この感情を愛と呼ぶには

紀村 紀壱

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2話 アルノア・エイリークは死を望まれる 3

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この地位を築くまで、11年だ。
ろくでもない母親が惚れた、ろくでもない男に犯され、そして殺されそうになり、逃げだしたのはまだアルノアが11歳のときだった。それから泥水を啜って人の足を舐めて、這いつくばりながら己を奮い立たせてのし上がり、今の財産と地位をアルノアは手に入れた。
屋敷と財産と共に乗っ取った・・・・・香料の事業から調味料や薬品、化粧品へ手を広げ、王都の北西の領地を治める伯爵との繋がりも持って、最近は交易も上手くいっている。
清潔な寝床に、身体を洗うのは温かなお湯。テーブルにはいつも新鮮な食事が並び、服を買うに店に行く必要も無く、御用聞きがやってくる。人に選ばれ、人を選別する側になった。
昔より望めば手に入るものは広がった。暮らしは豊かに、他人が羨むような生活をしている。
それなのに。

「ア、アルノア様、お荷物が届いたのですが……」

使用人が青い顔をして、両手に乗るサイズの箱を持ってきた。
屋敷に届いた荷物は、基本的にアルノアの指定がない差出人からの荷物を事前に使用人が検めている。特に差出人が不明である部類の荷物は、同業者お仲間からの嫌がらせが大半を占めていて、鳥の死骸やら猫の死骸などをご丁寧にラッピングして警告文を添えた物などが送られてくるのは日常茶飯事だ。
だから仕分けを担当する使用人も、相変わらず箱の中身に顔をしかめることはあれど、いちいち大仰に反応などしない。
しかしながら今日届いたソレの中身は、今までとは少し違ったようだ。震える手で差し出された箱に結ばれた、綺麗な緑のリボンがついたカードには「セルジェ商会の入札から手を引け」と、分かり易く要求が書かれている。
そして、箱を開ければ血がこびり付いた真新しい人の耳が一つ。

(悪趣味だな)

溜め息をつくアルノアには箱の中の耳に見覚えなどない。だが、心当たりはあった。
最近、一人の赤毛の使用人を特別扱いしてみたのだ。
他者よりほんの少し多く仕事を褒め、仕事で貰ったお菓子の包みを渡したり、ときどき労りの言葉をかけたりする。初め赤毛の使用人は恐縮していたが、段々と己が他の者とは違う対応をされていると気がつくと、その事実に溺れる、単純な使用人だった。
次第にアルノアの姿を見れば、仕事を放り出して駆け寄ってくる様になった。それを咎めること無く微笑んで許せば、自分にはそれだけの価値があるのだと更に調子に乗って、自分はアルノア・エイリークにとって特別なのだと吹聴し始めた。
その使用人を、昨日から見かけていない。
近頃は一日に何度も無駄に姿を見せてきたというのに。

(1ヶ月か……なにも策を講じなかったとはいえ、思った以上に早いな)

特別扱いと言っても、使用人を寝室に呼び入れたわけでも、ましてや口付けすらしていない。
ほんの少しだけ、ただ他の者よりも「お気に入りである」というように振る舞っただけだ。
それにもかかわらず、たった一ヶ月でこの有様だ。
箱を閉じて、カードとともに捨ててしまうように指示をする。
そして入札の資料を見直さないといけないと、アルノアは書類を手に取る。予想よりも大きな利権が裏で動いているようだから、確実に手に入れられる様に・・・・・・・・・・準備をしなければ。
耳を切り取られた可哀想な使用人の顔など、アルノアの頭の中にはなかった。
思うのは、脅すのなら「無事に返してほしければ」というところから初めてほしい、という感想と。手っ取り早く殺すことも厭わない事を匂わせるのならここまでするのが良いのか、と相手の手際に関しての感心だ。
哀れみなど浮かばない。何故ならアルノアは使用人で『実験をした』が、同時にちゃんと釘も刺しておいたのだ。「私の特別だと周りにバレると、嫉妬をされてしまうよ」と。周りに吹聴をし始めたときにも一度、窘めたのだ。ソレにもかかわらずアルノアの言葉がどういった意味を含んだものなのか、大人と言われる歳の使用人がこの屋敷に勤めていて分からなかったのなら、もう本人の責任だろう。
ポツポツと、窓にシミをつくる雨音にアルノアは執務室の窓から外を見た。
ここから馬小屋は見えない。
辛うじて生け垣の向こうに厩の屋根の端がチラつく程度で、ネロの姿など見えるはずもないのだが。
ふと(やはり閉じ込めてしまうのが良いだろうか)と、最近検討している事柄を思い出す。
屋敷には物置というか、ワインセラーのような物として使われていたと思われる、小さな地下室があった。そこをもう少し住みやすく改装して、ネロを閉じ込めてしまうのがいいだろうかとシミュレーションする。
今のところ、アルノアがネロに抱える複雑な感情に気がついている者はいなかった。それは本人ネロ自身さえも気づかないくらい、それほどにアルノアはこの件に対して慎重に対応をして、ポーカーフェイスを貫いていた。
そもそも、あの子供を側に置いておきたいと思うのに、手を伸ばすのが躊躇われたのもある。
今まで欲しいものは様々な手を尽くして手に入れてきた。状況によっては大胆な手も必要だし、時には失敗する事もある。だがそれは『次の』景品を獲得する緊張感のスパイスになり、過程を楽しむ事すらあった。
それなのに、ネロに限っては不思議な程に渇望するのに迷いが生まれる。
心がざわめく。ただ心のままに愛でる、という事に対する弊害が多すぎた。
いや、やろうと思えば今すぐネロを手籠めにするのも、地下室を作る手間などいらず部屋の一つへ閉じ込めてしまうことも容易にできる内容だ。
しかしそうすることで、今の彼が失われてしまう事を恐れていた。
悲しみに暮れ、絶望していずれ抵抗する気力を削がれ無気力となり、うまく壊れてくれて己に依存してしまえばいい。だが、もしも悲観に暮れて自死を望んだり、それこそアルノア・エイリークに対する『交渉材料』と見なされ、自分以外の誰かがあの子供に手を出したりをするようなことがあったら。

