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第十章 Trust me,Trust you
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「……勝行に触りたい……」
情けないほどの弱音が声に漏れた。自分より勝行の方が何倍も辛く、心細いはずなのに。緩い涙腺を必死に堪え、光はぐいぐいとパーカーの袖を顔に擦りつけた。
案の定警察と長時間対面しただけで眩暈が酷く、動悸や冷や汗も止まらなくなった。蒼白い顔で俯き我慢していたら片岡に気づかれ、結局客間に追い返される。
「医者を呼びましょうか」
「いい……ちょっと休憩したら治る」
「でしたら、こちらを」
こうなったら飲めと若槻に言われた薬が片岡から差し出された。睡眠障害が酷かった時にもらったものだ。飲むと集中力が低下し、強烈な眠気に襲われるので光は思わず拒絶した。だが片岡の強引な力に適うはずもなく、半ば無理やり飲まされた。
薬の服用を確認した後、立ち去ろうとする片岡を慌てて引き留める。
「ここは嫌だ。勝行の部屋がいい」
「ですが今あそこは警察も何度となく出入りしますよ」
「大人しくベッドで寝てるから……布団の中に隠れてるから。頼む」
我儘を言っている自覚はあった。それでもどうしても眠るのならあの部屋で、勝行の香りに触れたかった。片岡はため息をつきつつ、条件付きで入室の許可をくれた。
「私が戻るまで、ここに居ることを誰にも気づかれないでください。それから、ベッド以外の荷物には手を触れないように」
「……わかった」
念のため片岡に鍵をかけてもらい、電気もつけずにベッドに潜り込んだ。
既に部屋は嗅いだこともない他人の匂いが充満していた。けれどベッドシーツの中にまで顔を埋めると、懐かしい香りが光を包み込んでくれる。身体を丸め、全身に掛布団をかぶせて光は目を閉じた。やっと息苦しさが少しマシになる。
(何も食べてないんだろうな……あいつ……お腹空いてないかな……)
月曜の朝ごはんはどれ位食べていたっけ。
拘束されてから四十八時間は過ぎただろう。どこか劣悪な環境に連れ込まれ、飲まず食わずで拘束されているのかと思うと、不安で居ても立ってもいられない。犯人は勝行に餓死でもさせるつもりだろうか。
「おかしいと思わないか父さん。身代金目当ての誘拐ならもっと迅速に金銭交渉が入るはずだ」
「奴らには他に目的があるということか?」
「あいつなら敵をも買収してる可能性があるってことさ。受験の失敗を『事件のせい』にして、自分の汚点を誤魔化す算段なんじゃないか」
「だが勝行がもしその計画を実行したなら今はデメリットしかないだろう。志望校を変えた意味が無い」
「だったらなぜ、犯人から何の連絡もないんだ! まさか既に殺されたとでも!?」
「落ち着け修一。向こうは逆探知を恐れているんだろう。警護用GPSも全て破壊されている。奴らは相羽の最重要人物だと分かった上であれを連れ去ったに違いない」
「だとしても、その機密事項が一体どこで漏れたのか……」
「ではやはり、先代派に犯人グループへの内通者がいるのでは」
部屋の扉近くで、修一と修行、片岡が言い合う声が聞こえてくる。あんなに話し合ったのに、救出作戦はちっとも進展した気がしない。それどころか不穏な言葉ばかりで、耳を塞ぎたくなった。
家がどうのとか、誰が何をしたとか。そんな話はどうでもいい。早く勝行を助けたい。どうすれば彼に会えるのだろう。
納屋に閉じ込められた勝行を助けるため、片岡と走ったあの時とは状況が違うことはわかっている。けれど修行の言う通り、大人に任せてばかりではちっとも手ごたえを感じられなくて気ばかりが焦る。
(渋谷……って言ってた……あの、でっかいライブハウスのとこだよな……場所さえ分かれば助けに行くのに……)
だが今はとにかく、助けに行くために体調を整えなければ。薬の効果が現れ、うつらうつらし始めた光は、一度布団の中から顔をのぞかせ、薄暗い部屋の中を改めて見回した。
ここは有楽町のマンションに引っ越す前、勝行と一緒に過ごした場所だ。引っ越した後も本家に戻れば、この部屋に寝泊まりしていた。部屋の奥にある古びた学習机には、難しそうな法律の本がいくつも積み上げられていて、足元には音楽理論の参考書や雑誌が無造作に転がっている。片づけが苦手な勝行らしい、散らかった空間。
ここでいつも勉強や編曲をしていた勝行の後ろ姿を思い出し、わけもなく寂しさが込み上げてきた。
(ずっと傍にいるってあんなに言ってたくせに、やっぱ無理じゃないか……どうしたって……理不尽な世の中だから……自分がどんなに頑張っても……)
ふと積み上がった本と机の間に、見慣れた栞の紐が視界に入ってきた。ベッドから出るな、何も触るなと言われた以上、これ以上近づけない。けれどそれは光が勝行にあげた四つ葉のクローバーの栞に間違いないと確信した。
『魔除けなら、肌身離さず持っておかないとご利益ないな』などと言っていたくせに、忘れているのでは意味がない。だからこんな目に遭うんだぞと盛大なため息をついた。その隣には勝行が誕生日プレゼント代わりにもらった車の鍵も置き忘れている。
(……あれ。待てよ。あいつ、自分の運転でこの家に来たんじゃ……?)
