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chap2.消えていく思い出
27.手放せない思い
しおりを挟む煩わしい一日が終わり、シグダードは、初めてフィズがこの城に来た時に彼を監禁していた塔の部屋に来ていた。
そこにある小さなベッドに体を横たえると、窓から、遠い夜空に輝く星が見える。
彼を愛した夏の日には、確かに星がきれいだと思えたのに、今は輝くものすべてを憎らしいと思ってしまいそうだった。
しばらく寝転がったまま、何もしないでいると、部屋のドアが開く。近衛兵としての装備を解き、簡素な格好のバルジッカが、そこに立っていた。うっとうしい近衛兵達はすべてまいたはずなのに。
「シグ……」
「出ていけ。バル」
寝ていたベッドの上で体をひねり、バルジッカから顔を背ける。
出ていけと言ったのに、彼は勝手に部屋に入ってきた。そして彼は、シグダードが横になっているベッドに腰を下ろした。
「シグ、昼間イルジファルアが言ってたこと、本当か?」
「何のことだ……」
「フィズのことだよ! ヘザパスタにフィズを拷問させてるって、まさか本当じゃねぇだろうなっ!?」
口うるさい男だと思った。彼には関係ないことなのに。
「本当だ。何か文句でもあるのか?」
「あるに決まってるだろーが!!」
バルジッカが寝たままのシグダードに馬乗りになってくる。
「なに考えてんだ!! あいつに痛めつけられたら……どうなるか分かってんだろーが!!」
バルジッカは、ヘザパスタに拷問された者がたどる末路のことを憂慮しているようだ。長くあの男に嬲られ、何もかもを壊された者たちは、廃人となって死んでいった。
「だからなんだ?」
冷たく返すシグダードに、バルジッカは目に涙を浮かべて驚愕していた。
「シグ……お前……どうしちまったんだよ……なんで…………フィズがぶっ壊れてもいいのか!? お前、フィズを無理やり妻にしようとした次は拷問かよ!! フィズをなんだと思ってんだ!!」
「あいつはっ……あいつは雷魔族だったんだぞ!!」
「だからなんだよ!! フィズがやった訳じゃねーだろーが!!」
「やっていようがいまいが、あいつは雷魔族だ!! 拷問されて壊されるくらい、当然──」
激しい衝撃が、シグダードの頬に打ちつけられる。バルジッカに殴り倒されたシグダードは、ベッドから転げ落ちた。
倒れたシグダードの胸ぐらを、バルジッカがつかみ上げる。
「てめえ!! ふざけんなっ!! 本当にそれでいいのかよ! フィズが何したんだ!! 言ってみろ!」
「はなせバル!!」
「誰が離すかっ……!! こんなところでウジウジしてんじゃねえぞっ!!」
「なんだと! 貴様!」
カッとなったシグダードの魔法がバルジッカを弾き飛ばす。
壁に叩きつけられたバルジッカは口元から流れる血を拭いながら立ち上がった。
さすがにやりすぎたと思ったが、謝罪の言葉をかける気にはならなかった。
バルジッカは、一度だけシグダードに振り向いた。
「てめえなんか、もう俺のダチだったシグじゃねえ……さっさと魔族にでも消されちまえ……」
彼は侮蔑の一瞥をくれると、静かに部屋を出て行った。
*
バルジッカが出て行った後、シグダードは一人で、窓の外を見ていた。
彼の激しい物言いを思い出すと、殴りつけてやりたい気になる。しかし、そうするより先に、彼の「フィズがぶっ壊れてもいいのか」という言葉が、意に反して頭の中で繰り返されていた。
ヘザパスタに長く痛めつけられれば、フィズは正気を失うだろう。そうなれば、自分に笑いかけてくれたフィズはもう二度と戻らない。
フィズは雷魔族だ。そんなものがそばにいるなど吐き気がする。そのはずなのに、いざフィズを失うことを考えると、得体の知れない恐怖が沸いてくる。彼はあれだけ憎んでいた雷魔族なのに。雷魔族を憎む心は今も変わらないのに。
シグダードは、しばらく考えてから立ち上がり、静かに部屋を出た。
*
拷問部屋のある地下に続く扉を開けると、フィズのうめき声が聞こえた。
フィズがここに来た理由さえ聞き出せれば、これから来るグラスからの使者を、城に入れなくて済むかもしれない。だから来ただけだ。それ以外に理由などないと、意味のない言い訳を自分自身にしながら、シグダードは足早に階段を降りた。
拷問部屋の扉を開けると、フィズは股を裂くような形をした拷問器具に跨がりながら苦悶していた。彼は裸で、鎖で拘束されている。長くヘザパスタに痛めつけられているにも関わらず、彼の体には傷がなかった。この城へ戻って来たときにみせた傷口をふさぐ力のせいだろうが、今はそれが苦痛を長引かせる原因になっているようだ。
苦しむフィズを眺めて、ヘザパスタは愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。
「……ねえ……フィズ……苦しい?」
「ヘザパスタ」
シグダードが呼ぶと、彼は狂った目で振り向いた。
