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73.困らせちゃいけない
しおりを挟む外に出ると、そこはもう、隣町の目の前だった。
街を囲む高い塀と、それをぐるっと囲む堀があって、それにかかる橋の向こうに、門が見える。僕らの馬車は、その門の前に止まっていた。
そして、馬車の周りに、二人の剣を下げた男の人がいる。門番らしい。そのうちの一人が、アトウェントラの顔を見て、ほっとしたように微笑んだ。
「ウェトラっ……! 無事だったか……」
「……コドフィージュ。門番って、君だったの?」
「ウェトラーー!」
彼は、アトウェントラに抱きついて、再会を喜んでいた。よほど嬉しいらしい。
「ウェトラ……お前が魔法使いに騙されたって聞いて、俺は心配したぞ……」
「ぼ、僕は大丈夫だよ……は、離して……」
そう言ってアトウェントラが困った顔をしていると、コエレシールが、門番の男を引き離した。
「アトウェントラが困っているだろう……」
「は? お前、誰だよ? まさか、魔法使いか?」
「よく分かったな」
「てめぇの首のやつ、守護の魔法具だろ? 魔力の光も強い……なんで魔法使いが、俺のウェトラに近づいてんだ!!」
門番の男はコエレシールを睨みつけ詰め寄っている。けれど、アトウェントラが間に入ると、渋々といった様子ではあったけど、離れてくれた。そしてコエレシールに悪態をつきながらでも、レヴェリルインから街に入るための許可証を受け取ってくれる。
「二つのギルドの許可証があるのか……とりあえず、何しに来たのか聞かせろよ」
「海岸線の魔物の討伐依頼が出ていたはずだ。そのために来た」
「……お前、レヴェリルインだろ? 街中では、もう少し顔を隠せよ。魔法使いとしては有名なんだから、嫌な顔する奴もいる」
「街へ入れるのか?」
「入りたくて来たんじゃないのか?」
「それはそうだが……いいのか?」
「ああ。先にアトウェントラの使いがこっちに来てる。お前らが来るって話は聞いてた。ここはいつも基本的に、種族職業問わずに通してるんだよ。今は王家があんなんだから、やけに魔法使い嫌う奴がいるだけで。それに今は、力のあるやつが欲しい。冒険者ギルドからそう言われてる」
「ギルドから?」
「ああ。街に入ったら、すぐにギルドへ行け」
「そんなに魔物に困っているのか?」
「まあ、そうでもあるんだが……それより困ったことが起こったんだ。海岸線の魔物が増えてる。そして、あの海岸は人魚族の縄張りの近くだ。行くなら、町長の許可がいる。だけど、帰ってこないんだよ。町長が。海岸線の方に行ったきりだ。様子を見に行きたくても、魔物が騒いでて近づけない。それで、腕だけは立つお前たちになんとかして欲しいんだよ」
「なるほどな……」
「できるか?」
「海岸に出ろというならちょうどいい。願ってもない話だ」
「すげえ自信だな……これまで、そこに向かった奴は何人もいる。だが、逃げ帰るのがやっとだった。できるのか?」
「そのために来たんだ」
「……」
自信に満ち溢れたレヴェリルインを前に、門番の男はため息をついた。
「……さすが、ウェトラが見込んだ男だよ……少し待ってろ」
そう言って、彼は門の方へ走って行き、他の門番たちに許可証を見せて説明してくれる。彼から話を聞いた一人が、街の中へ走っていった。
レヴェリルインはそれを見て、肩をすくめた。
「まだ少し時間がかかりそうだな……もうしばらく待つか」
ドルニテットも仕方がありませんと言って、二人は馬車の方に戻っていく。
今度、馬車に乗るときは……僕がレヴェリルインのそばに行きたい。僕には馬車を操ることも、使い魔を操ることもできないんだけど……
それでも、馬車の前でドルニテットと話すレヴェリルインを見ていたら、彼がずっとドルニテットといることが気になってくる。
あの二人は仲がいい。兄弟だし、ずっと一緒に育ってきたんだろう。レヴェリルインにとっても、ドルニテットは一番信頼できる人だ。
多分……僕なんかより、ずっと。
だっていつも、僕よりレヴェリルインのそばにいる。
って、だから、それがなんだっていうんだ。レヴェリルインが、弟で優秀な魔法使いのドルニテットを信用してるからって、なんだって言うんだよ。
僕が口を出すことじゃない。レヴェリルインは、僕が仕える主で、命の恩人。僕をあの屋敷から連れ出してくれて、僕の命を救ってくれて、今は、僕に魔力を返すために、力を尽くしてくれている。
そんな人に、僕は感謝してもしきれない。だから精一杯仕えるって決めたのに、なんでこんな感情ばっかり湧いてくるんだ。この、胸に纏わりつくような気持ち悪い感じはなんなんだ……
しっかりしなきゃ。僕は従者なんだから。ちゃんと仕えられるはずだ。
