消失病 ~キミが消えたあの夏の日~

上村夏樹

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Side-A 消失少女と喪失少年

その名はガッちゃん

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 翌日の早朝、俺はボードとスポーツバックを持って家を出た。
 俺が使っているのはショートボードは、先端がやや尖っている。他のロングボードなどと違い、細かいターンが可能なのが強みだ。サイズは小さめで、180センチ。重さは正確には覚えていないけど、たぶん3キロくらいだと思う。
 自宅から海までは歩いてすぐだ。これくらいの重さなら、脇に抱えて移動することができる。

 スポーツバッグの中に重たいものは入っていない。着替えやタオル、ラッシュガードくらいか。水着はすでに着ているし。あとはボードと自分の体を繋ぐためのリーシュコードを持ってきた。

 海に到着した。早朝の海には、ほとんど人がいなかった。
 遠くのほうに女の子がいる。たぶん、サキがすでにスタンバイしているのだろう。
 俺は先に服を脱ぎ、水着姿になる。スポーツバッグからラッシュガードを取り出して、それを着た。ラッシュガードはTシャツのような形をしていて、上半身にものすごく密着する。この感じ、結構懐かしい。

 遠くに見えた先客に近づくと、そいつは案の定サキだった。俺に気づいたサキは、こちらに向かって大きく手を振る。

「おっはよー。おぉー、その格好、気合十分でござるな!」

 夏の暑さも吹っ飛ばす、満面の笑みだった。その時代錯誤な語尾の意味はよくわからないけど、とりあえずテンションが高いということだけは理解できる。

「おはよう……ってお前も準備万端じゃんか」

 サキは上にウェットスーツの一種である黒いタッパーを着用している。下はグレーのサーフパンツだった。
 ……まぁ予想どおり色気はない。

「おいこら少年。今私のお色気ボディを見てがっかりしなかったかい? 失礼だなぁ、レディーに向かって。これ以上のお色気を望むなんて、蓮はちょっと欲しがり過ぎだよ?」
「ふっ」
「鼻で笑われた!?」
「いや、すごい色気だなって思ってさ。容易く理性を保てそうで安心した」
「そこ安心しちゃ駄目なところだよ!? くっそー、脱いだらすごいのに」
「脱がんでいい、脱がんで」

 サーフパンツに手をかけるサキを制す。痴女かお前は。男の前で簡単に脱ごうとするなよ。
 そういえば、サキは初心者とか言っていたけど、結構準備がいいな。ウェア類は自分で選んだのだろうか。というか、ボードは持ってるのか?
 持ってる……よな?
 無性に不安になってきた。昨日のうちに全部確認しておけばよかったな。

「ほぉ、それが蓮のサーフボード?」

 サキは俺のショートボードを興味深そうに見つめている。

「ああ。お前のはあるのか?」
「おうとも! あれが相棒の『ガッちゃん』です!」

 少し離れたところに白いサーフボードがあった。名前はガッちゃんというらしい。とりあえず、ボードはあるようで安心した。

「ガッちゃんねぇ……女子はすぐモノに意味不明な名前をつけたがる」
「ガッちゃんって名前、可愛くない?」

 うん。可愛くはない。そう断言すると、サキの機嫌を損ねるかもしれないのでやめておいた。

「あーまぁ可愛いかもな」

 俺が曖昧に相槌を打つと、サキは得意気に控えめな胸を張ってみせた。彼女のこの部分だけは慎ましく、大和撫子と言えよう。
 サキは無造作に置かれているガッちゃんを取って、俺の元へ駆け寄った。

「蓮。まずは何をすればいいの?」
「そうだな……お前、パドルって知ってる?」

 尋ねると、サキは左右に首を振った。

「サーフィンするには、海の中でボードを持って移動することになるよな? パドルっていうのはその移動方法のことだよ。具体的にはボードの上に腹這いになって、クロールの要領で漕ぐ動作のことだ」
「ふむふむ。こんな感じ?」

 サキは砂浜の上にボードを置いてその上に腹這いになると、パドルの動作をし始めた。

「だいたいそんな感じだ。実際はボードの下の水をかくんだけど、今はイメージだけ掴めればいいと思う」
「……蓮に背中を見下ろされているこの感覚、なんだか屈辱的でドキドキする!」