「陛下、なんか用ですか? あ、ま、まさか、やめろなんて言わないよな?」
もうすでに王に敬意を払うことも忘れた魔物は、口からよだれを垂らしながら、シグダードを睨んでくる。
嫌悪を覚えながら、シグダードは彼にたずねた。
「違う。何か吐いたか?」
「まだだよ! だから続けていいだろ!?」
「そうか……」
ヘザパスタを押しのけ、フィズの前に出ると、彼は額に汗を流しながら必死に苦痛に耐えている。
「フィズ、もう一度聞く。何をしに来た?」
「わ……たしは……何も……ああーー!」
シグダードの魔法の刃に裂かれて、フィズが悲鳴をあげた。
「言え! 言わなければ殺す!」
どれだけ体を裂かれても、彼は何も言わない。
魔法がフィズを拘束する鎖を斬り、フィズは床に叩きつけられ、倒れた。
ぐったりするフィズに駆け寄り、シグダードは彼の髪を鷲掴みにした。
「言え!! 何をしに来た!?」
「わ、たしは……なにも……」
「言え!! フィズ!!」
「あああーーーー!!」
体を裂かれ、フィズが悲鳴を上げる。けれど、どれだけ痛めつけられても、彼の答えは変わらない。
シグダードが彼の髪をはなすと、彼はそのまま床に倒れてしまう。
絶え絶えに弱い呼吸を繰り返す彼を見て、迷いが生まれた。これだけボロボロになりながらも、フィズは問いかけに答えない。もしかしたら彼の言っていることは本当なのではないだろうか。いや、フィズは雷魔族だ。昔会った奴らのように何か企んでいるに決まっている。
「フィズ……言わないのなら貴様にもう用はない」
シグダードは腰の剣を抜き、切っ先を彼の喉元に向けた。
「最後のチャンスだ。何をしに来たのか言え」
「シグ……」
フィズが、涙を浮かべてシグダードを見上げる。
その涙を見ると、シグダードの剣を握る手が緩んだ。
いつか泣いて欲しくないと思った彼が、目の前で泣いている。彼の正体を知った今も、彼の涙を見ると胸が痛んだ。
「……最後だ。フィズ、言え……」
「シグ…………」
「言え……フィズ……殺すぞ……死にたくはないだろう?」
いつの間にか、シグダードも泣いていた。自分の涙が頬をぬらした時、シグダードは、自分の中の、彼を失うかもしれないという恐怖が膨らんでいることに気づいた。
「フィズ……言え……言ってくれ……頼む……」
「シグ……私は……」
フィズは、泣きながらシグダードを見ていた。彼の涙は、苦痛によるものではないのかもしれない。
彼は信じてもらえないことを嘆いていているような気がして、ますます迷いが大きくなる。
「シグ……わ、私は……あなたを愛していました……あなたと……ずっと一緒にいたかった……」
「…………フィズ……」
ずっと一緒にいたい、泣きながらそう言われて、シグダードは、二人で並んで歩いた時間のことを思い出した。
あの時は、確かにシグダードもそう思った。戻れない過去を思い出すことが、今はひどく辛かった。
「でも……わ、私の存在があなたを苦しめるなら……もう……殺してください……」
フィズは傷だらけの体を無理やり起こす。苦痛にうめきながら、それでもなんとか体を支え、シグダードに顔を近づけてくる。
「フィズ?」
シグダードが彼に近づくと、彼は唇をあわせてきた。一瞬の、触れたかも分からないような、微かな口づけを交わしたフィズは、弱々しい笑顔を見せた。
「フィ──」
シグダードが彼の名前を呼ぶ間もなく、フィズは床に倒れる。
「フィズ!」
シグダードが抱き起こしても、フィズは微動だにしない。どれだけ揺り動かしてもフィズは目をあけない。背筋が冷たく凍っていくような気がした。
「フィズ! フィズ! 起きろ! フィズ!!」
応えないフィズは、体中すべての力が抜けているようだった。抱き上げた彼の体が冷たい。死んでしまったのかもしれない。そう思ったシグダードは、我を忘れて彼の名前を呼んでいた。
「フィズ! フィズ! フィズ……フィズ? おいっ……! 嘘だろうっ……フィズ!! 起きろ……フィズ!! 起きてくれっ!!」
「あれ? 心臓止まっちゃった?」
ヘザパスタに言われて、胸に耳をあててみる。
鼓動が聞こえた。
その小さな音に、シグダードは泣いていた。
絶望で枯れたと思っていた涙を呼んだものは、フィズが生きていることに対する安堵なのか、それとも彼がまだ目を覚まさないことに対する恐怖なのかは分からなかった。
ヘザパスタが、不満そうに言った。
「陛下あ? 生きてるんなら俺の邪魔しないで出てってー」
「ヘザパスタ……今日はもう終わりにしろ」
「え?」
「これ以上の拷問は許さない。出ていけ」
「なんで!? やだよ! いいところだったのに!!」
「出ていけっっ!! ヘザパスタ!!」
シグダードが怒鳴りつけると、ヘザパスタは悪態をつきながら部屋を出て行った。
「フィズ……どうして……愛した者がお前だったんだ……」
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