162 / 290
chap9.先へ進む方法
162.浮かび上がった存在するはずのない影
しおりを挟む夜の城を、カルフィキャットが駆けていく。暗闇に溶けるような長い藍色の髪と、同じ色の目をした男で、人目を忍ぶためだろう、真っ黒なマントを羽織っていた。
彼は、ひたすら、暗い城を走っていく。その髪は乱れ、服は襟元が大きく開いていた。そこからのぞく肌は、汗と涙に濡れ、いくつも、痛々しいほどの赤い跡ができている。
汚れた体を拭くこともせず、彼は一心不乱に走っていた。
それを、少し離れたところから、ティフィラージは、じっと見つめていた。
ティフィラージがいるのは、グラス城の窓の外。外壁につかまったティフィラージには、誰も気づかないだろう。
走るカルフィキャットの足には、ドロドロした白濁が伝っていて、それには血が混じっていた。彼の足首や手首、首にまで、縛られたような痛々しい跡がついている。乱暴に犯された跡だ。
夜の暗闇に紛れて、城の裏口から飛び出すカルフィキャットを、ティフィラージは、音もなくつけた。
あの男は、向かっているはずだ。ヴィザルーマの元へ。
城を出たところで、カルフィキャットは一人の男と合流する。ヴィザルーマの手のものだろう。
任務に必要な情報は、すべて頭に叩き込んである。あの男は、背格好からして、恐らくベジャッズだ。
城壁にある小さな扉から出た二人は、街の方へ走っていく。それも、普段人が通らないような道を選んで。馬車すら呼ばないのは、追跡を恐れたヴィザルーマの指示だろうか。
泣きながら走るカルフィキャットに、ベジャッズが、声を出すなと囁いていた。
やがて彼らは町外れまで来た。この辺りは、昔から立っている古い建物ばかりで、今では、そこに家を失った者が多く住んでいたはず。
夜の中で眠る家屋が並ぶ間を抜けて、二人は、一つの古ぼけた建物に入っていく。以前は街の集会場として利用されていたものだ。
ティフィラージは、音を立てないように、窓の前に降りた。中を覗くと、そこは寝室のようだった。古びた部屋だが、丁寧に磨き上げられている。だいぶ痛んではいるが、補修された絨毯がひいてあった。
そしてそこに、あの男はいた。
ティフィラージも、彼がこのグラスの城にいた頃を知っている。あの時より幾分質素な格好をしているが、それでも、昔の面影はある。街の広場にいた時は、真っ黒なフードで顔も体も隠していたようだが、今はそれもない。
簡素だが美しいナイトウェアを着た、ヴィザルーマだ。
彼は、そばに控えた男に、何か話していた。男は、侍従のように振る舞ってはいるが、ヴィザルーマは、多くをそばに置かない。格好や立ち振る舞いからして、貴族とも思えない。おそらく、もともとここに住んでいた者だろう。住人のことは、すでに懐柔済みのようだ。広場では、まるで蘇った英雄のように振る舞っていたようだし、相変わらず、彼はこういうやり方がうまい。部屋の中も、住人たちが精一杯、彼へのもてなしとして美しく磨き上げたのだろう。さして広くもない場所で、元々の住人たちは玄関先の部屋で待機しているようだ。
そして、ヴィザルーマのすぐそばには、ミズグリバスが控えている。ヴィザルーマに心酔していた貴族だ。
もう少し近づけば、二人が話す声が聞こえるかもしれない。
ティフィラージは、音を立てないよう、足元に気をつけながら、窓に近づいた。この辺りは街からも離れていて、草木も生い茂っている上に、外には荷物が多く置かれていて、隠れる場所も多い。加えて、周りでは虫の声が響いている。隠れるのに、困ることはなかった。
だが、ヴィザルーマの方も、相当警戒しているはずだ。
万が一に備えて、ティフィラージは、彼が仕掛けた罠がないか、確認しながら窓に近づいた。
そのうちに、住人の男は部屋を出て行き、中にカルフィキャットが飛び込んでくる。彼は汚れた姿のまま、ヴィザルーマに縋り付いた。
「ヴィザルーマさまっ……!」
長く走ってきたからだろう。彼の体は汗と泥で汚れている。
そんな姿でヴィザルーマのベッドに上がったカルフィキャットを、そばにいたミズグリバスが咎めた。
「おいっ!! なんだそんな姿で!! 挨拶もなしに、無礼だろう!!」
「構わない。ミズグリバス」
ヴィザルーマに言われて、ミズグリバスは口を閉じる。
ヴィザルーマはカルフィキャットに微笑んで、その頭を、いたわるように撫でた。
カルフィキャットが、泣きながら顔を上げる。
「ヴィザルーマさま……」
「カルフィキャット……よく帰ってきた。何があった?」
「……」
答えないまま、ずっと泣いているカルフィキャットを慮ったのか、ヴィザルーマはそばに控えたミズグリバスに、部屋の外に出るように言った。
けれど、さっきまでヴィザルーマのそばにいたミズグリバスは、納得できないのか、声を荒らげる。
