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65 痛みに触れる

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 主役である俺は本来、パーティーを途中で抜け出すなんて非礼はできない。が、今回は伝家の宝刀「まだ全快ではありませんのでご容赦を……」を行使し、何とか中座に成功する。まぁ貴族連中の目的は俺ではなく人脈のメンテナンスとワンチャンにあるので、主役の俺が途中で抜けようが本音を言えばどうだって良いのだろう。
 で、だ。
 その中座した俺は、そのまままっすぐ寝室に向かう。背後からは、別に示し合わせたわけでもないのにウェリナがついてくる。傍目には俺の忠実なる護衛といった感。だが俺は、奴の本当の目的が俺の護衛ではなく、この後の会話にあることを察している。
 さて……今度は何が出てくるのか。
 ウェリナには、俺の方からは異世界人である事実も含めて洗いざらい秘密をぶちまけたつもりだ。ただ、これは俺の勘だが、ウェリナの方は必ずしもそうじゃない。あいつの胸にはまだまだ閉ざされた秘密があって、それが、秘密を抱えた人間特有の痛みを堪えるような眼差しとなって表出していたことに、俺はずっと気付いていた。あえて言及は避けていたけどな。
 今、俺の背後で奴が放つ重い空気は、その秘密にいよいよ触れようと腹を括る人間の覚悟を感じさせる。……参ったな、こういうシリアスな空気は俺の趣味じゃないんだが。でも、まぁ何にせよ、受け止めなくちゃならないのは確かだろう。〝彼〟を押しのけ、ウェリナとともに生きることを選んだのは俺なんだから。
 だから、受け止める。全部。
 宮殿の長い長い廊下を抜け、ようやく私室に戻る。俺が療養する間、モーフィアスの持つ岩の精霊の加護と財力とで速攻修理された俺の私室は、どこか成金趣味を漂わせながらも以前とは比べ物にならないぐらい豪華な仕様となった。ふんだんに施された漆喰彫刻を、これまた惜しみなく投入された金箔が絢爛に飾る。そんな俺の私室を夜でも明るく照らすのは、頭上のシャンデリアに住みつく光の精霊たち。今も、イソギンチャクと戯れるクマノミみたいにシャンデリアの周りをふよふよと漂っている。
 その絢爛な私室をまっすぐに抜けると、俺はテラスに出る。精霊の一体が、空気を読んだようについてきて、おかげで暗かったテラスがぽうっと明るくなる。
 そこにウェリナものっそりとついてくる。その顔は、外の乏しい光量を勘定に入れても相当に暗い。
 なので俺は、あえて軽く切り出す。
「で、何を打ち明けたいんだ」
 するとウェリナは、真一文字にくちびるを引き結んだまま瞳だけでぎょろりと俺を見上げる。こんな剣呑な貌でも一応は絵になってしまうイケメンはやっぱ得だよなぁ、と、フロアでひっきりなしに令嬢たちのダンスの誘いを受けていた(で、そのたびに迷惑そうに断っていた)ウェリナを思い出し、危うく噴き出しそうになる。
 やがてウェリナは疲れたように目を伏せ、溜息をつく。長いこと重い荷物を運んできて、ようやくそれを肩から下ろした――そんな溜息。
 事実それは、恐ろしく重い荷物だった。
「……俺は昔、自ら命を断とうとしたことがある」
「えっ」
「俺たちがいた士官学校では……厳しさに耐えきれずに自殺する生徒は少なくはなかった。まぁ、それはそれで問題のある話だが、俺にしてみれば、むしろお誂え向きの環境だった。たとえ自ら命を断っても、せいぜい厳しさに耐え兼ねて死んだのだろうと受け取ってもらえるからな。……誰も、ダブルだから死んだなどとは思わない」
「それって――」
 ――つまり、ダブルであることを気に病んで?
