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3話 ベルテ・デルーセオは逃さない3
しおりを挟む「貴方って本当にあの子の事が好きなの?」
中心街にほど近い、サイズは小振りだが立地の良いテラスハウスのこぢんまりとした執務室に。
ノックもせずにヒールを鳴らして入ってきた女は、真っ赤なルージュを引いた唇を尖らせながら執務机まで歩み寄ると、腰に手を当てつつ、まるで飲んだお茶が渋くて飲めた物じゃなかったかのような顔で言い放つ。
「どうやらご機嫌斜めのようだね、ロメリア」
「最悪よ、フェルデ貿易の含み益がずっと上がり続けているの。こんな事なら手数料が高いって切らなきゃ良かったわ!」
「完全に手放したわけじゃないから、ここからでも巻き返せるさ」
「貴方ならって事でしょう。いいわ、今回の予想は私の負けよ、ベルテ」
広げていた新聞を畳みながら、ベルテはロメリアと呼んだブルネットの女性に穏やかに微笑む。
甘いマスクの微笑みに、普通の令嬢ならつられて微笑みをこぼすところだが、ロメリアは大きな目を眇めて男の顔を一瞥すると、ハンドバッグから小切手を取り出し、テーブルの上を滑らせた。
「ありがとう。まあ、半年ほど見てくれれば損失は埋められるかな」
「そう、それは貴方があの子を落とすのとどっちが早いのかしら?」
指先でトンっと小切手と叩き、おおよその見込みを計算して告げれば、ロメリアは面白くなさそうに鼻を鳴らして、再び話題を戻した。
「君がわざわざ話を振ってくるのは珍しいね」
「今はそれくらいしか、面白いと思える話題がないのよ」
一見、派手な男好きのする見た目に反して、普段のロメリアは利用価値の低いゴシップなど興味も無く、淡々とその地位を固める事に邁進するタイプなのだが、今回の投資の失敗がよほど腹に据えかねているらしい。
今までビジネスパートナーという言葉よろしく、お互いの事情に踏み入れる事などほとんど無いに等しかったというのに。
「いくら同性だと言っても、貴方って人を誑し込むのが得意でしょう? それなのに未だに食事に行って満足しているなんて、聖職者にでもなったの?」
「手厳しいね」
ロメリアの言葉にベルテは形だけ苦笑しながら、さてどうするか、と考える。
基本的にネロの事を、ロメリアに限らず誰かに詮索されるのは好きじゃない。
おそらくここでベルテが話を断ち切ってもロメリアはさほど気にしないだろう。それくらい彼女は弁えているし、言う程の興味を持っての問いではないのだ。
しかし。
「自分でも不思議ではいるんだ、手に入れようと思っているんだけどね、欲しくて堪らないと思うのに同時に手に入れてしまうのが……惜しい様な気がしてね」
「あら、結局は所有欲と言うより狩りをしている方が楽しいって事?」
「いや楽しくはないな、今も横から攫われやしないかとヒヤヒヤしているよ」
表面上は穏やかに、言葉遊びのような言い回しで。
だがその瞳が暗い色をしている事にロメリアは目聡く気がついて眉を顰める。
「イヤね、うっかり手を出したら怖そう」
「君とはこれからも良い関係を続けたいから頼むよ」
「私もよ」
ロメリアが軽口を叩くのはあくまでも自分は決して手を出すつもりはないし、愚かでもないと言うアピールだ。
「それにしても、手に入れられると思っているのは流石ね」
「今更、逃すとでも思うかい?」
「……無いわね」
愚問だった。
この男から、アルノアという人間を消して、新しくベルテという身分を作り直すという計画の片棒を担ぐ話を持ちかけられた時、ロメリアは耳を疑った。一度は何かしらの詐欺にでも自分をハメようとしてるのでは、と警戒したモノだが。
最終的に本当に何の変哲もない子供一人を、ただ手に入れたい為の行動だと納得はしないが理解した時から、ロメリアはベルテに恐れと感心を抱いていた。
愛や恋は時に狂気を孕む事はよくあるが、ベルテのネロへの感情もまたそれに近いと思っている。
今更、諦めたり、勘違いだったなんて言うことはないだろう。
情報が規制された魔術協会内での就学中の様子すら、どういう手を使ってかは知らないが、入手しているようだった。だから、ベルテがネロを逃すはずがない。しかし同時に接触をはかってからも遅々として関係が進んでいないことを不思議に思うのだ。