「ですがっ……!! ヴィザルーマ様っ!! 貴方様の部屋を泥で汚すなどっ……!」
「ミズグリバス、彼は国のために、こうして辛い任務を終えて、戻ってきたのだ。労うのは当然だろう」
「ヴィザルーマ様……」
ぼろぼろ涙を流し出すミズグリバス。そして、ヴィザルーマに丁寧に頭を下げると、部屋を出ていった。
彼がいなくなると、カルフィキャットはヴィザルーマの足元に縋りつき、大声を上げて泣き出した。
「ヴィザルーマさまっ……!! も、もうっ……! 私はっ……もう耐えられません!! わ、私はっ……!! あ、あんなっ……!」
「カルフィキャット……辛い目にあったんだね……」
しばらく、ヴィザルーマはずっと、カルフィキャットの頭を撫でていた。
けれど、よほど恐ろしかったのか、カルフィキャットは泣き止まない。
「ヴィザルーマさまっ……! 私はっ……もうっ………………ち、チュスラスがっ……あの男は、貴方様の子であるはずがありません!! あの男は私をっ……私をっ…………!! 私の服をむしりとって……!!」
「……カルフィキャット……」
「あ、あんな男にっ……私はっ…………も、もう嫌です!! あんな屈辱っ……! 私はっ……もうっ……」
「カルフィキャット……すまない……」
優しく言われて、カルフィキャットは、ハッとしたようにヴィザルーマを見上げる。
「そんなっ……! ヴィザルーマさま!! 私はっ……! 貴方様が謝られることはないのです!! すべては……!」
「お前に、それほどまでに辛いことをさせてしまったのは私だ……好きなだけ責めてくれていい……」
「違います!! 違うのです!! ヴィザルーマ様!!」
「カルフィキャット……だが、お前はこんなにも傷ついているではないか……」
「ヴィザルーマ様っ……! いいのですっ……! そんなこと……」
「お前がこんなに傷ついているのに、いいはずがないだろう!」
「いいのです!! あなたの……貴方様のためならっ……! 私はっ……私はっ……!」
「カルフィキャット……」
ヴィザルーマが、泣いてうつむくカルフィキャットの頭に手を添える。その目は冷め切っていて、計算尽くの自分の言葉に、むしろ達成感を覚えているかのようにすら見えた。
しかし、泣き濡れるカルフィキャットは顔を上げないし、ヴィザルーマのその冷淡な表情に気づかない。本気で労りの声をかけてもらったと思ったのか、彼は顔を上げて微笑んだ。
「ヴィザルーマさま……貴方様にそのような言葉をかけていただけるだけで、私は……」
「カルフィキャット……」
微笑んで、ヴィザルーマは、カルフィキャットをベッドに押し倒す。
そしてその体を、丁寧にタオルで拭き始めた。
「……カルフィキャット…………」
労わるような声だが、それはカルフィキャットに、報告を促すもののようだ。
カルフィキャットは震えながら口を開く。
「……ジョルジュに……会って来ました……」
「そうか……彼は、城はどうだと?」
「……イルジファルアが、シグダードの生存を知ったようです……どうやら、家族の名前を出されて脅されたようで……」
「そうか……それにしては、城が静かだ。イルジファルアは、チュスラスにその話をしていないのか…………」
すると、カルフィキャットは、初めて顔を綻ばせる。
「今すぐそのことを、チュスラスに話すべきです!! シグダードは、この国を滅亡させるつもりです!! あれを連れてきたフィズだってっ……」
「カルフィキャット!!!」
刺すように鋭く怒鳴られ、カルフィキャットは口を閉じた。おびえたような彼の顔を見て、ヴィザルーマはすぐに、さっきまでのあの表情が嘘だったかのように微笑む。
「……カルフィキャット…………」
「は、はい……ヴィザルーマさま……」
「それは、私が決めることだ」
「はい……」
「それで、チュスラスから、フィズの様子は聞き出せたか?」
「……いいえ。ですが、フィズはずっと、リリファラッジの部屋におります。不自由ではあるでしょうが、以前のように大怪我をしたり、死にかけるようなことはないでしょう」
「そうか……」
「あの……ヴィザルーマ様……」
「どうした?」
「……あ、あの、フィズは貴方様を裏切って、敵国の王についたのです。あ、あの男の処遇は……どうされるおつもりですか?」
「当然、あの男には、厳しい罰を下す」
「ではっ……!! あの男は死刑ですか!?」
「いいや」
「……え? な、何故です!? なぜあの男を処刑なさらないのです!??」
「カルフィキャット……あの男には、死よりも恐ろしい罰を下さなければならない。暗い地下に監禁し、私が罰を与え続けると、そう話したではないか」
「……はい…………ヴィザルーマ様…………」
返事はしたけれど、カルフィキャットは不満そうだ。そんな彼に、ヴィザルーマは微笑んだ。
「君は本当に私に忠義を尽くしてくれる……」
「ヴィザルーマさま……」
