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55 イケブクロ
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マリー曰く、話は二百年ほど前にさかのぼる。
きっかけは、一人の聖女だったという。それまでは、ごく普通の聖女(この国では、治癒魔術で民を癒す女性は総じて聖女と呼ぶ)だったという彼女は、ある時を境に突如こうした――まぁ要は、BでLな物語を綴りはじめたという。
彼女の紡ぐ耽美かつ刺激に満ちた物語は、瞬く間に当時の女性たちを虜にした。
ところが、妄想のタネにされる側、つまり貴族の男性たちにしてみればたまったもんじゃない。彼女や、彼女に触発された女性たちの記した一連の書物は瞬く間に禁書扱いとなり、以来、彼女たちは密かに同好の士を集めながら、こうした地下書庫でお宝を守り続けてきたのだという。懲りずに新たな物語を紡ぎながら。
「つまり昨晩、妃殿下はこちらで過ごしておられたと?」
ウェリナの問いに、カサンドラはそれはもう気まずそうにこくりと頷く。
「あの、このことは……陛下や……それから、リチャードには内密に……」
「承知しております」
やけに力強い口調と顔つきでウェリナは頷く。奴が目にしたのがどんな本だったのかは推して知るべしだが、まあその、それなりにアレな内容だったんだろう。あれほどカサンドラを疑っていたウェリナがつい同情に回るほどの。
一方の俺は、全く別のことが気にかかっていた。
「その聖女ってのは……何かきっかけがあってそういうボーイズ……ええと、お耽美な小説にハマったのかな」
すると質問を受けたマリーは「きっかけ?」と小首を傾げたあと、ひとしきりうーんと唸って答える。
「さぁ。伝わっているのは、あるとき突然に、とだけ……」
「なるほど。じゃあ……その聖女様は、例えば、そうだな……生死の境を彷徨うような怪我なり病気をなさったことは?」
「病気? ……そういえば、伝説によるとメディナ様は一度、たいへんな高熱を患われたことがある、とか……」
その時、俺の視界の隅でウェリナが一瞬、感電したようにびくりと身じろぎする。そんなウェリナの反応には気付かないふりで、俺は続ける。
「そういや……転生者について書いた本で、似たような話を読んだことがある。転生者とは、死者の身体に迷い込んだ別世界の魂を指し、元いた世界についての多くの知識を持つとか……んで、だ。中身は別人なもんだから、傍目には突然人格が入れ替わったり、それまで持たなかったスキルを開花させたように見える、とも……ひょっとすると、そのメディナって聖女様も実は異世界からの転生者だったりするんじゃないのか?」
相変わらずウェリナは、息を詰めて俺の話に耳を傾けている。何食わぬ顔で壁や通風孔を調べてこそいるが、耳だけはしっかりこっちを向いているのが可笑しいし、その必死さが少しだけ悲しい。
「それは……考えられなくも、ないですが……」
いや考えられなくも何も。今の彼女の話をもとにすると、そのメディナって聖女と今の俺とでは完全に状況が一致している。生死の境を彷徨ったすえの生還。ところがそれ以降、当人は、それまで見られなかった人格や趣味、能力を示しはじめる。メディナが突然BL創作に目覚めたのが病気の後だとするなら、十中八九、転生者で間違いないだろう。
「あ、あの、ウェリントン侯爵、やはり今回も、こうした本はその、処分……とされてしまうのでしょうか」
おろおろと、今にも泣き出しそうな顔で問うカサンドラに、ウェリナは珍しく困惑をあらわにする。まぁ……メディナ(を名乗るどこぞのバカ)が禁断のナマモノBLで世間を引っ搔き回していた当時ならいざ知らず、ご腐人たちが人目を忍んでグフフするだけの今、こうした本の存在をことさら槍玉に挙げて火をつけるのも何だか大人げない気がするなぁ。それをきっかけにBLなる文化に触れ、染まっちゃう女子もいるだろうし。
何より俺には、今のカサンドラの居た堪れなさがよくわかるのだ。学校から帰ったら、隠してたはずのエロ本がしれっと机の上に置かれてたアレ。
「いえ、大丈夫ですよ妃殿下」
突如会話に割って入った俺に、二人が怪訝な目を向けてくる。ただ、ウェリナのそれには単に虚を突かれたという以上の濃い困惑の色が滲んでいる。先程の転生者に関する話が尾を引いているのだろう。
まぁいいさ、どうせ、そっちの話は遠からず片がつく。
ウェリナも、本当はわかっているはずなんだ。
「こちらの書庫のことは、今後も伏せておきましょう。――それよりウェリナ、妃殿下の疑いが晴れたんならさっさと次に行くぞ」
するとウェリナは、意外なほどあっさり「そうだな」と頷き、書庫を出てゆく。その背中を追いかけ、階段へと足を向けた俺の目にふと映る、扉に掲げられた小さな看板。
そこには当地の文字で、確かにこう彫られていた。――イケブクロ。
「……はぁ」
「どうした、アル」
溜息に気づいたウェリナが、階段を上る足を止めて振り返る。
「いや、こっちの話。ほれ行くぞ」
そんなウェリナの、狭い階段を塞ぐケツをポンと叩くと、俺は顎で「早く行け」と促す。そうして再び上りはじめたウェリナを追いながら、俺は口の中で小さく呟く。
