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Side-B キミが消えたあの夏の日は
私たちにできること
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私がしようとしていること。
それは蓮が消失する前に、彼の目の前で波に乗ることだ。
蓮が消えると予想される前日の放課後、私は蓮を海に連れ出してサーフィンをする。一緒にサーフィンができない以上、こういうふうに思い出を作るしかない。
これって、ちょっとしたデートだよね?
花火をしたり、旅行に行ったりしたほうがよかったかな。楽しい時間を共有したほうがよかったかな。
でも私、ただ思い出を作るだけじゃ嫌なんだ。忘れられない素敵な思い出じゃなきゃ満足できない。
たった一週間で波に乗れるなんて、蓮は思いもしないはず。蓮を驚かせて、感動させてやる。一生忘れないように、蓮の記憶に刻んでやるんだ。
この思い出作りのためには、サーフィンの特訓だけでなく、いろいろと準備が必要だ。
大前提として、蓮にはサーフィンをさせない。というか、運動させてはいけないと医者に強く言われてしまった。
一緒に波に乗れなくても、思い出は共有できる……そう信じるしかない。
蓮が外出するための条件は四つ。蓮の保護者の許可を取ること。付き添いがいること。午後六時までには病室に戻ること。車椅子で移動し、絶対に運動をしないこと。
付き添いは私がやるし、門限に関しては特に問題ない。車椅子は病院で借りられるから大丈夫。
三つはクリアできるけど……保護者の許可だけは、非常にハードルが高い。
でも、私には悩んでいる時間なんてない。やるんだ、絶対に。
というわけで、私は今、蓮の自宅の前に来ている。外出許可書なるものに、蓮のお母さんのサインが必要なのだ。このサインを貰うのが、今回のミッション。
蓮のお母さんに会うのは久しぶりだ。
「ちょ、超緊張するんだけど……」
なんて言えばいいのだろう。「蓮との思い出作りがしたいので、外出許可書にサインしてください」かな? いや、少し軽すぎるかもしれない。「この度、わたくしは貴公のご子息と思い出作りをしたく存じます」いやこれはなんか日本語が変だ。それに幼なじみの母親に対して貴公はエキセントリックすぎる。
「ええい、なるようになれぇ!」
震える指をインターホンに伸ばした、そのとき。
「……美波ちゃん? 久しぶりね」
後ろから声をかけられた。
慌てて振り向くと、
「あ……ご、ご無沙汰してます」
蓮のお母さんが立っていた。
「はい、麦茶」
「あ、ありがとうございます!」
蓮の家に上がり、リビングに通された私は、蓮のお母さんに言われるがまま、テーブル席に着いた。
席に着く前に、蓮のお姉さんに線香をあげた。遺影の彼女はまぶしいくらいの笑顔で、私を見つめ返していた。
ガラスのコップを手に取り、麦茶を一口飲む。キンキンに冷えた琥珀色の液体が、緊張で渇いた喉を潤していく。
ちょうどテーブルにコップを置いたとき、蓮のお母さんは私の正面に座った。
「美波ちゃんが家に来るなんて久しぶりねぇ」
蓮のお母さんは優しく微笑んだ。
でも、目にはまるで生気がない。闇を湛えた彼女の瞳は、私を映しているようで、どこか遠くを見ているような気がした。
蓮のお母さんを最後に見たのは、蓮のお姉さんの葬式のとき。あのときに比べたら、蓮のお母さんはだいぶ痩せたと思う。
「今日は何か用事があって来たの?」
「あはは……たまには顔出さないとなぁー、なんて……あははは」
適当に話を合わせて笑った。
駄目だ。本題を切り出せるような雰囲気じゃない。
だって……蓮のお母さん、すごく無理している。本当は悲しくて仕方がないのに、私をもてなそうと、必死に自分を奮い立たせている。
弱みを見せないで、無理して笑って振る舞うその姿は、ちょっと前までの私と蓮だ。
そんなの駄目。強がりを優しさと履き違えている。
だったら……言わなきゃ。
偽りの笑顔は全然優しくないんだって、教えてあげないと。
「美波ちゃんといると昔を思い出すわ。ねぇ、思い出話でもしましょうよ」
「あの、蓮のお母さん」
「小学五年生のときだったかしら? 学校で劇をやったときのことなんだけど――」
「蓮、消えちゃうんですね」
ぴしゃりと言い放ったその瞬間、蓮のお母さんの動きが止まった。
少し間があって、蓮のお母さんは再び口を開いた。
「……お見舞いに来てくれていたのよね? 蓮から聞いたわ。ありがとうね」
「いえ。その、私が好きで通っているだけですし」
「美波ちゃんは、蓮のことが好き?」
その質問には即答できなかった。
本人にも気持ちが伝えられていないのに、相手の母親に気持ちを伝えるなんて順序が逆だ。でも、嘘をつくのはおかしいし、どうすればいい?
