消失病 ~キミが消えたあの夏の日~

上村夏樹

文字の大きさ
3 / 29
Side-A 消失少女と喪失少年

少女の名はサキ

しおりを挟む
 早朝、俺は例の海にやってきた。

 理由は……姉ちゃんとの思い出を感じたかったから。

 時が過ぎ、大人になって、小さい頃の記憶はどんどん忘れていく。サーフィンを始めた頃の記憶はあるけど、小学校低学年のときの記憶なんてほとんどない。幼稚園の思い出なんて、一つも思い出せない。
 季節が巡り、大人になれば、サーフィンを始めた頃の記憶も薄れていくのか。それと同じように、この心の傷が癒えたら、大好きな姉ちゃんのことも忘れてしまうのだろうか。
 そんなの嫌だ。絶対に、忘れたくない。
 そう考えたら、姉ちゃんと過ごした時間を思い出して、記憶を繋ぎ止めておきたくなった。だから、俺はここへ来た。

 早朝にサーフィンをする人は少なくないが、今日は一人もいなかった。昼間よりかは人が少ないだろうと予想して早朝に来たのだが、やはり正解だったようだ。

 サンダルにTシャツ、ハーフパンツという格好でここへは来た。海に入る予定はないので、水着は持ってない。もちろん、サーフィンをするのに必要なサーフボードやリーシュコード、それからラッシュガードなんかも用意していない。要するに手ぶらだ。

 砂浜に腰を下ろして、数年ぶりに再会を果たした海を眺める。

 朝日を吸った水面が輝いている。まるで財宝で溢れかえっている宝石箱を、海めがけてひっくり返したみたいだ。
 視線を右へ。さざ波がゆっくりと砂浜へ押し寄せ、静かに海へと返っていく。
 さらに奥のほうを見ると、

「……あれは?」

 海の中に、誰かがいる。朝は人が少ないうえに、波も穏やかだから、早朝サーフィンをするつもりなのかもしれない。

 しばらくそいつのことをぼんやりと眺めていた……が、そのサーファーの様子がおかしい。
 まず、そいつはサーフボードらしきものを持っていない。海中に沈めている可能性もあるが、長時間隠す理由はないはずだ。
 それだけなら無視するところだが、俺にはそいつがもがいているように見えた。ここからだとよく見えないが、両腕を必死に動かして、水飛沫を高く上げていることはわかる。

「お、溺れてんじゃねぇか!」

 瞬間、立ち上がって弾けたように走り出した。

 朝の空気を切って砂を蹴る。途中でサンダルが脱げたけど、気にしないで突っ走る。砂に足を取られるせいか、すごく走りにくい。転びそうになったが、なんとか踏ん張って駆けていく。
 走りながらTシャツを脱ぎ捨てた。全力で両腕を振り、溺れている人物との距離を徐々に縮めていく。

 もう目の前で誰かが死ぬのはごめんだ。
 あいつは、絶対に俺が助ける。

 海に飛び込んだ。腕を回し、温かい水をかき分けて進む。海の向こうの光に夢中で手を伸ばした。それを手繰り寄せるかのように手を腹まで持っていき、水を切り裂いて泳ぐ。少し海水を飲んだけど、むせている場合じゃない。人が死ぬかもしれないんだ。誰だか知らないけど、助ける。助けるんだ。

 徐々に目標に近づいていく。もうすぐ手が届きそうだ。
 泳ぐのをやめて、そばによる。

「げほっげほっ! お、おい! 大丈夫、か……」

 そいつとばっちり目が合った。
 ショートヘアで、目がくりくりしている可愛らしい女の子だった。年は俺と同じくらいか、少し下だろうか。若干、幼い顔つきだ。

「へ? 大丈夫だけど」

 不思議そうに首を傾げる少女。
 溺れて……ないのか?
 無我夢中だったから気づかなかったけど、この場所は地面に足がつく程度の深さだった。この深さでは、まったく泳げない人間でもない限り、簡単に溺れたりはしないだろう。
 なんだ……全部俺の勘違いかよ。

「無事でよかった。俺、お前が溺れているのかと思ったんだ」
「……そっかー。それは悪いことをしたなぁ、少年」

 少女は眉をハの字にして、目を細めて笑った。

 ――どうしてそんなに悲しそうに笑うんだ?

