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chap12.うまくいかない計画
245.微かな違和感
しおりを挟むチュスラスの相手が終わり、カルフィキャットは、悠々と街を歩いていた。あの様子では、しばらくチュスラスは帰らないだろうし、街道の視察へ行くと話してある。むしろ、理由などなくとも、今のチュスラスなら、舌先三寸で誤魔化せそうだ。
それなら、あんな下手物のそばにいる必要など、まるでない。ああ言えば、腹を立てて出ていくだろうと思ったが、こんなにうまくいくなんて。
おそらく、カルフィキャットが城に戻る頃には、以前カルフィキャットを侮辱した大臣あたりが問い詰められていることだろう。
しかし、そんなことは、もうどうでもよかった。
ヴィザルーマが隠れ家にしている、今は使われていない街の集会場に来たカルフィキャットは、その扉を、浮ついた気持ちのまま叩いた。
すぐにミズグリバスが出てきて、カルフィキャットを部屋に連れ込む。
「カルフィキャット!! どういうつもりだ!! 今日はここに来る日ではないのに! ベジャッズの迎えもなく、ここに来るなど……誰かに見られたらどうするつもりだ!」
口うるさい男だ。ヴィザルーマの小間使いとしてここに置いていただいているだけのくせに。なにか、思い上がっているのではないだろうか。
そう思ったカルフィキャットは、彼を睨みつけた。
「ヴィザルーマ様に、ご報告があるのです」
「ヴィザルーマ様に? それなら私が聞く」
「なぜあなたが? 私は、ヴィザルーマ様にお会いしたいのです」
「ヴィザルーマ様はお休みになられている。後で私が話しておくから、内容を教えろ」
「嫌です。私が伝えなくてはならないことなのです」
「あなたでなくても、報告はできる」
「嫌です」
言い合っていると、奥にある、ヴィザルーマが寝室として使っている部屋から、会いたかった男が出てきた。
カルフィキャットは、ミズグリバスに体をぶつけて、ヴィザルーマに駆け寄り抱きついた。
「ヴィザルーマ様っ……お会いできてよかった……!」
昨日まで、ヴィザルーマはカルフィキャットの傷ついた体を愛してくれていた。今も、カルフィキャットに会いたくて、待っていてくれていたはずだ。だから、カルフィキャットが来たことを察して、部屋から出てきてくれたはずだ。
それなのにヴィザルーマは、カルフィキャットに冷たい目を向ける。
「カルフィキャット……どうした?」
体を離されてしまい、カルフィキャットは、若干の違和感を覚えた。ヴィザルーマに会いたくて走って来たのに、こんな扱いを受けるなんて。
ヴィザルーマは、カルフィキャットから離れていく。
けれどカルフィキャットは、すぐに納得した。
これは、ヴィザルーマの本意ではないのだ。
ヴィザルーマとて、上に立つものだ。時に苦しみ、愛している者を抱きしめられない時もあるだろう。それは、仕方のないことだ。
カルフィキャットは、ヴィザルーマに微笑んだ。私は分かっています。そう伝えたつもりだった。
ヴィザルーマは振り向きもせず、カルフィキャットに声もかけないが、カルフィキャットには、ヴィザルーマの全てが分かっている。
何しろ、ヴィザルーマが頼りにしているのはカルフィキャットだけ。
カルフィキャットは、ヴィザルーマのために全て捧げた。何もかも、その肉体ですらヴィザルーマに差し出して、ヴィザルーマのためになることなら、なんでもやってきたのだから。
「申し訳ございません。ヴィザルーマ様……私、お会いできたのが嬉しくて。つい、無礼な真似をしてしまいました」
「カルフィキャット……気にしなくていい」
ほら。やはり、そうだ。
こうして、ヴィザルーマはすぐに振り向いて、カルフィキャットに微笑んでくれる。こっちが、ヴィザルーマの本意だ。
思った通りだ。ヴィザルーマは、いつでもカルフィキャットのことを思ってくれている。カルフィキャットが、ヴィザルーマを思うのと、全く同じように。
そんなふうに考えると、少し冷たいその態度すら、愛おしく思えた。
彼は、優しくカルフィキャットにたずねる。
「それで、カルフィキャット。今日はどうした? 何かあったのか?」
もちろんない。会いたかっただけだ。ヴィザルーマだって、そう思っているはずだ。それが当然だ。
それが当たり前のはずなのに。
「まさか、フィズのことか!?」
焦った様子で、ヴィザルーマはカルフィキャットの肩を握る。
まただ。
ヴィザルーマは、未だに何度もフィズの名前を口にする。
今だって。
こうしてカルフィキャットといるのに、やけに焦った顔で、フィズのことを聞いてくる。
なぜなのだろう。何を言っているのだろう。
理解に苦しむ。
しかし、こんなふうに理解に苦しむことなど、あってはならない。
カルフィキャットは、信じていた。自分とヴィザルーマは、いつだって通じ合っている。ヴィザルーマをここまで深く理解しているのは、自分だけのはずだ。ヴィザルーマの考えていることが、自分に分からないはずはない。そう信じて疑っていないはずだった。
