この感情を愛と呼ぶには

紀村 紀壱

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3話 ベルテ・デルーセオは逃さない2

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 線を引こうと思っていたのだ。


「今日は都合が悪いから無理です」

 いつもと同じように。
 そろそろ終業時間にさしかかる頃を見計らうように現れ、食事を誘うベルテに、ネロは初めて明確に断りの言葉を口にした。

「何か用事が?」

 ベルテはさして驚いた様子もなく、軽く首を傾げて尋ねてくる。
 てっきりそのまま「そうか、残念だな」と引いてくれと思ったのに。
 理由を問われれば答えるしかない。

「少し、別口で仕事を請け負っていて……その納期が間に合いそうにないのです」

「嘘を上手くつくコツは真実を織り交ぜるといい」というヤンの言葉を思い出しながら、事前に考えていた内容を話す。前半は本当で、後半は嘘だ。

「別で仕事をしている……? 私の記憶が正しければ君は魔術師だったと思うのだけど、魔術師は協会以外での雇用は出来ないんじゃなかったかな?」

 意外にもベルテはこのまま会話を続ける気らしい。
 ネロの話に耳を傾けるのはあくまでも作品の為、のはずだ。ネロ自身の事情にはベルテは興味があるようには思えなかったのに、ここに来て踏み込んでくるのはどういうことなのか。

「一般的な市民が使うような凡庸な魔導具の作成と納品は協会を通さなくても仕事が可能なんです。もともとは魔術師と言うより魔導具師がする仕事なので」
「つまりは魔導具の作成、納品の仕事を本業とは別に請け負っているけど、それが間に合わないと言う事か」
「そうです」
「どうして、そんな仕事をしてるのかい? 誰かに頼まれた?」

 単純に魔術師についての好奇心でも湧いて尋ねているのかと思い答えるが、ベルテの質問は終わらない。
 予想とはだいぶ違うところに話が転がってゆくのにネロは戸惑いつつ、この会話はどこまで続くのだろうと思う。

「別に、少し入り用で」
「お金が必要なのかな?」

 暗に詳しく話したく無いと濁したつもりが、ベルテは今までの距離の取り方はなんだったのかと思うほど、不躾に踏み込んできて。ネロは抗議をするように、わずかに眉を寄せベルテに無言を返す。
 これで会話を切り上げたかったのもあった。

「すまない、あまり君がお金に困るような奔放な生活をしている様には見えなくてね」

 年下のネロにベルテはあっさりと非礼についての謝罪の言葉を口にする。そして眉を下げた微笑みには「心配だから」と書いてあるのを目の当たりにして、途端にネロは据わりが悪い心地になった。
 コレが好奇心に彩られていたり、野次馬根性が少しでも垣間見えていたりすれば、素気なく話題を終わらせることが出来たのに。

「母の医療費を協会に立て替えてもらっているんです。返済は毎月給与から差し引かれてて、困窮する程ではないですが、少し生活費が心許なくて……」

 貴方には関係ないことだと、切り捨てる道もあった。
 本音のところ、ネロはベルテと距離を置こうと思っていたのだ。彼の気まぐれで始まり、いつ終わるかも知れない曖昧な関係。それを全くゼロにするという極端な事はしなくても、頻度を落とし、疎遠になる時の準備をしようとしていたのに。
 正直に身の上の話をしてしまったのは心配を無下にすることを躊躇ったと言うより、心のどこかで嬉しく思ったせいなのかも知れない。
 ベルテが「移民としての感性」に興味を持つだけでなく「ネロという人となり」に言及した事に無意識に心が引っ張られていた。

「母親が病気なのか」
「……でした。もう亡くなって二年になります」
「そうか、大切な人に会えなくなるのはとても辛くて寂しいね」

 どうしてこんな話をしてしまったのか。
 ベルテの言葉にネロは反射的に半歩、身を引いた。
 母親が亡くなったことなど他人に軽々しく話した事など無かったのに。
 病に侵された母親に、魔術協会の元にまだ就学中で身を置くネロが出来ることは協会から金を借りて医療費や生活費を送るくらいしかなかった。数少ない休みを利用して母親の元へ通いながら。魔術師として就職が決まったネロに涙を流して喜んだ母親はそれで安心したとでも言うように程なく息を引き取った。
 母の死は淡々と処理された。ネロの魔術協会の所属とともに住民権を得た母親は病に倒れるまで街の小さな宿屋で働いていたが出身もあってか、深い馴染みの人間を作ることもなく。
 ネロもまた、慣れぬ環境と母親の病の費用を協会に申請するためがむしゃらに就学に励んでいた故に人付き合いの良い方ではなかった。
 だから、誰かに母親のことを話す事など無くて、また誰かに労りの言葉などかけられたことはなかった。

