上州無宿人 博徒孝市郎

久保 倫

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三十

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「わかった。」
 父親は即答した。
「父さん?」
 即答が返ってくるとは思わなかった。
「お前が自分を捨てたと思う親を頼らねばならぬほど追い詰められているのだろう。それを助けてやれなくて親と言えるか。」
「……ありがとう。」
「親に礼などいらんよ。」
「明日連れてくる。」
 そう言って、孝市郎は抱き着いている母を離した。
「孝市郎、あんたもその子達と一緒にこの家に戻りなさい。」
「それはできない。俺はなんで親分の下に送られたのか答えを出していない。」
「そんなもの、どうでもいいじゃないの!帰って来なさい!」
「そうだけど、俺はこの二年、自分の未熟さを思い知らされた。今回の件だってそうさ。何もできやしない。あげくに父さん母さんに迷惑かけている。未熟なままで帰りたくないんだ!」
「孝市郎、おまえ。」
「父さん、ごめん。」
「いや、立派な考えをするようになったなぁ。二年前は頭でっかちだと思ったが。」
「仁だ、なんだと言っても子供二人救えないからね。父さん達に及ばない青二才だよ、俺は。」
「それを自覚して、そこから一人前を目指すのも立派な生き方だぞ。」
「わかった。でも今は帰る。あの二人を連れてくるから。」
「帰るなんて言わないで、あなたの家はここなの!それだけは間違えないで!」
「わかった、母さん。一家に戻る。」
 孝市郎は立ち上がった。
「また明日。」
 孝市郎は、家を飛び出した。
 孝市郎の内心のように空は晴れ、月が明るく辺りを照らす中、孝市郎は大前田村目指し、全力で駆けた。

 夜が白み始める中、孝市郎は窓から部屋に入り込んだ。
「おめえ、どこ行ってたんだ。」
 起きぬけの茂三が声をかけてきた。
「あの二人の預け先だ。」
「手配できたのかよ!」
「なんとかな。」
 
  朝餉を客間に運んでいると栄五郎が膳を運んでいた。
「孝市朗か。昨日あちこち走り回ったようだが、どうなった?」
「行き先手配できました。」
「そうか、よくやった。」
「へい。ところで親分は膳を持って何をされているんで?」
「お客人と出立前の朝餉をご一緒しようと思ってな。」
 栄五郎は客間の襖を開けた。
 二人は起きて布団を畳んでいた。
「あれ?」
 二人の服を見ると新しくなっている。
「お客人、お早うございます。よく眠れやしたか。」
 栄五郎が手をついて挨拶した。
 栄五郎は、二人を丁寧に客人として扱っている。ただ、威圧感を与えぬよう注意していることだけが、いつもと異なる。
「はい、よく眠れました。」
「新しいべべで、きもちよくねれました。」
「そいつはよございました。」
 栄五郎は、破顔した。
 考市郎は、二人の前に膳を置いた。
「親分、どうしたんです、二人の服?」
「昨日、おめえが二人ほったらかしているから俺が相手したのよ。その時買った。」
 買ったと言っても、体に合わせて仕立て直したりが必要だったはずである。
「店のもんに頼んで大急ぎで仕立てて貰った。」
 栄五郎に頼まれて断れる者は、大前田村にいまい。
「ささ、食べやしょう。」

「今日は、こいつが案内しやす。黙ってついて行ってくだせえ。」
「ご案内します。」
 考市郎は、二人を先導して一家を出た。
 馬場村まで半刻(一時間)もあればつく。さすがに悌五の足に合わせねばならなかったので、もう少し時間がかかったが。
「母さん、ただ今。」
「考市郎、帰って来たの。」
 戸を開け母が外に飛び出してきた。
「あぁ、こちらの二人が預かってもらいたい兄弟。小津次と悌五だ。挨拶しな。」
「…小津次です。」
「……悌五です。」
 どういうことなの?表情で訴える二人に孝市郎は、視線の高さに腰を落とした。
「おめえら、博徒じゃねえ、堅気だろ。堅気の子はそれらしいところに生きるもんだ。」
「孝市郎あんちゃん。」
「小津次、食うに困って博徒のふりをするような真似はこれからは止めな。うちの親分はお優しい人だが、よその親分は違うぞ。」
「わかっていたの?」
「最初から最後までな。おめえの歳で博徒になる奴なんざいねえ。騙された振りしただけよ。」
「……で、でも、親分さんも旅してたとき、べべ買ってもらったって…。」
「親分はお優しいと言っただろう。騙された振りを親分もしてくれたんだ。服まであつらえてやるなんて思わなかったけどな。」
「あそんでもくれた。」
 悌五の言葉に、栄五郎が妻帯しないわけを完全に理解できたと思った。他人の子にもここまでするのである。本当は、子供が欲しいのかもしれない。
 だが、我が子ができれば、逃げを考えるようになるやもしれず、それ故のしくじりを恐れているのだろう。博徒のしくじりは、己が身のみならず場合によっては家族に及ぶことすらある。己がしくじりで我が子にまで類が及ぶなど、考えただけでつらいのであろう。
「兄ちゃん、帰ってきてるの?」
 孝市郎が、この二年忘れることのなかった声がした。
「……治郎。」
「兄ちゃん、帰ってきたんだ。」
「二年ぶりだな。」
 二年前のあの夜より背は伸びている。顔色などからも元気にしていることがわかる。
「兄ちゃん、博徒やめたの?」
「いいや、まだだ。今日は、これからか…戻る。」
 帰ると言えば母が泣きかねないと思った孝市郎は、言葉を変える。
「治郎、今日からうちの子になる、小津次と悌五。仲良くしなさい。」
「…そうなの?」
「そうだ、兄ちゃんまだ帰れねえけど、この二人と楽しく遊んでな。」
 孝市郎は、二人の背中を押して家の中に入れた。
「母さん、よろしくお願いします。」
「孝市郎、このまま帰らなくてもいいだろう。正直、二年前は確かに吉十郎という人の子分はうろついたけど、二か月もすれば影も見なくなった。大丈夫、親分に匿われるようなことしなくてももう安心。あんたも戻らずここにいなさい。」
「ごめん、母さん。それだけはできない。今まで世話になっておいて、後ろ足で土かけるようなことはできねえ。」
 孝市郎は、振り向き走り出した。母の優しい言葉にすがりそうな自分を振り切るために。

「親分、あの二人を送ってきました。」
「ご苦労。大方おめえの実家か?」
「はい。自分の実家に預かってもらうことにしました。」
 なぜそれを知っているのだろう。茂三か?いや自分の親に預けるとは言っていない。
「そうか。親御さん、預かってくれたのか、このご時世に。」
 凶作で、米や麦の値は上がる一方である。そんな中で子供を預かるというのはなかなかできることではない。
「誰に預け先のことを聞いたのですか?」
「預け先の事か、いや、おめえが暗い中帰ってくるのを見てたからな。勘で言ってみただけよ。」
「暗い中と言うのは?」
「俺は、おめえらと同じ時間に起きて村の橋や道を掃除している。橋は博徒の縄張りだからな。掃除の最中、人の気配がすると思ったら、おめえが走っているのを見かけたのよ。」
 朝早く起きて掃除しているのは、自分たちだけではなかったのだ。
「まぁ、あの二人が路頭に迷わなくてよかった。」
「へい、これで、自分の不始末のカタはつけられたと思います。」
「そうだな。あの二人を寒空の下に叩き出すことなくケリをつけた。合格だ。おめえも実家に帰っていいぞ。」
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