このたびは、うちのバカがご迷惑をおかけしました。
きっかけは、一人の聖女だったという。それまでは、ごく普通の聖女(この国では、治癒魔術で民を癒す女性は総じて聖女と呼ぶ)だったという彼女は、ある時を境に突如こうした――まぁ要は、BでLな物語を綴りはじめたという。
彼女の紡ぐ耽美かつ刺激に満ちた物語は、瞬く間に当時の女性たちを虜にした。
ところが、妄想のタネにされる側、つまり貴族の男性たちにしてみればたまったもんじゃない。彼女や、彼女に触発された女性たちの記した一連の書物は瞬く間に禁書扱いとなり、以来、彼女たちは密かに同好の士を集めながら、こうした地下書庫でお宝を守り続けてきたのだという。懲りずに新たな物語を紡ぎながら。
「つまり昨晩、妃殿下はこちらで過ごしておられたと?」
ウェリナの問いに、カサンドラはそれはもう気まずそうにこくりと頷く。
「あの、このことは……陛下や……それから、リチャードには内密に……」
「承知しております」
やけに力強い口調と顔つきでウェリナは頷く。奴が目にしたのがどんな本だったのかは推して知るべしだが、まあその、それなりにアレな内容だったんだろう。あれほどカサンドラを疑っていたウェリナがつい同情に回るほどの。
一方の俺は、全く別のことが気にかかっていた。
「その聖女ってのは……何かきっかけがあってそういうボーイズ……ええと、お耽美な小説にハマったのかな」
すると質問を受けたマリーは「きっかけ?」と小首を傾げたあと、ひとしきりうーんと唸って答える。
「さぁ。伝わっているのは、あるとき突然に、とだけ……」
「なるほど。じゃあ……その聖女様は、例えば、そうだな……生死の境を彷徨うような怪我なり病気をなさったことは?」
「病気? ……そういえば、伝説によるとメディナ様は一度、たいへんな高熱を患われたことがある、とか……」
その時、俺の視界の隅でウェリナが一瞬、感電したようにびくりと身じろぎする。そんなウェリナの反応には気付かないふりで、俺は続ける。
「そういや……転生者について書いた本で、似たような話を読んだことがある。転生者とは、死者の身体に迷い込んだ別世界の魂を指し、元いた世界についての多くの知識を持つとか……んで、だ。中身は別人なもんだから、傍目には突然人格が入れ替わったり、それまで持たなかったスキルを開花させたように見える、とも……ひょっとすると、そのメディナって聖女様も実は異世界からの転生者だったりするんじゃないのか?」
相変わらずウェリナは、息を詰めて俺の話に耳を傾けている。何食わぬ顔で壁や通風孔を調べてこそいるが、耳だけはしっかりこっちを向いているのが可笑しいし、その必死さが少しだけ悲しい。
「それは……考えられなくも、ないですが……」
いや考えられなくも何も。今の彼女の話をもとにすると、そのメディナって聖女と今の俺とでは完全に状況が一致している。生死の境を彷徨ったすえの生還。ところがそれ以降、当人は、それまで見られなかった人格や趣味、能力を示しはじめる。メディナが突然BL創作に目覚めたのが病気の後だとするなら、十中八九、転生者で間違いないだろう。
「あ、あの、ウェリントン侯爵、やはり今回も、こうした本はその、処分……とされてしまうのでしょうか」
おろおろと、今にも泣き出しそうな顔で問うカサンドラに、ウェリナは珍しく困惑をあらわにする。まぁ……メディナ(を名乗るどこぞのバカ)が禁断のナマモノBLで世間を引っ搔き回していた当時ならいざ知らず、ご腐人たちが人目を忍んでグフフするだけの今、こうした本の存在をことさら槍玉に挙げて火をつけるのも何だか大人げない気がするなぁ。それをきっかけにBLなる文化に触れ、染まっちゃう女子もいるだろうし。
何より俺には、今のカサンドラの居た堪れなさがよくわかるのだ。学校から帰ったら、隠してたはずのエロ本がしれっと机の上に置かれてたアレ。
「いえ、大丈夫ですよ妃殿下」
突如会話に割って入った俺に、二人が怪訝な目を向けてくる。ただ、ウェリナのそれには単に虚を突かれたという以上の濃い困惑の色が滲んでいる。先程の転生者に関する話が尾を引いているのだろう。
まぁいいさ、どうせ、そっちの話は遠からず片がつく。
ウェリナも、本当はわかっているはずなんだ。
「こちらの書庫のことは、今後も伏せておきましょう。――それよりウェリナ、妃殿下の疑いが晴れたんならさっさと次に行くぞ」
するとウェリナは、意外なほどあっさり「そうだな」と頷き、書庫を出てゆく。その背中を追いかけ、階段へと足を向けた俺の目にふと映る、扉に掲げられた小さな看板。
そこには当地の文字で、確かにこう彫られていた。――イケブクロ。
「……はぁ」
「どうした、アル」
溜息に気づいたウェリナが、階段を上る足を止めて振り返る。
「いや、こっちの話。ほれ行くぞ」
そんなウェリナの、狭い階段を塞ぐケツをポンと叩くと、俺は顎で「早く行け」と促す。そうして再び上りはじめたウェリナを追いながら、俺は口の中で小さく呟く。
このたびは、うちのバカがご迷惑をおかけしました。
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