 今更ながら俺は、こいつが人知れず抱えていた絶望や痛みの深さに慄然となる。おのれの存在自体が罪になる。そんな非道な現実の最中で、誰にも秘密を明かせないまま多感な時期を過ごさざるをえなかったウェリナの痛みや悲しみが、一気に胸に流れ込んできてたまらなくなる。
「……ああ。で、あるとき、寮の三階にある寝室の窓から飛び降りようとした。風の精霊も、俺が頼まなければ力を貸しちゃくれない。このまま頭から落ちればすぐに死ねる。そう思った。そこに現れたのが……というか、帰ってきたのが、アル――〝彼〟だ。その夜は宮廷の晩餐会に駆り出されていたはずなんだが、途中で気分が悪くなって戻ってきたんだと〝彼〟は言った。幸か不幸か、それが俺の命運を分けたわけだが……何にせよ俺は、今まさに窓から飛び降りようとするところを〝彼〟に見つかった。それで……引き留められると、思った。いや、打ち明けるなら、それを俺は期待したんだ。何だかんだで俺も甘えていたんだろうな。誰でもいい、この苦しみに気づいてくれ、って」
「でも、〝彼〟は引き留めなかった?」
 そんな馬鹿な。ただ、文脈上そう捉えるしかなくて確認のつもりで問えば、ウェリナはこく、と小さく頷く。
「ああ。代わりに、〝彼〟は泣いたんだ。俺に謝りながら。僕には、君を引き留める言葉がないと言って泣いたんだよ」
「ひ……引き留める言葉がない? いや、何だそれ……そんなの、迷う余地なんかねぇだろ。目の前で死にそうになってる奴がいたら、普通は――」
 助けるのが当たり前だろう。そう言いかけて、しかし俺はハッと言葉を呑む。ウェリナが、それはそれは寂しそうな笑みで俺を見つめ返していたからだ。
「うん。君なら、怒ると思った。でも〝彼〟は、そうじゃなかった」
 そしてまたウェリナは、深くて重い溜息をつく。
「疲れていたんだろう。王太子としての人生に。〝彼〟は……それこそ物心がついた頃から悪意や憎悪、薄汚れた損得勘定に晒されてきた。世界に失望するには十分すぎるほどの……それでも彼は、俺を引き留めようと言葉を探してくれた。〝彼〟が流した涙は、そんな〝彼〟なりの葛藤の結果だったんだろう。俺は……それを美しいと思った」
「だから……惚れたのか?」
 するとウェリナは、静かにこくりと頷く。
「あんなにも悲しくて、美しい涙を流す人を、俺は、護りたいと思った。それこそが俺の生きる意味だとさえ思った。〝彼〟は、だから俺の命の恩人なんだ」
 そう、遠い目で語るウェリナに、俺は焦燥に似た感情を抱く。わかっている。奴の心が、今はもう俺のもとにあることは。それでも〝彼〟とウェリナだけが共有する不可侵の世界に、俺の心はどうしようもなくひりついてしまう。……が、そこはもう今の俺にはどうしようもなくて、だから、とにかく俺は受け入れていくしかない。そうした不可侵な部分も含めてウェリナなのだと、まるごと愛してやるしかない。
 一方で俺は、ある違和感を覚えている。いや、本当は、こちらに戻ってきた時からその違和感には気付いていて、今のウェリナの話でようやく形を得た――そんな感覚。
〝彼〟は言った。今度こそヒーローになりたいと。一方で、元の世界に対する未練や思い残しは微塵も感じられなかった。仮に〝彼〟がウェリナと特別な絆を築いていたのなら、あんなにもあっさりと新しい生き方に馴染んでいただろうか。仮に夢を叶えたにせよ、多少なりとも元の世界に帰りたいと願ったのではないか。ウェリナを想って泣いたのではないか。
 俺を押しのけてでも帰ることを望んだのではないか。ところが〝彼〟は、俺を引き留めるどころか――
 ――僕は、彼のヒーローにはなれなかった。でも君なら、あるいは。
「ヒーローになれなかった……か」
「え?」
 怪訝そうに振り返るウェリナを、俺はじっと見つめ返す。その、どこか怯えを含んだ双眸に、俺はまた答えを得る。こいつの傲慢に見える態度の中に時折り覗いた怯えの色。その答えを。
「本当は、恋人同士じゃなかったんだろ。お前ら」
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