悩んでいると、蓮のお母さんが口を開く。
「大丈夫。蓮には言わない。ううん、言えないわ。だから教えて? 好きなの?」
「…………はい」
頬がかあっと熱くなった。すごく恥ずかしい。きっと顔も赤くなっているに違いない。
この場から逃げ出したい衝動と戦っていると、蓮のお母さんが「それはおかしいわ」と首を左右に振った。
「好きなのに……どうしてそんな平気な顔でいられるの?」
蓮のお母さんは、虚ろな目で私を見つめている。偽りの笑顔を張りつけたままだ。
「おかしいわよ。私なんてもう壊れそうなのに……どうして美波ちゃんは平気そうな顔をしているの?」
「蓮のお母さん……」
「この短期間で愛する我が子が二人もいなくなるなんて……心が張り裂けそう。こんな残酷な世界で、生きる意味なんてもう見出せそうにない。美波ちゃんは、同じ気持ちじゃないの? どうして平気なの?」
蓮のお母さんの声は震えていた。
私には二人の子どもを失くす母親の気持ちなんてわからない。同情はするけど、きっと十分の一も気持ちを理解してあげることはできないだろう。
でもね、蓮のお母さん。
「平気なわけ、ないじゃないですか」
大好きな幼なじみが、消失病だってわかって。
知らない間にどんどん大切な思い出が奪われていって。
私の関する記憶まで消えていって。
そりゃあ、母親のあなたが、この世で一番悲しいのかもしれないけれど。
平気そうだとか、軽々しく口にしないでよ。
もしも、私が平気そうに見えるのならば、それはあなたが現実に打ちひしがれて、後ろを向いているからだ。前を向く、私のことがまぶしく見えるだけ。
「蓮のお母さん」
教えてあげる。
どうすれば、前を向けるのかを。
どうすれば、ニセモノの笑顔を捨てられるのかを。
「私、気づいたんです。無理して笑ったりする必要はないってこと」
「……無理よ。笑っていないと、泣いちゃうもの。蓮の前で、感情が溢れてしまう」
「そうなってしまうこともあると思います。でも、それは必ずしも悪いことじゃないと思うんです」
「泣いてしまったら、蓮は困るでしょう? 自分のせいで泣いているって、自分を責めるに決まっている。あの子、無愛想だけど根は優しいから」
そうかもしれない。
でも、笑顔ごっこを続けて、気まずいままお別れするよりずっとマシ。
「消失病だってわかってから、ずっと明るく振る舞っていた蓮は、泣きながら言いました。無理して笑うの、辛いって」
お姉さんと約束していなかったら、笑顔なんてやめたいって蓮は言っていた。
キミは、自分のすべてをさらけ出して泣いたね。
弱音を吐くことで、そして正直な自分でいることで、前を向けることだってある……それを私に教えてくれたよね。
「蓮のお母さんも、辛いときは笑う必要ないと思います」
「でも……私が辛そうな顔をしたら、蓮も悲しい気持ちになってしまう。美波ちゃんだって、あの子が泣き虫なの、知っているでしょう?」
「はい。知っています」
「だったら、どうして?」
「だって……相手はわかっちゃうんです。この人、無理して笑っているなって。強がっているなって。お互い無理をした笑顔のごっこ遊びなんて、そんなの、辛いじゃないですか。お互いの傷を舐め合っているどころか、本当は傷つけ合っているようなものなんですから」
「っ…………そうかも、しれないわね……」
ぽたぽたと、テーブルに涙がこぼれ落ちる。
蓮のお母さんが付けていた笑顔の仮面は、静かな嗚咽によって壊れていく。
「……このままじゃ、蓮を悲しい気持ちにさせたまま見送ることになっちゃうわね」
