消失病 ~キミが消えたあの夏の日~

上村夏樹

文字の大きさ
26 / 29
Side-B キミが消えたあの夏の日は

私たちにできること

しおりを挟む
 私がしようとしていること。
 それは蓮が消失する前に、彼の目の前で波に乗ることだ。
 蓮が消えると予想される前日の放課後、私は蓮を海に連れ出してサーフィンをする。一緒にサーフィンができない以上、こういうふうに思い出を作るしかない。

 これって、ちょっとしたデートだよね?
 花火をしたり、旅行に行ったりしたほうがよかったかな。楽しい時間を共有したほうがよかったかな。
 でも私、ただ思い出を作るだけじゃ嫌なんだ。忘れられない素敵な思い出じゃなきゃ満足できない。
 たった一週間で波に乗れるなんて、蓮は思いもしないはず。蓮を驚かせて、感動させてやる。一生忘れないように、蓮の記憶に刻んでやるんだ。

 この思い出作りのためには、サーフィンの特訓だけでなく、いろいろと準備が必要だ。

 大前提として、蓮にはサーフィンをさせない。というか、運動させてはいけないと医者に強く言われてしまった。
 一緒に波に乗れなくても、思い出は共有できる……そう信じるしかない。
 蓮が外出するための条件は四つ。蓮の保護者の許可を取ること。付き添いがいること。午後六時までには病室に戻ること。車椅子で移動し、絶対に運動をしないこと。
 付き添いは私がやるし、門限に関しては特に問題ない。車椅子は病院で借りられるから大丈夫。

 三つはクリアできるけど……保護者の許可だけは、非常にハードルが高い。

 でも、私には悩んでいる時間なんてない。やるんだ、絶対に。

 というわけで、私は今、蓮の自宅の前に来ている。外出許可書なるものに、蓮のお母さんのサインが必要なのだ。このサインを貰うのが、今回のミッション。
 蓮のお母さんに会うのは久しぶりだ。

「ちょ、超緊張するんだけど……」

 なんて言えばいいのだろう。「蓮との思い出作りがしたいので、外出許可書にサインしてください」かな? いや、少し軽すぎるかもしれない。「この度、わたくしは貴公のご子息と思い出作りをしたく存じます」いやこれはなんか日本語が変だ。それに幼なじみの母親に対して貴公はエキセントリックすぎる。

「ええい、なるようになれぇ!」

 震える指をインターホンに伸ばした、そのとき。

「……美波ちゃん? 久しぶりね」

 後ろから声をかけられた。
 慌てて振り向くと、

「あ……ご、ご無沙汰してます」

 蓮のお母さんが立っていた。



「はい、麦茶」
「あ、ありがとうございます!」

 蓮の家に上がり、リビングに通された私は、蓮のお母さんに言われるがまま、テーブル席に着いた。

 席に着く前に、蓮のお姉さんに線香をあげた。遺影の彼女はまぶしいくらいの笑顔で、私を見つめ返していた。
 ガラスのコップを手に取り、麦茶を一口飲む。キンキンに冷えた琥珀色の液体が、緊張で渇いた喉を潤していく。
 ちょうどテーブルにコップを置いたとき、蓮のお母さんは私の正面に座った。

「美波ちゃんが家に来るなんて久しぶりねぇ」

 蓮のお母さんは優しく微笑んだ。
 でも、目にはまるで生気がない。闇を湛えた彼女の瞳は、私を映しているようで、どこか遠くを見ているような気がした。
 蓮のお母さんを最後に見たのは、蓮のお姉さんの葬式のとき。あのときに比べたら、蓮のお母さんはだいぶ痩せたと思う。

「今日は何か用事があって来たの?」
「あはは……たまには顔出さないとなぁー、なんて……あははは」

 適当に話を合わせて笑った。
 駄目だ。本題を切り出せるような雰囲気じゃない。
 だって……蓮のお母さん、すごく無理している。本当は悲しくて仕方がないのに、私をもてなそうと、必死に自分を奮い立たせている。