「ネロ?」

 よりにもよって何故このタイミングで、この男なのだ、と思う。
 見上げたベルテの瞳は凪いでいて、必要以上の同情も哀れみの色もない。ただ自然に口にしたような言葉がネロの心情を言い当てていたのに動揺していた。
 副業など、金に困って始めたことではなかった。
 母親の死を上手く処理出来る暇も無く、新しい仕事へと携わり慣れぬうちは良かった。
 ただ少しずつ余裕が出てきて。しかし持て余した時間をこれからどうすればいいのか、最近、急に分からなくなってきたのだ。
 なんとはなしにそんな事をヤンへと話せば「とりあえず金を稼いでおけ。金はないよりある方が良い。それに忙しければ余計な事も考えない」と。いかにも彼らしい効率的な言葉で、実際にそれは理にかなっていたのだけれど。

「ッ!」
「顔色が悪いね、あまり無理をしないで。今日のところ諦めるよ」

 ベルテが手の甲でネロの頬を撫でる。その急な出来事にネロは飛び跳ねるように後ずさった。
 子供でもあるまいし、そもそも大の男から頬を触れられるなどゾッとするはずだ。だがネロが覚えたのは不快さより、久しぶりに触れた人肌の体温への驚きだった。

「また日を改めて誘っても良いかな」

 ネロの大仰な反応などベルテはたいして気にもしていないように、表情を変えぬまま、ほんの少し首を傾げて尋ねてくる。
 それに頭のどこかで首を横に振るべきだと、冷静な自分が訴えている。自分と彼は立場も世界も考え方も違う。慣れた手管に意味なんて無いし、道ばたの愛玩動物へ情をかけるのと何ら変わりの無いのだと。
 だから、上手く心を割り切れない・・・・・・・・・・自分は踏み込んでも、踏み込まれてもいけない、そう分かっているのに。

「……」
「そうか、良かった」

 ベルテの深いブルーの瞳に見つめられると頭の後ろがじわりと痺れるような心地になって頷いていた。
 ネロの答えにベルテが目を細めて満足そうに微笑み、ふと視線を周りに巡らせる。
 ベルテにつられて、ネロもあたりを見渡すが、奥まった書架の森は相変わらずシンと静まりかえって人の気配はない。
 そんな周りに気を取られているネロの、二の腕をベルテが不意に掴んで引き寄せる。

「ネロ。私は君のことをとても気に入っている」

 たたらを踏むようにして、ベルテの胸元に飛び込みそうになるのを、すんでのところで踏みとどまるネロに、頭の上からいつもより潜めた声が降ってくる。

「だからね、君が困っているのなら手を貸したいし、本当はもっと君の事が知りたいんだ」
「なぜ」
「……君がもっと私を頼ってくれたら分かるよ」

 ネロの問いにベルテは答えとは言えない言葉を返してはぐらかした。
 ベルテの抑えられた声は感情が読めない。しかしまるで線を引こうとしたネロのことを咎めているかのように聞こえた。
 顔を上げ、ベルテの表情を覗う事ができない。ただ急に、コレはどういうことなのだろうと思う。
 ベルテを頼るなど、これ以上関係を築き上げたくないのに出来るはずがない。それなのにどうしてそれでベルテが何を考えているのかが分かるというのか。
 つかまれた腕からじわりとベルテの体温が伝わってきて、ネロは目の前のベルテの胸に手をついて押しやった。
 抵抗されるかと思ったが、ベルテはあっさりと身を引いて。
 顔を上げられないネロに「それでは、また」と、いつもと変わらない声とともに視界の端でピカピカの革靴が踵を返す。
 その長身の背中が書架の森から出て行く頃になってやっと顔を上げて、言葉もなく見送りながら、ネロは自分は寂しいのだろうか、と自問する。だからベルテの誘いを上手く断ることが出来ないし、拒めないのだろうかと。
 つかみ所が無いベルテの事は嫌いではない。むしろ彼の所為で人から妬まれていても、ベルテ自身の事は好ましく思っている。
 ヤンの言葉が頭の片隅で蘇る。

「デルーセオをもっと利用しろ。実際に要らん迷惑を被っているんだ。迷惑料だと割り切ればいいんだ」

 そうできたのなら、どれだけ良かったのだろうか。
 ベルテの事が分からない。自分のとはただの作品の為の関係ではなかったのか。
 気に入っている、とはまるで物に対する言い方のようだ、と皮肉げに思いながらもぐるぐるとベルテの言葉の意味を考えてしまう。
 大丈夫だと思っていたのに。そんな考えはベルテの行動であっさりと瓦解して、ネロは途方に暮れた気分でしばらく佇んでいた。

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