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第一章~子供扱編~

022 雄の匂い

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「シャノンさん!?」

 シャノンは以前グレーローズで会った時と同じように黒い外套がいとう羽織はおっていた。

「すまない……不肖ふしょうの弟が迷惑を掛けた」

 シャノンはイリヤと並んでも見劣みおとりしない位の立派な体躯たいくを曲げて、申し訳なさそうに頭を下げた。私はシャノンの言っている意味が分からなくて首をかしげてしまう。

「えっと、迷惑って?」
「一度月瑠も路地裏で会っただろう? 黒髪で銀眼の獣人に」

 イリヤに教えられて私は驚きに思わず声が裏返ってしまった。

「あの怖い人、シャノンさんの弟さんだったんですかっ!?」
「ああ、だが彼奴あいつだけじゃなくほかの獣人達も皆、大分だいぶ抑えがきかない状態になってきている。すまないが数日の間に答えを決めてほしい。今から数日後にもう一度貴方あなたを訪ねる――その時に我々と来るかこの国に残るのか答えを教えてほしい。異邦人ラヴァーズ貴方あなたが出した決断ならどんな内容であっても彼等かられ承諾しょうだくするだろう」
「……分かりました」

 私が神妙しんみょう面持おももちでコクリとうなずくとイリヤが話しに割って入って来た。

「二人共もう話しは付いたかな?」
「はい」
「……ああ」
「それじゃあもう本当に君をフェルディナンの元に返さないとね。屋敷を出てから小一時間程経過しているし、そろそろ気付かれてもおかしくない頃だ」

 お昼に脱走しようとしてから一時間ほどっているということは――時刻はもう少しで二時を回るところだった。
  
 ……フェルディナンさんに脱走未遂がバレるってこと? そ、それは本当の本当に不味いっ!

「イリヤ早く帰りましょうっ! フェルディナンさんが戻る前に屋敷に戻らないと~!」

 私は必死の形相ぎょうそうで早く帰ろうとイリヤの腕を引っ張った。

「あのさ、月瑠。一応言っておくけどこういうことはフェルディナンの前ではやらない方がいいよ? 誤解されると後が大変そうだし」
「こういうこと?」
「……うん、まあいいか」
「えっと、あの、ごめんなさい。イリヤの言っていることが私よく分からないんだけど……」  
 
 困惑の表情を浮かべている私とは正反対にイリヤは楽しそうにくすくす笑いながら私の背中をポンっと叩いた。

「そうだよね。まあ、それより今は早く帰らないといけないんじゃなかったかな?」
「あっ、そうですよね! シャノンさんそれではこれで……」
 
 先を急ぐ私にシャノンは何も言わずに微笑んでうなずいて見せた。

「それじゃあ行こうか」
「はいっ!」 

 約束を反故ほごしてしまったことを隠そうとする子供のような私の姿に、きっとイリヤとシャノンは心の中では大爆笑しているにちがいないけれど、今の私はそんなことにかまってはいられなかった。



*******



 脱走したことがバレないように、私はイリヤに聖域せいいきからフェルディナンの屋敷まで送ってもらう際、行きと同じ方法で送ってもらった。イリヤは私を抱えたまま脚力きゃくりょくだけで高いへいを軽々と乗り越えてフェルディナンの屋敷内に侵入すると私を会った時と同じ巨木きょぼくの前まで連れて行ってくれた。

「それじゃあ俺はもう行くよ? フェルディナンに見付かったら色々と面倒になりそうだからさ」

 イリヤは抱えていた私の身体を地面に降ろした。

「はい、それではこれで……」
「――ようやくお帰りのようだな」
「「!?」」

 さよならをいって別れようとした時、聞き覚えのある声が耳に届いて私とイリヤはギョッとしてほぼ同じタイミングで声のした方を振り向いた。
 
「フェルディナンさんっ!? あの、……王城に重要な会議で出かけられていたのでは?」
「重要な会議といっても半日もあれば十分なものだったからな。それよりも――」

 フェルディナンは何時いつも通りの落ち着いた物腰で話すとその紫混じった青い瞳をすっとイリヤに向けた。イリヤに説明を求めている彼の瞳が私に向けられたものよりも数段鋭い光を放っている。フェルディナンからのすような視線にも動じたふうもなくイリヤは飄々ひょうひょうと答えた。