ふわつく意識。揺らぐ視界に抵抗しきれず、瞼が落ちる。薄ぼんやりした夢の中で光は、別れる直前の勝行を再現していた。
「片岡さんの送迎車は光が使うだろ。俺は自分で運転していくよ」
「護衛は?」
「運転中は別に必要ないだろ。家に行けばいっぱいいるし、大丈夫。そういえばオイル交換まだだったな……半年点検の時期だし。ついでにしてもらってくる」
(……なんで、車置きっぱなしで……帰ろうとしたんだ……ろ……)
何らかの理由があって帰りは一人じゃなかったのに、誘拐犯に捕まった――?
どこかに嘘が隠れている。誰かの嘘がいくつにも塗り重ねられて、何もおかしくないはずの世界が別の色に染まっていく。
光は若槻がしていた陶器の話を思い出しながら、布団の中で意識を手放した。
「……勝行に触りたい……」
情けないほどの弱音が声に漏れた。自分より勝行の方が何倍も辛く、心細いはずなのに。緩い涙腺を必死に堪え、光はぐいぐいとパーカーの袖を顔に擦りつけた。
案の定警察と長時間対面しただけで眩暈が酷く、動悸や冷や汗も止まらなくなった。蒼白い顔で俯き我慢していたら片岡に気づかれ、結局客間に追い返される。
「医者を呼びましょうか」
「いい……ちょっと休憩したら治る」
「でしたら、こちらを」
こうなったら飲めと若槻に言われた薬が片岡から差し出された。睡眠障害が酷かった時にもらったものだ。飲むと集中力が低下し、強烈な眠気に襲われるので光は思わず拒絶した。だが片岡の強引な力に適うはずもなく、半ば無理やり飲まされた。
薬の服用を確認した後、立ち去ろうとする片岡を慌てて引き留める。
「ここは嫌だ。勝行の部屋がいい」
「ですが今あそこは警察も何度となく出入りしますよ」
「大人しくベッドで寝てるから……布団の中に隠れてるから。頼む」
我儘を言っている自覚はあった。それでもどうしても眠るのならあの部屋で、勝行の香りに触れたかった。片岡はため息をつきつつ、条件付きで入室の許可をくれた。
「私が戻るまで、ここに居ることを誰にも気づかれないでください。それから、ベッド以外の荷物には手を触れないように」
「……わかった」
念のため片岡に鍵をかけてもらい、電気もつけずにベッドに潜り込んだ。
既に部屋は嗅いだこともない他人の匂いが充満していた。けれどベッドシーツの中にまで顔を埋めると、懐かしい香りが光を包み込んでくれる。身体を丸め、全身に掛布団をかぶせて光は目を閉じた。やっと息苦しさが少しマシになる。
(何も食べてないんだろうな……あいつ……お腹空いてないかな……)
月曜の朝ごはんはどれ位食べていたっけ。
拘束されてから四十八時間は過ぎただろう。どこか劣悪な環境に連れ込まれ、飲まず食わずで拘束されているのかと思うと、不安で居ても立ってもいられない。犯人は勝行に餓死でもさせるつもりだろうか。
「おかしいと思わないか父さん。身代金目当ての誘拐ならもっと迅速に金銭交渉が入るはずだ」
「奴らには他に目的があるということか?」
「あいつなら敵をも買収してる可能性があるってことさ。受験の失敗を『事件のせい』にして、自分の汚点を誤魔化す算段なんじゃないか」
「だが勝行がもしその計画を実行したなら今はデメリットしかないだろう。志望校を変えた意味が無い」
「だったらなぜ、犯人から何の連絡もないんだ! まさか既に殺されたとでも!?」