「消えていく蓮にできることは、彼を安心させてあげることだと思うんです。だから、安心させてあげるためにも、どうか無理はしないでください」
ありのままの自分で、蓮に接しよう。
そうすれば、相手と悲しみを分け合える。心の底から笑い合える。
自然体でいれば、ほんの少しだけ、未来が明るく見えるんだ。
「あとはほら、蓮と最後まで一緒にいてあげることが大事で、今日はそのことで相談が……蓮のお母さん?」
「私……あの子のこと、何も理解してあげられなかった……。蓮が悲しまないように、笑顔で送り出すことばかり考えて、後は自分が無理すればなんとかなると思ってた……蓮も、私と同じように無理していただなんて、考えもしなくて……っ!」
涙声がしんしんと降り積もる。
私は席を立ち、蓮のお母さんの背後に移動した。覆い被さるように、後ろから優しくハグをする。
「やだ、とっくに枯れていたと思ったのに……涙が、止まらない……」
「それでいいんです。全部吐き出してスッキリすれば、自然な笑顔ができると思います。その笑顔を、蓮に見せてあげてください」
きっと、私たちにはそれくらいしかしてあげられない。
しばらくの間、涙を流す蓮のお母さんを抱きしめた。
母が子を想う優しい気持ちだけが、リビングに満たされていく。
「それじゃあ、お邪魔しました」
玄関でスニーカーを履き、蓮のお母さんに挨拶をした。彼女の目はまだ少し赤い。
あの後、泣きやんだ蓮のお母さんに事情を説明した。
蓮のお母さんは快く外出許可書にサインをしてくれた。これがあれば、蓮を病院の外に連れ出せる。
舞台は整った。あとは私次第だ。頑張らなきゃ。
気持ちを引き締めて、蓮の家から出ようとしたそのとき、
「ねぇ、美波ちゃん」
蓮のお母さんに呼び止められた。
「今日はありがとね。息子と同い年の子から、こんなにも大切なことを教えてもらうとは思わなかったわ」
「そ、そんな立派なもんじゃないですよ。私なんて、思ったこと口にしてるだけですから」
「それでも、とても優しい女の子だなって、心の底からそう思ったの」
「あ、ありがとうございます……」
褒められると、なんだか気恥ずかしくなる。嬉しいんだけど、あまり褒められ慣れていないから、どう反応していいかわからない。
「料理も上手だし、美波ちゃんはいいお嫁さんになるわね」
「なっ!? いや、ど、どうでしょう……あははは」
本当にどう反応していいかわからない。まさか蓮のお母さんに、こんなにも褒め殺しされる日が来るとは思わなかった。
「サーフィン、頑張ってね」
「は、はい。それでは失礼しました!」
恥ずかしいから、逃げるように玄関を飛び出した。ぐんぐん風を切って走る。まだ風は生温く、気温も高い。九月になったというのに、まるで夏だ。
「……あと少しだけ、頑張らなきゃ」
簡単に人が消えるこんな世界では、自分さえ見失いそうになる。
それでも私は、最後まで足掻こう。
キミと過ごした時間を幻にしないために。
この数日間、がむしゃらに練習を続けた。朝はサーフィン。放課後は蓮のお見舞い。休日は一日中サーフィンをする。毎日サーフボードを持って特訓をしたけど、未だに波には乗れていない。
それでも時は無情に過ぎていく。
そして、蓮が消失すると宣言してから七日目の放課後がやってきた。
それは蓮が消失する前に、彼の目の前で波に乗ることだ。
蓮が消えると予想される前日の放課後、私は蓮を海に連れ出してサーフィンをする。一緒にサーフィンができない以上、こういうふうに思い出を作るしかない。
これって、ちょっとしたデートだよね?
