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第一章~子供扱編~

010 囁きの彷徨

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「それでは、バートランドさん。今日もよろしくお願いします!」
「――姫様。りないんですね……昨日あんな目にあったのに」

 お昼が丁度過ぎてのんびりとした雰囲気に包まれている町中で、元気よく片手を上げて敬礼のポーズをとりながら目の前の人物に私はお願いをした。

 この乙女ゲーム世界に来てから今日で三日目。私はフェルディナンの屋敷に滞在させてもらいながら、元の世界に帰る方法を探すべく町中を歩き回り情報収集に明け暮れる日々を送っていた。
 情報収集で外出する時は、私は何時いつも目立たないように白を基調とした長い外套がいとう羽織はおって目元まで目深まぶかにフードをかぶっている格好で行動している。

 ちなみに外套がいとうの中はまだ制服を着用していた。女のいないこの世界では時折ときおり現れるだけの異邦人ラヴァーズ用の女物の服はほとんどない。フェルディナンが女物の服を用意してくれているようなのだが、少し時間が掛かりそうだったのでとりあえず目立たないように外套がいとう羽織はおっての外出という形になった。

 そしてそんな私に今あきれた様な目線を向けている目の前の髭面ひげづらの男性の名は、バートランド・ハーディ。
 彼は私がこの世界に来たその日に、王城の兵舎の談話室で最初に話し掛けてきた男だった。髭面ひげづらと言っても全体的に生やしているわけではなく。上唇うわくちびるに生えているだけで、しゃべる度に口髭くちひげがモフモフ動いている程度なのだが。それでも私には十分過ぎる程髭の印象が強い。

 彼の年齢は24、5歳といったところで、そこそこ顔も整っている。初めて会った時は状況が状況だっただけに容姿にそこまで目がいかなくて――というか髭にばかり目がいっていて気が付かなかったのだが。
 こうして向き合ってみると彼はとても優しそうな顔立ちをしていた。明るい茶色の瞳にそれよりワントーン暗いダークブラウンの短髪。目尻が少し下がっていて垂れ目っぽい感じがみょう愛嬌あいきょうがあって可愛く見える。
 そしてバートランドは大柄な体躯たいくのフェルディナンにぐがっしりとした立派な体格の大男だった。腰にロングソードをたずさえた彼は一目ひとめ見て傭兵やそのたぐいの人間だと分かる筋肉の付き方をした無駄のない体付きをしており。その見た目通りバートランドは腕が立ち階級も上の方らしい。今では軍務にいそしむフェルディナンに代わり、私の護衛を任せられている。また、護衛は一人ではなく必ず毎回4、5人は付けられていて、彼はその取りまとめも任せられていた。

「バートランドさん、あれは不可抗力ふかこうりょくです!」
「姫様……情報があるって言われて俺達に内緒でついて行った挙句あげく何処どこかの王族だか貴族だかに売られそうになったのはどこの何方どなたですか」
「それはっ! 重要な機密事項だから誰もいない場所で、って言われたので……」
「その時点でおかしいって気付いてくださいよ。護衛に秘密で一人で来い何てどう考えても不自然でしょう」

 バートランドは明るい茶色の瞳を細めて、非難ひなんするような目を私に向けて来る。

「でもきちんとした格好の身分高そうな身形みなりだったし、優しくて親切な紳士に見えたのでつい、その、――」
「ついて行ったんですよね? ……姫様、世間一般ではそれを詐欺師さぎしと言うんですよ」
「でも、あんなに優しい人が実は詐欺師さぎしだなんて気付かないですよ~!」
「――姫様が売られそうになった何て……それも事後報告でそれを知った時のクロス将軍の顔、見ましたか? 俺は黒衣こくいの軍に入隊してまだ3年ですけど、クロス将軍のあんなに心配そうなというかあせった顔は見たことないですよ」
「そうなんですか?」 
「そうなんですよ」
 
 バートランドは見た目では24.5歳位に見えるのだが、入隊の年数がその年齢にしては短い気がして私は思わず聞き返してしまった。

「って入隊して3年……? バートランドさんって何歳なんですか?」
「俺の年齢ですか? 今年で20歳になりましたけど。何か気になることでも?」
「……いえ何でもないです」

 それがどうかしたのかとでもいう様に不思議そうな顔で問われて私は内心固まっていた。

 この外見で私と4つしか違わないなんて……これはきっと髭のせいでそう見えるだけですよね?

