消失病 ~キミが消えたあの夏の日~

上村夏樹

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Side-A 消失少女と喪失少年

自慢の姉は、もういない

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 居眠り運転による信号無視。
 それが姉ちゃんの生きる権利を簡単に奪った交通事故の真相だ。
 姉ちゃんはすぐに救急車で病院に運ばれたけど、到着したときにはもう死んでいた。
 親父が「見ないほうがいい」って言ったから、姉ちゃんの顔は見なかった。いや、本当はもう、見る気力さえ残されていなかった。

 姉ちゃんの葬式が行われた。本来なら、ちゃんとお別れしなくてはいけなかったのだろう。でも俺には、ただ悲しそうな被害者遺族のツラをして、じっとうつむいていることしかできなかった。
 姉ちゃんの顔には包帯がぐるぐると巻かれていた。まるでミイラみたいだった。顔の損傷がひどいと包帯で隠すんだと、後から母親が教えてくれた。
 姉ちゃんの包帯姿を見て思った。
 白く、陶器のようにキレイで、少し子どもっぽい姉ちゃんの顔を見ることは、もう二度とない。

 骨上げをしたとき、俺はそこでようやく泣いた。今までこらえてきた涙が一気に込み上げてきた。胸が熱くなって、喉が燃えるようだった。
 火葬されれば、骨だけになる。
 そんなことはわかりきっていたけど、いざ姉ちゃんが骨だけになったら、悲しみとか寂しさが心の中で暴れ出した。

 ああ、そうだよな。
 姉ちゃんは死んじまったんだよな。
 そんなの……あんまりだ。
 俺一人だけなら、こんな世界で生きたくない。
 姉ちゃんと一緒じゃなきゃ、俺は……生きる意味を見失いそうなんだ。
 だから、お願い。

「姉ちゃん、帰ってきて……」

 夜、窓の外を見て呟いた。
 叶うことのない願いを込めて、瞬く星に祈るように。



 目に映る景色が色を失った。まるでモノクロの世界にでもいるかのようだ。
 胸がズキズキと痛む。姉ちゃんが亡くなった悲しみと喪失感が、俺の心臓に風穴を開けたんだ。
 それは、かさぶたにならない大きな傷痕。
 姉ちゃんに依存していたことを、俺は改めて思い知った。

 目を閉じれば、事故に遭った日の姉ちゃんが蘇る。サーフィンがしたいとか、冗談交じりに語って……そして、俺のことをめちゃくちゃ心配してくれた。
 見た目はちょっと童顔で、性格は底抜けに明るくて。それでいて、中身はとても優しくて面倒見がいい姉ちゃん。
 そんな自慢の姉は、もういない。
 もう、いないんだ。



 姉ちゃんがこの世を去って一週間が過ぎた。
 今でも考える。
 あのとき、もしも俺が逃げ出したりしなかったら?
 姉ちゃんと並んで横断歩道を渡っていたら?
 きっと今でも、俺の隣で笑ってくれているだろう。
 思い込みが激しいのは自分でも理解している。客観的に見れば、居眠り運転をしたあいつが悪い。
 頭ではわかっていても、そう簡単に自分の考えを否定することはできなかった。
 姉ちゃんごめん。謝るから。もう姉ちゃんに心配かけないから。
 だから、お願いだよ。

「戻って来てよ。会いたいよ……姉ちゃん」

 暗い自室に、俺の声はよく響いた。



 このところ、俺は自宅に引きこもっている。
 家にいても、両親は何も言わなかった。腫れ物みたいに扱われて、ちょっとだけ息苦しい。両親は共働きでいつも帰りが遅いので、顔を合わすことは少ないけど、それでもやはり胸が痛む。

 高校に行く気分にはどうしてもなれなかった。姉ちゃんが死んでしまったせいか、周囲の憐れみの視線や、自己満足の心遣いが鬱陶しかった。
 元々、俺にはおよそ友達と呼べる人物はいない。だから、放っておいてくれればいいのに、何故あいつらは俺に話しかけてきやがるんだ。
 煩わしいんだ、人付き合いが。
 それでいて、人との触れ合いがひどく怖い。
 罪のないクラスメイトを責めながら、リビングで麦茶を飲んでいた。

 そのときインターホンが鳴った。

 麦茶をテーブルの上に置き、早足でリビングを出る。
 玄関の扉を開けると、そこには見知った女の子が立っていた。黒いキャミソールに、白いスカート。水色のサンダルを履いていた。