 それただのマゾじゃねぇか。
 サキのヤツ、とんでもない性癖の持ち主だった。

「知るかよ。ほら立て。海の中で練習するぞ」
「はーい」

 サキが立ち上がるのを待って、俺たちは海に入った。サキはボードを持っているけど、俺は陸に置いてきた。ボードを持っていると、教えるとき邪魔だからな。

 さて……いきなり沖に出ても、波の洗礼を受けるのがオチだ。まずはパドルができるように特訓しよう。

「さっき言ったとおりに、パドルをやってみてくれ。覚えてるか?」
「うん。えっと、まずはこれの上に腹這いに……こうだね?」
「そうそう。もう少し胸をそらすことできるか?」
「こ、こう?」
「アゴは引いて。そう、その姿勢。そのままクロールするみたいに手で漕いでみろ。さっきも説明したけど、ボードの下の水をかくんだ」

 サキは小さくうなずき、腕を大きく回した。

「おりゃー」

 ばしゃばしゃばしゃ。

「おりゃおりゃー」

 ばしゃばしゃばしゃばしゃばしゃばしゃ。

「はぁはぁ……ど、どうだ!」
「全っ然進んでねぇけど」
「げっ、本当だ!」

 サキは振り返って驚愕の声を上げた。
 パドルしたサキと、その場から動いていない俺との距離はおよそ5メートル。陸上でほふく前進したほうがまだ速いと思う。
 最初はこんなものかもしれないけど……下手くそだなぁ。なんか水飛沫がやたら高く舞っていたけど、そのわりに推進力がショボすぎる。

「マジか……新品のクセにだらしないよ、ガッちゃん」
「サーフボードのせいにするな」

 お前の実力が反映された結果だろうが。ガッちゃんに罪はない。

「うん。まぁその、なんていうの? 気合いで頑張ろうぜ」
「蓮……フォロー下手くそ過ぎ」

 落ち込むサキを励ましながら、淡々と練習は続いていく。

 ◆

「おりゃー」

 サキの気の抜けた声が、海の空をのんびりと駆けていく。

 驚いたことにサキの上達は早かった。さっきよりもいくらか速度は出ているし、派手に舞う水飛沫の高さも低くなった。
 コツを掴んだというよりも、体幹がいいのだろう。
 初心者はサーフボードを上下左右に揺らしてしまいがちだ。これでは海面に対して抵抗が発生してしまい、速度が落ちる。この問題は慣れで解消できるケースが多い。
 だが、サキは慣れるほど練習を積んでいない。上達したというよりも、持ち前のバランス感覚が優れていたおかげで、ボードの揺れが少ないのだろう。

 これはおもわぬ収穫だった。体幹が鍛えられているのであれば、この先サーフボードの上に立つ動作――テイクオフの練習をしたときにも有利に働く。安定していないボードの上に乗るのだから、バランス感覚がいいに越したことはない。予想外のアドバンテージだ。

「朝乗ったときよりも、だいぶ上達してると思う。やるじゃないか、サキ」
「そうかなぁ? 蓮の教え方が上手いだけだよ。あははっ」

 だらしなく口を開けて笑うサキ。嬉しいくせに。素直に喜べっての。

「楽しいね、サーフィン」
「いや、まだ波に乗ってないだろ。これからだぞ、面白くなるのは」
「そうだね。明日には乗っちゃうんだから!」

 偉そうに、ない胸を張るサキ。「いやそれはさすがに無理だろ」と俺が笑うと、サキもつられて笑った。

「そろそろ陸に戻るか。疲れただろ?」
「うん。ちょっと体がだるいかも」

 サキの言うことはもっともだった。正確な時間はわからないが、結構いい時間になっているはず。

「朝からぶっ通しで練習してたんだ。そりゃ疲れるわ。今日はもう休んだらどうだ? また明日付き合ってやるから」
「気づかってくれてサンキューであります。ふふっ。蓮は優しいね」

 サキは目を細めて穏やかな笑みを浮かべる。

 俺が優しい?
 冗談はやめろ。人付き合いを嫌う俺が、人に優しいわけがないだろう。

 でも……不思議と嫌な気分じゃない。
 なんだか頬が熱くるのを感じる。

「お、また蓮が照れてる!」
「照れてないッ! 置いてくぞ!」
「あ、ちょっと先に行かないでよぅ。おりゃー」

 ばしゃばしゃばしゃ。

 後ろから追ってくる水の音を聞きながら、俺は陸に向かった。
 優しいと言われてちょっと嬉しかったのは、サキには内緒にしておいた。
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