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綾人が目を見開いて葵の方を見ている。葵はまた服の袖で真っ赤になった顔を覆って考えた。
(ど、どうしてバレたんだろう??顔に出てた…?だったらもう綾人さんの前に顔出せない…!)
「あお…?それってどういう意味?」
綾人が真剣な顔で尋ねるが、葵は袖で顔を覆って綾人を見ないまま焦って返事をした。
「す、すみません、何でもないです…」
「何でもないって…そんなことないでしょ…なら俺から聞くね。あおは、俺のことが好き?」
「…」
「あお、俺はあおのこと好きだよ。お試しじゃなくて、ちゃんとパートナーになりたいと思ってる。」
「ううぅ……」
「…あおは俺のことどう思ってる?教えて。」
「ぼくは……に……ですっ…」
「…あお、顔おおったままだとよく聞こえないから顔見せて?」
「うぅ~…」
「あお、こっち見て。"Look"」
綾人のコマンドに反応して葵が手を顔の前からどける。
「ひっく、うぅっ、」
「え!あお?!」
手をどかせると葵が顔を赤らめながら泣いていて、綾人がぎょっとした。
「ごめんね、コマンドはまだ嫌だった…?」
綾人が服の袖で葵の涙をぬぐいながら言った。あんなことがあったばかりだし、まだコマンドは使わない方がよかったかと反省していると葵が幼い子のようにふるふると首を振って答えた。
「ちがいます…あやとさんからだったらいつでも嫌じゃない…。そうじゃなくて……」
泣きながら可愛いことを言う葵に、伝えたいことがよく分からない綾人は困惑した。
「違うの?…怪我が痛くなってきた?」
綾人が心配そうに優しく問いかけたが、葵はまた首を振る。
「それは、あやとさんが治療してくれたから、だいじょうぶです……ひっく…そうじゃなくて、あの、僕も、あやとさんのこと、好きなんです…。」
「え?そ、そうなの?それはうれしいけど…じゃあ、何で泣いてるの?」
先ほど綾人も葵に告白して、葵も綾人が好きだと言う。まさかうれし涙というわけでもなさそうだし…考えても泣く要素が見当たらない。
「うぅっ……あやとさんが、パートナーになりたいって言うからです…」
「…パートナーにはなりたくないってこと?」
両想いだけれどパートナーにはなりたくないということだろうか、と葵の言っていることの意味を考えながら葵の言葉を待った。
「うぅ、パートナーにもなりたいです、でも……」
「でも?」
「……僕は、あやとさんと恋人になりたいんですっ!」
言い切ると葵がますます涙を溢れさせた。目の前でぽろぽろ泣く葵の放った言葉に綾人は思考が停止した。
(言っちゃった……やっぱりパートナーにも恋人にもなりたいって言うのは迷惑だったかな…?いや、でももう綾人さんに他に恋人がいるままパートナーを続けるなんて…)
「…パートナーになりたいけど、綾人さんに他に恋人がいるのはいやです……ワガママなのは分かってるんですけど、」
「あお、」
「でも、僕は綾人さんを恋愛の意味で好きなんです!綾人さんに恋人がいるのにパートナーは続けられないです…すみません…」
「…あお、待って。なんでそんな話になってるの?俺に恋人はいないし、なんなら俺もあおに恋人になってほしいと思ってるんだけど。」
「……へ?」
葵が驚いて涙を止めて綾人を見た。
「俺も、恋愛感情であおが好きだよ。」
「え?う、嘘…」
「嘘じゃない。…あお、俺の恋人になってくれる?」
もちろんパートナーもね、と言う綾人に葵がまた目に涙をため、顔を歪めながらながら否定する。
「……そんな嘘、吐かないでください…本気にしちゃう。」
「本気にしてもらわないと困るよ…なんでそんなに疑うの?」
「…だって、あやとさん、言ったじゃないですか…。」
「何を?」
「…………パートナーと恋人は別、って…」
「え?」
「初めて会ったときに、パートナーと恋人は別に考えるタイプだって、言ったじゃないですか……!」
「……」
綾人は葵の言う、初めて会ったときに自分が言ったというセリフを思いおこす。ぐっと眉根を寄せてしばらく考えた綾人は、ひとつ思い当たったことを口に出した。
「あおにお試しのパートナー申し込んだときのこと…?」
「…はい。」
返ってきた肯定の返事に綾人は、はあ…とため息を吐いた。
「ごめん、あお。勘違いしてる。俺は確かにあの時パートナーと恋人は別に考えるって言ったけど、それは、何て言うか……」
「…?どういうことですか?」
「…あ”ーー、俺めっちゃかっこ悪い。…そのね、どうしてもパートナーになってほしくて、別に今は好きじゃなくてもいいよっていう意味だったっていうか…。…正直、始めから、とりあえずパートナーになってもらって追々恋人にもなってもらったらいいかって思ってたんだよね…」
「…つまり?」
「俺は始めからずっとあおのことが好きってこと。」
綾人が珍しく少し照れながらそう言ったので、葵はびっくりして目を見開いた。
「え……そうだったんですか?」
「そうだったんですよね…。」
綾人は未だ照れている様子で、敬語で返してくる。その様子を見て嘘をついている風には感じられず、葵は自分の体温が急上昇するのを感じた。
「ぅ、え、じゃあ僕たち…両想い?」
「…うん。…あお、恋人にもなってくれる?」
「え、ぁ、は、はい…」
「…じゃあこれで、正式にパートナー兼恋人だね?」
葵は突然我が身に降りかかってきた幸福に呆然とした。
(え…こんな一気に幸せになっていいものなのかな……?)
