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本編
3、魔女の感情
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相手が悪かった。そうとしか感想が思い浮かばない。
年若い公子に圧倒されつつある自分の状況を苦々しく思いながらも、リリヤは逃げに徹することにした。威嚇のためとはいえ、魔力をこの美しい少年に行使することは躊躇われたからだ。
(……魔女の誇り、ね……でも、そんなものに気を取られて、またこの子を……子供を傷付けるくらいなら逃げた方がましだわ)
暗にオルグレンに嗜められたことを気にしつつも。それでもリリヤは反することを決断していた。
「そうですか……ならばもう一度、はっきりと申し上げます。私は公子様がお探しの『白の魔女』リリヤ・ソールズベリーではありません」
「あくまでも認めるつもりはないと言い通すつもりなのか?」
「はい」
頷きながらも嘘をつき続けることへの罪悪に囚われて、リリヤはオルグレンの真っ直ぐな眼差しを受け止めきれずに。途中、思わず視線を外してしまった。
「……?」
挙動の僅かな乱れ。その不審に目を留めてオルグレンが首を傾げている。
「で、ですので公子様、魔女としての真名を公衆の面前でお伝えすることはお断り致します。それでは……私はこれで失礼しますね?」
下手を打ったことで後の物事が連鎖的に悪い方向にいくことはよくある。今が更にそれだった。
観衆からは先程とほとんど変わらぬ様子に見えていただろうが。オルグレンにはきっとリリヤの動揺がばれている。それも、微妙な誤魔化し笑いを残してこの場をさっさと退場しようとしているのだから尚更だ。
(ああ、私の馬鹿っ! なんだってこんな不器用なのよ……!)
世渡り上手でないことは分かっていた。けれど、もう少し上手い言い回しはなかったのかと。リリヤが心の中で猛省していたところで。ようやく、オルグレンはリリヤが指名手配犯の容疑から逃れることよりも。オルグレン自身から逃れることを優先しているのに気付いたのだろう。
リリヤを引き留めるように、オルグレンが口を開いた。
「……逃げるのか?」
──俺から
心意を即座に見抜かれた衝撃と、綺麗なオルグレンの整った唇から紡がれた言葉の、その想定外の男強さに。ドキッと鼓動が高まるのを感じてリリヤは一瞬動けなくなった。
この公子は見た目だけでなく頭も回る。それも相当に。
(見かけ倒しではないということね……)
焦ったところで良い結果に繋がるとは限らない。単純な性格で猪突猛進、人を騙すのが元々苦手で、世渡り上手ではけしてないリリヤは。三百年という長い魔女人生の中で、それを嫌というほど味わってきた。
「ただの人間の貴方が魔女の私を相手にするおつもりで?」
黒の女王の伴侶は人間だった。そして、その子息に当たるオルグレンもまた、魔力を受け継がず父親と同じ普通の人間として生まれた。
嫌われてもいい。どう思われようとかまわない。たとえどんなにみっともなく目の前の公子に自分の姿が映っていたとしても。
ただリリヤは、今、自分の前に立ち塞がるオルグレンを傷付けることなく、オルグレンの前から一刻も早く姿を消したかっただけだ。
しかし、そうした意図で人間であることを嘲笑うリリヤに気を悪くするでもなく。オルグレンは静かにリリヤを見ていた。そこからは哀れみの感情も同情も何一つ読み取ることはできない。
リリヤがいくら扇動するようにオルグレンの感情に揺さぶりをかけようとしても。挑発と牽制がオルグレンに対しては全く意を成さないのだ。
「……情報が入った。指名手配中の逃亡犯『白の魔女』が町娘に扮して生活していると」
淡々と返されるオルグレンとの会話。何の反応も返されない歯痒さに、リリヤは苛立ちを感じ始めていた。
「情報ですって……?」
「俺はそれを確かめるためにきた」
リリヤが本物の白の魔女であるかどうか。その疑いはまだほんの僅かに確信に届いていない。
「いったい誰がそんなこと……」
怪訝な顔をするリリヤの疑問は次の瞬間、あっという間に打ち砕かれた。
「──彼女が証人だ」
オルグレンが声をかけたタイミングで。その後方、兵士達が控える間を縫って出てきたその人は。いかにも気の強そうな美人といった風情の、公国の特産品フォーリアの花をあしらった榛色の簪がよく似合う典型的な公国の乙女。
「レティ!?」
「…………」
黙り込み目すら合わせてくれない、俯きがちな女の暗い表情に。リリヤは問いかけることしかできなかった。
「……どうして、なの……?」
リリヤの絞り出すような悲痛な声が、女の登場で静まり返った大通りに静かに響いていく。その震える声に女はようやく顔を上げた。
「ローゼ……ごめんなさい…………」
指名手配されているリリヤは、人間として生活する上で実名は使えない。ローゼはリリヤが町娘として生活しているときの通り名だった。
オルグレンに紹介された女の名はレティーツィア・コルン。
彼女は花屋の娘で普通の人間だったけれど。指名手配され、逃亡生活を余儀なくされてから初めてできた、リリヤが魔女と知る唯一の友人だった。
痛々しいものでも見るような目をレティーツィアから向けられたとき、裏切られたのだと知ったリリヤの顔に、一瞬、悲しみの色が過ったのを。オルグレンはその紫暗の瞳で読み取って眉根を寄せた。
魔女にも悲しみの感情があるのだと始めて知ったとでも言うように。
年若い公子に圧倒されつつある自分の状況を苦々しく思いながらも、リリヤは逃げに徹することにした。威嚇のためとはいえ、魔力をこの美しい少年に行使することは躊躇われたからだ。
(……魔女の誇り、ね……でも、そんなものに気を取られて、またこの子を……子供を傷付けるくらいなら逃げた方がましだわ)
暗にオルグレンに嗜められたことを気にしつつも。それでもリリヤは反することを決断していた。
「そうですか……ならばもう一度、はっきりと申し上げます。私は公子様がお探しの『白の魔女』リリヤ・ソールズベリーではありません」
「あくまでも認めるつもりはないと言い通すつもりなのか?」
「はい」
頷きながらも嘘をつき続けることへの罪悪に囚われて、リリヤはオルグレンの真っ直ぐな眼差しを受け止めきれずに。途中、思わず視線を外してしまった。
「……?」
挙動の僅かな乱れ。その不審に目を留めてオルグレンが首を傾げている。
「で、ですので公子様、魔女としての真名を公衆の面前でお伝えすることはお断り致します。それでは……私はこれで失礼しますね?」
下手を打ったことで後の物事が連鎖的に悪い方向にいくことはよくある。今が更にそれだった。
観衆からは先程とほとんど変わらぬ様子に見えていただろうが。オルグレンにはきっとリリヤの動揺がばれている。それも、微妙な誤魔化し笑いを残してこの場をさっさと退場しようとしているのだから尚更だ。
(ああ、私の馬鹿っ! なんだってこんな不器用なのよ……!)
