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やっぱり“元”親友
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そう。あの日、渉は鷹村から逃げ出したのだ。
本当は、先に好きになったのは渉の方だった。高一の春、初めてバスケ部の仮練習に参加した渉は、一緒に参加していた鷹村涼という同級生の実力と、そして存在感に一目で圧倒された。
一挙手一投足が力強く、そして美しかった。
気づくと、鷹村の姿ばかりを目で追っていた。
ところが鷹村は、あまりにも渉とは格の離れすぎた存在だった。勉強も、部活でも、鷹村はつねに渉の数段高い場所にいた。深いつき合いはないが友人にも恵まれ、抜群のルックスで女子の視線さえ独占していた。
その鷹村と――自分のようなクズが、最初から釣り合うわけがなかった。
ところが実際は、鷹村の方からしきりに渉に構ってきた。あたかも無二の親友であるかのような扱いに、渉は戸惑い、しかし一方では嬉しかったのだ。
あの鷹村と同じ時を刻めることが。一緒に笑って、怒って、たまに泣いて……そんな日々が、渉には何より嬉しかった。楽しかった。そして何より愛おしかった。
もちろん後ろめたさもあった。鷹村はあくまでも友人として接してくれる。なのに、自分のこれは明らかに恋慕の感情なのだ。……だが、どのみち伝える気のない恋慕なら、いくら焦がれようと辛いのは自分一人だけで、鷹村には何の迷惑もかからない。何より、よせと言われても焦がれずにはいられないのが恋というものだ。
そうして渉は、人知れず鷹村への恋心を抱きながら三年間の高校生活を終えた。
いや、終えられるはずだった。あの告白さえなければ。
――お前を友人だと思ったことは一度もない。
あの一言さえなければ、きっと、その後も二人は〝友達〟でいられただろう。そうして〝〟つきの〝友達〟として過ごすあいだに、それは本当の友情に変わっていたかもしれない。
だが、あの日の鷹村の告白が、そんな可能性を渉から奪ってしまった。――いや違う。渉は自ら放棄したのだ。おのれの気持ちを清算するチャンスを。
そのツケが、まさかこんなかたちで回ってくるなんて……。
渉。――渉っ!
そういえば、さっきから遠くで渉の名を呼ぶ声がしている。
声は、マンションの方から聞こえてくるらしい。近くの木を支えによろり立ち上がった渉は、マンションのエントランスからこちらに駆けてくる鷹村の姿に気づいて驚いた。
「渉! おおい、どこだ渉!」
どうやら植え込みの陰に隠れる渉の姿には気づいていないらしい。ただ、まっすぐにこちらに駆けてきているのは、さっきまで渉のいたコンビニを目指しているのだろう。
大方、ハーブやテキストが出しっぱなしにされたキッチンを見て、本格的な外出ではなく近所に買出しに出かけたのだと推理したのだろう。そして、鷹村の住むマンションから買出しに行こうと思えば、近場にはそのコンビニぐらいしか店がない。
鷹村の推理は当たっていて、実際、さっきまで渉はそのコンビニにいたのだけど、このままでは渉の前を素通りしてコンビニの方に行ってしまう。
その間にマンションに戻り、あとで事情を訊かれたら、道路沿いに遠回りして帰ったと嘯こう。
「どこにいるんだ渉!」
相変わらず鷹村は渉を探して付近をうろつき回っている。そんな鷹村に、渉は疑問を覚えないではいられなかった。
どうして、そこまでして僕を――?
