嫌われた王と愛された側室が逃げ出してから

迷路を跳ぶ狐

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chap8.爛れた感情

144.消えた男

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 襲撃者は狭い路地裏を走る。

 今逃してまた来られては堪らない。

 シグダードは、男の後を追っていくが、男は、路地の角を曲がったところで姿を消す。

 引き離されたのかと思った。

 路地をまっすぐ走っていくが、その奥は雑草が蔓延り、鼠が何かをかじっていた。

 人が通ったような跡がない。

 もしやと思い、路地を少し戻ると、横手に、さっきは気付けなかった、とても人が通れるとは思えないほど細い道がある。恐らく、襲撃者はここを曲がってシグダードをやりすごしたのだろう。

 道の向こうには、もう人影すらない。撒かれた。追っても無駄だ。

「くそっ……!!」

 歯がみして、そばの壁を殴りつける。結局、男が何者だったのかは分からないままだ。

 もしもあれが、グラス城の者が差し向けた刺客なら、すでに自分の生存を知られているということになる。だとすれば、シグダードを庇ったリブや、一緒にいたリューヌにも、危険が及ぶかもしれない。そう思ったシグダードは、すぐにリブの酒場に戻ろうとした。

 しかし、振り向いたシグダードの前に、空から男が飛び降りてくる。

 それは、まるで妖精のように身軽な男だった。ひらひらと空を泳ぐような服を身に纏い、透き通るような瞳をシグダードを向けている。しなやかな四肢を、長い黒髪が絡みつくように覆った、どこか儚げな雰囲気のある、少年かと思うほど小柄な男だ。

「……シグダード・キラフィリュイザか?」
「……!?」

 自分の名前を言い当てられ、シグダードの体に緊張が走った。

「なんだ……貴様はっ……」

 叫びかけたシグダードに、男は槍を武器に襲いかかってくる。今日は厄日だ。次々に刺客が現れる。

 すでにさっきの争いで、右手は焼けてしまっている。しかし、負けるわけにはいかない。そう思った時、シグダードの足元から水の粒が吹き出した。

「魔法が……」

 戻ったのかと思ったが、水の粒はすぐに消えてしまう。

 突然湧き出した水に驚き、男は一瞬怯んだが、それが消えると、またすぐに飛びかかってきた。

 覚悟を決めて、構える。しかし、その槍を背後から飛んできた雷の筋が弾く。

「ぐっ!」

 腕まで焼かれた男が悲鳴を上げる。シグダードも、男の背後を見やった。

 先ほどまで広場で饒舌に演説していた男が、そこに立っている。深く被ったフードから、あの金色の髪がのぞいていた。

 先ほどまでシグダードにすくみあがるような殺気を向けていた刺客は、新たに現れたその男を見上げ、言葉を失い、その前に跪く。

 刺客の男に、ヴィザルーマは微笑んだ。

「……あれの手の者か?」
「……」

 問われても、男は答えなかった。しかし一瞬、かすかにその体が震えた。

 ヴィザルーマはそれを見て、優しい声で諭すように言った。

「戻って、彼に伝えろ……私は……こんなことを望まない……」
「……はい……」

 男は素直に返事をして、空高く飛び上がり、屋根を伝って走っていく。

 残されたシグダードは、ヴィザルーマを睨みつけた。

「貴様……ヴィザルーマ!! どういうつもりだ?」
「どう? なにがです?」

 振り向いた男は、確かにあの毒が広がった日に、シグダードの前に現れた男だった。
 演説をしていた時と同じ、簡素であるが威厳の感じられる白い服を着て、それには不釣り合いな黒いフードを被っている。

 その男の涼しい顔を見ると、ひどく腹が立った。

「とぼけるな! 私を利用しただろう!! 解毒薬を作るなどと言っておいて……! この卑怯者め!」
「言いがかりはやめてください。私は確かに、解毒薬を求めていました。しかし、それももう必要ない。キラフィリュイザは助かりました。あそこに住んでいた者たちは全て助かり毒も消え去った。必要のないものを追うのをやめただけです」
「全て救われただと!? 殺された者たちもいるんだぞ!」
「それはあなたの不覚が招いたこと。あなたがあの国をまとめていれば、そんなことにはならなかったのです」
「……」
「私にはまだ、役目があります。この国を安寧に導かなければならない。あなたは……せいぜい邪魔をしないでください」

