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第三章 LOSE-LOSE

第二話 右大臣に謁見

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 千尋は一瞬何のことだと目を剥いた。

 だが、千尋から離れた才谷は、千尋に向かって居住まいを正し、腰からふたつに折れるように頭を下げ、一方的に話を続ける。


「とうとう会津が薩摩と手を組んだ。しょうまっこと、おんしのお陰だ。この通りわしからも礼を申す」
 
 その謝意もまた、駆け引き込みの見せかけではなく、才谷の心からの言葉であることも、この男のたる所以ゆえんなのだと千尋は思う。
 

「やめてください、本当に。会津が薩摩と手を組めば、私にもえきがあるからしたまでです。WIN-WINですよ」
 
 千尋は胸の前で両手を振って謙遜した。
 と同時に、長身の肩に手を置いて、爪先立ちになりながら、才谷の耳に吹きかける。


「でも、まだ肝心の朝廷が、なびかないとか……」
「会津と薩摩が手を組んだ以上、長州には勝ち目はないと、帝にゃ再三申し上げているようなんだが……」 

 苦渋の色をにじませた才谷は懐手にして石段を上がり、船宿の陰に身を潜める。


「このまま帝の勅旨ちょくしが得られなければ、長州藩を討つこともままならん。帝は行幸ぎょうこう召され、帝を奪って国に置き、盾にしながら長州藩は討幕に出る。……最悪の絵図だ」


 後に続いた千尋を見ながら嘆息した。

「今、帝の説得に、あがられてるのは?」

近衛忠煕このえただひろ公だと伺った。何とゆうたち、公は薩摩藩主のご息女、篤姫あつひめ様のご養父でおられる。薩摩藩とのご縁も深い。薩摩は近衛公を頼みにしてきたようけんど、どうやら公ご自身は、この政変にゃ逃げ腰らしい。勅使の腰が引けてるようじゃあ、とてもとても……」


「では、二条斉敬にじょうなりゆき様に勅使をお願いしてみる、というのはいかがです?」
「二条様だあ? あの右大臣のか?」


「二条様は、一橋慶喜公の御従兄弟君であらせられる。公卿くぎょうにしては珍しく、武家筋らしい気骨もおありだ。この件で二条様にお願いにあがりたいと、薩摩藩から申し出て頂けませんでしょうか」

「接見? ……二条様にか? いったい誰がじゃ」
「私です。私と二条様の接見の場を内密に設けて頂けますよう、才谷さんから薩摩藩に働きかけて欲しいのです」
「しかし、それは……」
 
 才谷は渋い顔で語尾を濁し、木綿の単衣でひっつめ髪の千尋をちらりと一瞥した。
 いくら世相とはいえ、町人が右大臣に接見するなど、常軌を逸した夢物語だ。

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