「姫様がだまされやすい人っていうのは前回の件でよく分かりましたけど。頼みますからこれ以上、クロス将軍と俺達護衛役の心労を増やさないで下さい」
「えっと、そのぉ~そうは言われてもですね。皆さんも御存知ごぞんじの通り、女の子を産まないと元の世界に帰れないって条件以外に、元の世界に戻ることが出来る手掛かりがあるかもしれないと言われれば――まあ、そのついて行くしかないというか……あはは、大丈夫ですよ! バートランドさん達がいれば」

 この乙女ゲーム世界から元の世界に帰る為には、攻略対象キャラと結婚して女の子を出産すること。そしてその女の子を自分の身代わりにこの世界に置いて行くことで元の世界に帰ることが出来る。それが乙女ゲーム世界から元の世界へ帰還する為の必須条件となっているのだが、私はどうしてもそれを回避したかった。だからここ数日、その必須条件以外の方法を探していた――護衛付きで町を放浪ほうろうしながら。

 そんな暗い内情ないじょうとは反対の楽観的な私の言葉を聞いて、バートランドはハァーと深い溜息をついてうつむいてしまった。しばらくしてから、彼はダークブラウンの短髪に指を埋めて頭をガシガシと半ば乱暴にくと、明るい茶色の瞳を困ったように細めながら私に目線を戻した。

「ついて行くしかないって……姫様それは勘弁かんべんしてほしいのですが」
「私は護衛の皆さんを頼りにしていますから」

 私がにっこり笑ってそう言うと、バートランドは更に深く溜息をついた。
 はたから見れば大柄な体躯たいくの大人の男を子供が困らせているようにしか見えない。そう思うと何だか訳もなく罪悪感にも似た複雑な感情がき上がってきて。にっこり笑っている表情とは裏腹うらはらに胸がザワザワしてくる。

「――なぁ? これはお止めしないくていいのか?」

 バートランドは人懐ひとなつっこい性格らしい。ここ数日、護衛の責任者としての言動を見る限り、彼は他の同僚達と何時いつも仲良くしているイメージがある。どうやら彼は仲間内ではムードメーカー的存在のようだ。
 そんな訳で、バートランドは何時いつもの調子で後方にいる数名の護衛仲間達に親し気に話し掛けたのだが――バートランドの問いかけに、彼らは苦笑するばかりで私達の会話には加わろうとしない。一歩引いて見守っている感じだ。ちなみに彼が話し掛けた仲間達も彼も皆、フェルディナンが統率している黒衣こくいの軍に所属する軍人であり、その名の通り黒い甲冑にマントを羽織はおった恰好をしている。

「そんなふうに軽口叩いてズバッと指摘してきしてくれたり、気軽に話し掛けてくれるのはバートランドさんくらいですよ。それに私のことを姫様なんて呼ぶのも」

 ここまで緊張というか、恐れ多いという態度を取られていては――私はバートランド以外の護衛役達と同じように苦笑するしかない。彼らがここまで遠慮しているのは私が異邦人ラヴァーズであることに加えて、フェルディナンの保護下にあるということが相当に影響しているのは確かだろう。

「あーそれは出会って初っ端からやらかしたので、今更建前たてまえは必要ないかなと。そのことはクロス将軍にも知られていますからね。だから俺を姫様の護衛のそれも責任者に指名しめいしたんでしょうけど」
「やらかしたって……ただちょっと驚いて大声上げて私に話し掛けてきただけで、とくにバートランドさんは何も――」
「それだけで十分なんですよ。姫様との関りを少しでも持っている者に姫様を任せたかったのでしょう。その方が姫様も安心しますからね」
「……ふーん」

 そういうものなんだろうか? 

 少しハテナマークが頭を飛び交ったが。確かにバートランドは気さくな感じで遠慮する必要がなくて一緒にいると安心する存在だった。それも考慮してのフェルディナンの措置そちなのだろうと私はバートランドの言葉に何となく納得する。

「それにこの国最強の将軍の保護下にある異邦人ラヴァーズを名前で呼ぶなんて恐ろしくて出来ませんよ」
「いや、あの、でもですね。その姫様という呼び方はちょっと……」
「それで姫様、これから如何どうするんですか? 何処どこ目星めぼしは付けているんですか?」
「…………」

 あれっ……? バートランドさん、今サラッと話らしましたよね? 

 姫様と言われて悪い気分になるという訳ではない。ただ少し恥ずかしくなるくらいで。どうやらバートランドは絶対に呼び方を変える気はないようだ。

「姫様?」

 ほらやっぱり。絶対に呼び方を変える気ないですよね。まあ、いいですけど……。

 明るい茶色の瞳より若干暗い色の口髭くちひげをモフモフさせながら話し掛けて来るバートランドは、何だか大きな犬のように見える。人懐っこく従順で大人しい大型犬。でもいざという時は主人を守る為に敵に牙を向ける勇気を持った勇敢ゆうかんな番犬といったところだろうか。
 事実、バートランドとフェルディナンのやりとりを身近で見ていた感じでは、彼はフェルディナンに絶対服従ぜったいふくじゅう忠実ちゅうじつな部下の一人といった様子だった。

 私がフェルディナンの保護下にある限りバートランドはその呼び方を変えることはないだろう。仕方ない――恥ずかしいのを少し我慢がまんすればいいだけだし。呼び方についてはあきらめるか。そう思って私は気付かれないように小さく溜息をついてからバートランドを見上げた。

目星めぼしですか? ……うーん、特には。というか、逆にこっちが知りたいくらいです。バートランドさんは有益な情報が転がっていそうな場所に心当たりはないですか?」
「有益な情報、ですか。そうですね。俺達がたまに情報交換に利用しているところに“グレーローズ”っていうのがあるんですけど……あっ、いややっぱり今言ったことは忘れて下さい。間違えました」

