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Side-A 消失少女と喪失少年
少女の名はサキ
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早朝、俺は例の海にやってきた。
理由は……姉ちゃんとの思い出を感じたかったから。
時が過ぎ、大人になって、小さい頃の記憶はどんどん忘れていく。サーフィンを始めた頃の記憶はあるけど、小学校低学年のときの記憶なんてほとんどない。幼稚園の思い出なんて、一つも思い出せない。
季節が巡り、大人になれば、サーフィンを始めた頃の記憶も薄れていくのか。それと同じように、この心の傷が癒えたら、大好きな姉ちゃんのことも忘れてしまうのだろうか。
そんなの嫌だ。絶対に、忘れたくない。
そう考えたら、姉ちゃんと過ごした時間を思い出して、記憶を繋ぎ止めておきたくなった。だから、俺はここへ来た。
早朝にサーフィンをする人は少なくないが、今日は一人もいなかった。昼間よりかは人が少ないだろうと予想して早朝に来たのだが、やはり正解だったようだ。
サンダルにTシャツ、ハーフパンツという格好でここへは来た。海に入る予定はないので、水着は持ってない。もちろん、サーフィンをするのに必要なサーフボードやリーシュコード、それからラッシュガードなんかも用意していない。要するに手ぶらだ。
砂浜に腰を下ろして、数年ぶりに再会を果たした海を眺める。
朝日を吸った水面が輝いている。まるで財宝で溢れかえっている宝石箱を、海めがけてひっくり返したみたいだ。
視線を右へ。さざ波がゆっくりと砂浜へ押し寄せ、静かに海へと返っていく。
さらに奥のほうを見ると、
「……あれは?」
海の中に、誰かがいる。朝は人が少ないうえに、波も穏やかだから、早朝サーフィンをするつもりなのかもしれない。
しばらくそいつのことをぼんやりと眺めていた……が、そのサーファーの様子がおかしい。
まず、そいつはサーフボードらしきものを持っていない。海中に沈めている可能性もあるが、長時間隠す理由はないはずだ。
それだけなら無視するところだが、俺にはそいつがもがいているように見えた。ここからだとよく見えないが、両腕を必死に動かして、水飛沫を高く上げていることはわかる。
「お、溺れてんじゃねぇか!」
瞬間、立ち上がって弾けたように走り出した。
朝の空気を切って砂を蹴る。途中でサンダルが脱げたけど、気にしないで突っ走る。砂に足を取られるせいか、すごく走りにくい。転びそうになったが、なんとか踏ん張って駆けていく。
走りながらTシャツを脱ぎ捨てた。全力で両腕を振り、溺れている人物との距離を徐々に縮めていく。
もう目の前で誰かが死ぬのはごめんだ。
あいつは、絶対に俺が助ける。
海に飛び込んだ。腕を回し、温かい水をかき分けて進む。海の向こうの光に夢中で手を伸ばした。それを手繰り寄せるかのように手を腹まで持っていき、水を切り裂いて泳ぐ。少し海水を飲んだけど、むせている場合じゃない。人が死ぬかもしれないんだ。誰だか知らないけど、助ける。助けるんだ。
徐々に目標に近づいていく。もうすぐ手が届きそうだ。
泳ぐのをやめて、そばによる。
「げほっげほっ! お、おい! 大丈夫、か……」
そいつとばっちり目が合った。
ショートヘアで、目がくりくりしている可愛らしい女の子だった。年は俺と同じくらいか、少し下だろうか。若干、幼い顔つきだ。
「へ? 大丈夫だけど」
不思議そうに首を傾げる少女。
溺れて……ないのか?
無我夢中だったから気づかなかったけど、この場所は地面に足がつく程度の深さだった。この深さでは、まったく泳げない人間でもない限り、簡単に溺れたりはしないだろう。
なんだ……全部俺の勘違いかよ。
「無事でよかった。俺、お前が溺れているのかと思ったんだ」
「……そっかー。それは悪いことをしたなぁ、少年」
少女は眉をハの字にして、目を細めて笑った。
――どうしてそんなに悲しそうに笑うんだ?
尋ねようと思ったら、先に彼女が話し始めた。
「久しぶりに海に入ったら、ちょっと興奮しちゃってさ。童心に戻っちゃったわけ。そしたら、つい犬かきで泳ぎたくなっちゃって」
「犬かき!? おま、それで……」
おもわず絶句する。
なんてことだ。下手くそな犬かきが、遠くから見たら溺れているように見えたというのか。というか、興奮して犬かきってどういう理屈だ。意味わからん。
「つまり! 君は犬かきしている美少女を助けようとしたんだね!」
「ああ。その部分だけを取り出すと、すげぇ恥ずかしいよ……」
いい年して海ではしゃいで、犬かきをしていたお前もな。あと自分で美少女って言うな。はっ倒すぞ。
ため息をつくと、少女は「あははっ!」と嬉しそうに笑った。さっきまでの憂いを帯びた表情なんて微塵も感じさせない、元気な笑顔だ。
「お前、名前は?」
質問すると、少女は一瞬ビクッと肩を震わせた。
すぐに穏やかな笑みを浮かべて、
「私の名前はサキ」
そう名乗った。
「俺は蓮」
「……よろしくねー。蓮はここに泳ぎに来たの?」
その問いには答えるのをためらった。初対面の相手に「死んだ姉との思い出に触れたくて」なんて重たいことは言えない。言いたくもない。
「たまたまだ。散歩のついでに寄っただけだよ」
嘘をつくと、サキはキッと俺を睨んだ。明らかに警戒されている。
まさか、嘘だってばれたのか? 見た目は頭悪そうなのに、意外と勘の鋭いヤツだな。
「嘘つかないで」
「いや、その、嘘っていうか――」
「ナンパ目的で私に近寄ってきたんでしょ!」
全然鋭くなかった。見た目どおり、頭の中があったかいヤツで安心した。
「ナンパじゃねぇよ。サキに近づいたのは溺れているかと思ったからだ。さっき説明しただろ?」
「嘘だよ! そう言いつつ、私の胸元を見てるもの!」
「見てねぇ!」
ツッコミつつ、チラリと視線を下へ向けた……お前、胸ないじゃん。よく自信満々で胸を見るなとか言えるな。
一体なんなんだこいつは。俺のこと、からかってるのか?
「はぁ……とりあえず、陸に戻ろうぜ?」
サキに手を差し伸べると、彼女は「おっと、言ってるそばからボディタッチかい?」とほざいた。当然スルーだ。
「あはは。蓮はからかいがいがあるねぇ。話しやすいし、リアクションが面白い。何より、蓮も楽しそうに話してくれるしね!」
「えっ……俺が、楽しそうに?」
サキの言うとおりだった。
おかしいな。今の俺、話すのが煩わしいとか思ってない。むしろ、サキのくだらない冗談に反応までしてしまっている。
不思議に思っていると、
「ではでは、陸までエスコートよろしく。ナンパ王子」
「ふん。誰がお前なんかナンパするか」
「ツンツンしてるねぇ。こりゃあ私にデレるまで時間がかかりそうだなー」
笑いながら、俺の手を握ろうとするサキ。
しかし、彼女の小さな手は、俺の手をすり抜けた。
「……は?」「およ?」
二人ぶんの間抜けな声が重なり合う。
今たしかに、俺の手の上に、サキは手を置いた。だが、互いの手は触れ合うことはなく、サキの手は俺の手をすり抜けてしまった。
つまり……うん。どういうことだ、これは。
状況を脳内で言語化したら、余計に意味がわからなくなった。
「ふむふむ。知らなかったよ。どうやら人には触れられないらしい。物は掴めるんだけど……なんだか不思議だぜぃ」
一人だけ納得したらしく、サキはうんうんとうなずいた。
「お、おい! どういうことだよ! 説明しろ!」
「いや、私ね。実は透けているんですわ」
「はい?」
透けている。
なるほど、透けているのか。
……言っている意味がわからない。
「あ、今透けていると聞いて『水着が透けてたら最高だなげへへ』とか考えたでしょ? なんていやらしい目つき! このケダモノっ!」
「アホ言ってる場合か! そして胸元を隠すんじゃねぇ!」
だから興味ないし。お前、ぺったんこじゃんか――。
「えっ?」
サキの胸元に釘づけになる。もちろん、彼女のお子様ボディに劣情を催しているわけじゃない。