「逃すつもりはないが……しかし正直なところ、少し攻めあぐねてはいるかな」
「あら」
不意にベルテが微笑みを崩し、小さな溜め息をついて机に頬杖をつく。分かりやすく迷っていると言うポーズと、ネロの事をあまり話したがらないのに、珍しい事もあるのね、とロメリアは少し目を見開いた。
「……初めは金や容姿で釣ろうとしたんだけどね、なかなか真面目で警戒心が強い。アルノアの言いつけを守っていたのはいいことなんだが」
「まあ、だからこそ今まで真っ新でいたんだから良かったじゃない」
「次は身体から先に落とすのも良いかと思ったんだが、思いのほか小さく細いから薬なんかを使うのは控えたい。マンネリ化したセックスのスパイスにはいいが、下手な利用で後遺症なんてのは馬鹿らしいからね」
「小さくて、細い……?」
ベルテの言葉にロメリアは頬に手を当て、首を傾げる。
興味本位でネロの事を見たことがあるが、成人男性にしては平均より僅かに身長が低いかと思う位で、ベルテが懸念するような小ささも細さもロメリアには感じられなかった。
アレで心配をするのなら女性を相手にする方がよっぽど考慮する必要があるだろう。
「なにか依存性の強い薬でも使う気なの? あの年頃なら、性にタブーでも感じていなければ、気持ちの良いことに慣れてないし、簡単じゃない」
「そんなモノは使わないよ。ただ同性だしね、一度、拒否感を覚えてしまったらそれを拭い去るのは難しいから慎重さが必要だ」
「いっその事、一度娼館にでも連れて行ったら? 後を開発するのが得意な娼婦に初めは任せて、興味を煽らせてハードルを下げるのはど――」
「あまり、その方法は感心はしないかな。免疫がない子供だからね、下手をすると娼婦に熱を上げる可能性がある」
「それもそうね……」
苦笑いをしてみせるベルテに、頷きながらロメリアはこっそりと二の腕を擦った。
人を落とす方法というのは沢山ある。あえて持ち上げて落として。失恋の傷心に付け込むのは一番手っ取り早くて確率の高い方法だ。それをベルテも知っているだろうに。
ロメリアの案に表情こそ僅かに片眉をヒクつかせたぐらいだったが。背筋がヒヤリとして鳥肌がたった。ベルテから立ち上ったのは明らかに苛立ちと殺気だ。
(この男にこんな一面があるなんて)
下手な事はあまり言わない方がいいわね、とロメリアは反省する。
てっきり、ネロを手に入れるためにはどんな手段も選ぶと思っていたのに。
8年もの間、手を出さずによく我慢していたものだと、自由にさせているものだと考えていたけれども。
「ちなみに、今の貴方とあの子の関係ってどうなってるの?」
「警戒してる子猫には興味が無いとフリが一番でね。最近はやっと警戒が解けて、むしろコチラに興味を抱いてきた様だから少し踏み込んだが……昔には遠く及ばない。あの子はもっと眩しいモノを見るような瞳で私を見るんだ」
面白くないと、不満げなベルテにロメリアは内心笑いそうになるのを必死に抑えて平静を装った。
なんたって、あのいつも余裕綽々で駆け引きなどお手の物という色男が。
(こんなの、まるで初恋をする坊やじゃない!)
珍しくベルテが話に乗ってきたのは、無意識に本人自身も上手くいつも通りに振る舞えない戸惑いがある所為だろう。
きっといつものベルテならばもっと強引に、それでもいい具合にネロを落とせるだろう。先に関係を作ってしまえば、心は後からついてくると知っていても、相手からも好かれようとしてしている。
それは理想だ。
少なくとも汚い大人の手管と世界を知っている自分たちには、眩しいくらいの甘い夢物語で、非効率で愚直な手段。それにベルテは気がついていないのか。
「貴方みたいな男も、恋に落ちるとタダの男になり果てるのね」
ロメリアの言葉にベルテが訝しげな顔をする。それにまた笑いそうになりながら。
薄情でどうしようもなく冷たい人だと思っていたのに、少しだけ人として可愛らしいところもあったのねと心の中で独り言ちる。
そして、そんな厄介で面倒な大人に好かれてしまったネロをほんの少しだけ羨ましく思い、きっと振り回されるでしょうね、と同情した。
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