疑う気持ちなど、あるはずがないのに、ヴィザルーマがこうして、しきりにフィズの名前を口に出すことだけは、どうしても理解できない。
ヴィザルーマは、フィズを罰することを願っている。それは当然だ。ヴィザルーマを愚弄し、敵国の王に魅入られた男など、死ぬまで痛めつけ、惨めに引き裂かれてしまえばいい。
それには異論はない。しかし、こうもヴィザルーマがフィズの名前ばかりを出すと、苛立ってしまう。
こんなことではダメだ。
ヴィザルーマにとって、唯一の理解者は、カルフィキャットのみなのだから、ヴィザルーマの、フィズへの罰を焦る気持ちも、ちゃんと理解しなくては。
カルフィキャットは、しばらく考えて結論を出した。
ヴィザルーマだって、恐ろしいのだろう。フィズのようなものが、ヴィザルーマのそばをうろついていては、またいつ、ヴィザルーマを害するかわからない。
そうに決まっている。
ヴィザルーマの恐怖も、理解しなくては。
「ヴィザルーマ様……フィズは、トゥルライナーの処分に向かったまま、まだ戻りません」
「そうか……」
するとヴィザルーマは、カルフィキャットに背を向け、ドアの方に向かっていく。まだ、カルフィキャットの話が終わっていないのに。
「ヴィザルーマ様、どちらへ?」
「……森の情報を集める。フィズのことがわかるかもしれない……」
彼がカルフィキャットではない者の名前を呼んで、カルフィキャットから離れていく。
また理解できなくなる。
なぜだ。
こんなはずない。
湧き出た感情が、カルフィキャットの中を侵食していく。
「ヴィザルーマ様」
カルフィキャットが呼びかけると、ヴィザルーマは振り向いた。
その目も、唇も、声も、少し気だるいようなその表情も、全てが愛おしい。
それなのに恐ろしくて、カルフィキャットは、また自分を置いて行こうとするヴィザルーマに抱きついた。
「ヴィザルーマ様…………愛しています」
「カルフィキャット……」
ヴィザルーマは、少し驚いた顔でカルフィキャットを見下ろしていた。
胸の奥に、かすかな恐ろしい不安が湧き出る。小さなその不安は、いつもカルフィキャットをからかうように、その傷だらけの心を引っ掻く。
痛みと共に、体にじわじわと、嫌なものが滲んでいく。それは、ヴィザルーマへの疑心だろう。彼の気持ちを疑ってしまっているのだ。
ヴィザルーマは本当は、カルフィキャットを愛してなどいないのではないだろうか。
そんな、頭の端にあるだけでも恐ろしい疑心を打ち消したい一心で、気づけば叫んでいた。
「あなたはっ……! 私を愛してますっ……!」
すがるように、彼の服を掴んだ。乞い願うようにその目を見つめる。
否定など、されるはずない。それは分かっている。それは、理解している。そのはずなのに、息苦しいほどの不安がカルフィキャットを縛る。
ヴィザルーマは、呼吸を速くするカルフィキャットを見つめていた。
驚きに満ちていくヴィザルーマの目が嫌だ。まるで彼が、カルフィキャットの気持ちを理解していないようではないか。そんなはずがないのに。
ヴィザルーマは、カルフィキャットを理解しているはずだ。そしてカルフィキャットも、ヴィザルーマを理解しているはずだ。彼だけを愛し尽くしてきたのだから分かる。彼も同じ気持ちであるはずだ。そう何度も頭が唱えている。
早く目の前のヴィザルーマに、この不安を壊して欲しかった。
するとヴィザルーマは、カルフィキャットの願い通り、微笑んでくれた。
「そうだな。カルフィキャット……愛している。この先も、私のために働いてくれるな?」
「ヴィザルーマ様っ……!!!」
感極まった。
やはりヴィザルーマは、カルフィキャットを理解してくれている。同じ気持ちでいてくれている。だって、こんなにも通じ合っているのだから。
カルフィキャットは、やっと自覚することができた。もう迷わないほどに、信じることができた。
ヴィザルーマは、カルフィキャットと同じだ。全く同じ思いで同じ愛を向けてくれる。そんな人は、彼だけだ。そんな彼のためなら、なんでも捧げられる。
やっとそう確信することができた。
カルフィキャットは、愛しい君主に跪いた。
「ヴィザルーマ様…………ヴィザルーマ様……ずっと、私は……あなたを愛します……」
「それはもういい。これからも、私の手足になってくれるな? この国のために」
「勿論でございます!!! ヴィザルーマ様っ……!!!! 私は……あなたのためでしたら……ヴィザルーマ様のためなら、どんなことでもいたします!! どのようなことでも命じてくださいっ……! あなた様にお仕えすることのみが、私の喜び……全てでございます!!!」
その言葉に満足したのか、ヴィザルーマは微笑んだ。そして、いつものように、カルフィキャットに命じてくれる。
「あとでまた呼ぶ。今日は下がれ。カルフィキャット」
「はい!!!! ヴィザルーマ様!!!!」
満足して、カルフィキャットは、その部屋をさった。
夜が更けていく。愛された人に追い返されても、カルフィキャットの心は、ずっと満たされていた。
「あなたは……私を愛しています……」
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