さっきは気づかなかった。
慎ましい胸を隠すサキの手は、わずかにそこにあると、かろうじて認識できる程度まで透過していたのだ。
「お、この手が気になるかい? どや」
俺の目の前に差し出されたサキの右手が、陽炎のように揺らめいた。
理由は……姉ちゃんとの思い出を感じたかったから。
時が過ぎ、大人になって、小さい頃の記憶はどんどん忘れていく。サーフィンを始めた頃の記憶はあるけど、小学校低学年のときの記憶なんてほとんどない。幼稚園の思い出なんて、一つも思い出せない。
季節が巡り、大人になれば、サーフィンを始めた頃の記憶も薄れていくのか。それと同じように、この心の傷が癒えたら、大好きな姉ちゃんのことも忘れてしまうのだろうか。
そんなの嫌だ。絶対に、忘れたくない。
そう考えたら、姉ちゃんと過ごした時間を思い出して、記憶を繋ぎ止めておきたくなった。だから、俺はここへ来た。
早朝にサーフィンをする人は少なくないが、今日は一人もいなかった。昼間よりかは人が少ないだろうと予想して早朝に来たのだが、やはり正解だったようだ。
サンダルにTシャツ、ハーフパンツという格好でここへは来た。海に入る予定はないので、水着は持ってない。もちろん、サーフィンをするのに必要なサーフボードやリーシュコード、それからラッシュガードなんかも用意していない。要するに手ぶらだ。
砂浜に腰を下ろして、数年ぶりに再会を果たした海を眺める。
朝日を吸った水面が輝いている。まるで財宝で溢れかえっている宝石箱を、海めがけてひっくり返したみたいだ。
視線を右へ。さざ波がゆっくりと砂浜へ押し寄せ、静かに海へと返っていく。
さらに奥のほうを見ると、
「……あれは?」
海の中に、誰かがいる。朝は人が少ないうえに、波も穏やかだから、早朝サーフィンをするつもりなのかもしれない。
しばらくそいつのことをぼんやりと眺めていた……が、そのサーファーの様子がおかしい。
まず、そいつはサーフボードらしきものを持っていない。海中に沈めている可能性もあるが、長時間隠す理由はないはずだ。
それだけなら無視するところだが、俺にはそいつがもがいているように見えた。ここからだとよく見えないが、両腕を必死に動かして、水飛沫を高く上げていることはわかる。
「お、溺れてんじゃねぇか!」
瞬間、立ち上がって弾けたように走り出した。
朝の空気を切って砂を蹴る。途中でサンダルが脱げたけど、気にしないで突っ走る。砂に足を取られるせいか、すごく走りにくい。転びそうになったが、なんとか踏ん張って駆けていく。
走りながらTシャツを脱ぎ捨てた。全力で両腕を振り、溺れている人物との距離を徐々に縮めていく。
もう目の前で誰かが死ぬのはごめんだ。
あいつは、絶対に俺が助ける。
海に飛び込んだ。腕を回し、温かい水をかき分けて進む。海の向こうの光に夢中で手を伸ばした。それを手繰り寄せるかのように手を腹まで持っていき、水を切り裂いて泳ぐ。少し海水を飲んだけど、むせている場合じゃない。人が死ぬかもしれないんだ。誰だか知らないけど、助ける。助けるんだ。
徐々に目標に近づいていく。もうすぐ手が届きそうだ。
泳ぐのをやめて、そばによる。
「げほっげほっ! お、おい! 大丈夫、か……」
そいつとばっちり目が合った。
ショートヘアで、目がくりくりしている可愛らしい女の子だった。年は俺と同じくらいか、少し下だろうか。若干、幼い顔つきだ。
「へ? 大丈夫だけど」
不思議そうに首を傾げる少女。
溺れて……ないのか?
無我夢中だったから気づかなかったけど、この場所は地面に足がつく程度の深さだった。この深さでは、まったく泳げない人間でもない限り、簡単に溺れたりはしないだろう。
なんだ……全部俺の勘違いかよ。
「無事でよかった。俺、お前が溺れているのかと思ったんだ」
「……そっかー。それは悪いことをしたなぁ、少年」
少女は眉をハの字にして、目を細めて笑った。
――どうしてそんなに悲しそうに笑うんだ?