花火をしたり、旅行に行ったりしたほうがよかったかな。楽しい時間を共有したほうがよかったかな。
でも私、ただ思い出を作るだけじゃ嫌なんだ。忘れられない素敵な思い出じゃなきゃ満足できない。
たった一週間で波に乗れるなんて、蓮は思いもしないはず。蓮を驚かせて、感動させてやる。一生忘れないように、蓮の記憶に刻んでやるんだ。
この思い出作りのためには、サーフィンの特訓だけでなく、いろいろと準備が必要だ。
大前提として、蓮にはサーフィンをさせない。というか、運動させてはいけないと医者に強く言われてしまった。
一緒に波に乗れなくても、思い出は共有できる……そう信じるしかない。
蓮が外出するための条件は四つ。蓮の保護者の許可を取ること。付き添いがいること。午後六時までには病室に戻ること。車椅子で移動し、絶対に運動をしないこと。
付き添いは私がやるし、門限に関しては特に問題ない。車椅子は病院で借りられるから大丈夫。
三つはクリアできるけど……保護者の許可だけは、非常にハードルが高い。
でも、私には悩んでいる時間なんてない。やるんだ、絶対に。
というわけで、私は今、蓮の自宅の前に来ている。外出許可書なるものに、蓮のお母さんのサインが必要なのだ。このサインを貰うのが、今回のミッション。
蓮のお母さんに会うのは久しぶりだ。
「ちょ、超緊張するんだけど……」
なんて言えばいいのだろう。「蓮との思い出作りがしたいので、外出許可書にサインしてください」かな? いや、少し軽すぎるかもしれない。「この度、わたくしは貴公のご子息と思い出作りをしたく存じます」いやこれはなんか日本語が変だ。それに幼なじみの母親に対して貴公はエキセントリックすぎる。
「ええい、なるようになれぇ!」
震える指をインターホンに伸ばした、そのとき。
「……美波ちゃん? 久しぶりね」
後ろから声をかけられた。
慌てて振り向くと、
「あ……ご、ご無沙汰してます」
蓮のお母さんが立っていた。
「はい、麦茶」
「あ、ありがとうございます!」
蓮の家に上がり、リビングに通された私は、蓮のお母さんに言われるがまま、テーブル席に着いた。
席に着く前に、蓮のお姉さんに線香をあげた。遺影の彼女はまぶしいくらいの笑顔で、私を見つめ返していた。
ガラスのコップを手に取り、麦茶を一口飲む。キンキンに冷えた琥珀色の液体が、緊張で渇いた喉を潤していく。
ちょうどテーブルにコップを置いたとき、蓮のお母さんは私の正面に座った。
「美波ちゃんが家に来るなんて久しぶりねぇ」
蓮のお母さんは優しく微笑んだ。
でも、目にはまるで生気がない。闇を湛えた彼女の瞳は、私を映しているようで、どこか遠くを見ているような気がした。
蓮のお母さんを最後に見たのは、蓮のお姉さんの葬式のとき。あのときに比べたら、蓮のお母さんはだいぶ痩せたと思う。
「今日は何か用事があって来たの?」
「あはは……たまには顔出さないとなぁー、なんて……あははは」
適当に話を合わせて笑った。
駄目だ。本題を切り出せるような雰囲気じゃない。
だって……蓮のお母さん、すごく無理している。本当は悲しくて仕方がないのに、私をもてなそうと、必死に自分を奮い立たせている。
弱みを見せないで、無理して笑って振る舞うその姿は、ちょっと前までの私と蓮だ。
そんなの駄目。強がりを優しさと履き違えている。
だったら……言わなきゃ。
偽りの笑顔は全然優しくないんだって、教えてあげないと。
「美波ちゃんといると昔を思い出すわ。ねぇ、思い出話でもしましょうよ」
「あの、蓮のお母さん」
「小学五年生のときだったかしら? 学校で劇をやったときのことなんだけど――」
「蓮、消えちゃうんですね」
ぴしゃりと言い放ったその瞬間、蓮のお母さんの動きが止まった。
少し間があって、蓮のお母さんは再び口を開いた。
「……お見舞いに来てくれていたのよね? 蓮から聞いたわ。ありがとうね」
「いえ。その、私が好きで通っているだけですし」
「美波ちゃんは、蓮のことが好き?」
その質問には即答できなかった。
本人にも気持ちが伝えられていないのに、相手の母親に気持ちを伝えるなんて順序が逆だ。でも、嘘をつくのはおかしいし、どうすればいい?
