ルナ・デリバリーと「ロスタイム」のパン

フェイバリット

文字の大きさ
2 / 3

ルナ・デリバリー

しおりを挟む
「自分でも信じられないような一日だったからな、何を話していいのか自分でもまだ分からないんだ。」
「でも一つ言えることがあるとするならば、これは間違いなくあんたに向けての話だって事だ。私からあんたに向けてのメッセージ。意味、わかるか?」
「このメッセージを聞いてるあんたは焦らされている様でイライラしてるかもしれないな、でも別にあんたを馬鹿にしてグチグチと婉曲的に話してるわけじゃないんだ。私は本当に人と話すのが苦手でさ。ま、ぼちぼち頑張ってみるけどさ。」
「何をしても上手くいかない日があるよな?どんどんどんどん悪い事が続いて、不幸が次の不幸を呼ぶ誘い水になってるような、そんな一日が。」
「まさに厄日としか言いようのない日が、人生には必ず一度はある。経験した事がないっていうのならアンタはとんだラッキーボーイだ。もしくはとんでもなく鈍感で頓馬な奴かだな。で、だ。」
「その日の私はどうだったのかというとその真逆だったと言ってもいい。つまりはラッキーガールってところかな。」
「完璧にツイてた。朝からトーストの焼き目は最高だったし、煩わしい信号に一度も引っ掛からなかった。『キャシー』(うるさい客)にも当たらなかった。」
「幸運な一日だと心から思った。幸運なままに、いつもより早く仕事を切り上げてウオッカを飲み、希望に満ち溢れながら眠りにつく。そんな予定だったんだ。」
「でも、現実はそうならなかった。ツイていたのはあの『事件』に巻き込まれるまでだったんだ。私があんたに話したいのはその『事件』の事についてだ。」
「そしてあんたには決めて貰いたいんだ。私の一日はツイてた日だったのか、それともとことんツイてない最悪の一日だったのか。」
「やけに含みを持たせた喋り方をしているからその『事件』についてアンタは早く知りたいと思うだろう。が、まぁ待ってくれよ、一から話すと長いんだ。ゆっくり語らせてくれ、兎に角焦らない事が物事をスムーズに進めるなによりのコツだ。」
「まずは私の職業について話さなきゃならない、私の才能を活かせる最高の仕事、デリバリーサーヴィスについて。」
「デリバリーサーヴィスの発展に必要なものは2つ、1つは美味い飯、もう1つは貧富の差だ。不味い飯を高い金をわざわざ払って配達させようとするモノ好きはそうはいないし、ふところが豊かな人間は好き好んで人様の飯を運ぼうだなんて思わない。この2つのどれかひとつでも欠けてしまうとこの職業はその地域では流行らない、根付かないんだ。男と女、プラス極とマイナス極、ボルシチにサワークリーム。ま、そんなとこだ。」
「私たちが住んでる月世界都市にはそのどちらもがある。100年以上前、月が哀れなコミュニストどもの流刑地にされた時からこの土地には美味い飯と貧富の差が根付いていた。だからこそデリバリーサーヴィスが発展するのも当然だった。」
「月をスマートバイで駆け巡る『ルナ・デリバリー』は私達の文化の一つだ。私はその文化の一端を担っているってわけだ。」
「適当に店から客に料理を運ぶだけがルナ・デリバリーの仕事じゃない。目的地まで運ぶ時間、届いた料理が崩れていないか、客との応答に不愉快なところがないか、私たちは常に評価されランク付けされる。」
「私は周囲の配達員からは『クルイロー(翼)』と呼ばれている。」
「翼が生えているかのように、何処にだって素早く配達するから、だそうだ。」
「配達員にとって通り名は最高の勲章だ。当然私の顧客評価はAAAの最高ランク、担当している周辺の地区ではトップの評価ランクだ。これは自慢しているんじゃない、ただの事実さ。」