「これからも、よろしくね、あお。」
「…こちらこそ、よろしくお願いします…。」
辛うじてそれだけ返した葵は、隣に座っていた綾人にそっと抱きしめられた。
「嘘みたいに幸せ……。あお、俺のこと好きになってくれてありがとう。」
葵を抱きしめたまま綾人が言う。
「…それは僕のセリフです……」
綾人を抱きしめ返しながら葵が小さな声でしみじみと言った。
(本当に、綾人さんと両想いなんだ……)
葵と綾人はいつか見た映画のように、たった一言ですれ違っていただけらしい。葵は喜びに浸っていたが、あることを思い出して体をばっ、と離した。
「…あお?痛かった?」
「違います、あの、ピアス!」
「ピアス?」
「綾人さん、映画見に行ったときプレゼントにピアス選んでたでしょう?あれ、恋人さんか、好きな人への贈り物じゃなかったんですか…?」
葵はさすがにもう疑ってはいないが、不安に思っていたことのひとつを口に出してしまった。
「………」
(つい聞いちゃったけど、聞かなかった方がよかったかな…?)
よく考えれば、別にピアスを贈るくらい家族や友人でもあるかもしれない。
(いや…それにしては真剣に選んでたし…オーダーメイドだし……それにピアスを送る意味って…)
『いつでも身近に感じてほしい』『独占欲』『束縛』
葵は営業をしていると付き合いで贈り物をしたりもらったりする機会が多い。そこで顔がいいのにあまり自覚がないことを心配した友人から、アクセサリーの贈り物には注意しろと言われていた。その友人に教えてもらったピアスを送る意味はそのような感じだった。その友人いわく、
『葵は男にモテるからなあ…。アクセサリーを送ってくる男は大体何か考えてると思うよ。女子同士なら普通にプレゼントしたりするけど、男がアクセサリーわざわざあげるって、あんまないから。』
ということらしい。友人とは最近あまり会えていないが、優しい友人だ。そんな彼が言うなら間違いはないだろう。
(綾人さんがピアスを贈る意味を知らなかったとしても、アクセサリーを贈る相手がいるってことは大切な相手がいるってことだよな…)
葵はやや上にある綾人の顔を窺い見た。綾人と目があって、難しい顔をしていた綾人がとうとう口を開いた。
「…あれはね、あおのなんだよ。」
「へ?」
「……言いたくなかったんだけど、またあおが変な心配しても嫌だしな…。あお、あの時映画見て『恋人がほしい』って言ったでしょ?」
「…そういえば、言いましたね。」
実際は半分本当で半分嘘だったのだが、今はそれはいいだろう。
「それ聞いて、俺は眼中にないんだなって思って、でもあおが誰かと恋人になるとか考えたくもないし。そのときにあおにピアス穴開いてるの思い出して、俺が送ったピアス着けてくれれば牽制になるかなあって」
それで気づいたらピアス探してて、いつの間にか熱が入っちゃって、オーダーメイドのピアス頼んでた、と言いながらしゅんとする綾人に、葵はまた目を見開かせた。今日は珍しい綾人がたくさん見れる日らしい。
「……ふふ、あやとさん、かわいいですね。」
「…あんまり嬉しくない。」
「ふふ、あはは、それでそのピアスどうしたんですか?」
「そんなに笑わないでよ…仕上がったらしいけどまだ取りに行ってない。」
「そうなんですか。」
「…どうせだったら本当にあおにあげるよ。今度一緒に取りに行こう。」
「そうですね。」
葵が頬を緩めて笑う。
(幸せ過ぎて、顔が緩んで止まらない…。)
「ほら、もう今日は薬飲んで寝よう。俺も横で一緒に寝るから。」
「分かりました。」
綾人が葵の額に手を当て、首を触り、体温と脈を確認する。
「発熱はなさそうだね。もう一回聞くけど、頭痛、腹痛、めまい、吐き気とか、ない?」
「大丈夫ですよ、心配しすぎです。」
「大丈夫ならいいけど…心配しすぎじゃないからね、本当にこのくらい心配になるほどの怪我だから。」
医者の言うことは聞いときなさい、と言いながら綾人が葵に薬と水の入ったコップを差し出し、葵がそれを躊躇なく飲んだ。
「夜中でも痛いとかしんどいとかあったら言ってね。言わずにあおが横で我慢してる方が嫌だから。」
「…はい。」
そうして、歩けると言った葵を綾人が無視して抱えあげ、危ないからと注意されて観念して大人しくなった葵は綾人と共に寝室に入り、ベッドに寝かされた。
「まあ、俺は天才ドクターだから何もないと思うよ。安心して寝な。」
綾人が葵に布団を掛けながら冗談めかして言った。
「ふふ、…そうですね、何も心配ないです。」
「ふふふ、でしょ。」
「…あやとさん、今日はいろいろ、ありがとう、ございました…」
「…どういたしまして。あお、眠いならこのまま寝ちゃいな。」
「ん…そうですね。」
「おやすみ、あお。」
「おやすみなさい…。」
