上 下
70 / 77

第70話 王 VS 勇者 ⑥〈side:勇者〉

しおりを挟む

 今、姫はなんて言った?
『私はあなたを勇者と認めない』……だと?

 思わず俺は、吹き出してしまった。
 すぐに笑いは収まると思っていたのに、腹の底から次々と衝動が湧いてきて、引きつった声を抑えられない。

「……いや、失礼。失礼しました」

 ようやく落ち着いたので、一応、謝る。
 イリス姫の顔を見て、言う。

「しかし姫。ご冗談が過ぎますよ。俺が勇者でないとは、そんな」
「……」
「この俺を勇者と認めたのはあんたらだろうがッ!!」

 怒声が出た。
 広い城内を震わせるほどの大音声だった。

 そうか、さっきまで腹の底から湧き上がっていたのは笑いの衝動じゃない。
 怒りだ。

「勇者が勇者らしく助けてやろうって言って、何が悪い! 俺を勇者と呼んだのはお前たち、だったら大人しく助けられろ! そして俺を勇者と呼べ! 呼べよ!」

 ぶちまけた。
 俺自身でも驚くほど、次々と言葉が出てくる。
 だがおかげで、自分の苛立ちの原因を理解できた。

 要するに――ムシが良すぎるのだ。

 貴様らで持ち上げておいて、今更落とす? 冗談じゃない。
 俺を勇者と認めたからには、お前たちは俺を勇者としてあがめる義務がある。
 崇める対象を、つまり俺を不愉快にさせる行為は何人たりとも許されない。
 そうだろ?

「そうだろ……? ええ? イリス・シス・ルマトゥーラさんよ!」

 イリス姫は答えない。
 どこか悲痛さを感じさせる表情で目を閉じている。

 そこで今更ながら、気づいた。
 姫の格好、いつものドレス姿ではない。シスター服。いや……かつてエリスの奴が着ていたような、聖女の衣装。
 苛立ちが、少し収まった。

「ではこうしましょう、姫」

 立ち上がり、手を差し伸べる。

「あなたが聖女として俺に仕えるのなら、今までの非礼を水に流しましょう」
「……」
「その格好、聖女としての儀式を受けられたのでしょう? だったら聖女と名乗って問題ない。俺のパーティに加わるべきだ。それならば俺も納得する」
「……」
「さあ、答えはいかに? 黙ってないで答えろよ、ええ? 新しい聖女サマ――」

 直後、俺の目の前で黒い炎が弾けた。
 衝撃でよろめく。
 魔法の出所を探り、辺りを見回す。すると「こっちよ」と声がした。
 イリスの少し後ろに、女がひとり立っていた。顔に醜い染みが残っている。

「てめえ、アリアか!」
「久しぶり……って言葉もかけたくないわ、今のあんたには」

 心底軽蔑した――という表情と声で元大賢者が言う。
 俺は苛立ちを抑え込んだ。

「ふん。尻尾巻いて逃げ出した落ちこぼれが言ってくれる。だがまあ、さっきの魔法はなかなかだった。大賢者としての力を取り戻したみたいだな。結構。特別にお前も俺のパーティに復帰させてやらんこともない。どうだ」
「……あんたさ。気づいてなかったよね。私がここにいて、魔法を放ったこと」

 俺は眉をひそめる。
 アリアはゆっくりと歩いて、イリスの隣に並んだ。

「聖女になったイリス・シス・ルマトゥーラの放つオーラは本物よ。で、私も全盛期よりは力を落としたとはいえ、魔力量には自信がある」
「何が言いたい?」
「イリスの格好からでしか聖女の気配に気づけない。魔法が着弾したあとも遣い手の存在に気づけない。スカル、あんたさ。どうしようもなく。鈍ってんの。まるで穴の空いたバケツみたいにさ、力を使うだけ使って、二度と溜まることがないわけ」

 アリアの視線が俺を貫く。
 やめろ。そんな目で俺を見るな。
 そんな、弱者を見下ろすような目で見るな。

「そんな奴に、勇者なんて称号、相応しいと思う?」
「ふざけんなっ!」
「ふざけてるのはどっちよ。あんた、頭が回ってないから教えてあげるけどさ。勇者として認めるのが王家なら、勇者を罷免するのも王家の役割なんだよ。当たり前でしょ?」
「罷免? 誰が? 誰を?」
「だから――」