「私のスマートバイにはその通り名に合わせた改造が施されている。イリーガルな改造はは客からの評価に響くから、普段は目立つ事のないように側面に畳んでいるけど。まさに翼のようなカスタムパーツは私の数少ない自慢だ。」
「さて、そんな自他ともに認める配達員のトップランナーな私がどうやってそこまでの評価を得たのか不思議に思わないか?」
「いくら月が1/6の重力だからって6倍早くピザを届けられるわけじゃない、分かるだろ?」
「私が誰よりも早く配達を済ませれるのは私が誰よりも配達のルートに精通しているからで、誰よりも素早く目的地まで正確に届ける為の努力しているからだ。もちろん客への対応も完璧、だと思ってる。」
「私が言いたいのは大切なのはいつだって努力と勤勉さだってことだ。」
「私にとって努力と勤勉は手段だった。私の夢を叶えるための、だ。ルナ・デリバリーもまた手段。私の夢には必要経費が多すぎるんだ。月からの渡航費は大した問題じゃない、金が掛かるのは数種類のワクチンと未知の病原体への免疫獲得訓練、それに重量順応訓練だ。」
「だからこそ私は歩合で体力も鍛えられるルナ・デリバリーという仕事をやってるわけだ。」
「さて、私の職業についての説明はこんなもんでいいだろう。うっかり長々と話しすぎたせいでアンタも退屈してるだろうし、少し話を前進させようじゃないか。」
「昨日のあの『事件』について、そしてその『事件』を私がいかにして切り抜けたのかについて、だ。」
「私は時間短縮の為に常に複数の配達を同時進行で進めている。それが評価AAAの秘訣の一つだ。その日は二件の配達を受けていた。熱々の料理を店で受け取った後、配達先を確認する。ルートを頭の中で整理して最短の道順を計算するんだ。」
「その二件のうち一つ目の配達先にいく途中、スマートバイに入力した地図情報を確認した時、私のラッキーデイが終わる気配がしたのを今でもはっきりと覚えている。」
「その配達は少しだけ妙だった。ピロシキを配達しなきゃならなかった訳だけど、その配達先ってのがエリアWになっていたからだ。」
「『エリアW?ありえないね。』と私は思った。エリアWを知らない奴に分かりやすく例えるとするならばそう"ゴミ溜め"だ。細々とした舗装されていない道、違法に改増築された建物、地面には空の注射器と生きているのか死んでいるのか、はっきりとしない人間が転がっている。ま、そんなところだ。」
「私たちルナ・デリバリーには共通で使われているいくつかの暗号や合言葉のようなモノが複数ある。配達員の持っているデバイスのマップ上には地区の治安順にギリシア文字が振られていた。エリアWは最下層を表す『Ωランク』が与えられた地区だった。Ω、つまり『終わり』ってことだよ。」
「私が住んでるエリアBだってデリバリーサーヴィスを利用できるアッパーミドル以上の人間は限られるってのに、エリアWに私の配達先があるなんて信じられなかった。近道の為に通り抜ける事があってもエリアWに料理を届けるなんて事普通はある筈がなかった。」
「私が出来立て熱々の料理を運ぶデリバリーサーヴィスじゃなくて、麻薬の配達人だったなら話は別だけど、だ。」
「私の経験と努力と勤勉はこの配達にイエローを出してた。でも最終的に私は乗った。なぜなら私はその日最高にツイてたからだ。どんなトラブルをも切り抜ける自信があった。絶好調の私ならドライブバイ(車で通りすがりに発砲する行為)に巻き込まれる事もないだろうとタカを括っていた、今思い返してみるとそれがマズかったんだ。」
「失敗はいつも怠慢と身勝手な断定から生まれるんだ。」
「私たち配達員は料理店で商品を受け取ってから配達完了までの時間が45分以上かかるようであれば、評価点が下がるシステムになっている。」
「目的地に到着したのは料理店で商品受け取ってから12分後だった。そこはうらぶれたアパートメントだった。死にかけの象みたいなアパートメントだった。」