疲れていたのか、すぐに寝息が聞こえてきた。綾人はそれを見守り、スマホを開いた。晴臣からメッセージが入っている。
『やはり所持していたのはお前の言ったとおりの薬だった。認可されてないやつだったからこいつも余罪に上乗せしといたし、かなり重い罪になりそうだ。少なくとも医者としては確実に終わりだな。まあ、もう廃人寸前だったからあんま関係無さそうだけどな。』
晴臣からのメッセージにありがとう、とだけ返して綾人はスマホを置き、葵の頬の痛々しい傷跡をそっと撫でた。葵にはああ言ったが、綾人は今晩眠るつもりはなかった。夜勤などで体は慣れているし、なにより葵が心配で寝られそうにない。
(行くのが遅くなってごめんね、あお…)
葵と正式なパートナー兼恋人になれたのは綾人にとっても嬉しいことだが、それよりも今は葵を危険な目にあわせた後悔の方が大きい。
(早いとこいろいろ準備しないとな…)
「んん…」
綾人がひとり今後のことを考えていると、隣で葵が唸った。
(やっぱり痛むのかな…)
綾人が葵の頭を撫でた。
「ん…あやとさん…」
「え…?」
「すき…」
「~~~ッ!」
葵が綾人の頭を撫でる手にすり寄りながらそう言い、綾人は悶えた。もともと眠る気はなかったが、綾人はますます眠れなくなった。そうして2人にとって忘れられない日となった夜は、更けていったのだ。
「んんん…」
葵が目を覚ますと頭に誰かの温かい手が乗っていた。
「…あやとさん?」
「おはよう、あお。」
「おはようございます…。」
葵が目をぱちぱち瞬かせて頭を覚醒させながら応えた。綾人がペットボトルを開けて水を差し出しながら尋ねる。
「体調どう?」
渡された水を飲んで頭をすっきりさせて考えた。体調は問題なかったが、いつもより些か頭の動きが鈍い気がした。
「…だいじょうぶです。」
「ちょっとぼんやりしてるね、熱計っておこうか。」
綾人に差し出された体温計で熱を計る。計り終えた体温計を綾人に差し出すと、綾人が顔をしかめた。
「少し熱があるね、微熱だけど。怪我の影響かな。ホルモンバランスは見た感じ大丈夫そうだけど、何かおかしなところある?」
「だいじょうぶ、だと思います。……あ、」
「ん?どうかした?」
「いや、あの、なんでもないです。」
「…小さな違和感とかでも大事に繋がることもあるから、どんなことでもいいから気になることあったら言って。」
「ほんと、違和感とかそういうんじゃないんです……ごめんなさい。」
(まずい、熱で頭がぼんやりしていらないことを言いかけた…!)
「そういうんじゃないの?…じゃあ、パートナーか、もしくは恋人としてのこと?」
「え、」
「図星?」
「……」
「何でもしてあげるよ。言ってごらん、あお。」
「う”…」
冷静な判断能力を失っている頭が綾人の魅力的な言葉に魅かれる。それでも黙っていると、綾人からコマンドが飛んできた。
「あお、言わなきゃ分かんないよ。教えて、"Say"」
「………いっぱい、甘やかしてほしいなって…。」
綾人がきょとんとして固まった。
「……」
そして、力加減をしながらもがばっと葵を抱きしめた。
「かわいい……そんなことだったらいつでも言ってよ、俺はいつでもあおを甘やかしたいんだから。」
「ううぅ…恥ずかしいです…」
「ふふ、俺は嬉しいよ。あおが俺に甘えてくれて。」
「僕、甘えすぎじゃないですか?昨日からお世話になりっぱなしですし…」
「全然そんなことないよ、俺はもっと甘えてほしいぐらい。」
「綾人さんといたら無限に甘えそうで怖いです…」
「俺は大歓迎だけどね。」
葵は恥ずかしくて言ってからも後悔したが、綾人が上機嫌そうなのでまあいいか、と体から力を抜き、綾人が抱きしめながら撫でてくるのに素直に甘えた。
「そうだ。あお、食欲はある?」
しばらく綾人に撫でられていると、優しい声で聞かれた。
「そうですね…あんまり食べられないかもですけど、何か食べたいです。」
「そっか。さっきたまご粥作ったんだけど、食べれそう?無理そうだったら果物とかもあるけど。」
「え!綾人さんが作ってくれたんですか?」
「うん、一応ね。簡単なものなら作れるから、味は大丈夫だよ。」
「食べたいです!」
葵は綾人の手作りと聞いて、俄然食欲が出てきた。
(あやとさんの手作り…!料理手伝ってくれるから全くできない訳ではないんだろうなと思ってたけど、手料理は食べたことない…!)
「そっか。ならまだ冷めてないと思うから、持ってくるね。」
ちょっと待ってて、と行って部屋を出て行った綾人を見つめながら葵は手で熱が集まる頬を押さえた。
(あやとさん、今までも甘やかしてくれたけど、顔も声も優しすぎて……恋人になったから?なんか、照れる……)
葵が今までも以上に甘々な綾人に布団を被って悶絶していると、綾人がお粥と水、薬を小さなお盆にのせて部屋に入ってきた?