鷹村としては、むしろ渉に出て行ってもらった方が楽に違いないのだ。渉が部屋を出れば、もう恋人と喧嘩することもなくなるだろうに。そうでなくとも鷹村は、ついさっき御園と約束したばかりではないか。一刻でも早く渉を部屋から追い出すと。
なのに――それなのに。
一瞬、あらぬ期待が胸をよぎり、慌ててそれを否定する。それはあまりにも浅ましく、身勝手な願いだった。ようやく過去を乗り越えた鷹村を傷つける想像だった。
ダメだ。こんな僕に、涼のそばにいる資格なんて……
「渉?」
ふと鷹村が振り返り、瞬間、真正面に目が合ってしまう。しまったと思ったときには、もう鷹村はこちらに駆け出していた。
「どこに行ってたんだ! こんな時間に!」
その声は、なぜかひどく震えていた。
「ど、どこって……小腹が空いたからコンビニに買出しに行ってただけだよ……それより、涼は今が帰りなの? 今夜はまたずいぶんと遅かったね」
「あ、ああ……ちょっと、あっちのオーナーにつき合わされてな……」
本当はデートでもしてたんじゃないの、と茶化しかけて渉は口をつぐむ。多分それは事実で、だからこそ踏み込むことの許されない何かを渉は感じた。
そう。すでに権利を放棄した自分には許されないのだ。二人の関係に立ち入ることは。
と、その手が勝手に渉の袋を漁りはじめる。本当に買い物をしてきたのかチェックしているのかと見守っていると、やがておにぎりを掴み出し、渉の許しも得ずにビニールを剥きはじめた。
「ちょうどよかった。今、白米に飢えてたんだ俺」
「え? プレオープンのパーティーで食べてきたんじゃないの」
すると鷹村は、うんざりげに肩をすくめた。
「あんな辛いもんばっか食わされて、食った気になれるかっての。やっぱ日本人なら米だろ米っ」
「それ……プロデューサーの君が言う?」
ところが鷹村は、そんな渉の突っ込みに完全無視を決め込むと、ぱりぱりと海苔の軽快な音を響かせながら、あっという間におにぎりを片づけてしまった。
「やっぱ梅だよなぁ。最近はいろいろな具材が出てるけど、結局、なんだかんだで梅に戻っちまうんだよ。渉もそう思うだろ?」
「あ……うん」
その気持ちは、渉も痛いほどよくわかる。
あれから渉は、何度、鷹村のことを忘れようと足掻いたか知れなかった。
別の女性を好きになろうと努めたり、勉強やバイト、就職活動に自分を埋没させようと躍起になったり……
それでも、結局は同じ場所に戻ってしまうのだ。鷹村を好きな自分に戻ってしまうのだ。もっとも鷹村の方は、その限りではなかったようだが。
「あれは、お前が置いたのか?」
「あれ?」
「鉢植えだよ。ベランダの」
その言葉に、渉はぎくりとなる。
近頃、すっかりハーブの奥深さに魅せられてしまった渉は、せっかくなら自分でも作ってみようとベランダでの栽培を思い立った。量販店で土と素焼の鉢、それから、素人でも比較的育てやすい数種類のハーブの種を買って、鉢ごとにそれらを植えつけた。
本当は苗の方が手っ取り早くていいのだが、それでも種から育ててみようと思ったのは、ひょっとするとゼロから何かを始めようとしている自分と重ねていたのかもしれない。
でも、そんな試みもこれで終わりだ。
少なくとも、これから追い出そうという人間があんな邪魔なものを家に置くことを、普通の人間は許さないだろう。せめて追い出される前に、速水に頼んで店に置かせるか……
「何を植えてるんだ?」
「ま……まだ芽は出てないけど……一応、ハーブを……」
「種?」
「うん」
「そうか。芽はいつ出るんだ?」
「さぁ……そこまで長くはかからないと思うけど……やっぱり迷惑?」
「いや。むしろ殺風景だった部屋が賑やかになっていい」
言いながらエントランスに足を向ける。そんな鷹村の背中を見送りながら、結局、自分はどうすべきなのだろうと渉は途方に暮れた。
