。
「お控えなすって。」
 大声が二人の耳に入った。
「おい、客人が仁義切ってるぜ。」
 茂三の顔に笑みが浮かぶ。
「こいつは覚えねえと、俺も先々切らなきゃいけねえんだからよ。お客人、勉強させて貰いますぜ。」
「あほか、十年早いわ。」
 突然現れた栄次に茂三は、後頭部を殴られた。
「いってえ。」
「声出すな、ぼさっとすんな。」
「ぼさっとすんなって。」
「足を濯ぐ盥の用意をしろ。」
「へい。」
 孝市郎は水を汲みに行こうとした。
「いや、孝市郎は残れ。茂三、おめえが用意しろ。」
「え、なんでですか。」
「口答えすんな。」
 孝市郎は腹を殴られた。いつもは頭か頬なのに。そう思ったが、黙ることにした。
 栄次は、広間に入る物陰から客人を監視し始めた。
「何か、問題のある人なんですか。」
 あんまり音を立てたくねえようだ。小声で栄次に語り掛ける。
「黙って見てろ。」
 それだけ栄次は小声で返答してくれた。

「てまえ、生国と発しますは武州(武蔵の国)、渡世につきましては佐藤一家にございます。多摩川のほとり日野宿に推参仕る駒山喜重郎の若衆、権吉にございます。お見知り置かれまして、お引き立ての程よろしくお願いいたします。」
「ご念の入ったお言葉に申し遅れて御免蒙ります。例の通り、上様とは初めて御意叶います。
 従いましてやつがれ、生国は上州(上野の国)にござんす。御意にとりましては大前田一家にござんす。日光裏街道は通り筋、赤城颪の吹き荒ぶ大前田村に推参仕る、姓名大前田栄五郎と発しまして、ご視見の通りしがない者にござんす。今日向きょうこうお見知り置かれまして、御同様御引立ての程を願います。
 さあ、お上がんなさい。」
「ありがとうございます。濯ぎの水など頂きたく、お願い申し上げます。」
 ちょうど茂三が濯ぎの盥を持ってきた。
「ちょうど間に合ったな、濯ぎ持って行ってやれよ。」
 それだけ茂三に言って、客人の方に視線を向けると、客人は栄五郎の鉄拳を顔面にくらい宙に浮かんでいた。
「えっ。」
 突然のことに孝市郎も茂三も反応できない。
 あっけにとられる孝市郎と茂三の前で栄次は客人に突進している。他の控えていた子分達も同様だ。
 あっという間に子分たちは客人を取り囲む。よく見えないが客人が袋叩きにされているのは間違いないだろう。
「その辺にしておけ、死んでも面倒だ。」
「へい。」
 栄五郎の言葉に子分達は、客人から離れた。哀れ権吉と名乗った客人は、ぼろぼろになって気絶している。
 なんで、こんな目に会うのだろう。孝市郎は目の前で起きたことに納得できず、客人にふらふらと近づいていた。
「なんだ、孝市郎いたのか。」
「俺と一緒にこいつをみてたんですが。お前手が早えから残したのに、何もしなかったな。喧嘩させてやろうと思ったのに。」
 孝市郎には、栄次の言葉が理解できなかった。
「なんでって面してんな。」
「へい。あの人何か問題のある人だったんですか。」
「仁義を間違いやがった。俺が『お上がんなさい』と言った時上がろうとしやがっただろう。日野からこっちに来る途中どっかの貸元なり代貸しのところに草鞋を脱いだだろうに、一言もねえ。」
「それだけですか。」
「それで十分だ。」
「ひょっとしたら、上がってから言うつもりだったかもしれません。」
「上がる前に言うのが作法だ。この野郎はそれを破りやがった。殺さねえだけましだ。」
「そんな間違っているって教えてやっても。」
「そんな甘いことぬかすな。いいか、こいつが公儀のもんだったらどうする。賭場とか知られて踏み込まれたらしめえなんだぞ。」
 改めて孝市郎は、自分が今いるのが博徒の世界なのだと実感した。
「孝市郎、茂三、そいつを村の外れにでも転がしてこい。」
 栄五郎が指示してきた。
 やるしかねえんだろうな。盥を置いた茂三が客人に近寄るのを見て孝市郎はそう思った。

 気絶した客人を茂三と二人交代でおぶって運んだ。最初上半身を孝市郎が下半身を茂三が持ったのだが、目立つので交代でおぶることにした。
「この辺でいいだろう。」
 橋を渡って村の外に出たところで二人は足を止めた。
 橋を渡らず適当なところに置いておこうかとも思ったが、掃除されているところに気絶した男を置くのは気が引けたので、されていない村の外まで来てしまった。
 おぶっていた茂三が権吉を下ろすと、自然権吉は寝っ転がることになる。
「木の下にしてやるか。」
 いつ目を覚ますかわからない。雨でも降ったらかわいそうだ。そう思い孝市郎は上半身を持って近くの木の根にもたれかかるようにしてやろうと思った。
「何をしているのかね。」
 五十くらいの初老の男性が声をかけてきた。妻と思しき同じくらいの年の女性と三十くらいの男性の三人組だった。
「俺たちゃ大前田一家のもんだ。一家で無礼を働いた奴をちょいとね。」
 茂三が返答した。
「栄五郎の若いもんかい。」
「親分にえらい口をきくなぁ。」
「よせ、茂三。」
 からもうとする茂三を孝市郎は制した。
「だがよ、親分を呼び捨てにされたのを聞き流すわけにゃいかねえ。」
 茂三は男に近寄ろうとする。三十位の男が間に割って入ってきた。
「なんだい、兄さん、やろうってのか。」
「おまえ新入りだな。」
「それがどうしたってんでえ。」
 茂三が男に殴りかかる。男は、茂三の拳をさばいて、逆に茂三の顔を殴った。
 殴り返そうとする茂三をいなし、簡単に二、三発殴り、腹を蹴って転がしてしまった。
「畜生。」
「茂三、もうやめとけ。」
「うるせえ、孝市郎、加勢しろや。」
 茂三の言葉に意外な反応が返ってきた。
「孝市郎だって。ひょっとしてそこにいるのは馬場村の孝市郎かね。」
「そうだけど。」
 老人が自分のことを知っていると思わなかった。老人の方を向くと老人もこっちを向いている。
 だが、視線が自分とずれている。
 よく見ると目に光が無い。目が見えないのだ。
 顔を知らないのによくわかったなと思った。孝市郎の知り合いに盲目の者はいない。声を聴かせたこともないはずだが。
「卓玄から話は聞いているよ。栄五郎の所に預けたとね。まぁ君が幼少の頃から色々話は聞いているが。」
「卓玄和尚の知り合いですか。」
 それなら納得がいく。
「一度会ってみたかったよ。栄五郎に私の所にやってくれるよう頼んでおいたのに。」
「親分ともお知り合いみたいですか。」
「あぁ、紹介が遅れたね。私は要吉。栄五郎の兄だよ。こちらは妻のおりん。若いのは私の世話などをしてくれている弥七だ。」
「げっ。」
 よりによってな相手に喧嘩を売ったのだ。帰った時どんな制裁があるのか。考えるだけで恐ろしい茂三であった。
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