「あお、何してるの?しんどい?」
お盆をサイドテーブルに置いて心配そうに葵に問いかける綾人に、慌てて布団から顔を出した。
「だ、大丈夫です。」
「…ちょっと顔赤い?」
「えっ、これは…その、何でもないです…。」
「ほんと?」
なおも心配そうに葵の前髪をあげ、目を見ながら言ってくる綾人に葵が観念して口を開いた。
「~っ、その、照れてる、だけなので。」
「照れてる?何で?」
「うーっ、その、あやとさん、甘過ぎません?」
「なにが?」
「声とか、表情とか。」
「そう?…まあ、あおが好きっていうのを隠さなくても良くなったからかもね。」
「……」
微笑みながら嬉しそうに言う綾人に葵は頬にさらに熱くなるのを感じて押し黙った。
(またそういうことをさらっと…)
「ふふ、じゃあ甘々ついでに食べさせてあげる。ほら、ちゃんと座って。」
「ええっ?!いいですよ、そんな!自分で食べられます。」
「いいから、ほら。」
そう言ってお粥をスプーンで掬って、わざわざふーふーして冷まして差し出してくる綾人は、どこかでスイッチが入ったらしくいたずらっぽい笑みを浮かべている。
(これ、もう絶対このまま食べさせられるやつだ…)
葵は恥ずかしいながらも覚悟を決めて口を開いた。
「ん…おいしいです!」
「よかった。」
スプーンを口に入れられた瞬間、優しい味がふわっと広がり葵は思わず口に出していた。綾人がそれに嬉しそうに微笑み、二口目を差し出す。
「これ、餌付けしてるみたいで楽しいね。」
「餌付けって…楽しいならよかったです。」
「うん、俺好きな子甘やかしたいタイプだから楽しい。」
「~~っ…」
こうして葵は結局最後の一口まで綾人の手から食べさせられたのだった。
それからすぐに熱は下がったが、葵はその日から一週間は仕事を休んだ。やや倦怠感がある程度だったので葵は普通に出勤するつもりだったが、綾人から「ダイナミクス犯罪に巻き込まれたって、ほんとは入院するかどうかって所の事だからね?怪我もあるし、一週間の休みでは足りないくらいだよ。」とドクターストップが出て、会社に連絡されたのだ。そんな急に一週間も休みなんて…と心配したが、高名な医者がダイナミクス犯罪の犯人として逮捕されたあの事件は小さなニュースになっており、それに巻き込まれたと話すと許可が下りたらしい。
――――実際はその話をしても会社の方は一週間なんて無理だ、だとか、大袈裟だ、だとかいちゃもんつけて拒否してきて、綾人が「そういえば、先程は水城くんのパートナーと申しましたが、いつも私もお仕事でお世話になっております。え?ああ、すみません、名乗っていませんでしたね。神木綾人です。それで、彼を診たのもその上で休ませようとしているのも、私なのですけれど…」と名前を出した途端、電話の向こうの、綾人の病院への営業を担当する上司が椅子から崩れ落ち、慌てて取り繕って許可を出したのだが。それは葵の知らないところで行われたやり取りだ。
そのため、休みの許可というか、普通に一週間の有給が出たので葵もありがたく休ませてもらった。そしてその一週間は、綾人が心配だから家にいてほしいというので葵も綾人の家でお世話になった。やはり怪我のせいで動きづらいし、包帯の巻き直しも大変だし、さらに側にいてくれる恋人はお医者さん、と葵としてはありがたいお誘いだった。…まあ、なんだかんだ言っても、なにより綾人が側にいてくれるのが一番嬉しかったのだが。
綾人も始めの3日は休んでいたのだが、葵が「僕は体調も大丈夫ですし、動けないほどでもないので、綾人さんはお仕事行ってください。僕は家で待ってますから。」と言うと、「…それは、確かに、新婚さんみたいでいいね。」とか言って次の日からは仕事に行った。それでも早めに帰ってきてくれる綾人を葵は家で家事をして待っていた。綾人はそんなことしなくていいと言っていたが、葵は家事が好きなので気分転換にもなるし、綾人と同じように新婚の気分を味わっていたのでむしろ進んでやった。綾人は1週間の間、家事にしろ何にしろ、何かにつけて褒めてくれたし、怪我を気づかっていつもより甘やかしてくれたし、恋人になって隠さなくなった好意を思う存分に、言葉でも行動でも伝えてきた。こうして葵は、初日に甘やかしてほしいと言ったことを若干後悔するほどの甘々な一週間を過ごしたのだ。
「本当に、長いことお世話になりました。」
「もっといてほしいくらいだよ。ほんとにもう大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です。それに、これ以上は迷惑かけられません。」
「恋人とずっと一緒にいれて、俺は楽しかったよ?」
「う、……それは僕もです…。」
「でしょ?いっそこのまま一緒に住んじゃう?」
「…でも、仕事もありますし…。」
「……寂しいなあ、帰したくない。」
「…またお休み被ったら泊まりに来ますから。」
「…そうだね。」
1週間で体調も回復し、怪我も痛み止めを飲めば問題なく過ごせるほどになり葵は仕事に復帰すると共に、自宅へ帰ることにした。朝、綾人に惜しまれながらも出勤の支度をして家を出た。職場では何故かいつもあまり関わりのない上司がやたらと親しげに話しかけてきたが、休み明けだからかと思い社交辞令で返した。
休みの間に仕事はかなり溜まっていたが、その日は無理しない程度に仕事をこなして葵は家に帰った。
久しぶりの自宅は、前と変わっていないはずなのに何故だか少し寂しく感じた。
(もうちゃんとcareもしてもらったし、安定してるはずなんだけど……ずっと綾人さんと一緒にいたからかな、もう会いたくなってきた…)
ネクタイをはずしながらそんなことを思う葵は、まだ家に帰って1日目なのにもう次に綾人に会えるときのことを考えていた。
(なんだか、綾人さんに甘やかされすぎて、欲張りになっちゃった気がする…)
そう思いながらもついついカレンダーのさっきつけたばかりの丸のある日を眺めてしまう葵だった。
(ど、どうしてバレたんだろう??顔に出てた…?だったらもう綾人さんの前に顔出せない…!)