悩んでいると、蓮のお母さんが口を開く。
「大丈夫。蓮には言わない。ううん、言えないわ。だから教えて? 好きなの?」
「…………はい」
頬がかあっと熱くなった。すごく恥ずかしい。きっと顔も赤くなっているに違いない。
この場から逃げ出したい衝動と戦っていると、蓮のお母さんが「それはおかしいわ」と首を左右に振った。
「好きなのに……どうしてそんな平気な顔でいられるの?」
蓮のお母さんは、虚ろな目で私を見つめている。偽りの笑顔を張りつけたままだ。
「おかしいわよ。私なんてもう壊れそうなのに……どうして美波ちゃんは平気そうな顔をしているの?」
「蓮のお母さん……」
「この短期間で愛する我が子が二人もいなくなるなんて……心が張り裂けそう。こんな残酷な世界で、生きる意味なんてもう見出せそうにない。美波ちゃんは、同じ気持ちじゃないの? どうして平気なの?」
蓮のお母さんの声は震えていた。
私には二人の子どもを失くす母親の気持ちなんてわからない。同情はするけど、きっと十分の一も気持ちを理解してあげることはできないだろう。
でもね、蓮のお母さん。
「平気なわけ、ないじゃないですか」
大好きな幼なじみが、消失病だってわかって。
知らない間にどんどん大切な思い出が奪われていって。
私の関する記憶まで消えていって。
そりゃあ、母親のあなたが、この世で一番悲しいのかもしれないけれど。
平気そうだとか、軽々しく口にしないでよ。
もしも、私が平気そうに見えるのならば、それはあなたが現実に打ちひしがれて、後ろを向いているからだ。前を向く、私のことがまぶしく見えるだけ。
「蓮のお母さん」
教えてあげる。
どうすれば、前を向けるのかを。
どうすれば、ニセモノの笑顔を捨てられるのかを。
「私、気づいたんです。無理して笑ったりする必要はないってこと」
「……無理よ。笑っていないと、泣いちゃうもの。蓮の前で、感情が溢れてしまう」
「そうなってしまうこともあると思います。でも、それは必ずしも悪いことじゃないと思うんです」
「泣いてしまったら、蓮は困るでしょう? 自分のせいで泣いているって、自分を責めるに決まっている。あの子、無愛想だけど根は優しいから」
そうかもしれない。
でも、笑顔ごっこを続けて、気まずいままお別れするよりずっとマシ。
「消失病だってわかってから、ずっと明るく振る舞っていた蓮は、泣きながら言いました。無理して笑うの、辛いって」
お姉さんと約束していなかったら、笑顔なんてやめたいって蓮は言っていた。
キミは、自分のすべてをさらけ出して泣いたね。
弱音を吐くことで、そして正直な自分でいることで、前を向けることだってある……それを私に教えてくれたよね。
「蓮のお母さんも、辛いときは笑う必要ないと思います」
「でも……私が辛そうな顔をしたら、蓮も悲しい気持ちになってしまう。美波ちゃんだって、あの子が泣き虫なの、知っているでしょう?」
「はい。知っています」
「だったら、どうして?」
「だって……相手はわかっちゃうんです。この人、無理して笑っているなって。強がっているなって。お互い無理をした笑顔のごっこ遊びなんて、そんなの、辛いじゃないですか。お互いの傷を舐め合っているどころか、本当は傷つけ合っているようなものなんですから」
「っ…………そうかも、しれないわね……」
ぽたぽたと、テーブルに涙がこぼれ落ちる。
蓮のお母さんが付けていた笑顔の仮面は、静かな嗚咽によって壊れていく。