 そう言って、ヴィザルーマは飛び上がる。魔法の力だろうか。屋根まで飛んで、夜の暗がりの向こうに消えていった。







 シグダードがリブの酒場に戻ると、そこの扉はすでに固く閉ざされ、準備中と書かれた札がかけられていた。

 裏口から入ると、バルジッカが迎え入れてくれる。

「シグっ……よかった無事だったか……」
「…………撒かれた……」
「……ったりめえだろ! 向こうには土地勘があるんだ!! こんなとこで騒ぎ起こして、捕まれば首切られんのはお前の方なんだぞ!」
「そんなことは分かっている!! だがっ……あれは私を狙っていた! グラス城が、私の生存に気づいて」
「そうとも言い切れねえだろ! チュスラスかイルジファルアが、お前が生きてんのに気づいて殺しに来たんなら、なんで刺客なんか送るんだよ! 堂々と捕まえに来ればいい!」
「……あ…………」
「チュスラスはお前殺したって喚いてるが、イルジファルアや他の元老院は誰もんなこと信じちゃいねえ! 表向き念のためなんて言ってるが、どいつもこいつもお前がまだ生きてると思ってあちこちに兵士ども遣わしてんだぞ! あいつらお前のこと四六時中探してんだ!! だったら、堂々と捕まえに来ればいい!! 錯乱した王が逃げ延びて潜伏してたのを捕まえたって、そう言えばいいんだ!!」
「そうか……」
「俺も、最初はグラス城の奴らがお前を捕らえにきたのかと思った。だが、それなら民衆の前で首切るために生かしておきたいはずだ。それなのに、あいつはずっと刃物振り回してた。それに、正規の兵なら民間人の酒場の店主まで躊躇わず切りつけたりはしない。貴族が飼ってる犬ってところだろう」
「……そうだな……」
「それに、本当にお前を狙ってたかも怪しいぞ」
「……なぜだ?」
「俺がお前を殺したいと思ったら、あんな時に襲ったりはしねえ。お前は魔法使いだ。今は使えないが、それが向こうに漏れてるとも限らねえだろ! 例え魔法が使えないことを知っていたとしても、わざわざ正面からぶつかって来たりすると思うか!? その上明らかに帯剣した俺が一緒にいたんだ!! 二対一で片方は魔法使いじゃ、よほど腕に自信があってもそんな時狙うかよ!! 寝込みでも襲ったほうが確実だ! つーか、それしかねえだろ! 魔法使い殺してえなら!」
「そうか……」
「それに、最初に出てきた奴だが、お前が出て行った後も、上から降りてきて向かってきた。お前を探してたのかもしれねえが…………他に何か目的でもあったのか……ジャックって奴が戻ってきたら逃げてったが……」
「……」
「……おい……そんな顔すんな。こうしてまた会っちまったんだから、お前のことは、俺が守ってやる」
「バル……」

 シグダードが顔を上げると、彼は照れているのか、赤い顔を隠すように背を向けてしまう。

「一応まだ近衛だからな…………代わりにお前は少しは考えろ。あいつが切られて動揺すんのはわかるけどよ……」
「……っ……! リブっ!! リブはどうした!? 無事なのか!?」
「……こっちだ。生きてはいる。だが……治療は難しそうだぞ……」
「……」

 あの時、自分を庇ったリブの姿を思い出し、シグダードは拳を握りしめた。

 彼は自分の身が危うくなることを知りながら、シグダードとリューヌを庇ってくれた。彼がいなければ、リューヌは死んでいたかもしれないし、シグダードもすでに兵士たちに捕らえられていただろう。食事と寝床を与えてくれた彼には感謝している。それなのに、本来関係ないはずのリブを巻き込み、彼は倒れてしまった。全て自分のせいだ。

 バルジッカは、シグダードを連れて、酒場の二階に上がっていく。奥にあった扉を開くと、リブはベッドに横たわっていた。

 ベッドのわきには、医術士だろう、白衣を着た男が立っていて、隣にはジャックもいた。

 ジャックはシグダードを鋭い目で睨みつける。

「傷が深い……お手上げだってよ!! どうなってやがる!!! 何で……リブがこんなっ……! シグ!! てめえどういうつもりだ!!」

 怒鳴りつけるジャックに、シグダードは俯いたまま答えることができなかった。

 しかしバルジッカは、首を横に振ってジャックを止める。

「あいつがシグを狙ってたとは限らない。結論出してシグ責めるには早すぎるだろ」
「だがそいつは…………くそっ!! リブは……関係ないのに……」
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