「あお…?それってどういう意味?」
綾人が真剣な顔で尋ねるが、葵は袖で顔を覆って綾人を見ないまま焦って返事をした。
「す、すみません、何でもないです…」
「何でもないって…そんなことないでしょ…なら俺から聞くね。あおは、俺のことが好き?」
「…」
「あお、俺はあおのこと好きだよ。お試しじゃなくて、ちゃんとパートナーになりたいと思ってる。」
「ううぅ……」
「…あおは俺のことどう思ってる?教えて。」
「ぼくは……に……ですっ…」
「…あお、顔おおったままだとよく聞こえないから顔見せて?」
「うぅ~…」
「あお、こっち見て。"Look"」
綾人のコマンドに反応して葵が手を顔の前からどける。
「ひっく、うぅっ、」
「え!あお?!」
手をどかせると葵が顔を赤らめながら泣いていて、綾人がぎょっとした。
「ごめんね、コマンドはまだ嫌だった…?」
綾人が服の袖で葵の涙をぬぐいながら言った。あんなことがあったばかりだし、まだコマンドは使わない方がよかったかと反省していると葵が幼い子のようにふるふると首を振って答えた。
「ちがいます…あやとさんからだったらいつでも嫌じゃない…。そうじゃなくて……」
泣きながら可愛いことを言う葵に、伝えたいことがよく分からない綾人は困惑した。
「違うの?…怪我が痛くなってきた?」
綾人が心配そうに優しく問いかけたが、葵はまた首を振る。
「それは、あやとさんが治療してくれたから、だいじょうぶです……ひっく…そうじゃなくて、あの、僕も、あやとさんのこと、好きなんです…。」
「え?そ、そうなの?それはうれしいけど…じゃあ、何で泣いてるの?」
先ほど綾人も葵に告白して、葵も綾人が好きだと言う。まさかうれし涙というわけでもなさそうだし…考えても泣く要素が見当たらない。
「うぅっ……あやとさんが、パートナーになりたいって言うからです…」
「…パートナーにはなりたくないってこと?」
両想いだけれどパートナーにはなりたくないということだろうか、と葵の言っていることの意味を考えながら葵の言葉を待った。
「うぅ、パートナーにもなりたいです、でも……」
「でも?」
「……僕は、あやとさんと恋人になりたいんですっ!」
言い切ると葵がますます涙を溢れさせた。目の前でぽろぽろ泣く葵の放った言葉に綾人は思考が停止した。
(言っちゃった……やっぱりパートナーにも恋人にもなりたいって言うのは迷惑だったかな…?いや、でももう綾人さんに他に恋人がいるままパートナーを続けるなんて…)
「…パートナーになりたいけど、綾人さんに他に恋人がいるのはいやです……ワガママなのは分かってるんですけど、」
「あお、」
「でも、僕は綾人さんを恋愛の意味で好きなんです!綾人さんに恋人がいるのにパートナーは続けられないです…すみません…」
「…あお、待って。なんでそんな話になってるの?俺に恋人はいないし、なんなら俺もあおに恋人になってほしいと思ってるんだけど。」
「……へ?」
葵が驚いて涙を止めて綾人を見た。
「俺も、恋愛感情であおが好きだよ。」
「え?う、嘘…」
「嘘じゃない。…あお、俺の恋人になってくれる?」
もちろんパートナーもね、と言う綾人に葵がまた目に涙をため、顔を歪めながらながら否定する。
「……そんな嘘、吐かないでください…本気にしちゃう。」
「本気にしてもらわないと困るよ…なんでそんなに疑うの?」
「…だって、あやとさん、言ったじゃないですか…。」
「何を?」
「…………パートナーと恋人は別、って…」
「え?」
「初めて会ったときに、パートナーと恋人は別に考えるタイプだって、言ったじゃないですか……!」
「……」
綾人は葵の言う、初めて会ったときに自分が言ったというセリフを思いおこす。ぐっと眉根を寄せてしばらく考えた綾人は、ひとつ思い当たったことを口に出した。
「あおにお試しのパートナー申し込んだときのこと…?」
「…はい。」
返ってきた肯定の返事に綾人は、はあ…とため息を吐いた。
「ごめん、あお。勘違いしてる。俺は確かにあの時パートナーと恋人は別に考えるって言ったけど、それは、何て言うか……」
「…?どういうことですか?」
「…あ”ーー、俺めっちゃかっこ悪い。…そのね、どうしてもパートナーになってほしくて、別に今は好きじゃなくてもいいよっていう意味だったっていうか…。…正直、始めから、とりあえずパートナーになってもらって追々恋人にもなってもらったらいいかって思ってたんだよね…」
「…つまり?」
「俺は始めからずっとあおのことが好きってこと。」
綾人が珍しく少し照れながらそう言ったので、葵はびっくりして目を見開いた。
「え……そうだったんですか?」
「そうだったんですよね…。」
綾人は未だ照れている様子で、敬語で返してくる。その様子を見て嘘をついている風には感じられず、葵は自分の体温が急上昇するのを感じた。
「ぅ、え、じゃあ僕たち…両想い?」
「…うん。…あお、恋人にもなってくれる?」
「え、ぁ、は、はい…」
「…じゃあこれで、正式にパートナー兼恋人だね?」
葵は突然我が身に降りかかってきた幸福に呆然とした。
(え…こんな一気に幸せになっていいものなのかな……?)