「今回のことは俺が付いて来てほしいっていったんだよ。話したいことがあったからね」
「……そうなのか?」

 再び向けられたフェルディナンの視線に私は歯切れ悪くたじろいでしまう。

「えっと、それは……あの……」

 どうしよう。その通りなんだけど、当初の目的は脱走だったわけだし。ここでハイと言ってしまうのは全面的にイリヤのせいにしてしまうことになる――そんなことしたら罪悪感に気持ちが悪くなりそう。

 私が返事にまごついているのをどうとらえたのか、フェルディナンは黙って私を見つめているばかりだ。私はフェルディナンからの圧力に耐えられなくて思わずイリヤの腕をギュッと握りしめてしまった。

「月瑠……それ余計に誤解が生じるというか、フェルディナンが怒るからね?」
「?」

 そう言ってイリヤは困った顔をして頭に手を当てた。その様子がイリヤにしては珍しく少し動揺しているように見えて顔を近づけて観察してしまった。顔を近づけた私にイリヤは益々ますます表情を強張こわばらせていく。苦虫にがむしつぶしたような表情で舌打ちすると、最終的には仕方ないなと私の頭にポンッと手を乗せた。

「あー、月瑠それ以上は動かないように。それとフェルディナンもそんなんじゃないからそんなに怖い顔しないでほしいんだけど。今回は俺、彼女に手は出してないからさ」
「何の話をしている……?」 
「……あれっ? もしかして言ってなかったとか?」

 手を出していないとは勿論もちろん、あの薄暗い路地裏での出来事をしている。

「な、な、な……いっ、言える訳ないじゃないですか――っ!」

 何てことを言ってくれたんだと私はおろおろと取り乱してしまう。フェルディナンの方を見る勇気がない。彼は今どんな顔をしているんだろうか?

「それと月瑠はこんなもので何とかしようとしていたんだけど。もう少し危機管理について色々と教えてあげた方がいいことが沢山ありそうだよ?」

 何時いつの間に私から取り上げていたのかイリヤは私が持っていたペーパーナイフをフェルディナンの方へポイッと放り投げた。それを空中でつかんだフェルディナンの顔が更にけわしくなっていくような気がして私は気が気じゃなかった。

「…………」
「それについては月瑠に聞いくれないかな? 俺これから用事あるから説明してる時間ないんだよね」
「イッ、イリヤっ!? 言わないって言ったじゃないっ!」

 約束が違うと抗議するとイリヤは意地の悪い笑みを浮かべた。

「約束通り俺は月瑠が何をしようとしていたのかは何も言ってないけど? ペーパーナイフだってただフェルディナンに渡しただけだし」
「…………」

 確かに言ってはいないけど、結果的には全部バラしたも同然じゃないですか――っ!

 そう言うのを屁理屈へりくつと言うんですと抗議しようとしたところで、イリヤはさっと身をひるがえして高いへいの上まで跳躍ちょうやくしてしまった。先程まで私がつかんでいたイリヤの腕もいつの間にかほどかれてしまっている。
 一瞬で起こった無駄のない一連の動作に放心ほうしんしてしまう。しかし私はその身軽さがまるで忍者みたいだなと感心している場合ではなかった。

「ちょっ、ちょっと待って! イリヤまさかそのまま逃げる気じゃ――」
「夫婦喧嘩は犬も食わないって言うしね。俺も巻き込まれるのはごめんなんだよ。ごめんね月瑠」
「何言ってるんですか!? 私達そんなんじゃないですよっ!」
「……そこはあまり否定しないことをお勧めするよ。それじゃあまたね」 
「イリヤッ!」 

 もしかして結局全部私に押し付けて逃げるってことですかっ!?