「後少し……チュスラスから聞き出してほしいことがある」
それを聞いて、カルフィキャットは、顔をそむけてしまう。彼の逃げて来た格好を見れば、それは当然の反応だったのだが、ヴィザルーマは、畳み掛けるように言った。
「カルフィキャット……あの男は、どうやってお前を汚した? 教えてくれないか?」
「そんな……ヴィザルーマさま…………」
「カルフィキャット……」
「ヴィザルーマさま! お、お許しください! も、もう……思い出したくありません!!」
「カルフィキャット……」
「…………ふ、服を……服を…………脱げと……」
「……」
ヴィザルーマは、無言でカルフィキャットの服のボタンをはずしていく。柔らかいベッドの上で押さえつけられ、彼はかなり動揺していた。
「あ、あの……ヴィザルーマ様…………」
「忠義の礼だ……私も、お前に礼を尽くさなくては……」
「そ、そんなっ……! ヴィザルーマ様っ……!!」
組み敷いた男の舌が、カルフィキャットの痛々しい体を這う。彼は涙を流して「汚れています。いけません」と言って拒否したが、ヴィザルーマは、その体を丁寧に舐めていく。
「汚れているのではない。これは、お前の忠義の証だ。全て私が貰っていく」
「ヴィザルーマ様…………っ!!」
泣いているカルフィキャットをあやすように、ヴィザルーマは、その体に快楽を教え込む。
ティフィラージは、外で聞いていて、なんて哀れな男だと思った。
涙を流して、これからも貴方に仕えますというカルフィキャットは、ヴィザルーマが時折見せる、冷徹な目に気づかない。あれは、人を見る目ではなく、道具を見る目だ。それも、長く使う気などまるでない。使い捨てのものを。
それは、自分も同じであることは自覚している。ティフィラージは、イルジファルアの使い捨て。それでも、イルジファルアはティフィラージを部屋に入れるし、ずっと、使い捨てのはずのものを使い続けている。大きな失敗をしても、殺されることはなかった。失敗を許さないイルジファルアが、まだティフィラージを使い続けるという。
それを思い出すと、ティフィラージの胸の奥が明るくなり、わずかな優越感と共に、心地よさが生まれる。
今は特に、目の前で無残に利用される男を見た後だ。ますますその優越感は強くなるはずだ。
それなのに。何かがおかしい。
明るく晴れるはずの胸に、微かな陰りがある。
そして、その陰りの中には、ヴァルケッドが振り向いて鞭を振り上げる姿が浮き上がっていた。
あれはずっと、イルジファルアが直々に行ってきたのに。
ティフィラージは、胸を押さえて邪魔なものを打ち消そうとしたが、それは消えるどころか広がるばかりだ。
「…………イルジファルア様……」
呟いて、気づく。
あの部屋の外で、イルジファルアの名前を呼ぶことは禁じられている。破ったのは初めてだ。
口を噤む。
これからも、自分はイルジファルアの道具。
唯一無二の。
きっとずっとそうだ。そのはずだし、疑うことなど、絶対に、永遠に、あり得ない。
そう確信すると、少し落ち着いた。
0
あなたにおすすめの小説
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
義理の家族に虐げられている伯爵令息ですが、気にしてないので平気です。王子にも興味はありません。
竜鳴躍
BL
性格の悪い傲慢な王太子のどこが素敵なのか分かりません。王妃なんて一番めんどくさいポジションだと思います。僕は一応伯爵令息ですが、子どもの頃に両親が亡くなって叔父家族が伯爵家を相続したので、居候のようなものです。
あれこれめんどくさいです。
学校も身づくろいも適当でいいんです。僕は、僕の才能を使いたい人のために使います。
冴えない取り柄もないと思っていた主人公が、実は…。
主人公は虐げる人の知らないところで輝いています。
全てを知って後悔するのは…。
☆2022年6月29日 BL 1位ありがとうございます!一瞬でも嬉しいです!
☆2,022年7月7日 実は子どもが主人公の話を始めてます。
囚われの親指王子が瀕死の騎士を助けたら、王子さまでした。https://www.alphapolis.co.jp/novel/355043923/237646317
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果
ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。
そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。
2023/04/06 後日談追加
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる