播磨守江戸人情小噺(二) 小間物屋裁断

戸沢一平

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第十五話

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「とまあ、そういう話です。長々と話してしまって・・」

 老舗の旦那風の客が語り終わった。

「いやあ、こりゃあ良い話だ、ねえ旦那」

 慎吉が顔を向けると、間部瀬が鼻をすすりながら目を真っ赤にしている。
「あれぇ、泣いているよ」

「ち、違う、目にゴミが入っただけだ」
 間部瀬が顔を背けて鼻水と涙を手で拭った。それを、執拗に慎吉が覗き込む。

「ええ?本当ですか」
「やめろ、やましん、あっちに行け」

 間部瀬が見られまいとするように、更に背を向ける。遠慮を知らない上方出身の男が、これでもかと覗き込む。

 その様子を可笑しそうに見ていた老舗の旦那風の客が立ち上がった。
「それでは、私はこれで」

「おや、もうお帰りですか」
 店の主人も立ち上がった。

「今日は本の一杯のつもりでいたのですが、長くなってしまって」
 主人が見送りに出ながら客の肩に手をかけた。
「こちらこそ良い裁断話を聞かせてもらって。美人のおかみさんによろしく」
 客が恥ずかしそうに微笑んだ。

 店の主人が戻ってきて、皿や箸を片付け出した。主人が手を伸ばした徳利を慎吉が先に手に取り、酒が残っていないかを確かめ、自分の猪口に数滴垂らした。

 その様子を忌々しそうに見ていた間部瀬が、軽く首を振り、ため息を吐きながら主人に顔を向けた。

「あの客のおかみさんを知っているのですか」
「ええ、先日、あの旦那が勘定を払う時に財布が無い事に気付いて、後で金を持ってくる事になったのですよ。そうしたら、翌日に、おかみさんが金を持って来ましてね」
「それが美人だったという事ですか」

 主人が片付けの手を止めて、思い出すように目を瞑り大きく頷いた。
「上品で色気もある、しっとりとした良い女だったなぁ」
「なるほど、これは深酒などせず早く帰る訳だ」

 その時、店にどよめきが起こった。頼方と成瀬が入って来たのだ。

 主人が足早に出迎えに出る。間部瀬と慎吉も立ち上がった。

「これはお奉行様、よくお越し下さいました、さあ、こちらへどうぞ」
 主人が二人を奥の席に案内しながら、店の者に配膳のための細かい指示を出している。

 慎吉は主人がやり残した残りの片付けをサッサと済ますと、店の者が持ってきた新たな酒や料理を受け取り、手際良く運んでいる。

 間部瀬だけは通路をウロウロするだけの要領を得ない動きで、慎吉から「邪魔だ」とまで言われる始末。

 配膳が済むと、主人が頼方に徳利を差し出した。
「どうも、このような、むさ苦しいところへ」

 頼方が猪口に酒を注がれながら店を見回した。
「繁盛しているじゃないか」
「お陰様で」

「上方料理が売りだそうだな」
「へい、もうすぐ、今夜のお勧めが出てまいります」

 頼方が頷きながら、目の前に突っ立っている間部瀬に目を止めた。
「良い店に誘ってくれてありがとうよ。まあ、お前も座って飲め、まぶけ、まぶれ・・、いや、まぶ・・」

 成瀬が小声で呟く。
「まぶぜ、です」

 間部瀬が、緊張の面持ちで成瀬の隣に座る。

 慎吉は徳利を持って、頼方、成瀬、更には近くの客にと、酒を注いで回りながら、最後に間部瀬に徳利を差し出した。

「いやあ、今まで、小間物屋裁断の話で盛り上がっていたのですよ」
「小間物屋とは・・」
「神田の奄美屋の番頭に対する裁断ですよ。間部瀬の旦那なんか、涙流して感動していました」

 間部瀬が顔を真っ赤にして立ち上がる。
「黙れ、やましん」

 成瀬が右手を挙げた。
「おい、その清二には、今、この店から出て来たところで会ったよ。清二はこの店で飲んでいたんじゃないのか」

 おおっと店中から驚きの声が挙がった。

「いやあ、本人だったのか」
「言われてみれば、そんな雰囲気はあったなぁ」
「そうか、あの旦那が、奄美屋の番頭か」

 頼方がグイッと酒を煽った。
「なんだ、お前ら、知らないで話を聞いていたのか。まあ、確かに、清二も自分から名乗るような奴じゃないな、控えめだから。俺と同じで」

 成瀬の猪口を持った手が止まったが、頼方をチラリと見て、おもむろに口を付けた。

「最も、あいつは、今では番頭ではなくて、奄美屋の主人になっているけどね」

 間部瀬が徳利を持って頼方と成瀬に酒を注いだ。
「あ、あのぅ、そうすると、おかみさんは・・」

 頼方がフンと鼻で笑った。
「そりゃあお前、お菊と一緒になったに決まっているじゃないか、子供も二人出来たらしいよ。店構えも大きくなっていたなぁ」

 客同士でまた裁断話をし出したのか、ザワザワとした空気になった。

 成瀬が頼方に顔を向けた。
「ところで奉行、先日、越後屋と飲んだでしょう。清二の話も出たのではないですか」

 頼方が頷いた。
「そうそう、出たよ。ただ、これがなぁ、権兵衛に口止めされていてね、あまり大きな声では言えないのだが・・」
「そういう話なら、無理に言わなくて良いですよ」

 頼方がジッと成瀬を見た。
「しかし、成瀬さんが、どうしても聞きたいというのなら・・」

 成瀬が軽く首を振った。
「はい、はい、好きにして下さい」
「実は、いよいよ、権兵衛も隠居することにしたそうだ」

 成瀬が驚いた顔をして、声を潜めた。
「なるほど、これは大きな話ですね。天下の越後屋の主人が代わるとなれば、江戸中の商いに影響しますよ。正式に越後屋が公にするまでは、奉行の口からは口外しない方が良いでしょう」

「な、だから、俺は言いたくなかったのだ」
「私は聞かなかった事にしますので」

 頼方が頷きながら手酌で酒を注ぎ、成瀬にも注いだ。
「それで、問題は、権兵衛の後の主人が誰かだ」
「そんな話もしたのですか」

「そう、もう後釜を決めているそうだ。あ、いや、さすがにこれは言えないな。いくら成瀬さんでも、これは言えない」
「良いです、もう聞きません。話題を変えましょう」

 頼方が上目遣いに成瀬を覗き込む。

「いやあ、びっくりする名前が挙がった」
「まさか、清二じゃないでしょうね」

 頼方が驚いて目をむいた。

「どうして分かったのだ。俺は言っていないぞ。権兵衛の後釜が清二だなどと、俺は言ってはいない、だろう」

 成瀬がジッと頼方を睨んでいる。

 どこかで猫が鳴いている。
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