「……なんだ、美波《みなみ》か」
「幼なじみに向かって、その言い草はないんじゃないの? 蓮のくせに生意気」

 美波はリスのように頬をふくらまして、半眼で俺を睨む。

 幼なじみの戸田美波《とだみなみ》は、艶のある長い黒髪と大きな目が特徴の女の子だ。昔から気が強く、俺にちょっかい出すことを日課としている変わり者である。
 幼い頃は、美波の父親が使っている書斎でよく遊んだっけ。美波の父親は心理学者で、その道では権威のある学者らしい。

「はい。これ、晩ご飯のおかず。作り過ぎて余ったから、おすそ分け」
「おう……さんきゅ」

 タッパーらしき物が入ったビニール袋を片手で受け取った。

 美波は、こうして晩ご飯のおかずを持ってきてくれたり、俺が学校を休んだときはプリントを家に持ってきてくれたり、何かと俺の世話を焼く。
 最近、美波は頻繁に俺の家を訪れる。たぶん、姉ちゃんがいなくなったうえに、登校拒否になった俺を心配してくれているのだろう……と、我ながら己惚れた解釈をしている。
 恥ずかしくて本人には言えないけど、美波の優しさには随分助けられている。彼女がいなかったら、俺はもうとっくに廃人になっているかもしれない。

「蓮。今日から夏休みだよ?」
「へぇ。そうなのか」
「そうなのかって……先週教えてあげたじゃない」
「そうだっけ」
「……ねぇ、大丈夫?」

 美波は不安げな表情で俺の顔を覗きこんだ。

「家から一歩も出てこないし、顔色も悪いじゃん。いつまでも引きずってたら、天国のお姉さんも悲しむよ?」
「引きずってない。俺は元々こういう性格だろ。ほっとけよ」
「ほっとけないわよ」
「いいって。もう来るな」
「そ、そんな言い方しなくてもいいじゃない……」

 俺から視線をそらして、唇を尖らせる美波。しまった。つい強がって、美波を傷つけるようなことを言ってしまった。早く謝らないと。

「その、悪かった。迷惑なんかじゃないからさ。またうちに来いよ」
「……私じゃ、お姉さんの代わりになれない?」

 弱々しい声が、渇いた心に染みていく。
 俺にとって美波は大切な人だけど、姉ちゃんと俺は姉弟だ。代わりになんてなれっこない。
 俺の考えを伝える前に、美波は急に慌てふためいた。

「あ! べ、べつに戸籍上の蓮のお姉さんになりたいわけじゃなくて、その、心の支え的な意味よ? 蓮と姉弟関係になりたいとか、そういう変な意味じゃないから!」
「え、何? 俺と家族になりたい?」
「そ、そんな恥ずかしいこと言ってない! ばか!」

 頬をほんのり赤く染めた美波は、俺を睨みつけてきた。何をそんなに慌てているんだ、この幼なじみは。

「……さっき私が言ったことは忘れなさい」
「いや、忘れろって言われても……」
「二度は言わないわよ? わかった?」
「お、おう」
「うむ。よろしい」

 どうやら納得したらしい。
 美波は、昔から何を言っているのかわからないときがある。そういうときは決まって顔を赤くして怒るのだ。

「あのさ……気分転換に外に出かけてみたら?」

 美波は遠慮がちに聞いてきた。

「嫌だ」

 即答すると、美波は、

「蓮は昔から人の親切を無下にする冷たい人だよね」

 罵倒を浴びせてきた。いや、幼なじみにそんな辛辣なことを言えてしまうほうが、人として冷酷だと思うけど。
 でも……美波の言うとおり、俺は冷たい人間なのかもしれない。俺は人との触れ合いを避けるだけでなく、差し出される手を払うような人間だ。

 俺がこんなひねくれ者になったのには、一応きっかけがある。
 中学時代のあの日から、俺は人付き合いが嫌いになって――。

「……まぁいいわ。私、もう行くね。せめて、ご飯だけでも食べてよ?」

 俺の思考を中断させたのは、幼なじみの別れの挨拶だった。

「……ああ、わかった。気をつけて帰れよ。近所とはいえ、美波は女の子なんだから」
「うん。ありがと」

 美波は頬を緩めてうなずいた。
 彼女がくるっと後ろを向いたとき、遠心力で黒髪が華麗に舞った。まるでシャンプーのコマーシャルに出てくるモデルみたいだ。
 がちゃん、と玄関のドアが閉まる音。俺は鍵を閉めてリビングへ戻った。
 ソファーに腰を下ろす。テーブルの上に置いてあるリモコンを手に取り、テレビをつけた。いかにも真面目そうな男性キャスターが原稿を読み上げている。