そう思って、顔を上げる。すると、ドルニテットとレヴェリルインが、地図を片手に、おでことおでこがぶつかりそうな距離で話してるのが見えた。
それを見たら、勝手に声が飛び出した。
「あのっっ……!!」
つい出してしまった声に、レヴェリルインとドルニテットが振り向いた。
レヴェリルインは驚いていたようだったけど、ドルニテットは、図々しい真似をしていた僕を睨んでいる。
「なんだ貴様…………兄上に声をかけるとは……身の程知らずめ……」
「あの……」
「貴様は従者だろう。だったら兄上に使っていただけるまで控えていろ。質の悪い従者は、鞭で躾けるぞ」
ドルニテットは本気だ。彼の手に、魔法で鞭が出てくる。
それを見たら、恐怖ですくみ上がりそう。多分、これまでならそうなっていた。それなのに、ゾワゾワと湧いてくるあの感情が、恐怖すら押し殺して僕の背中を押す。
僕は、レヴェリルインの従者なんだから、僕に何をするのも、レヴェリルインだ。
「……あのっ…………僕……罰は、マスターから……」
「あ? 何か言ったかこのゴミがっっ!!」
ドルニテットの鞭が、僕の足元の橋を撃つ。激しい音がして、僕は、震え上がった。
人が乗っても壊れないはずの頑丈な橋に、鞭で傷ができている。あんなので打たれたら、僕の骨まで壊されてしまいそう。
「身の程を知れ!! 屑がっ!! 貴様など、兄上の情けで飼ってやっていることを忘れるな!」
「…………で、でもっ……」
怯えて、もう声なんてほとんど出ない僕の肩に、温かい手がふれた。見上げれば、レヴェリルインが、僕の肩を抱いている。そして、僕のことを抱き寄せてくれた。
レヴェリルインが僕のそばにいる。体温すら、感じ取れる。
今でも、人がそばにいると怖い。それなのに、今は怖いくらいに緊張していても、嫌な気がしない。こんなに緊張して、胸だって痛くなりそうなのに、さっきの恐怖で抉れた心が満たされていく。足りなかったものが埋まるようで、気持ちいいとすら感じた。
レヴェリルインは、ドルニテットに微笑んだ。
「いいじゃないか。ドルニテット。コフィレグトグスは、俺に話があるだけだ」
「兄上っ……! しかし……」
ドルニテットは顔を歪めてけど、レヴェリルインは、門の方に振り向いて「まだ余裕がありそうだな」って言っていた。
「ドルニテット、ここを頼む」
「兄上! さっそくそれですか!」
「ウサギのことなら、俺が見ている。お前はコエレシールたちを頼む。向こうも、放っておくと何をするか分からないだろう」
そう言って、レヴェリルインは、僕の肩を抱いたまま、橋を歩いていく。
僕は、緊張のあまり壊れてしまいそうだった。
なんだこれ……そばにいるのがレヴェリルインでも、僕はまだ怖いって思っているのか? そんなはずない。緊張するのに、なぜか嬉しい。
さっき、誰かと二人で並んで立っていたレヴェリルインのことを見たときは、心の部分の焼けて溶けて穴が空いたようだった。今はそこが少しずつ修復していくようで、満たされる感覚が僕を包む。
僕はずっと、何かに満たされるなんて、あり得ない毎日だった。
今は、正体の分からないものに満たされていくこの感覚に酔ってしまいそう。
レヴェリルインは、橋の真ん中で立ち止まって、僕に振り向いた。
「どうした?」
「え!?」
「何か、言いたいことがあったんじゃないのか?」
「あ……」
僕、さっきまた、強くレヴェリルインを呼んじゃったんだ。
途端に襲ってくる、激しい罪悪感。心から仕えたいって、そう思っているのは確かなのに。それだけは間違いないはずなのに、どうしても抑えきれない。
「あ、あの……」
どうしよう。急に呼びたくなって呼んじゃっただけだから、用なんかない。
だけど、こんな感情を持っていること、レヴェリルインにだけは悟られたくない。
じゃあ、何か言わなきゃ。
「えっと……あの…………あの……こ、今度、馬車で……僕を……と、隣に置いて、くれませんか……?」
「隣? 俺の隣にか?」
レヴェリルインに聞き返されて、僕は正気に戻った。
何言ってるんだ僕っ……! こんなこと言うはずじゃなかった。他に言うことあるだろ! 例えば、この先街に入ってどうするのか、とか!! 御者台に座ったって、僕は何もできないのに!
だけどレヴェリルインは微笑んで、僕の頭を撫でてくれる。
「街の中に入ったら、目立つ馬車は使えない」
「え……」
「歩いてギルドへ行く。お前のことは俺が連れていく。離れるなよ」
「は、はい!」
嬉しい……レヴェリルインの隣にいられるんだ。
レヴェリルインは、いつも優しい。いつもこうして、僕を気遣ってくれる。それなのに、こんなんじゃ、嫌われてしまうかも知れない。しっかりしろ。僕は従者なんだから。こんな優しい人を困らせちゃいけないんだ。
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