「私のデバイスはそのアパートメントの3階にある部屋、305号室をゴールに差していた。確か、ユーザーネームは「ククルーザ」って奴だった。もちろん本名じゃない。」
「スマートバイを路肩に駐車して、私はグラフィティだらけになっている玄関の入り口からアパートメントの中に入った。転んで商品を崩すような事があれば評価に響くから、私は電灯が切れて薄暗い階段を注意深く登った。誰も掃除をする人間がいないのか、建物の壁全体から強く黴の匂いがした。」
「階段を登り終えると扉があった。3階を示す表示が書かれている。メンテナンスの行き届いていない扉はやけに重たくて、私はノブを捻りながら全身を使って扉を押し開いた。」
「扉を開けると、廊下が左右に伸びていた。部屋番号の表示があるべき場所はボロボロになり剥がれていて、どちらに目当ての部屋があるか見当がつかなかった。」
「私は取り敢えず右に曲がり、部屋を探した。結果はドンピシャ、廊下を突き当たるところに目当ての305号室はあった。」
「やっぱりツイてる一日だったんだ。基本的には、ね。」
「デバイスを確認すると、直接での受け渡しが指定されていた。インターホンなんてあるわけないのでドアを3回ノックして返事を待っていると、すぐに反応があった。外向きにドアが開いて、一人の筋肉質な男が出迎えた。身長は高く、180センチ半ばくらい。灰色の半袖シャツにジーンズ、ラフな格好だった。」
「私はソイツの腕に注射胝がないか確認したかった。」
「でも、客をジロジロみるのはあまりいい事じゃない。だから辞めた。男の髪は薄くなりかけていて、汚らしい顎髭を伸ばしていた。」
「いつも思うんだけど、どうしてハゲなのに髭を伸ばすんだ?アンバランスでバカみたいなのに。ま、いい。」
「その男のうち窪んだ目はどこか虚ろで、私を見ているようでも部屋全体を見渡しているようでもあった。背後にみえる廊下は薄暗く、奥の部屋は扉で仕切られていたため見えなかった。」
「今から思えば、その全てが見通せない、全体像の見えない雰囲気が何となく剣呑だったのを覚えている。」
「私はさりげなく上着のポケットを探り、自衛のための武器になるような物を探した。薄々わかっていたがそんなものはなかった、以前仲間の配達員が客から護衛用のスタンガンを咎められて大きく評価を落とした事を聞いて危険物は持ち歩かないようにしていたからだ。やれやれって感じだった。」
「『ルナ・デリバリーです。』私が名乗ると男は無言で商品を受け取り、デバイスから金を支払った。250トークン。支払い完了を告げる合成音声が鳴って、私の一件目の配達はそこで完了する筈だった。」
「待てよ。」
「男は立ち去ろうとしていた私の右肩を掴むと、間髪入れずに強い力で事務所に引きずり込んだ。『事務所に引きずり込んだ』!全くもって、クソッタレだ。」
「何となく警戒していた筈なのに、実際に危険が差し迫った状況に置かれると私の頭は完全に混乱していた。男を殴る、蹴る、突き飛ばす、いずれの抵抗の選択肢はパニック中の私では浮かばなかった。背後でドアの鍵を閉める音が聞こえて自分が危険に晒されている事がようやく理解できた。」
「連れ込まれた部屋の中はとてもひどい匂いがした。アルコールと、何かすえた臭いが充満していた。」
「私を掴んでいる男は歯を剥き出しにして、相変わらずの虚ろな目で私を部屋の奥へと引っ張っていこうとしていた。口からは肉の腐った様な匂いがして、うげ。今でも思い出すと少し気持ち悪いな。」
「気づくと私は反撃の行動を開始していた。司令塔である脳を飛ばして身体が勝手に動き出しているみたいだった。」
「まず、私を掴んでいる男の腕を振り払うと鼻に一発パンチをお見舞いした。男は完全に面食らった様子でフラフラと後退した。これはチャンスだった。」
