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chap5.浸潤する影
96.超えられない差
しおりを挟むフィズが顔を上げると、牢の前で立ち止まった男と目があった。
美しい踊り子の衣装を身につけたリリファラッジだ。どうやら怒っているらしく、フィズを睨みつけてくる。
「フィズ様。何をしているんですか?」
「え? あ、ら、ラッジさん……」
「そちらは?」
フィズが答える前に、リリファラッジはシュラの方に視線を移す。
シュラはその場で立ち上がり、リリファラッジに笑顔を送った。
「僕はシュラ。シュラ・スジック・イドライナだよ」
「あなたが……」
リリファラッジの顔が、見る間に緊張したものになっていく。彼はすぐにその場に平伏した。
「申し訳ございません。ご高名なイドライナ家の方とはつゆ知らず、無礼をいたしました。どうかお許しください」
「いいよ。気にしないで。イドライナ家って言ったって、僕は隅っこにいるだけだから」
謝罪するリリファラッジに、シュラは笑顔で返す。そして牢から出ると、ゆっくりリリファラッジに近づいていく。
リリファラッジは、ずっと頭を上げなかった。
相手は大貴族の一人だ。シュラが一言いえば、爵位のないリリファラッジなど簡単に死罪になってしまう。
しかし、シュラは大して気にしていないのか、その口調は軽かった。
「僕はそういうの、どうでもいいんだ。でも、気をつけたほうがいいよ。今のでひどい罰を言い渡す奴もいるからね」
「心得ております。もったいないほどのお慈悲に感謝いたします」
「うん。本当に気にしないで。僕、処罰で楽しむ趣味はないから」
彼の言葉に、フィズはホッとした。シュラのいうとおり、些細なことでひどい罰をくだす貴族は多い。リリファラッジがそんなことにならなくて、本当に良かった。
「じゃあね。フィズ」
シュラに手を振られて、フィズも手を振り返す。
シュラは頭を下げたままのリリファラッジに鍵を放ると、そのまま出て行った。
シュラの姿が見えなくなると、リリファラッジは息を吐いて立ち上がる。彼はしばらくシュラの去った方を見ていたが、フィズが名前を呼ぶと、すぐにフィズに向き直った。
「フィズ様、ご無事ですか?」
「え? はい……」
「もうしばらくここにいてください。明日には出られるそうですから」
「はい。分かりました」
リリファラッジが来てくれたことで、フィズはホッとした。
しかしリリファラッジは、フィズに厳しい目を向けてくる。
「では、今からお説教です」
「え?」
「なぜ部屋から出たんですか?」
「あ、そ、それは、ヴァジーが、羽衣を……」
「何があっても、部屋から出てはいけません。あなた、一応罪人なんですよ」
「はい……」
「フィズ様は自覚が足りません。今のあなたが外に出たりしたら、からまれるに決まっているじゃないですか」
「はい……」
「分かったら、これからは、言いつけを破らないようにしてください」
「はい……」
「私、フィズ様のせいで嫌な仕事を引き受ける羽目になったんですよ? 私の立場も考えてください」
「え? そうなんですか? ……すみません……ラッジさん」
自分のせいでリリファラッジに迷惑をかけてしまい、フィズが頭を垂れていると、リリファラッジは小さな声で笑った。
顔を上げると、彼はフィズにいたずらげに微笑みかけている。
「部屋に戻ったらお仕置きですからね」
「ええ!?」
「楽しみです。フィズ様にいーっぱいイタズラしたかったんです」
本当に楽しそうなリリファラッジの笑顔を見て、フィズの額には嫌な汗が流れる。前に市場で媚薬だの輪姦だのと言われたことを思い出してしまった。
「ら、ら、らららららららラッジさん!」
「もう少し我慢してください。フィズ様。これから人を呼びますが、ここには来ないでしょうから、安心してください」
「え? 人を呼ぶ?」
「はい。牢番の人、血を吐いて倒れていますから」
「ええ!?」
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