 にこやかにバイバイと手を振ってイリヤはへいの向こう側へとあっさり姿を消してしまった。
 先程までイリヤがいた方を向いてフェルディナンに背を向けている私は、イリヤがいなくなってしまった今フェルディナンに向き直るべきなのだが恐ろし過ぎてどうしても出来なかった。 

 波風なみかぜ立てるだけ立てていなくなった――っ! ひ、酷い……

 心の中でイリヤを非難ひなんしていると、それまで私とイリヤのやり取りを静かに聞いていたフェルディナンが口を開いた。

「どうやら君にはたださなければならないことが色々とあるようだな」

 ふうっと溜息を付いてそう言うと、こともあろうにフェルディナンは少しも躊躇ちゅうちょすることなくこちらに向かってスタスタと歩いて来た。相変わらず漆黒しっこくのマントと甲冑の”黒将軍くろしょうぐん”姿は滅茶苦茶めちゃくちゃ格好いい。普段なら喜ぶところなのだけれど――でも今は近づいてほしくなかった。
 何故なら私は脱出する際に使おうとしていたロープを手に持ったままだったからだ。一度腰に巻き付けて巨木きょぼくを登ろうとしたものの失敗、高いへいを降りる時に使う予定だったのに使いどころがなくなってしまった為、仕方なく手に持ち直していた。私はそれを後ろ手に持ち替えて何とかフェルディナンの視界から隠した。
 
 フェルディナンは私の前まで来くるとピタリと止まって怪訝けげんな顔でこちらを見下ろした。ロープが絶対にフェルディナンからは見えないように私は両手を体の後ろに回したままうつむきがちにそっぽを向いた。フェルディナンに内緒で脱走しようとした罪悪感と気まずさにフェルディナンを直視することが出来ない。

「月瑠?」

 名前を呼ばれてフェルディナンを垣間見かいまみる。私の名前を呼んでいるフェルディナンが首をかしげて不思議そうにこちらを見ているその仕草しぐさが妙に可愛くて困ってしまう。

 う~、本当に美形ってずるいっ!

 私は観念かんねんして気まずげに別の方へ向けていた顔の向きをフェルディナンの方へと戻した。

「あの、フェルディナンさん。さっきのイリヤが言っていたことですが……」

 イリヤが荒らすだけ荒らしていったこの場をどうやっておさめるか。良策りょうさくなど何も思い浮かばない。だからといってフェルディナンに大人しく全部話すという選択肢はそれこそない。後が怖すぎる……
 切り抜け方が分からなくて一度開けた口を再び閉ざしていると、フェルディナンの視線が私の後ろ手にそそがれていることに気が付いた。

「何を隠している?」
「あはは、やだな何も隠してないですよ?」
「月瑠……手をこちらに見えるように出しなさい」

 にっこりと作り笑いをして早口に答えた私の嘘をフェルディナンは見逃さなかった。

 その台詞せりふ……なんか警察に捕まっているような気分。……――ってそんなこと考えてる場合じゃなかったっ!

 私は慌てて後ろ手に持ったロープを隠そうとぐ後方にある巨木きょぼくに背中を押し当てた。巨木きょぼくと私の身体にはさんでロープを完全に隠しきる。
 そんな私の慌てている様子があまりにも不審ふしんうつったようで、フェルディナンはその紫混じった綺麗な青い瞳をぱちくりさせて私を見ている。

「本当に何にもないですから!」
「……月瑠出しなさい」
「ですから本当に何にもないんですっ! 私、フェルディナンさんが何を言っているのか全然分からな――むぐぅっ!?」

 意地を張るように声をあらげた私の口に、フェルディナンは手を当ててこれ以上私が言い訳を喋らないようにふさいでしまった。そしてフェルディナンは後方の巨木きょぼくに私の体を強く押し当てて完全に退路たいろつと、前屈まえかがみになってのぞき込むような態勢で顔を近づけた。