「ここで私には『逃げる』って選択肢もあった。後ろのドアを開けて、スマートバイに乗り込んで逃げ仰る。それはそんなに難しくないことに思えた。いや、むしろ簡単だ。私は足の速さには自信がある。まるで兎さ。」
「逃げて、憲兵だの警察だのに報告すれば安全だ。月世界都市じゃ数少ない女は保護されてる。躍起になって犯人を探してくれるだろう。」
「頭では完璧に分かってたんだ。でも、そうしなかった。絶対に男をここでボコボコにしてやるって気分だった。どうしてそんな気分だったかは自分でも上手く説明することが出来ない。でも、兎に角そういう気分だったんだ。」
「私は男が怯んだ隙をついてタックルを喰らわせてやろうと体勢を低くして勢いよく男の下腹部突っ込んだ。」
「でも、これは上手くいかなかった。男は喧嘩慣れしてるのか咄嗟に体勢を立て直して、部屋の奥に逃げ込む形で私のタックルを素早く避けたんだ。目論見を外された私は正面から男と向き合った。」
「お互いの激しい呼吸だけが聞こえる時間が数秒あった。」
「男が私に殴り掛かろうと飛びだしてくる瞬間、その右足に私は膝蹴りを喰らわしてやった。膝蹴りって言っても膝を使って蹴ってやった訳じゃない、『膝を蹴った』んだ。関節蹴りってやつさ。」
「私の蹴りはかなり効いた様だった。ストッピングどころか膝の関節が一瞬逆側に曲がった様に見えるくらいの蹴りだったからだ。」
「私は一瞬の好機を見逃さなかった。」
「怯む男に向かって私は猪みたいな突っ込んでいった。さっき蹴ってやった右足に向かってタックルをかますと、そのまま押し倒した。私は片膝で男の胸を押さえつけ、マウントの状態を取ると何度も鼻の頭を殴りつけてやった。」
「最初のうち、男は逞しい腕で私を引き離そうと必死にもがいていた。だけどマウントの状態から逃れる術が無いことを悟ると暴力から顔を必死に守ろうとするだけになった。トレンボロンで作った偽りの筋肉よりも、日々のトレーニングで鍛えた私の力の方が本物だったんだ。」
「しばらく殴り続けると男は赤黒い血を吐きながら何か言葉にならない呻き声を発していた。助けを呼んでいたのかもしれないし、命乞いだったのかもしれない。でも私にはどちらでも全然関係無い事だった。」
「私は男の胸ぐらを掴むと地面と後頭部の間に隙間ができるようにすこし浮かせてから殴りつけた。世の中何にでもコツがある、人を殴る時にもコツを知っておけば効果は全然違うんだ。」
「右拳が血でベタベタになっていた、拳の皮膚が破れ、男の鼻血だか何だかよくわからないものと混ざって糸を引いていた。アドレナリンでハイになっていたので拳に痛みは感じなかったが、ここまで人を殴ったのは久々だった。」
「気づくと、男は全く抵抗できなくなっていた。私は全身の血液が沸騰しているのを感じていた。暴力が私を興奮させていた。」
「でも、同時に私の心の片隅にはほんの少しの悲しみがあった。暴力の瀬戸際を大きくはみ出た感覚が、日常から逸脱してしまった感覚があった。興奮して暴力を振るう私を冷静な私が廊下の部屋の隅から冷ややかな目で見つめている様な感じが、した。」
「私はふと、二軒目の配達の事を思い出した。まだ目的地に届けていない商品が私のスマートバイの保温ボックスの中で冷えていっている情景が頭に思い浮かんだんだ。」
「その時、私の手は誰かを殴りつけるためにある訳じゃないとそういうふうにほんの少し思った。」
「私は不意に部屋の外の様子が、アパートメントの通路や隣の部屋がすこし騒がしいことに気がついた。」
「この部屋の壁はろくに防音されていない、今起こっている状況が外に伝わっているのだと私は考えた。私がこのままここで騒ぎを起こし続けてこの男の友達、知り合い、仲間なんかにこの状況を見られるとまずかった。警察を呼ばれるにせよ、報復を受けるにせよ、私には不都合なことしかない。」