「……このままじゃ、蓮を悲しい気持ちにさせたまま見送ることになっちゃうわね」
「消えていく蓮にできることは、彼を安心させてあげることだと思うんです。だから、安心させてあげるためにも、どうか無理はしないでください」
ありのままの自分で、蓮に接しよう。
そうすれば、相手と悲しみを分け合える。心の底から笑い合える。
自然体でいれば、ほんの少しだけ、未来が明るく見えるんだ。
「あとはほら、蓮と最後まで一緒にいてあげることが大事で、今日はそのことで相談が……蓮のお母さん?」
「私……あの子のこと、何も理解してあげられなかった……。蓮が悲しまないように、笑顔で送り出すことばかり考えて、後は自分が無理すればなんとかなると思ってた……蓮も、私と同じように無理していただなんて、考えもしなくて……っ!」
涙声がしんしんと降り積もる。
私は席を立ち、蓮のお母さんの背後に移動した。覆い被さるように、後ろから優しくハグをする。
「やだ、とっくに枯れていたと思ったのに……涙が、止まらない……」
「それでいいんです。全部吐き出してスッキリすれば、自然な笑顔ができると思います。その笑顔を、蓮に見せてあげてください」
きっと、私たちにはそれくらいしかしてあげられない。
しばらくの間、涙を流す蓮のお母さんを抱きしめた。
母が子を想う優しい気持ちだけが、リビングに満たされていく。
「それじゃあ、お邪魔しました」
玄関でスニーカーを履き、蓮のお母さんに挨拶をした。彼女の目はまだ少し赤い。
あの後、泣きやんだ蓮のお母さんに事情を説明した。
蓮のお母さんは快く外出許可書にサインをしてくれた。これがあれば、蓮を病院の外に連れ出せる。
舞台は整った。あとは私次第だ。頑張らなきゃ。
気持ちを引き締めて、蓮の家から出ようとしたそのとき、
「ねぇ、美波ちゃん」
蓮のお母さんに呼び止められた。
「今日はありがとね。息子と同い年の子から、こんなにも大切なことを教えてもらうとは思わなかったわ」
「そ、そんな立派なもんじゃないですよ。私なんて、思ったこと口にしてるだけですから」
「それでも、とても優しい女の子だなって、心の底からそう思ったの」
「あ、ありがとうございます……」
褒められると、なんだか気恥ずかしくなる。嬉しいんだけど、あまり褒められ慣れていないから、どう反応していいかわからない。
「料理も上手だし、美波ちゃんはいいお嫁さんになるわね」
「なっ!? いや、ど、どうでしょう……あははは」
本当にどう反応していいかわからない。まさか蓮のお母さんに、こんなにも褒め殺しされる日が来るとは思わなかった。
「サーフィン、頑張ってね」
「は、はい。それでは失礼しました!」
恥ずかしいから、逃げるように玄関を飛び出した。ぐんぐん風を切って走る。まだ風は生温く、気温も高い。九月になったというのに、まるで夏だ。
「……あと少しだけ、頑張らなきゃ」
簡単に人が消えるこんな世界では、自分さえ見失いそうになる。
それでも私は、最後まで足掻こう。
キミと過ごした時間を幻にしないために。
この数日間、がむしゃらに練習を続けた。朝はサーフィン。放課後は蓮のお見舞い。休日は一日中サーフィンをする。毎日サーフボードを持って特訓をしたけど、未だに波には乗れていない。
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