 苛立ったような顔で言い募ろうとするアリアを、隣の聖女がやんわりと止めた。

「ありがとう、アリアさん。後は私が」
「イリス……」
「だいじょうぶ。もう私は、ひとりではありませんから」

 前に進み出てくる。

 階段の踊り場から静かに見下ろしてくるイリス。
 階段下から見上げる俺の目には、イリスとともに、背後にかけられた巨大な王家のタペストリーが映る。

 王族でありながら、聖女。
 その圧倒的な存在感を目の当たりにして――俺は不覚にも、息を呑んだ。

 彼女は口を開いた。

「スカル・フェイス。あなたは勇者の地位にありながら、我が国に大きな混乱をもたらしました。私はこの目で、この耳で、あなたの凶状に触れています。断じて、許すわけにはいきません」

 違う、と叫びたかったが、イリスの迫力に押されて声が出せない。
 まるで走馬灯のように、思い出す。
 かつてエリスの奴が偉そうに自慢していた。

『聖女の前では、悪は足掻く力をも失う。ただひれ伏し自らの罪を認めるのみ』――と。

 ふざけんな。ふざけんなよ。
 身体が動かないのは、震えが止まらないのは、俺が悪だからっつーのかよ。
 ふざけんな……。

「イリス・シス・ルマトゥーラの名において命じます。スカル・フェイス、たった今をもって、勇者としての称号を剥奪します」
「……、……!」
「聖剣を、渡しなさい」

 ふざけんなよ……。
 動け。動けよ俺の身体。否定しろ。否定しろよ俺の声。
 聖剣を持つ手が勝手に動く。
 イリスに差し出すように、恭しく。

 ふざっけんな!
 俺の全部をっ、否定されてたまるかっ!!

「うおおおおおおおっ!!」
「ダメ、イリス!」

 ありったけの力を込めて、跳躍する。
 聖剣を、俺の武器を振り上げ、頭上からイリスを狙う。
 アリアが庇おうと動くが、それすらイリスは拒んだ。
 真正面から俺を見返す。

 ……もう何がどうなってもいい。どうとでもなれ。
 ただ今は、この不愉快な存在を視界から永遠に排除しなければ収まらな――。


 ――甲高い音が、した。


 振り下ろした聖剣は、イリスに届く前に、粉微塵に砕け散った。
 くすんだ金属片が、俺の視界をゆっくりと、やたらにゆっくりと通り過ぎていく。
 全身から力が抜けた。
 直後にアリアの魔法で吹き飛ばされた俺は、階段隅でうずくまった。

 どのくらい、そうしていただろう。

「あなたがラクター・パディントンを追放した日のことを、覚えていますか?」

 聖女であり姫でもあるイリスが、静かに問いかけてきた。

「私は彼に、あなたへの手紙を託しました。簡単な暗号を沿えて。暗号には、こう記しました。『この暗号に気付けたのなら、それはラクター・パディントンのおかげです。もっと彼を大事にしてあげてください』と」

 しかしあなたは気付かなかった、と姫は言った。

「あなたに人を気遣う心があったなら、一生懸命頑張っている誰かに目を向けることができていたなら。あなたも、私も、今、このようになってはいないでしょうね」

 動けない。
 言葉が頭を素通りしていく。なにも考えられない。
 ただひとつだけ、否定しようとしても否定できないことがあった。

「さようなら、スカル・フェイス」

 俺は――失ったのだ、と。


 
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

妹に婚約者を奪われたけど、婚約者の兄に拾われて幸せになる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:198pt お気に入り:339

愛されることを知らない僕が隣国の第2王子に愛される

BL / 完結 24h.ポイント:1,043pt お気に入り:2,843

そちらから縁を切ったのですから、今更頼らないでください。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:731pt お気に入り:2,078

百年の恋も冷めるというもの

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,372pt お気に入り:22

メイドを妊娠させた夫

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,108pt お気に入り:248

欲しいのは惚れ薬、私が飲むんです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:170pt お気に入り:13

処理中です...