「……」

筆圧が狂ってインクが飛び散った書類を丸めて捨てる。
「愛する者がいると人は強くなれる」と、いつか見た大衆演劇の陳腐なセリフを思い出す。
実際は、愛する者など弱みが増えるだけだ。自分がここまで強くなれたのは、弱みがなかったからだ。部下や情婦に裏切られたり、ひき抜かれたり、行方不明になろうとも「せっかく育てたのにもったいない」と、これまでの労力の喪失を嘆くことはあっても、悲しむことはなかった。
それが、どうだ。
あのなんの変哲もない子供を失うかもしれないと、想像するだけで臓腑が引き攣り、手足が冷えて酷く足場の悪いぬかるみに居るような心地がする。
恐怖というものを利用することはあれど、利用されるかもしれない立場になるとは。まるで神の地位から転がり落ちてしまったかのようだった。
いつの間にか外は土砂降りになっていた。アルノアはカツカツと執務机を爪で叩く。
入札に必要な資料の準備を指示しなければならない。普段ならすぐさま取り掛かるそれが、今はひどく億劫だ。
原因はわかっている。この案件が取れたら利益を生むが、同時に恨みも買うことになって、本当に欲しいネロが手に入るどころかまた更に遠ざかるからだ。
遅々として進まぬ書類にペンを置き、執務室を出る。ふらふらと足が馬小屋に向かわぬよう意識をして、抜き打ちで使用人の様子でも見て回ることにした。
ランドリーメイドやハウスメイドは急に酷くなった雨脚で濡れてしまった洗濯物の対応や、窓を閉めて回ったりと大忙しで走り回っている。対照的に、大雨のせいで屋外の作業の使用人は手持ち無沙汰に食堂に寄り集まっていた。
その中に、あの黒い子供の姿を見つけてしまった。
思わず視線が釘付けになりかけるのを無理やり引き剥がし、その場を後にする。
早足で執務室に戻りながら、アルノアは先ほど見た光景を反芻する。
雨に濡れそぼったネロはより貧相な体躯が際立ち、薄弱に見えた。まるで足下の水たまりにそのまま溶けていってしまいそうな程にだ。
そんなネロに伸ばされた腕が一対。粗末だがきちんと洗濯がされた布でネロを包むメイドは、その特徴的な肌と髪の色から彼の母親だと一目で分かった。頭や身体を拭く母親に、自分で出来るとでもいうように布を手に取ろうと藻掻くが、結局のところなにかを言い合って大人しく拭かれるままになっていた。むうっと不満げに口を突き出しながら、それでも母親を見る子供の瞳は柔らかく緩んで、母親の行為を享受している。
――そんな、何気ない些細なやりとりが。アルノアには妬ましく、羨ましく思えて仕方がなかった。
気分転換のはずが、余計に苛立ちを抱え、執務室の椅子の背もたれに舌打ちをしながら身体を深く預けた。
己の方がはるかに上等で柔らかな布でネロを包むことが出来るし、暖かなお湯にだって浸からせて、汚れを落とすだけではない良い匂いのする石鹸で優しく洗ってあげる事が出来るはずなのに、現実には何一つする事が出来やしない。
一時的な欲望のままに事をし損じれば、永遠に手に入らなくなることを知っている。
だから解決法を見つけるまで我慢をしなければいけない。だが、いつまでだ? と自問が止まらない。価値を感じていた地位や財産が急に色あせて見えてきている。誇らしくあったアルノア・エイリークという立場が、今はただ疎ましくて。
その時、ぱっと閃光が走り、大きな雷鳴が轟いた。
庭に植えられた背の高い木がパンッと音を立て火花を散らし、黒い煙が上がった。雷が落ちたのだ。
木にメラメラと炎が這った。しかし強い雨にそれ以上激しく燃え上がる事は無く炎は弱まり、木は黒く炭化してゆく。
じりじりと大地と大気を震わせ、庭の木を一本、炭へと変えてしまった稲妻に、アルノアは天啓を見た気がした。

(――アルノア・エイリークを殺してしまおう)

脳裏にひらめいた内容はとても愚かで、不安定な、途方もない方法に思えた。
しかしながらその日、アルノアは11年間という時間で積み上げたものを、たった一人の子供を手に入れるため、壊すことに決めたのだった。

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