「この時の私は判断が早かった。混乱して部屋に引きずり込まれたさっき迄とはまるで反応の速度が違った。頭の中で何かトラブルに対するスイッチが入っていた。パチン、ON。」
「私は背後の扉に向かってダッシュした。鍵を開け、廊下に飛び出す。廊下には数人のガラの悪い男たちが何事かと様子を見に出ていた、私はその脇をできるだけ顔を見られないように、素早く通り過ぎると通路を走り抜け、階段のドアへと辿り着いた。背後から私に向けた何事かを叫ぶ声が聞こえたが、私は構わずドアを開けて踊り場に向かって飛び降りた。」
「脚に鈍痛が響いたが、それでも私は全く前進の勢いを緩めなかった。踊り場から二階の扉の前へ、二階から次の踊り場へ、6段飛ばしで階段を駆け落ちると玄関まで一気にたどり着き、アパートメントを脱出した。」
「私は停めていたスマートバイに電源をいれる。モーターが回転数を上げていくのを尻の下に感じながら、私は呼吸を整えた。鼻から五秒間大きく酸素を吸い込み、口からまた五秒かけて息を吐き出し続ける。その間にも、男達がバタバタと階段を駆け降りてくる音が建物と建物のの間を反響していた。」
「私はエリアWの街路を走りだした。背後から男達のなにやら叫ぶ声が聞こえていたが、構わずにぐんぐんとスピードを上げていった。メーターが120km/hを超える頃になると視界に捉える風景は油絵で描かれた海の様になり、自分の身体が風を切る音だけが聞こえていた。」
「私は走行しながら空中に結像されたディスプレイで、二件目の配達先への距離と商品を受け取ってからの時間を確認する。すでに商品を受け取ってから約32分が経過していた。」
『駄目だ。走行中の場所から目的地までは約20分近くかかっちまう。』
「どう計算をし直してみても、ナビに頼らずルートを頭の中に思い起こしてみても、45分のタイムリミットまでには間に合いそうもなかった。」
「私は私を襲った男を恨んだ。」
「結局、あいつは何だったんだろうな。月じゃ女は貴重だ。女を襲うなんて事普通は考えるもんじゃない。勿論、薬物で弱った頭で正常な判断が出来なかっただけと考える事もできるだろう。けど、私はそれは違うと思うんだ。」
「熊がわざわざ人を襲って喰わないように、性欲の為に女を襲うなんてありえない事だ。」
「で、ふと思ったんだけどあいつは案外、私と同じルナ・デリバリーなのかもしれない。あいつは私が女でありながら、ここいらで一番の配達員である事が憎かった。そこでトラブルを起こして私の評価を少しでも下げようとしたんじゃないかってね。」
「ありえないって?いや、案外そんなもんなんだよ真実は。この世界には沢山居るんだ。誰かの足を引っ張るだけの、裾の長いズボンみたいな奴が、ね。」
「兎に角、私は奴を憎んだ。そして、負けたくないと思った。強く思ったんだ。絶対に負けてやるかってね。」
「喧嘩には勝った。でもここで配達を最高の評価で成し遂げる事ができなければ、あいつに負けたことになっちまうって。」
「普通のルートで駄目なら。普通じゃないルートを使えばいい。そうだろ?」
「私には一つの妙案が浮かんでいた。アクセルをフルスロットさせながら空中のマップを確認する。」
「私の目的地は『ニュー・トランスペトログラードハイウェイ』月都市高速道路だ。」
「『ニュー・トランスペトログラードハイウェイ』は月都市をぐるりと一周する様に建設された高速道路だ。いや、正確にいうと『建設される予定の』高速道路だ。』
「つまりその『ニュー・トランスペトログラードハイウェイ』は未完成だった。私が子供の頃からずっと未完成のままなんだ。一生終わらないんじゃないかってくらいにいつまでも工事をやってる。」