鉢植えはともかく、僕は、涼にとってただのお荷物でしかない……
「どうした、渉」
その背中が、ふとふり返る。
「あ、あのさ、僕――」
出て行く、と言いかけて渉は口をつぐむ。このタイミングでそれを切り出せば、間違いなく今の会話の立ち聞きを疑われてしまう。
バカバカしい。この期に及んでそんなこと……
だが、たとえ愛されはしなくても軽蔑だけはされたくないという気持ちは確かにあって。そんな浅ましく往生際の悪い自分を、しかし、渉は認めざるをえなかった。
「ううん……何でもない」
無理やりに笑みを繕うと、渉はそれきり黙って友人の背中を追った。
本当は、先に好きになったのは渉の方だった。高一の春、初めてバスケ部の仮練習に参加した渉は、一緒に参加していた鷹村涼という同級生の実力と、そして存在感に一目で圧倒された。
一挙手一投足が力強く、そして美しかった。
気づくと、鷹村の姿ばかりを目で追っていた。
ところが鷹村は、あまりにも渉とは格の離れすぎた存在だった。勉強も、部活でも、鷹村はつねに渉の数段高い場所にいた。深いつき合いはないが友人にも恵まれ、抜群のルックスで女子の視線さえ独占していた。
その鷹村と――自分のようなクズが、最初から釣り合うわけがなかった。
ところが実際は、鷹村の方からしきりに渉に構ってきた。あたかも無二の親友であるかのような扱いに、渉は戸惑い、しかし一方では嬉しかったのだ。
あの鷹村と同じ時を刻めることが。一緒に笑って、怒って、たまに泣いて……そんな日々が、渉には何より嬉しかった。楽しかった。そして何より愛おしかった。
もちろん後ろめたさもあった。鷹村はあくまでも友人として接してくれる。なのに、自分のこれは明らかに恋慕の感情なのだ。……だが、どのみち伝える気のない恋慕なら、いくら焦がれようと辛いのは自分一人だけで、鷹村には何の迷惑もかからない。何より、よせと言われても焦がれずにはいられないのが恋というものだ。
そうして渉は、人知れず鷹村への恋心を抱きながら三年間の高校生活を終えた。
いや、終えられるはずだった。あの告白さえなければ。
――お前を友人だと思ったことは一度もない。
あの一言さえなければ、きっと、その後も二人は〝友達〟でいられただろう。そうして〝〟つきの〝友達〟として過ごすあいだに、それは本当の友情に変わっていたかもしれない。
だが、あの日の鷹村の告白が、そんな可能性を渉から奪ってしまった。――いや違う。渉は自ら放棄したのだ。おのれの気持ちを清算するチャンスを。
そのツケが、まさかこんなかたちで回ってくるなんて……。
渉。――渉っ!
そういえば、さっきから遠くで渉の名を呼ぶ声がしている。
声は、マンションの方から聞こえてくるらしい。近くの木を支えによろり立ち上がった渉は、マンションのエントランスからこちらに駆けてくる鷹村の姿に気づいて驚いた。
「渉! おおい、どこだ渉!」
どうやら植え込みの陰に隠れる渉の姿には気づいていないらしい。ただ、まっすぐにこちらに駆けてきているのは、さっきまで渉のいたコンビニを目指しているのだろう。
大方、ハーブやテキストが出しっぱなしにされたキッチンを見て、本格的な外出ではなく近所に買出しに出かけたのだと推理したのだろう。そして、鷹村の住むマンションから買出しに行こうと思えば、近場にはそのコンビニぐらいしか店がない。
鷹村の推理は当たっていて、実際、さっきまで渉はそのコンビニにいたのだけど、このままでは渉の前を素通りしてコンビニの方に行ってしまう。
その間にマンションに戻り、あとで事情を訊かれたら、道路沿いに遠回りして帰ったと嘯こう。
「どこにいるんだ渉!」
相変わらず鷹村は渉を探して付近をうろつき回っている。そんな鷹村に、渉は疑問を覚えないではいられなかった。
どうして、そこまでして僕を――?