 尋ねようと思ったら、先に彼女が話し始めた。

「久しぶりに海に入ったら、ちょっと興奮しちゃってさ。童心に戻っちゃったわけ。そしたら、つい犬かきで泳ぎたくなっちゃって」
「犬かき!? おま、それで……」

 おもわず絶句する。
 なんてことだ。下手くそな犬かきが、遠くから見たら溺れているように見えたというのか。というか、興奮して犬かきってどういう理屈だ。意味わからん。

「つまり! 君は犬かきしている美少女を助けようとしたんだね!」
「ああ。その部分だけを取り出すと、すげぇ恥ずかしいよ……」

 いい年して海ではしゃいで、犬かきをしていたお前もな。あと自分で美少女って言うな。はっ倒すぞ。
 ため息をつくと、少女は「あははっ!」と嬉しそうに笑った。さっきまでの憂いを帯びた表情なんて微塵も感じさせない、元気な笑顔だ。

「お前、名前は?」

 質問すると、少女は一瞬ビクッと肩を震わせた。
 すぐに穏やかな笑みを浮かべて、

「私の名前はサキ」

 そう名乗った。

「俺は蓮」
「……よろしくねー。蓮はここに泳ぎに来たの?」

 その問いには答えるのをためらった。初対面の相手に「死んだ姉との思い出に触れたくて」なんて重たいことは言えない。言いたくもない。

「たまたまだ。散歩のついでに寄っただけだよ」

 嘘をつくと、サキはキッと俺を睨んだ。明らかに警戒されている。
 まさか、嘘だってばれたのか? 見た目は頭悪そうなのに、意外と勘の鋭いヤツだな。

「嘘つかないで」
「いや、その、嘘っていうか――」
「ナンパ目的で私に近寄ってきたんでしょ!」

 全然鋭くなかった。見た目どおり、頭の中があったかいヤツで安心した。

「ナンパじゃねぇよ。サキに近づいたのは溺れているかと思ったからだ。さっき説明しただろ?」
「嘘だよ! そう言いつつ、私の胸元を見てるもの!」
「見てねぇ!」

 ツッコミつつ、チラリと視線を下へ向けた……お前、胸ないじゃん。よく自信満々で胸を見るなとか言えるな。
 一体なんなんだこいつは。俺のこと、からかってるのか?

「はぁ……とりあえず、陸に戻ろうぜ?」

 サキに手を差し伸べると、彼女は「おっと、言ってるそばからボディタッチかい?」とほざいた。当然スルーだ。

「あはは。蓮はからかいがいがあるねぇ。話しやすいし、リアクションが面白い。何より、蓮も楽しそうに話してくれるしね!」
「えっ……俺が、楽しそうに?」

 サキの言うとおりだった。
 おかしいな。今の俺、話すのが煩わしいとか思ってない。むしろ、サキのくだらない冗談に反応までしてしまっている。
 不思議に思っていると、

「ではでは、陸までエスコートよろしく。ナンパ王子」
「ふん。誰がお前なんかナンパするか」
「ツンツンしてるねぇ。こりゃあ私にデレるまで時間がかかりそうだなー」

 笑いながら、俺の手を握ろうとするサキ。
 しかし、彼女の小さな手は、俺の手をすり抜けた。

「……は?」「およ?」

 二人ぶんの間抜けな声が重なり合う。
 今たしかに、俺の手の上に、サキは手を置いた。だが、互いの手は触れ合うことはなく、サキの手は俺の手をすり抜けてしまった。
 つまり……うん。どういうことだ、これは。
 状況を脳内で言語化したら、余計に意味がわからなくなった。

「ふむふむ。知らなかったよ。どうやら人には触れられないらしい。物は掴めるんだけど……なんだか不思議だぜぃ」

 一人だけ納得したらしく、サキはうんうんとうなずいた。

「お、おい! どういうことだよ! 説明しろ!」
「いや、私ね。実は透けているんですわ」
「はい?」

 透けている。
 なるほど、透けているのか。
 ……言っている意味がわからない。

「あ、今透けていると聞いて『水着が透けてたら最高だなげへへ』とか考えたでしょ? なんていやらしい目つき! このケダモノっ!」
「アホ言ってる場合か! そして胸元を隠すんじゃねぇ!」

 だから興味ないし。お前、ぺったんこじゃんか――。

「えっ?」

 サキの胸元に釘づけになる。もちろん、彼女のお子様ボディに劣情を催しているわけじゃない。

 さっきは気づかなかった。
 慎ましい胸を隠すサキの手は、わずかにそこにあると、かろうじて認識できる程度まで透過していたのだ。

「お、この手が気になるかい? どや」

 俺の目の前に差し出されたサキの右手が、陽炎のように揺らめいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...