 弱みを見せないで、無理して笑って振る舞うその姿は、ちょっと前までの私と蓮だ。
 そんなの駄目。強がりを優しさと履き違えている。
 だったら……言わなきゃ。
 偽りの笑顔は全然優しくないんだって、教えてあげないと。

「美波ちゃんといると昔を思い出すわ。ねぇ、思い出話でもしましょうよ」
「あの、蓮のお母さん」
「小学五年生のときだったかしら? 学校で劇をやったときのことなんだけど――」
「蓮、消えちゃうんですね」

 ぴしゃりと言い放ったその瞬間、蓮のお母さんの動きが止まった。
 少し間があって、蓮のお母さんは再び口を開いた。

「……お見舞いに来てくれていたのよね? 蓮から聞いたわ。ありがとうね」
「いえ。その、私が好きで通っているだけですし」
「美波ちゃんは、蓮のことが好き?」

 その質問には即答できなかった。
 本人にも気持ちが伝えられていないのに、相手の母親に気持ちを伝えるなんて順序が逆だ。でも、嘘をつくのはおかしいし、どうすればいい?
 悩んでいると、蓮のお母さんが口を開く。

「大丈夫。蓮には言わない。ううん、言えないわ。だから教えて? 好きなの?」
「…………はい」

 頬がかあっと熱くなった。すごく恥ずかしい。きっと顔も赤くなっているに違いない。
 この場から逃げ出したい衝動と戦っていると、蓮のお母さんが「それはおかしいわ」と首を左右に振った。

「好きなのに……どうしてそんな平気な顔でいられるの?」

 蓮のお母さんは、虚ろな目で私を見つめている。偽りの笑顔を張りつけたままだ。

「おかしいわよ。私なんてもう壊れそうなのに……どうして美波ちゃんは平気そうな顔をしているの?」
「蓮のお母さん……」
「この短期間で愛する我が子が二人もいなくなるなんて……心が張り裂けそう。こんな残酷な世界で、生きる意味なんてもう見出せそうにない。美波ちゃんは、同じ気持ちじゃないの? どうして平気なの?」

 蓮のお母さんの声は震えていた。
 私には二人の子どもを失くす母親の気持ちなんてわからない。同情はするけど、きっと十分の一も気持ちを理解してあげることはできないだろう。

 でもね、蓮のお母さん。

「平気なわけ、ないじゃないですか」

 大好きな幼なじみが、消失病だってわかって。
 知らない間にどんどん大切な思い出が奪われていって。
 私の関する記憶まで消えていって。
 そりゃあ、母親のあなたが、この世で一番悲しいのかもしれないけれど。
 平気そうだとか、軽々しく口にしないでよ。

 もしも、私が平気そうに見えるのならば、それはあなたが現実に打ちひしがれて、後ろを向いているからだ。前を向く、私のことがまぶしく見えるだけ。

「蓮のお母さん」

 教えてあげる。
 どうすれば、前を向けるのかを。
 どうすれば、ニセモノの笑顔を捨てられるのかを。

「私、気づいたんです。無理して笑ったりする必要はないってこと」
「……無理よ。笑っていないと、泣いちゃうもの。蓮の前で、感情が溢れてしまう」
「そうなってしまうこともあると思います。でも、それは必ずしも悪いことじゃないと思うんです」
「泣いてしまったら、蓮は困るでしょう? 自分のせいで泣いているって、自分を責めるに決まっている。あの子、無愛想だけど根は優しいから」

 そうかもしれない。
 でも、笑顔ごっこを続けて、気まずいままお別れするよりずっとマシ。

「消失病だってわかってから、ずっと明るく振る舞っていた蓮は、泣きながら言いました。無理して笑うの、辛いって」

 お姉さんと約束していなかったら、笑顔なんてやめたいって蓮は言っていた。
 キミは、自分のすべてをさらけ出して泣いたね。
 弱音を吐くことで、そして正直な自分でいることで、前を向けることだってある……それを私に教えてくれたよね。

