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28.僕には絶対にできないこと
しおりを挟む僕は、彼の体をありったけの魔力で治療してから、彼を置いて、気絶していたさっきの男を蹴り飛ばした。
「起きて」
「う、ぐ……ひ、ひいっ!!」
目を覚ました男は、僕の顔を見るなり真っ青になって、僕から逃げようとする。けれど、さっきのダメージがまだ残っているらしく、ろくに動けないでいる。
よくこれでオーイレールを捕まえられたものだ。どうせ油断していた彼に、大勢で襲い掛かったんだろう。
「フュイアルさんのところ、連れて行って。今度こそ確実に。嫌だというなら、連れて行くまで切り刻む」
「わ、分かった……つ、連れていくからっ!! な、何もしないでくれ!!」
突然情けなくなったその男は、僕を地下へ向かう階段に連れて行った。
もう抵抗する意思はないらしく、僕が言ったとおりに、フュイアルさんがいるところを目指しているようだ。
男は、さっきまであれだけ偉そうに踏ん反り返っていたくせに、今は腹をおさえて背中を丸めながら、階段を降りていく。
階下の奥から、じゃらじゃらと、鎖が揺れるような、不気味な音が聞こえてきた。
「な、なんだ……? なんだ?! なんだこの音は!!」
急に怯えて喚き出す男の頭を魔法で焼いてやる。すると、そいつはますます大声で泣き喚いて、僕の案内を続けた。
廊下の先にあった扉を、男は震えながら開く。そしてすぐに、悲鳴を上げた。
部屋の中は、血塗れだった。
「ひっ……ひいいいっ…………ち、血がっ…………!!」
腰が抜けたのか、そいつは床に尻餅をついて、部屋中に広がるものから逃げようと、後退していく。
その部屋は、多分、屋敷の主が使っていた部屋なんだろう。豪華な調度品や美術品が並んでいる。
けれど今は、それらには血が飛び散り、美しい壁紙や天井まで赤く染まっている。
部屋を照らす照明が、チカチカと壊れたように、点滅を繰り返していた。
その下の床に、下半身が吹き飛んでなくなった死体が転がっている。それ以外にも、腕だの足だのが散らばっているようだ。
部屋の惨状を見て、僕を連れてきた男はパニックを起こしたのか、かすれた声で叫んだ。
「な、なんで……なんでっ……こんなことにっ……!! あ、あいつ、諦めたんじゃなかったのか!?」
「諦めた? どういうこと?」
「仲間返してやるから来いって言ったら……お、おとなしくするから仲間返せって…………」
それって、フュイアルさんのことか?
じゃあ、フュイアルさんを捕まえてつれてきたんじゃなくて、暴れるフュイアルさんを、仲間を盾に脅してついてきてもらっただけか。
多分こいつは、フュイアルさんが大勢に囲まれて降参したなんて勘違いしてたんだろう。そんなことで、あのフュイアルさんが白旗を振るはずないのに。
「お前さあ……何期待だけさせてんの?」
僕の魔法が、そいつをふっとばして、倒れたそいつは動かなくなる。
奥から、まだ物音がした。誰かいるんだ。
血で濡れた床を通って、さらに奥にあった扉を開くと、そこには、何もなかった。
多分、こうなる前は家具なんかも置いてあったんだろうけど、なにもない。
床に死体が転がっているだけだ。
部屋の中央には、まだ生きている人がいた。仰向けに倒れ、怯えて震えているその男の胸を、フュイアルさんが踏みつけている。
「ひっ……ひいいいっ…………! も、もうっ……許してくれっ……!」
「は? なんで許さなきゃならないの?」
冷徹な笑顔で言ったフュイアルさんが足を離すと、床から無数の鎖が集まったものが飛び出し、そいつの体を突き抜け、天井に突き刺さる。鎖の杭に串刺しにされた男は、声を出せなくなった口をパクパク動かして、血を吐きながら絶命した。
あの鎖の魔法、人を殺すくらいの威力があったのか。
フュイアルさんは、頭から浴びたそいつの血を魔法で吹き消して、いつもは見せない無表情で、僕に振り向いた。
「トラシュ……せっかく置いてきたのに、ついてきたの?」
「……向こうにオーイレールがいる。早く来い」
「案内して」
すぐに答えて、フュイアルさんは僕の前を歩いていく。
僕も、そいつについて部屋を出て行こうとした。
頭が落ち着かない。ぐちゃぐちゃになった頭では、背後から襲ってくる奴に気付けなかった。
振り向こうとした時には、僕に迫っていた男が、長剣を振りかざしていた。こいつ、僕のマンションに飛び込んできたあの魔族の男だ。
そいつの剣先は、僕ではなく、僕を突き飛ばして庇ったフュイアルさんの肩を大きく切り裂く。
飛び退くフュイアルさんを追って、目にも止まらぬ速さで振り下ろされた敵の剣は、途中からどろっと、チョコレートのように溶け、辺りに飛び散った。
それを振り下ろしていた魔族の男も、もう胸より上が溶けてなくなっている。体の半分が溶けた死体が、ごろんと床に転がった。
襲ってきた男を一瞬で溶かして倒したフュイアルさんは、何事もなかったかのように、僕に振り向く。
「行くよ。トラシュ」
そいつの肩には、僕を庇った時にできた大きな傷があって、そこからずっと血が流れている。その血を魔法で止めて、フュイアルさんは、また無言で僕に背を向けた。
本当に、この人には、なんでもないことなんだ。
そうやって、怪我を治すことも。さっきの敵から僕を庇うことも。
僕では、オーイレールを回復してやることができなかった。