「でも配達を完了させるにはその高速道路を使うしかないと思ったんだ。いくら未完成といっても、完成している道も多い。上手く工事途中のところをパスすれば目的地までは一瞬で到着することができる。もちろん色々な奴に、特に工事現場で働く作業員には迷惑をかけるだろうが、でもその時の私にはそれしか方法は思い浮かばなかった。」
「唯一の選択肢がまだ完成してもない高速道路を走るなんて、笑っちまうくらいクレイジーだ。」
「救いだったのは、今日が日曜日だって事だ。日曜日には働いている作業員はいない筈だ。今日ほど不定休で働いている私の生活に感謝した事はないね。」
「もう、手段は選んでいられなかった。6倍早く配達を完了させる為には6倍の努力と工夫が必要なのさ。」
「私は未完成の高速道路に向かって、スマートバイを走らせた。」
「エリアWを抜けて、日曜日で混み合っている大通りを車たちをすり抜けながら進んでいく。私を捕まえるためにエリアWから追いかけてくる様なやつや、後ろから追ってくる警察はいなかった。」
「しばらく大通りを進むと前方に高速道路のインターチェンジがあった。私は入り口を登って『ニュー・トランスペトログラードハイウェイ』にはいった。」
「未完成のため料金所があるべきところにはいくつかのバリケードの様なものや、立て看板なんかがあった。私はそれを蹴散らしながらどんどん速さを増していった。」
「頑丈なスマートバイの開発者と、日曜日にしっかりと休みを取っていた工事現場の作業員には感謝してもしきれないね。」
「兎に角、私を遮るものはなかった。邪魔な歩行者、信号、曲がり道。そしてゆっくり追い越し車線を走る奴や、やたらと幅寄せしてくるような奴は全くいなかったんだ。それって最高じゃないか?」
「私は法定速度を超えて、グングンとスピードを上げていく。風景は水流の様に流れていき、暫くすると目の端に捉える事ができるのは点と線だけになった。」
「空中結像ディスプレイに表示されるデジタルなカウントダウンは0.01秒ずつ私のタイムリミットが近づいている事を示し続けている。私に残された時間は5分ほどだった。」
「このままハイウェイを走り続け、次のインターチェンジで降りればギリギリ配達時間に間に合う、そんなハズだった。」
「私は私の目線の先に大きな虚空が広がっている事を目視した。激走するスマートバイの前方1500m先に広がる虚空、ハイウェイの道路は何処までも続いていくかに見えたけど、やっぱり建設途中の場所があったんだ。道は途中で途切れ、100m以上の空間が広がっていた。」
「その時の私は、絶望したよ。ハッキリ言ってね。藁をも掴む気分でここまで走り抜けてきたが、掴んでいたのが藁どころか虎の尻尾だったっていうんだからな。」
「本当に最悪な一日だったと自分の不運を恨んでいた。厄介ごとに巻き込まれて、違法行為も幾つかやって、それでも必死に配達を達成させようっていうのに。こんな仕打ちはないだろって、そう考えていたさ。」
「思い出すのは例のあの男、あいつの顔だよ。禿げてるのに髭なんか伸ばしやがって、それにあの匂いだ。嫌な臭いって悪い記憶と結びつきやすいと思わないか?」
「でも、その時私は何故か笑っていた。笑っていたんだ。絶望して、いい加減な気持ちになって笑ってたんじゃない。私は腹の底から大笑いしてたんだ。絶望を感じると同時に、清々しい気分だった。私は何でもやれるって、何故かそんな気分だったんだ。」
「私は唐突に思いついて、スマートバイの隠しボタンを押した。そのボタンは側面にしまってあるカスタムパーツを出すボタンだった。スマートバイの側面から翼が生え、まさしく鳥の様な見た目になった。」
「私は『クルイロー』、翼だ。何処まででも飛んでいく、翼。何故か私の気分はどんどん良くなって、大笑いしていたんだ。」
「道の空白はどんどん目の前に迫っていた。近くに寄れば情報が色々と増えていく。私はその道の途切れを実際に見るまでは映画みたいにジャンプすればギリギリ向こう端に届くんじゃないかって考えていたんだ。」