「蓮のお母さんも、辛いときは笑う必要ないと思います」
「でも……私が辛そうな顔をしたら、蓮も悲しい気持ちになってしまう。美波ちゃんだって、あの子が泣き虫なの、知っているでしょう?」
「はい。知っています」
「だったら、どうして?」
「だって……相手はわかっちゃうんです。この人、無理して笑っているなって。強がっているなって。お互い無理をした笑顔のごっこ遊びなんて、そんなの、辛いじゃないですか。お互いの傷を舐め合っているどころか、本当は傷つけ合っているようなものなんですから」
「っ…………そうかも、しれないわね……」

 ぽたぽたと、テーブルに涙がこぼれ落ちる。
 蓮のお母さんが付けていた笑顔の仮面は、静かな嗚咽によって壊れていく。

「……このままじゃ、蓮を悲しい気持ちにさせたまま見送ることになっちゃうわね」
「消えていく蓮にできることは、彼を安心させてあげることだと思うんです。だから、安心させてあげるためにも、どうか無理はしないでください」

 ありのままの自分で、蓮に接しよう。
 そうすれば、相手と悲しみを分け合える。心の底から笑い合える。
 自然体でいれば、ほんの少しだけ、未来が明るく見えるんだ。

「あとはほら、蓮と最後まで一緒にいてあげることが大事で、今日はそのことで相談が……蓮のお母さん?」
「私……あの子のこと、何も理解してあげられなかった……。蓮が悲しまないように、笑顔で送り出すことばかり考えて、後は自分が無理すればなんとかなると思ってた……蓮も、私と同じように無理していただなんて、考えもしなくて……っ!」

 涙声がしんしんと降り積もる。
 私は席を立ち、蓮のお母さんの背後に移動した。覆い被さるように、後ろから優しくハグをする。

「やだ、とっくに枯れていたと思ったのに……涙が、止まらない……」
「それでいいんです。全部吐き出してスッキリすれば、自然な笑顔ができると思います。その笑顔を、蓮に見せてあげてください」

 きっと、私たちにはそれくらいしかしてあげられない。
 しばらくの間、涙を流す蓮のお母さんを抱きしめた。
 母が子を想う優しい気持ちだけが、リビングに満たされていく。



「それじゃあ、お邪魔しました」

 玄関でスニーカーを履き、蓮のお母さんに挨拶をした。彼女の目はまだ少し赤い。

 あの後、泣きやんだ蓮のお母さんに事情を説明した。
 蓮のお母さんは快く外出許可書にサインをしてくれた。これがあれば、蓮を病院の外に連れ出せる。

 舞台は整った。あとは私次第だ。頑張らなきゃ。
 気持ちを引き締めて、蓮の家から出ようとしたそのとき、

「ねぇ、美波ちゃん」

 蓮のお母さんに呼び止められた。

「今日はありがとね。息子と同い年の子から、こんなにも大切なことを教えてもらうとは思わなかったわ」
「そ、そんな立派なもんじゃないですよ。私なんて、思ったこと口にしてるだけですから」
「それでも、とても優しい女の子だなって、心の底からそう思ったの」
「あ、ありがとうございます……」

 褒められると、なんだか気恥ずかしくなる。嬉しいんだけど、あまり褒められ慣れていないから、どう反応していいかわからない。

「料理も上手だし、美波ちゃんはいいお嫁さんになるわね」
「なっ!? いや、ど、どうでしょう……あははは」

 本当にどう反応していいかわからない。まさか蓮のお母さんに、こんなにも褒め殺しされる日が来るとは思わなかった。

「サーフィン、頑張ってね」
「は、はい。それでは失礼しました!」

 恥ずかしいから、逃げるように玄関を飛び出した。ぐんぐん風を切って走る。まだ風は生温く、気温も高い。九月になったというのに、まるで夏だ。

「……あと少しだけ、頑張らなきゃ」

 簡単に人が消えるこんな世界では、自分さえ見失いそうになる。
 それでも私は、最後まで足掻こう。
 キミと過ごした時間を幻にしないために。



 この数日間、がむしゃらに練習を続けた。朝はサーフィン。放課後は蓮のお見舞い。休日は一日中サーフィンをする。毎日サーフボードを持って特訓をしたけど、未だに波には乗れていない。

 それでも時は無情に過ぎていく。

 そして、蓮が消失すると宣言してから七日目の放課後がやってきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...