「これからも、よろしくね、あお。」
「…こちらこそ、よろしくお願いします…。」
辛うじてそれだけ返した葵は、隣に座っていた綾人にそっと抱きしめられた。
「嘘みたいに幸せ……。あお、俺のこと好きになってくれてありがとう。」
葵を抱きしめたまま綾人が言う。
「…それは僕のセリフです……」
綾人を抱きしめ返しながら葵が小さな声でしみじみと言った。
(本当に、綾人さんと両想いなんだ……)
葵と綾人はいつか見た映画のように、たった一言ですれ違っていただけらしい。葵は喜びに浸っていたが、あることを思い出して体をばっ、と離した。
「…あお?痛かった?」
「違います、あの、ピアス!」
「ピアス?」
「綾人さん、映画見に行ったときプレゼントにピアス選んでたでしょう?あれ、恋人さんか、好きな人への贈り物じゃなかったんですか…?」
葵はさすがにもう疑ってはいないが、不安に思っていたことのひとつを口に出してしまった。
「………」
(つい聞いちゃったけど、聞かなかった方がよかったかな…?)
よく考えれば、別にピアスを贈るくらい家族や友人でもあるかもしれない。
(いや…それにしては真剣に選んでたし…オーダーメイドだし……それにピアスを送る意味って…)
『いつでも身近に感じてほしい』『独占欲』『束縛』
葵は営業をしていると付き合いで贈り物をしたりもらったりする機会が多い。そこで顔がいいのにあまり自覚がないことを心配した友人から、アクセサリーの贈り物には注意しろと言われていた。その友人に教えてもらったピアスを送る意味はそのような感じだった。その友人いわく、
『葵は男にモテるからなあ…。アクセサリーを送ってくる男は大体何か考えてると思うよ。女子同士なら普通にプレゼントしたりするけど、男がアクセサリーわざわざあげるって、あんまないから。』
ということらしい。友人とは最近あまり会えていないが、優しい友人だ。そんな彼が言うなら間違いはないだろう。
(綾人さんがピアスを贈る意味を知らなかったとしても、アクセサリーを贈る相手がいるってことは大切な相手がいるってことだよな…)
葵はやや上にある綾人の顔を窺い見た。綾人と目があって、難しい顔をしていた綾人がとうとう口を開いた。
「…あれはね、あおのなんだよ。」
「へ?」
「……言いたくなかったんだけど、またあおが変な心配しても嫌だしな…。あお、あの時映画見て『恋人がほしい』って言ったでしょ?」
「…そういえば、言いましたね。」
実際は半分本当で半分嘘だったのだが、今はそれはいいだろう。
「それ聞いて、俺は眼中にないんだなって思って、でもあおが誰かと恋人になるとか考えたくもないし。そのときにあおにピアス穴開いてるの思い出して、俺が送ったピアス着けてくれれば牽制になるかなあって」
それで気づいたらピアス探してて、いつの間にか熱が入っちゃって、オーダーメイドのピアス頼んでた、と言いながらしゅんとする綾人に、葵はまた目を見開かせた。今日は珍しい綾人がたくさん見れる日らしい。
「……ふふ、あやとさん、かわいいですね。」
「…あんまり嬉しくない。」
「ふふ、あはは、それでそのピアスどうしたんですか?」
「そんなに笑わないでよ…仕上がったらしいけどまだ取りに行ってない。」
「そうなんですか。」
「…どうせだったら本当にあおにあげるよ。今度一緒に取りに行こう。」
「そうですね。」
葵が頬を緩めて笑う。
(幸せ過ぎて、顔が緩んで止まらない…。)
「ほら、もう今日は薬飲んで寝よう。俺も横で一緒に寝るから。」
「分かりました。」
綾人が葵の額に手を当て、首を触り、体温と脈を確認する。
「発熱はなさそうだね。もう一回聞くけど、頭痛、腹痛、めまい、吐き気とか、ない?」
「大丈夫ですよ、心配しすぎです。」
「大丈夫ならいいけど…心配しすぎじゃないからね、本当にこのくらい心配になるほどの怪我だから。」
医者の言うことは聞いときなさい、と言いながら綾人が葵に薬と水の入ったコップを差し出し、葵がそれを躊躇なく飲んだ。
「夜中でも痛いとかしんどいとかあったら言ってね。言わずにあおが横で我慢してる方が嫌だから。」
「…はい。」
そうして、歩けると言った葵を綾人が無視して抱えあげ、危ないからと注意されて観念して大人しくなった葵は綾人と共に寝室に入り、ベッドに寝かされた。
「まあ、俺は天才ドクターだから何もないと思うよ。安心して寝な。」
綾人が葵に布団を掛けながら冗談めかして言った。
「ふふ、…そうですね、何も心配ないです。」
「ふふふ、でしょ。」
「…あやとさん、今日はいろいろ、ありがとう、ございました…」
「…どういたしまして。あお、眠いならこのまま寝ちゃいな。」
「ん…そうですね。」
「おやすみ、あお。」
「おやすみなさい…。」