僕があの魔族の相手をしていたら、かなり手こずったはず。もしかしたら、勝てなかったかもしれない。あいつが僕に近づいてきた時に、それくらいの魔力を感じた。
それなのに、フュイアルさんは、そんな相手を一瞬で倒して、僕のことも庇うくらい余裕がある。
僕には絶対にできないことが、フュイアルさんには、簡単にできてしまうんだ。
腹の中に、また嫌なものがたぎる。
フュイアルさんの後ろ姿が、ひどく憎く思えた。
僕は絶対に、この人に敵わない。
だからこの人は、こうやって平気で、僕に背を向ける。僕がこの人のことを、殺したいほど憎んでいることを知りながら。
その後ろ姿に向かって、僕は魔法で作り出した短剣を握り、切り掛かった。
不意打ちの一撃は、いとも簡単に受け止められ、凍るような目で睨まれ、殴り飛ばされる。
壁まで吹っ飛んだ僕は、そこにめり込むほどに叩きつけられ、床に落ちた。
倒れた体が動かない。頭から血が流れている。
何をやっても、これが僕とフュイアルさんの力の差なんだ。
フュイアルさんは、冷たい目をして僕に近づいてくる。
「トラシュ……こんなときにふざけるな。回復してやるから、すぐにオーイレールのところまで案内しろ」
「………………うるさい……」
「なに?」
「うるさい!! 知らないよ! あんな奴!! 今頃死んでるだろ!!!!」
「……どういうこと? お前まさか、捕まったあいつを無視してここまできたのか?」
「ああそうだよ!! 文句あるかよ!! どうでもいいんだよ!! あんなやつ!!」
「……本気で言ってるのか?」
「本気だ!! お前がいるから! 僕はひどくイライラするんだ!!
全部、この男がそばにいるせいだ。
怒りに任せて起き上がり、再び斬りかかるけど、迷いが頭を支配している状態で勝てるような相手じゃない。
僕は思い切り殴り倒されてしまう。
動けない僕を、フュイアルさんは無言で担ぎ上げ、部屋を出た。
すると、階段を誰かが降りてくる。まだ傷だらけのままのオーイレールだった。
「オーイレール……? 無事だったのか!!」
駆け寄るフュイアルさんに、オーイレールは弱々しく笑う。
「なんとかな……トラシュが助けてくれたんだ?」
「……トラシュが?」
「ああ。そいつ、どうしたんだ? あいつらにやられたのか?」
「あー……いや、そういうわけじゃないんだけど……」
決まり悪そうに言って、フュイアルさんは僕を担ぎ直す。
……なんで今、オーイレールが来るんだ。
フュイアルさんが、オーイレールの体を魔法で癒すと、彼の傷はすぐに塞がった。
オーイレールは伸びをして、わざわざ僕に振り向く。
「ありがとうな。トラシュ」
「別に……僕、何にもしてないし…………」
「そんなことないだろ。俺を助けてくれたじゃないか。小せえくせに俺を担ごうとして、重かっただろ? 転んだところ、大丈夫か?」
「う、うるさい!! なんのことだよ!!」
なんでオーイレールって、こういう時に気が利かないんだ。
焦り始めた僕に、フュイアルさんはからかうように言った。
「見捨てたんじゃなかったの?」
「……」
「初めてじゃない? トラシュがそんなことするの。仲間助けるなんて、前はしなかったのに」
「うるさいっ!! 放って置いてよかったのに……なぜかそうしちゃって……なんで…………全部お前のせいだからな!! なんかイライラするんだよっ!! 最近……ずっと…………」
だんだん言葉も掠れていく。
僕は、フュイアルさんに勝てればそれでよかった。盗賊のことも、奴らがしてきたことも、どうでもいい。盗賊の被害に遭ったのは同僚で、僕じゃないんだから、少し前までなら、なんとも思わなかったはずだ。
フュイアルさんなんかに助けを求めたり、自分でも恋人でもない人を助けたり、少し前までの僕ならしなかったし、ここへ来たって、なにも感じなかったはずなのに、なんで僕、こんなことして、こんなにイライラしているんだろう。
訳が分からなくて混乱する僕の頭を、フュイアルは微笑んで撫で始める。
「殴ってごめんねー。痛かった?」
「うるさいっ……あんなの痛くも痒くもない!! 撫でるな!!」
「いい子のくせに悪ぶったの? 可愛い」
「はあ!? うるせーよ!! 気持ち悪!! おろせ!!!! 一人で歩く!!」
「なに言ってるの。元気なふりして、本当は動くの辛いくせに。俺の本気の一撃二回も喰らって、トラシュがすぐに歩けるわけないだろ」
「うるさーーいっ!! 離せーーっっ!!」
暴れようとしても、ムカつくことにフュイアルさんの言うことは本当で、まともに体が動かない。
オーイレールまで、僕の顔を覗き込んで笑った。
「俺は初めて会った頃のトラシュも好きだったんだけどなー」
「好き? これは俺のものだ。手を出すなよ」
訳のわからないことを言うフュイアルさんに、オーイレールは「出してねーよ」と微笑みながら言って、僕と目を合わせてくる。すぐに顔をそむけたのに、そいつまで僕の頭を撫で回し始めた。
なんだこいつ! やっぱり助けるんじゃなかった!! なんで僕、こんな奴助けたんだ!! 僕の馬鹿!!
暴れたくても、僕はまともに動けない。頬を殴られたせいか、口までうまく動かない。そのまま頭を撫でられたり、頬を触られたりしながら、二人に連れて行かれるしかなかった。
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