王妃様、残念でしたっ!

久保 倫

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「ドラード公!どうしてこんなことを……。」

 月明かりに照らし出された顔を見て、私は驚きました。
 にぃと肉食動物めいた笑みを浮かべた顔は、 見間違えようがありません。

「嬢ちゃんか。ちょうどいい。生かしてやるから、ちゃんと証言するんだぜ。」

 ドラード公は、自慢の魔法の斧槍マジック・ハルバート破壊の雷バルク・タドミールの切っ先を私に突き付けます。

「ミサエルの愛妾、イルダ・ヒメネスとそのお腹の子を殺したのは、シド・ドラードだってな。」
 国王を呼び捨てにして、恐怖に硬直するイルダ様に視線を向けます。

「どうして……。」

 寝る前は、今日も明日も穏やかな1日になると思っていたのに。



 月が変わり、イルダ様の出産が迫る頃、私はヒメネス伯爵家に泊まり込むようになりました。

 今日も夕食の後、チェス盤を挟んで、イルダ様と向かい合ってます。

「ごめんなさいね。ワガママ言って。」
「いいんですよ、お気持ちはわかりますから。」

 実際は、私が泊まり込む必要は無いのです。
 イルダ様が望むのは、イシドラにすぐ近くにいて欲しいだけなのですから。
 ヒメネス伯爵家お抱えの医師は、相場の失敗の後、他の家に仕えるようになって戻って来ず、イルダ様も女性であるイシドラに診てもらうことを望みました。

「化粧品の量産の問題もあります。私もここにいたいので、むしろ助かってますよ。」

 そう、化粧品の工房をヒメネス伯爵家の敷地内に設けたのです。
 体制が固まるまで色々ありましたが、今現在は、順調に化粧品は量産されています。
 合わせて化粧品のための筆やブラシ、スポンジなどの量産も進んでいます。

 内密に事を進めるのは大変でしたが。

 ま、内密にするのは、今だけです。
 その内、もっと大きな工房を建てて、量産できる体制を整えます。
 働いてくれる人達のためにも、絶対にやります。

 用地の確保はできてます。後はタイミングだけ。

「イルダ様は、気にせずお子様のことだけお考え下さい。」
「本当にありがとう、ロザリンド。」

 そう言ってイルダ様は、チェスの駒を動かします。

「チェックメイト。」
 うっ、キングが、これは詰んでしまいます。
「あっ、イルダ様、待ってください。」
「待ったは無しよ。」
「そんなぁ。」
「あぁ、そんなこと言われたら、お腹に障りそう。」

 もう、そう言われたら仕方ありません。

「もう一回、一回やりましょう。」
「しょうがないわね。」

 駒を並べ直します。

「今度は勝ちますから。」
「貴女も意外と負けず嫌いね。」

 そう言ってイルダ様は笑います。

「お嬢様、お風呂頂きました。」
 エルゼも、客間に入ってきます。
「オラシオやアズナールと訓練してたの?」
 エルゼは、合間を見てオラシオやアズナールと訓練しています。
 正規軍で訓練された彼らの武芸は、かなりのレベルのようで、やっていて楽しそうです。
「どう?」
「アズナールは、離れると礫やナイフ投げで攻撃するのが厄介。オラシオは、大盾使われると攻撃するのが難しい。」
「でもエルゼ五分に渡り合っているんでしょう。」
「はい。」

 エルゼは、得意げです。

「貴女も男性相手に五分に渡り合うなんてスゴイわ。」

 イルダ様も褒めます。

 たわいもない会話。
 何事も無い穏やかな一日。

 日記をつけているわけではありませんが、そう書き残してもおかしく無い一日で終わるものと、この時は思っていました。


「起きて。」
 ヒメネス伯爵家の客間で、一緒に寝ていたエルゼに起こされました。
「何?イルダ様が産気付いた?」

 起こっていそうなことを聞いてみます。

「いいえ。」
「何よ?何があるの?」
「侵入者の気配。」

 泥棒?それとも化粧品を狙ったスパイ?
 まさか、イルダ様を狙って?

 取り合えず上着を羽織ります。

「イシドラ、ウルファ。」
「なんじゃ、イルダ様になんぞあったか?」
「うぅん。」
 エルゼに起こされ、イシドラとウルファも起き上がりました。
「緊急事態。イルダ様の所へ。」

 エルゼは、そう言ってドアを開けました。

「血の匂い!」
 エルゼが足を止めました。
「血の匂いって。」
 誰かが死んでいる?

 ドタドタとした足音。

「ロザリンドお嬢様。」
「アズナール。」

 左手にランプを掲げたアズナールが、走って来ます。

「アズナール、何があったの?」
「賊が侵入しました。危険ですから、部屋でじっとしてて下さい。」
「賊ってイルダ様は?」
「不明です。物音がしましたので、オラシオが確認に行ってます。」
「そんな、女性を放置するの?」
「ぼくは、貴女の護衛であって、イルダ様の護衛ではありません。」

 そうですけど、情ってもんがあるでしょう。

「助けてぇっ!!」

 そんなやり取りをしていると、イルダ様が叫びながら逃げてきました。

 アズナールがランプをイルダ様の方に向けます。

 イルダ様の後ろにナイフをかざした黒ずくめがいます。

「イルダ様!早く!」
「ちっ。」

 アズナールが、右腕を降って、持っていた短槍ショートスピアを投げます。

 槍は、見事に黒ずくめの喉を貫きました。

「イルダ様、こちらへ。」

 イルダ様は、部屋に走って入って来ます。

「大丈夫ですか?体の調子は?赤ちゃんは?」
「……待って、一度に……言われても……。」
 
 イルダ様は、走って逃げたせいで乱れた呼吸を整えます。

「特に…異常は無いわ。……ケガもして無い。」

 ひと安心です。

「バリケードを築く。手伝ってくれ。」
 短槍を回収したアズナールが声をかけてきます。
 その時、ドタドタとした足音がしました。
「待てくれ。」
 オラシオの大きな声。
「急げ、バリケード築いて立て籠るぞ。」
「ヒメネス伯爵抱えてんだ。早く走れねえよ。」
「お父様!?無事なの?」
「ケガしてるっすけど、生きてます。」
 左肩に大楯をしょって、右肩でヒメネス伯爵を支えたオラシオが入って来ます。

「お父様!?」
 ヒメネス伯爵は、右肩から流血しています。
「オラシオ、ベッドに寝かせッ。」
 イシドラの指示で、オラシオがヒメネス伯爵をベッドに寝かせます。
「バリケード築くぞ、手を貸せ。」
「色々と、人使い荒れえ。」

 ぼやきながらも、オラシオは、アズナールと一緒にサイドボードを動かし、入口を塞ぎにかかります。

「傷は深くない。流血はしとるが死ぬことは無いじゃろう。」
 イシドラは、蒸留酒を口に含んで吹きかけます。
「ぐっ。」
「痛いのは生きとる証拠。ガマンせい!」
 そう言いながらイシドラは、手際よく傷口に薬を塗りこみ、傷を縫合します。
「うぐっ。」
「ガマンせいと言っとるじゃろが。動くな。」

 そうは言われても、痛いので動くようです。

「お父様、辛抱して下さい。イシドラは、腕の確かな医師です。」

 イルダ様が右腕を抑えます。

「ウルファ、手伝いましょ。」

 私が左腕を、ウルファが馬乗りになって抑え込みます。

「うぎゃぁぁあ!!」

 客間にヒメネス伯爵の絶叫が響きます。




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