疲れていたのか、すぐに寝息が聞こえてきた。綾人はそれを見守り、スマホを開いた。晴臣からメッセージが入っている。
『やはり所持していたのはお前の言ったとおりの薬だった。認可されてないやつだったからこいつも余罪に上乗せしといたし、かなり重い罪になりそうだ。少なくとも医者としては確実に終わりだな。まあ、もう廃人寸前だったからあんま関係無さそうだけどな。』
晴臣からのメッセージにありがとう、とだけ返して綾人はスマホを置き、葵の頬の痛々しい傷跡をそっと撫でた。葵にはああ言ったが、綾人は今晩眠るつもりはなかった。夜勤などで体は慣れているし、なにより葵が心配で寝られそうにない。
(行くのが遅くなってごめんね、あお…)
葵と正式なパートナー兼恋人になれたのは綾人にとっても嬉しいことだが、それよりも今は葵を危険な目にあわせた後悔の方が大きい。
(早いとこいろいろ準備しないとな…)
「んん…」
綾人がひとり今後のことを考えていると、隣で葵が唸った。
(やっぱり痛むのかな…)
綾人が葵の頭を撫でた。
「ん…あやとさん…」
「え…?」
「すき…」
「~~~ッ!」
葵が綾人の頭を撫でる手にすり寄りながらそう言い、綾人は悶えた。もともと眠る気はなかったが、綾人はますます眠れなくなった。そうして2人にとって忘れられない日となった夜は、更けていったのだ。
「んんん…」
葵が目を覚ますと頭に誰かの温かい手が乗っていた。
「…あやとさん?」
「おはよう、あお。」
「おはようございます…。」
葵が目をぱちぱち瞬かせて頭を覚醒させながら応えた。綾人がペットボトルを開けて水を差し出しながら尋ねる。
「体調どう?」
渡された水を飲んで頭をすっきりさせて考えた。体調は問題なかったが、いつもより些か頭の動きが鈍い気がした。
「…だいじょうぶです。」
「ちょっとぼんやりしてるね、熱計っておこうか。」
綾人に差し出された体温計で熱を計る。計り終えた体温計を綾人に差し出すと、綾人が顔をしかめた。
「少し熱があるね、微熱だけど。怪我の影響かな。ホルモンバランスは見た感じ大丈夫そうだけど、何かおかしなところある?」
「だいじょうぶ、だと思います。……あ、」
「ん?どうかした?」
「いや、あの、なんでもないです。」
「…小さな違和感とかでも大事に繋がることもあるから、どんなことでもいいから気になることあったら言って。」
「ほんと、違和感とかそういうんじゃないんです……ごめんなさい。」
(まずい、熱で頭がぼんやりしていらないことを言いかけた…!)
「そういうんじゃないの?…じゃあ、パートナーか、もしくは恋人としてのこと?」
「え、」
「図星?」
「……」
「何でもしてあげるよ。言ってごらん、あお。」
「う”…」
冷静な判断能力を失っている頭が綾人の魅力的な言葉に魅かれる。それでも黙っていると、綾人からコマンドが飛んできた。
「あお、言わなきゃ分かんないよ。教えて、"Say"」
「………いっぱい、甘やかしてほしいなって…。」
綾人がきょとんとして固まった。
「……」
そして、力加減をしながらもがばっと葵を抱きしめた。
「かわいい……そんなことだったらいつでも言ってよ、俺はいつでもあおを甘やかしたいんだから。」
「ううぅ…恥ずかしいです…」
「ふふ、俺は嬉しいよ。あおが俺に甘えてくれて。」
「僕、甘えすぎじゃないですか?昨日からお世話になりっぱなしですし…」
「全然そんなことないよ、俺はもっと甘えてほしいぐらい。」
「綾人さんといたら無限に甘えそうで怖いです…」
「俺は大歓迎だけどね。」
葵は恥ずかしくて言ってからも後悔したが、綾人が上機嫌そうなのでまあいいか、と体から力を抜き、綾人が抱きしめながら撫でてくるのに素直に甘えた。
「そうだ。あお、食欲はある?」
しばらく綾人に撫でられていると、優しい声で聞かれた。
「そうですね…あんまり食べられないかもですけど、何か食べたいです。」
「そっか。さっきたまご粥作ったんだけど、食べれそう?無理そうだったら果物とかもあるけど。」
「え!綾人さんが作ってくれたんですか?」
「うん、一応ね。簡単なものなら作れるから、味は大丈夫だよ。」
「食べたいです!」
葵は綾人の手作りと聞いて、俄然食欲が出てきた。
(あやとさんの手作り…!料理手伝ってくれるから全くできない訳ではないんだろうなと思ってたけど、手料理は食べたことない…!)
「そっか。ならまだ冷めてないと思うから、持ってくるね。」
ちょっと待ってて、と行って部屋を出て行った綾人を見つめながら葵は手で熱が集まる頬を押さえた。
(あやとさん、今までも甘やかしてくれたけど、顔も声も優しすぎて……恋人になったから?なんか、照れる……)
葵が今までも以上に甘々な綾人に布団を被って悶絶していると、綾人がお粥と水、薬を小さなお盆にのせて部屋に入ってきた?