「今までにも何度も言っているだろう? 頼むちゃんと話してくれ」

 真摯しんしな顔でそれも29歳も年下の相手に、フェルディナンは懇願こんがんするようにせつない表情で話し掛けてきた。
 黒将軍くろしょうぐんと呼ばれる――それも王族の血を引く高貴な血筋のフェルディナンにそこまでされてしまっては私も何時いつまでも言い逃れを続けられなかった。

 ――これ以上そんな悲しそうな顔で私を見ないでほしい。

 私は何度もまばたきをして口をふさいでいる手を放してくれるように頼んだ。フェルディナンは口をふさいでいた手をはずすと、両手を私の顔の横へ伸ばして後方の巨木きょぼくに手を付けた。そのまま私をこうから探るように見てくる。フェルディナン以外を見ることが許されない体勢で、巨木きょぼくに体を強く押し当てられて、フェルディナンにらわれているような状況に私はついに降参こうさんさせられてしまった。

「あの、フェルディナンさん私、ちゃんと話しますから! だからこの体勢は……」

 巨木きょぼくを背に私は硬直こうちょくしていた。先程からフェルディナンは両手を後方の巨木きょぼくに付けたまま、私を押さえつけているような恰好でじっと動かない。どうやら私が続きを話し出すのを辛抱強しんぼうづよくまっているようだ。

 とはいえこんな体勢で話すなんてあまりにも恥ずかしすぎるし緊張して逆に頭が回らない。せめて普通の対話するような形でお願いしたいですと私は切実せつじつに思った。そうして戸惑いの瞳をフェルディナンに向けたものの、フェルディナンは一向いっこうに動こうとはしてくれない。逆にもっと顔の距離を近くされてもうすぐで互いの唇がくっついてしまいそうだ。

「あ、あの……」

 そうしてすっかり逃げ腰になってしまった私の腰に、フェルディナンは手を回してグイッと自身の方へ引き寄せた。私の腰に片手を巻き付けたままフェルディナンはもう片方の腕で私の手の中にある物を取り上げた。屋敷の高いへいを乗り越えて逃げる為に用意したロープがあらわになる。

「あっ……」

 思わず声がれてしまって、私は後ろめたさに目を泳がせてしまう。

「……ロープか」

 うっ、そうです。ロープです。見まごうことなく。何にも言い訳も言い逃れも出来ないくらいに立派なロープです……

「これは? 何に使うつもりだった? まあ、聞かずともだいたいのことは予想が付くが……私は月瑠の口から直接聞きたいんだが?」

 少し迫力のある低い声でフェルディナンに言われて、私はますます逃げ腰になって小さくなってしまう。

 あのー、予想出来るなら聞かないでくださいお願いします。

 と、心の中でお願いしたところでフェルディナンに伝わるわけもなく。私は素直に謝った。

「ごめんなさい、このへいを乗り越える時に使おうとしていました……」

 フェルディナンはあきれたように溜息をついてガシッと金の髪をげた。

「もしへいから落ちたらどうするんだ。そんな危ないことをするな」

 温厚なフェルディナンにしては珍しく苛立いらだつような声色こわいろだった。

 それだけ心配させてしまったってことですよね……

「……はい、ごめんなさい」
「それにどうして一人で屋敷を出て行こうとした? 屋敷を出るなと伝言を残していっただろう。町中に行きたいのなら私が帰って来てからでもよかったはずだが?」
「それは……」

 あっ、やっぱり町に情報収集しに行こうとしていたと勘違いしてる? 違います町に情報収集へ行ったのではなく屋敷を出て行こうとしていたんです。と、その質問自体を否定したらどうなるだろう……

 私はフェルディナンが怒らない説明方法を必死で探した。話すと言ったのに一向いっこうに話を始めない私の様子に、フェルディナンは益々ますます不審ふしんの色を濃くしていく。しばら膠着状態こうちゃくじょうたいが続いて、フェルディナンはまたふぅっと深く溜息をついた。そして彼は紫が混じった青い宝石のような瞳を細めると私の手をつかんだ。