「落ち着け修一。向こうは逆探知を恐れているんだろう。警護用GPSも全て破壊されている。奴らは相羽の最重要人物だと分かった上であれを連れ去ったに違いない」
「だとしても、その機密事項が一体どこで漏れたのか……」
「ではやはり、先代派に犯人グループへの内通者がいるのでは」
部屋の扉近くで、修一と修行、片岡が言い合う声が聞こえてくる。あんなに話し合ったのに、救出作戦はちっとも進展した気がしない。それどころか不穏な言葉ばかりで、耳を塞ぎたくなった。
家がどうのとか、誰が何をしたとか。そんな話はどうでもいい。早く勝行を助けたい。どうすれば彼に会えるのだろう。
納屋に閉じ込められた勝行を助けるため、片岡と走ったあの時とは状況が違うことはわかっている。けれど修行の言う通り、大人に任せてばかりではちっとも手ごたえを感じられなくて気ばかりが焦る。
(渋谷……って言ってた……あの、でっかいライブハウスのとこだよな……場所さえ分かれば助けに行くのに……)
だが今はとにかく、助けに行くために体調を整えなければ。薬の効果が現れ、うつらうつらし始めた光は、一度布団の中から顔をのぞかせ、薄暗い部屋の中を改めて見回した。
ここは有楽町のマンションに引っ越す前、勝行と一緒に過ごした場所だ。引っ越した後も本家に戻れば、この部屋に寝泊まりしていた。部屋の奥にある古びた学習机には、難しそうな法律の本がいくつも積み上げられていて、足元には音楽理論の参考書や雑誌が無造作に転がっている。片づけが苦手な勝行らしい、散らかった空間。
ここでいつも勉強や編曲をしていた勝行の後ろ姿を思い出し、わけもなく寂しさが込み上げてきた。
(ずっと傍にいるってあんなに言ってたくせに、やっぱ無理じゃないか……どうしたって……理不尽な世の中だから……自分がどんなに頑張っても……)
ふと積み上がった本と机の間に、見慣れた栞の紐が視界に入ってきた。ベッドから出るな、何も触るなと言われた以上、これ以上近づけない。けれどそれは光が勝行にあげた四つ葉のクローバーの栞に間違いないと確信した。
『魔除けなら、肌身離さず持っておかないとご利益ないな』などと言っていたくせに、忘れているのでは意味がない。だからこんな目に遭うんだぞと盛大なため息をついた。その隣には勝行が誕生日プレゼント代わりにもらった車の鍵も置き忘れている。
(……あれ。待てよ。あいつ、自分の運転でこの家に来たんじゃ……?)
ふわつく意識。揺らぐ視界に抵抗しきれず、瞼が落ちる。薄ぼんやりした夢の中で光は、別れる直前の勝行を再現していた。
「片岡さんの送迎車は光が使うだろ。俺は自分で運転していくよ」
「護衛は?」
「運転中は別に必要ないだろ。家に行けばいっぱいいるし、大丈夫。そういえばオイル交換まだだったな……半年点検の時期だし。ついでにしてもらってくる」
(……なんで、車置きっぱなしで……帰ろうとしたんだ……ろ……)
何らかの理由があって帰りは一人じゃなかったのに、誘拐犯に捕まった――?
どこかに嘘が隠れている。誰かの嘘がいくつにも塗り重ねられて、何もおかしくないはずの世界が別の色に染まっていく。
光は若槻がしていた陶器の話を思い出しながら、布団の中で意識を手放した。
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