尋ねようと思ったら、先に彼女が話し始めた。
「久しぶりに海に入ったら、ちょっと興奮しちゃってさ。童心に戻っちゃったわけ。そしたら、つい犬かきで泳ぎたくなっちゃって」
「犬かき!? おま、それで……」
おもわず絶句する。
なんてことだ。下手くそな犬かきが、遠くから見たら溺れているように見えたというのか。というか、興奮して犬かきってどういう理屈だ。意味わからん。
「つまり! 君は犬かきしている美少女を助けようとしたんだね!」
「ああ。その部分だけを取り出すと、すげぇ恥ずかしいよ……」
いい年して海ではしゃいで、犬かきをしていたお前もな。あと自分で美少女って言うな。はっ倒すぞ。
ため息をつくと、少女は「あははっ!」と嬉しそうに笑った。さっきまでの憂いを帯びた表情なんて微塵も感じさせない、元気な笑顔だ。
「お前、名前は?」
質問すると、少女は一瞬ビクッと肩を震わせた。
すぐに穏やかな笑みを浮かべて、
「私の名前はサキ」
そう名乗った。
「俺は蓮」
「……よろしくねー。蓮はここに泳ぎに来たの?」
その問いには答えるのをためらった。初対面の相手に「死んだ姉との思い出に触れたくて」なんて重たいことは言えない。言いたくもない。
「たまたまだ。散歩のついでに寄っただけだよ」
嘘をつくと、サキはキッと俺を睨んだ。明らかに警戒されている。
まさか、嘘だってばれたのか? 見た目は頭悪そうなのに、意外と勘の鋭いヤツだな。
「嘘つかないで」
「いや、その、嘘っていうか――」
「ナンパ目的で私に近寄ってきたんでしょ!」
全然鋭くなかった。見た目どおり、頭の中があったかいヤツで安心した。
「ナンパじゃねぇよ。サキに近づいたのは溺れているかと思ったからだ。さっき説明しただろ?」
「嘘だよ! そう言いつつ、私の胸元を見てるもの!」
「見てねぇ!」
ツッコミつつ、チラリと視線を下へ向けた……お前、胸ないじゃん。よく自信満々で胸を見るなとか言えるな。
一体なんなんだこいつは。俺のこと、からかってるのか?
「はぁ……とりあえず、陸に戻ろうぜ?」
サキに手を差し伸べると、彼女は「おっと、言ってるそばからボディタッチかい?」とほざいた。当然スルーだ。
「あはは。蓮はからかいがいがあるねぇ。話しやすいし、リアクションが面白い。何より、蓮も楽しそうに話してくれるしね!」
「えっ……俺が、楽しそうに?」
サキの言うとおりだった。
おかしいな。今の俺、話すのが煩わしいとか思ってない。むしろ、サキのくだらない冗談に反応までしてしまっている。
不思議に思っていると、
「ではでは、陸までエスコートよろしく。ナンパ王子」
「ふん。誰がお前なんかナンパするか」
「ツンツンしてるねぇ。こりゃあ私にデレるまで時間がかかりそうだなー」
笑いながら、俺の手を握ろうとするサキ。
しかし、彼女の小さな手は、俺の手をすり抜けた。
「……は?」「およ?」
二人ぶんの間抜けな声が重なり合う。
今たしかに、俺の手の上に、サキは手を置いた。だが、互いの手は触れ合うことはなく、サキの手は俺の手をすり抜けてしまった。
つまり……うん。どういうことだ、これは。
状況を脳内で言語化したら、余計に意味がわからなくなった。
「ふむふむ。知らなかったよ。どうやら人には触れられないらしい。物は掴めるんだけど……なんだか不思議だぜぃ」
一人だけ納得したらしく、サキはうんうんとうなずいた。
「お、おい! どういうことだよ! 説明しろ!」
「いや、私ね。実は透けているんですわ」
「はい?」
透けている。
なるほど、透けているのか。
……言っている意味がわからない。
「あ、今透けていると聞いて『水着が透けてたら最高だなげへへ』とか考えたでしょ? なんていやらしい目つき! このケダモノっ!」
「アホ言ってる場合か! そして胸元を隠すんじゃねぇ!」
だから興味ないし。お前、ぺったんこじゃんか――。
「えっ?」
サキの胸元に釘づけになる。もちろん、彼女のお子様ボディに劣情を催しているわけじゃない。
さっきは気づかなかった。
慎ましい胸を隠すサキの手は、わずかにそこにあると、かろうじて認識できる程度まで透過していたのだ。
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