鷹村としては、むしろ渉に出て行ってもらった方が楽に違いないのだ。渉が部屋を出れば、もう恋人と喧嘩することもなくなるだろうに。そうでなくとも鷹村は、ついさっき御園と約束したばかりではないか。一刻でも早く渉を部屋から追い出すと。
なのに――それなのに。
一瞬、あらぬ期待が胸をよぎり、慌ててそれを否定する。それはあまりにも浅ましく、身勝手な願いだった。ようやく過去を乗り越えた鷹村を傷つける想像だった。
ダメだ。こんな僕に、涼のそばにいる資格なんて……
「渉?」
ふと鷹村が振り返り、瞬間、真正面に目が合ってしまう。しまったと思ったときには、もう鷹村はこちらに駆け出していた。
「どこに行ってたんだ! こんな時間に!」
その声は、なぜかひどく震えていた。
「ど、どこって……小腹が空いたからコンビニに買出しに行ってただけだよ……それより、涼は今が帰りなの? 今夜はまたずいぶんと遅かったね」
「あ、ああ……ちょっと、あっちのオーナーにつき合わされてな……」
本当はデートでもしてたんじゃないの、と茶化しかけて渉は口をつぐむ。多分それは事実で、だからこそ踏み込むことの許されない何かを渉は感じた。
そう。すでに権利を放棄した自分には許されないのだ。二人の関係に立ち入ることは。
と、その手が勝手に渉の袋を漁りはじめる。本当に買い物をしてきたのかチェックしているのかと見守っていると、やがておにぎりを掴み出し、渉の許しも得ずにビニールを剥きはじめた。
「ちょうどよかった。今、白米に飢えてたんだ俺」
「え? プレオープンのパーティーで食べてきたんじゃないの」
すると鷹村は、うんざりげに肩をすくめた。
「あんな辛いもんばっか食わされて、食った気になれるかっての。やっぱ日本人なら米だろ米っ」
「それ……プロデューサーの君が言う?」
ところが鷹村は、そんな渉の突っ込みに完全無視を決め込むと、ぱりぱりと海苔の軽快な音を響かせながら、あっという間におにぎりを片づけてしまった。
「やっぱ梅だよなぁ。最近はいろいろな具材が出てるけど、結局、なんだかんだで梅に戻っちまうんだよ。渉もそう思うだろ?」
「あ……うん」
その気持ちは、渉も痛いほどよくわかる。
あれから渉は、何度、鷹村のことを忘れようと足掻いたか知れなかった。
別の女性を好きになろうと努めたり、勉強やバイト、就職活動に自分を埋没させようと躍起になったり……
それでも、結局は同じ場所に戻ってしまうのだ。鷹村を好きな自分に戻ってしまうのだ。もっとも鷹村の方は、その限りではなかったようだが。
「あれは、お前が置いたのか?」
「あれ?」
「鉢植えだよ。ベランダの」
その言葉に、渉はぎくりとなる。
近頃、すっかりハーブの奥深さに魅せられてしまった渉は、せっかくなら自分でも作ってみようとベランダでの栽培を思い立った。量販店で土と素焼の鉢、それから、素人でも比較的育てやすい数種類のハーブの種を買って、鉢ごとにそれらを植えつけた。
本当は苗の方が手っ取り早くていいのだが、それでも種から育ててみようと思ったのは、ひょっとするとゼロから何かを始めようとしている自分と重ねていたのかもしれない。
でも、そんな試みもこれで終わりだ。
少なくとも、これから追い出そうという人間があんな邪魔なものを家に置くことを、普通の人間は許さないだろう。せめて追い出される前に、速水に頼んで店に置かせるか……
「何を植えてるんだ?」
「ま……まだ芽は出てないけど……一応、ハーブを……」
「種?」
「うん」
「そうか。芽はいつ出るんだ?」
「さぁ……そこまで長くはかからないと思うけど……やっぱり迷惑?」
「いや。むしろ殺風景だった部屋が賑やかになっていい」
言いながらエントランスに足を向ける。そんな鷹村の背中を見送りながら、結局、自分はどうすべきなのだろうと渉は途方に暮れた。
鉢植えはともかく、僕は、涼にとってただのお荷物でしかない……
「どうした、渉」
その背中が、ふとふり返る。
「あ、あのさ、僕――」
出て行く、と言いかけて渉は口をつぐむ。このタイミングでそれを切り出せば、間違いなく今の会話の立ち聞きを疑われてしまう。
バカバカしい。この期に及んでそんなこと……
だが、たとえ愛されはしなくても軽蔑だけはされたくないという気持ちは確かにあって。そんな浅ましく往生際の悪い自分を、しかし、渉は認めざるをえなかった。
「ううん……何でもない」
無理やりに笑みを繕うと、渉はそれきり黙って友人の背中を追った。
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