「あお、何してるの?しんどい?」
お盆をサイドテーブルに置いて心配そうに葵に問いかける綾人に、慌てて布団から顔を出した。
「だ、大丈夫です。」
「…ちょっと顔赤い?」
「えっ、これは…その、何でもないです…。」
「ほんと?」
なおも心配そうに葵の前髪をあげ、目を見ながら言ってくる綾人に葵が観念して口を開いた。
「~っ、その、照れてる、だけなので。」
「照れてる?何で?」
「うーっ、その、あやとさん、甘過ぎません?」
「なにが?」
「声とか、表情とか。」
「そう?…まあ、あおが好きっていうのを隠さなくても良くなったからかもね。」
「……」
微笑みながら嬉しそうに言う綾人に葵は頬にさらに熱くなるのを感じて押し黙った。
(またそういうことをさらっと…)
「ふふ、じゃあ甘々ついでに食べさせてあげる。ほら、ちゃんと座って。」
「ええっ?!いいですよ、そんな!自分で食べられます。」
「いいから、ほら。」
そう言ってお粥をスプーンで掬って、わざわざふーふーして冷まして差し出してくる綾人は、どこかでスイッチが入ったらしくいたずらっぽい笑みを浮かべている。
(これ、もう絶対このまま食べさせられるやつだ…)
葵は恥ずかしいながらも覚悟を決めて口を開いた。
「ん…おいしいです!」
「よかった。」
スプーンを口に入れられた瞬間、優しい味がふわっと広がり葵は思わず口に出していた。綾人がそれに嬉しそうに微笑み、二口目を差し出す。
「これ、餌付けしてるみたいで楽しいね。」
「餌付けって…楽しいならよかったです。」
「うん、俺好きな子甘やかしたいタイプだから楽しい。」
「~~っ…」
こうして葵は結局最後の一口まで綾人の手から食べさせられたのだった。
それからすぐに熱は下がったが、葵はその日から一週間は仕事を休んだ。やや倦怠感がある程度だったので葵は普通に出勤するつもりだったが、綾人から「ダイナミクス犯罪に巻き込まれたって、ほんとは入院するかどうかって所の事だからね?怪我もあるし、一週間の休みでは足りないくらいだよ。」とドクターストップが出て、会社に連絡されたのだ。そんな急に一週間も休みなんて…と心配したが、高名な医者がダイナミクス犯罪の犯人として逮捕されたあの事件は小さなニュースになっており、それに巻き込まれたと話すと許可が下りたらしい。
――――実際はその話をしても会社の方は一週間なんて無理だ、だとか、大袈裟だ、だとかいちゃもんつけて拒否してきて、綾人が「そういえば、先程は水城くんのパートナーと申しましたが、いつも私もお仕事でお世話になっております。え?ああ、すみません、名乗っていませんでしたね。神木綾人です。それで、彼を診たのもその上で休ませようとしているのも、私なのですけれど…」と名前を出した途端、電話の向こうの、綾人の病院への営業を担当する上司が椅子から崩れ落ち、慌てて取り繕って許可を出したのだが。それは葵の知らないところで行われたやり取りだ。
そのため、休みの許可というか、普通に一週間の有給が出たので葵もありがたく休ませてもらった。そしてその一週間は、綾人が心配だから家にいてほしいというので葵も綾人の家でお世話になった。やはり怪我のせいで動きづらいし、包帯の巻き直しも大変だし、さらに側にいてくれる恋人はお医者さん、と葵としてはありがたいお誘いだった。…まあ、なんだかんだ言っても、なにより綾人が側にいてくれるのが一番嬉しかったのだが。
綾人も始めの3日は休んでいたのだが、葵が「僕は体調も大丈夫ですし、動けないほどでもないので、綾人さんはお仕事行ってください。僕は家で待ってますから。」と言うと、「…それは、確かに、新婚さんみたいでいいね。」とか言って次の日からは仕事に行った。それでも早めに帰ってきてくれる綾人を葵は家で家事をして待っていた。綾人はそんなことしなくていいと言っていたが、葵は家事が好きなので気分転換にもなるし、綾人と同じように新婚の気分を味わっていたのでむしろ進んでやった。綾人は1週間の間、家事にしろ何にしろ、何かにつけて褒めてくれたし、怪我を気づかっていつもより甘やかしてくれたし、恋人になって隠さなくなった好意を思う存分に、言葉でも行動でも伝えてきた。こうして葵は、初日に甘やかしてほしいと言ったことを若干後悔するほどの甘々な一週間を過ごしたのだ。
「本当に、長いことお世話になりました。」
「もっといてほしいくらいだよ。ほんとにもう大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です。それに、これ以上は迷惑かけられません。」
「恋人とずっと一緒にいれて、俺は楽しかったよ?」
「う、……それは僕もです…。」
「でしょ?いっそこのまま一緒に住んじゃう?」
「…でも、仕事もありますし…。」
「……寂しいなあ、帰したくない。」
「…またお休み被ったら泊まりに来ますから。」
「…そうだね。」
1週間で体調も回復し、怪我も痛み止めを飲めば問題なく過ごせるほどになり葵は仕事に復帰すると共に、自宅へ帰ることにした。朝、綾人に惜しまれながらも出勤の支度をして家を出た。職場では何故かいつもあまり関わりのない上司がやたらと親しげに話しかけてきたが、休み明けだからかと思い社交辞令で返した。
休みの間に仕事はかなり溜まっていたが、その日は無理しない程度に仕事をこなして葵は家に帰った。
久しぶりの自宅は、前と変わっていないはずなのに何故だか少し寂しく感じた。
(もうちゃんとcareもしてもらったし、安定してるはずなんだけど……ずっと綾人さんと一緒にいたからかな、もう会いたくなってきた…)
ネクタイをはずしながらそんなことを思う葵は、まだ家に帰って1日目なのにもう次に綾人に会えるときのことを考えていた。
(なんだか、綾人さんに甘やかされすぎて、欲張りになっちゃった気がする…)
そう思いながらもついついカレンダーのさっきつけたばかりの丸のある日を眺めてしまう葵だった。
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