『次のニュースです。昨日、日本で新たな消失病患者が現れました。これで二十一人目です。患者は国の援助を受けることになりますが、未だに治療法はわかっておりません。それどころか、どのようにして発病するのか、そのメカニズムも不明であり――』

 男性キャスターはほとんど声色を変えず、淡々と報道する。
 チャンネルを変えた。画面には見たくもないバラエティー番組が映る。出演者たちの楽しそうな笑い声が鬱陶しくて、結局テレビの電源を消した。
 しばらくの間、真っ黒な液晶画面を見つめた。
 そこには、ひどく疲れた顔をしている自分が映っていた。



 夜になり、ベッドの中で考える。
 思い出すのは美波の言葉だ。

「外に出かけてみたら、か……」

 普通に嫌だ。クラスメイトや近所の人に会ったら面倒だし。家で本でも読んでいたほうがマシだ。
 でも一か所だけ、行きたいって思える場所がある。昔、よく通った近所の海だ。小学生の頃、美波とも何度かあの海で泳いだことがある。
 たいした設備はないけど、何故かいい波がくる。あの海はサーフィンをするには適していた。
 俺の数少ない趣味の一つにサーフィンがある。いや、正確には「ある」ではなくて「あった」が正しい。人付き合いが煩わしくなってから、ほとんど海に行かなくなった。
 生まれて初めて波に乗った日のことは、今でも鮮明に覚えている。


 初めて波に乗れたのは、小学五年生の頃。

 俺はボードを抱えて海に入った。
 ボードの中心にお腹がくるように腹ばいになり、沖に向かってパドルする。腕をしっかり伸ばして、自分の体の下を大きくかく。ボードは浮力と推進力を得て、前へ前へと進んでいった。
 海と戯れているだけで、どこへでも行けるような不思議な気分だった。まだ波に乗ったこともないのにもかかわらず、だ。
 迫りくる波には、とにかく乗った。本来なら、乗れそうにない波はやり過ごすものだけど、小さい頃の俺はそんなのお構いなし。何度も何度も波に飲まれた。

 初めて波に乗れたときは、偶然にもいい波が来た。
 ボードが波にぐっと持ち上げられる感触。重力から解き放たれたかのような、まるで宙に浮くみたいな感覚だった。
 両足の裏をボードに乗せて、低い体勢からすっと立ち上がった。視界には、陽の光をたっぷり吸い込んだ水面が映る。
 安定していることを確認し、前を向く。

 視界には、呆れるほど美しい世界が広がっていた。

 抜けるような蒼穹。きらきらと輝く白い砂浜。遠くに望める深い緑。
 純粋に驚いた。いつも見ている光景なのに、見る角度が異なるだけで、これほど違って見えるのか。

 感動したのも束の間だった。
 俺は体勢を崩し、ボードから振り落とされて、いつものように波に飲まれた。
 海面から顔を出すと、遠くの砂浜の光景が視界に映る。
 そこには姉ちゃんがいた。
 叫んでいる様子だったけど、何を言っているのかよく聞き取れなかった。ただ、興奮していることだけは、遠くからでもよくわかった。
 姉ちゃんは大げさに手を叩き、その場でぴょんぴょん飛び跳ね、全身で喜びを表現していた。まるで新しいおもちゃを買ってもらってはしゃいでいる子どもみたいだったっけ。
 なんだか照れくさかったけど、俺は笑顔で姉ちゃんに手を振ってみせた。


「姉ちゃん……サーフィンやりたかったのか……」

 姉ちゃんとの過去に触れて、ふと泣きそうになる。
 楽しかった思い出にそっと栞を挟み、枕に顔をうずめた。目を強く閉じて、静かに嗚咽を噛み殺す。

 ……最近はいつもこうだ。

 大丈夫だよ、姉ちゃん。心配しないで。
 寂しくなんてない。
 だから泣かない。
 そう自分と姉ちゃんに言い聞かせて、今日も孤独な夜を超えていく。
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