「でも、現実はそうじゃなかった。明らかに空白の幅は広すぎたんだ。ジャンプしたって届くはずもない様な距離が私と私の目的地を阻んでいた。」
「その時、私の脳裏には一つのイメージが浮かんだ。真っ逆さまに落ちていく私の姿、そして黒い翼に大きな鎌を持った死神の姿だ。全く、やれやれだ。」
「『高速道路から落下して死んじまって、配達ができませんでした』それって馬鹿みたいだろ?」
「それでも私はスピードを全く緩めなかった。私と私のスマートバイはまさに一匹の隼だった。私は考えた。どうやってこの危機的状況を乗り越えるかって事をだ。」
「そして一つ妙案が浮かんだ。それはやはりこの道をジャンプする為の作戦だった。完璧な作戦じゃない、でもだった一つだけこの状況を切り抜ける策が頭に思い浮かんだんだ。結局、いつも私を救うのは私自身だった。努力と勤勉だけが私の味方だ。」
「そのアイディアが実際に可能かどうか、私は少し考えた。でもやるしかなかったんだ。道の空白はもはや寸前というところにまで来ていたし、今からブレーキを掛けようとしても制動距離が長すぎだ。」
「選ぶべき道が一つしかない時には、それを全力でやるしかないんだ。」
「その時私が考えていたのは私の人生を振り返ってどうとか、そういう感傷的な事じゃなかった。」
「私の頭にあったのは一つの疑問についてだった。それはその日一日が結局私にとって幸運な一日であったのか、それとも何をやっても上手くいかないような厄日であったのかという疑問だ。」
「不運なことも、幸福なことも同時にあった。今私がこの場で、馬鹿げた作戦に臨んでいるのも私の運の巡り合わせの結果だ。」
「そしてその答えはこのジャンプの結果で知る事になるだろうと、そう考えていた。私が幸運なラッキーガールならきっと上手くいく。そう考えていたんだ。」
「いよいよ道路の先がなくなって、私は勢いよく、まるでロケットの様に空に飛び立った。宙に浮いた時、身体は重力から解放された。その瞬間、私は月にいた誰よりも自由になったんだ。」
「…で、結果はどうなったと思う?私はジャンプを成功させたとあんたは思うかい?」
「私は空を飛び、時間はギリギリだったけど、配達を無事に完了させることができた。数々の違法行為もなんとか誤魔化すことができたから今も夢に向かってルナデリバリーを続けている。こんなにハッピーなことって普通あるか?」
「もしくは、だ。私は結局道を飛ぶことができずに、命までは失わなかったものの落下して大怪我を負ってしまった。ルナデリバリーはもちろん失業する事になって、今は警察と病院の厄介になっている。何も果たせず夢に敗れ、まさに最悪な結果だ。でもこれが現実って奴なんじゃないか?」
「結果を話すのはまた今度にしよう。ただ、それまでにあんたには考えていて欲しいんだ。このジャンプの結果について、そして私がそのジャンプをどう成功させようとしたかその作戦についてを。」
「そして何よりも私について、考えていて欲しいんだ。」
「誰かにずっと自分のことを考えて貰えてるって、それって何よりも幸せな事だと私は思っている。再びメッセージを送るその日まで、私はあんたのことを考えているからさ。」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

大好きな幼なじみが超イケメンの彼女になったので諦めたって話

家紋武範
青春
大好きな幼なじみの奈都(なつ)。 高校に入ったら告白してラブラブカップルになる予定だったのに、超イケメンのサッカー部の柊斗(シュート)の彼女になっちまった。 全く勝ち目がないこの恋。 潔く諦めることにした。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

処理中です...