世渡り上手でないことは分かっていた。けれど、もう少し上手い言い回しはなかったのかと。リリヤが心の中で猛省していたところで。ようやく、オルグレンはリリヤが指名手配犯の容疑から逃れることよりも。オルグレン自身から逃れることを優先しているのに気付いたのだろう。
リリヤを引き留めるように、オルグレンが口を開いた。
「……逃げるのか?」
──俺から
心意を即座に見抜かれた衝撃と、綺麗なオルグレンの整った唇から紡がれた言葉の、その想定外の男強さに。ドキッと鼓動が高まるのを感じてリリヤは一瞬動けなくなった。
この公子は見た目だけでなく頭も回る。それも相当に。
(見かけ倒しではないということね……)
焦ったところで良い結果に繋がるとは限らない。単純な性格で猪突猛進、人を騙すのが元々苦手で、世渡り上手ではけしてないリリヤは。三百年という長い魔女人生の中で、それを嫌というほど味わってきた。
「ただの人間の貴方が魔女の私を相手にするおつもりで?」
黒の女王の伴侶は人間だった。そして、その子息に当たるオルグレンもまた、魔力を受け継がず父親と同じ普通の人間として生まれた。
嫌われてもいい。どう思われようとかまわない。たとえどんなにみっともなく目の前の公子に自分の姿が映っていたとしても。
ただリリヤは、今、自分の前に立ち塞がるオルグレンを傷付けることなく、オルグレンの前から一刻も早く姿を消したかっただけだ。
しかし、そうした意図で人間であることを嘲笑うリリヤに気を悪くするでもなく。オルグレンは静かにリリヤを見ていた。そこからは哀れみの感情も同情も何一つ読み取ることはできない。
リリヤがいくら扇動するようにオルグレンの感情に揺さぶりをかけようとしても。挑発と牽制がオルグレンに対しては全く意を成さないのだ。
「……情報が入った。指名手配中の逃亡犯『白の魔女』が町娘に扮して生活していると」
淡々と返されるオルグレンとの会話。何の反応も返されない歯痒さに、リリヤは苛立ちを感じ始めていた。
「情報ですって……?」
「俺はそれを確かめるためにきた」
リリヤが本物の白の魔女であるかどうか。その疑いはまだほんの僅かに確信に届いていない。
「いったい誰がそんなこと……」
怪訝な顔をするリリヤの疑問は次の瞬間、あっという間に打ち砕かれた。
「──彼女が証人だ」
オルグレンが声をかけたタイミングで。その後方、兵士達が控える間を縫って出てきたその人は。いかにも気の強そうな美人といった風情の、公国の特産品フォーリアの花をあしらった榛色の簪がよく似合う典型的な公国の乙女。
「レティ!?」
「…………」
黙り込み目すら合わせてくれない、俯きがちな女の暗い表情に。リリヤは問いかけることしかできなかった。
「……どうして、なの……?」
リリヤの絞り出すような悲痛な声が、女の登場で静まり返った大通りに静かに響いていく。その震える声に女はようやく顔を上げた。
「ローゼ……ごめんなさい…………」
指名手配されているリリヤは、人間として生活する上で実名は使えない。ローゼはリリヤが町娘として生活しているときの通り名だった。
オルグレンに紹介された女の名はレティーツィア・コルン。
彼女は花屋の娘で普通の人間だったけれど。指名手配され、逃亡生活を余儀なくされてから初めてできた、リリヤが魔女と知る唯一の友人だった。
痛々しいものでも見るような目をレティーツィアから向けられたとき、裏切られたのだと知ったリリヤの顔に、一瞬、悲しみの色が過ったのを。オルグレンはその紫暗の瞳で読み取って眉根を寄せた。
魔女にも悲しみの感情があるのだと始めて知ったとでも言うように。
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