「えっ? フェルディナンさん?」

 フェルディナンの突然の行動に驚いて動けなくなっている私の手を、彼は私から取り上げたロープで両手ごとまとめて縛り上げた。

「なにするんですか!? やだっ! 外してくださいっ!」

 フェルディナンは驚きに目を見張る私の制止など無視して今度はひょいっと私を抱き上げてしまった。そのままの流れで屋敷の方へと足を向けてフェルディナンは歩き出してしまった。

 また路地裏でフェルディナンに助けてもらった時と同じ、お姫様抱っこで私はフェルディナンに抱き上げられたまま屋敷の中へと入っていった。前回はフェルディナンの雄々おおしくたくましい首筋に両手をからめて抱きついていたのに、今回はフェルディナンに両手を縛り上げられて身動きがとれない。

「降ろしてください! どうしてこんな――」

 必死にフェルディナンに話し掛けても彼は答えてくれない。
 お姫様抱っこだけでも恥ずかしいのにそのうえ、手をロープで縛られている姿を屋敷の使用人達に見られてしまうという失態しったい――あまりの恥ずかしさに顔が真っ赤になってしまう。

「フェルディナンさんお願いですから降ろしてください!」

 私の声が聞こえていないとでもいうように、フェルディナンは綺麗に聞き流して無言のまま屋敷の中を歩いて行く。使用人たちの驚いた視線にも全く動じない。

 涼しい顔をしてフェルディナンは屋敷の中でも一番広くて立派な、屋敷の中心部に位置している部屋に入っていった。それは屋敷の主人のみが使用を許されているフェルディナン自身の部屋だった。
 フェルディナンは私が貸し与えられている部屋の隣に今は簡易的に越してきているけれど、この屋敷の主人である彼には本来この豪華な部屋こそ相応しい場所だった。
 部屋のドアを閉めるとフェルディナンは私をベッドの方へと連れて行った。ドサッとベッドの上に降ろされる。

「何するんですか!」

  まさかフェルディナンの部屋に連れてこられるとは思ってもいなかった。動揺に声が震えそうになるのを何とか抑えて、私はキッとフェルディナンをにらみつけた。

「こうでもしないと月瑠は逃げるだろう? 君は油断していると必ず逃げるからな。前科ぜんかがないとは言わせない」
「それはっ……!」
「それで? 何時いつになったら本当の事を話す気になるんだ?」
「…………」

 何時いつまでも言い逃れを続けてはいられないとは思ったものの、いざとなるとやっぱり話すのは怖い。それもフェルディナンの部屋でそういうことを話すのは嫌だった。イリヤは私をフェルディナンが嫌いになることなんてあり得ないと言ってくれたけれど、どうしてもそれを信じ切るだけの自信がなかった。

 ――こんな綺麗な人がモブキャラ要素しかない私を好きになるなんてこと本当にあるんだろうか?

 フェルディナンのテリトリーの中で、それも玉砕覚悟ぎょくさいかくごで好きだからこれ以上子供扱いされているのは辛いから、だから出て行こうとしただなんて言いたくない――攻略対象キャラとか元の世界への帰還方法とかそんなの関係ないこれが私の一番知られたくない部分で本心だった。
 フェルディナンが好きでその気持ちをあばかれたくないただそれだけだった。

「強情だな……」

 フェルディナンの声が何時いつにもして低く響いて耳朶じだを打つ。私はゾクッと背中に寒気さむけにも似た何かを感じて、思わずフェルディナンに縛られたままの両手を胸元に強く押し当てて少し後退してしまう。

 フェルディナンはそんな私のあごに手を掛けて上向かせると、私の知っているいつもの優しくて穏やかな顔とは違う顔を私に見せた。

 それは大人の男の顔だった。私を甘やかすことにけているいつもの優しい彼とは全く違う。見慣れているはずの金髪に紫混じった青い瞳の端正たんせいな顔立ちからは、濃厚のうこうおすにおいがただよっていた。
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