 そう言って何故かバートランドは自身の言葉を慌てて否定した。

 んっ? ちょっと待って下さい。それには少しというかかなり聞き覚えがあるのですが……。

 もしかしてと思って私は心当たりを口にしてみることにした。

「それって――表通りのホワイトローズと、その裏通りのブラックローズ。表と裏の通りの中間に立っている大きなお屋敷のことですか?」
「……何で姫様がそんな場所の事を知ってるんですか? まさか行ったことある何て言うんじゃないでしょうね。俺達の目を盗んでお一人で」

 うっ不味い。

 私はギクッと身を強張こわばらせてしまう。背中を嫌な汗が流れるような感覚に更に身が強張こわばり固くなる。
 何で知っているかって、それはこの『女の子を産まないと帰れない!?~乙女ゲームの世界に転移しちゃいました~』略してプレイヤーの間では「のをない」(女の子を産まないと帰れないの略)と呼ばれている乙女ゲーム――を元の世界でプレイしていた時に、この国の地理が事細ことこまかに描かれている地図を見ていたからなのだが。それをこの国の人に説明したところできっと分かってはもらえないだろう。何しろゲーム機自体が存在しない別の世界なのだから。

 あーこのパターン、何回目でしたっけ? 

 ちなみにイリヤ、フェルディナン、そしてバートランドへと続いてこの展開は今回が3回目となる。
 今度からは乙女ゲームをプレイして知ったこの世界の知識に関しては、知っていても知らない振りをしないと――私はグッと拳を握り締めて決意を固くした。
 そうしなければ18禁乙女ゲームをするエッチなお子様と思われてしまう。恥ずかしいにも程があるというものだ。

 それにしてもホワイトローズとかブラックローズとか何度聞いても、すごく乙女ゲームらしい女性好みな通りの名前だ。そう思って地図をよく見ていたから、私は“グレーローズ”がある場所をはっきりと覚えていた。多分一人でも迷わず行ける自信がある。

「あはは、やだなー違いますよ。行ったことはないです。町の観光地図を見た時に載っていたのをたまたま覚えていただけです」
「ふーん。そうなんですか」

 ぎこちなさすぎる私の愛想笑あいそわらいに、バートランドはあからさまにその明るい茶色の瞳を細めた。普段は人懐っこくて大型犬のような雰囲気の、目尻が少し下がっていてれ目っぽい愛嬌あいきょうのある瞳が今は私への疑心ぎしんから、うたがわしいというか胡散臭うさんくさいモノを見るような目に変わっている。が、私はそれを無視することにした。

「そこに行けば何か手掛かりになりそうなことが分かるかもしれないってことですよね?」
「いやですから、俺の勘違いです。ですからグレーローズには行きませんよ? 何といってもあそこは――」
「ねえ、バートランドさん」

 手掛かりがあるかもしれない。バートランドは勘違いだと否定したけれど、一度口にしたということはそれなりに何か期待出来るものがあるかもしれないということだ。何の根拠こんきょも意味もなく心当たりのある場所を言う人はいないだろうから。
 もしかしたら今よりも少しでも良い方向へ前進出来るかもしれない――その期待に私は居ても立っても居られなくなって、思わず何か言いかけたバートランドの言葉を途中でさえぎってしまった。

「……何ですか? 姫様」

 突然雰囲気を一変いっぺんさせ真剣な顔付きとかたい声で話をさえぎった私の様子に、バートランドは嫌な予感がしたのか、額に薄っすらと汗を浮かべながら聞き返してきた。モフモフした口髭くちひげも何だか何時いつにも増して不安気にくらく影を落としているように見える。
 
 ――きっと行きたいって言ったら反対されるんだろうなぁ。どうしてだかバートランドさんあんなに嫌がってるし。

 他人事のようにそう思いながら苦笑して少し気持ちを落ち着かせる。
 この乙女ゲーム世界に来てから私はずっと迷子の子供のような心境だった。迷い戸惑いながら手探りでフラフラと当てもなく歩き回る。
 本当にこれが正しい道なのかと疑いながらの乙女ゲーム世界を彷徨ほうこうするしかない自分の不安定過ぎる立ち位置に、まだこの世界に来てから三日しか立っていないのに何度くじけそうになっただろうか。

 自分の中に常にある迷いと不安、そして自信のなさの影響でなかなか言葉が出てこなかったが。私はなんとかバートランドに聞こえるか聞こえないか位の小さな声で、そっとささやくようにその言葉を口にした。

「私……グレーローズに行きたいです」
 
 そう私が言った瞬間、バートランドの明るい茶色の瞳の瞳孔どうこうがこれでもかという位大きく開かれた。きっとそう言ったら反対されるのは目に見えていた。今は衝撃に口をパクパクさせてバートランドは言葉を失っているけれど、もう少ししたらお小言が飛んでくるだろう。
 バートランドが何を隠しているのかは分からないけれど、きっとそこに行けば何かしらのものが得られる私はそんな気がしていた。
 
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