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第六話「月の社まであと何歩?」
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意識の向こう、まだ夢を見ているようなまどろみの中、ふいに声が聞こえてきた。
視界のない私にとって身体を動かしていないと夢か現実かは分かりづらい。でもその声が私がよく知っている人同士の会話で、私に語り掛けているようではなかったから、夢を見ているのと同じように、身体を起こさず、あまり頭の働いていないまどろみの状態のまま聞き流すことにした。
「彼女はどうやって海まで?」
男性はそう問いかけた。
「見たところ携帯電話の地図アプリのナビゲーションを起動させていたようです。目的地は彼女が倒れていた海に設定されていました。それを活用して海に行っていたと考えるのが自然ですが・・・、おそらく誰かが彼女のために設定したんでしょう」
「まさか・・・、本当に彼女はそれを頼りに?」
男性は半信半疑なようだった。
「携帯電話の使用履歴や現場の状況から考えると、それが最も可能性の高い仮説です、現に彼女は海で見つかり、生還しましたから」
「にわかに信じられないな・・・、目の見えない彼女がそんなことを・・・」
まどろみの中で聞こえていた二人の会話、枕元で冷静に分析する医師と看護師、しかし、話し声は聞こえても、私に考えるだけのその冷静さを受け止められるだけの意識はなかった。
*
意識が完全に目覚めた時、そこが柔らかいベッドの上で、自分の病室であることが最初にわかった。
さっきまで二人の会話を聞いていたような気がするけど、気が付けばまた眠っていたらしい。
すでに二人はいない、病室は静寂に包まれていた。
「私・・・、生きてる・・・。戻って来たんだ」
体を起こし、自分の身体に触れて確かめる。痛みもなく、どこにも異常なところはなかった。
「あれは・・・、夢じゃないよね。私は本当に海に行ったはず」
波の音も、砂の感触も、海水の冷たさも、海までの道のりも、全部生々しい記憶として覚えてる。あれが夢なはずがない。
それに砂絵の真実も知った。私には確かめようのないことでも、私のことが描かれていたということを。
奈美さんが眠っている間に着替えさせてくれたのか、今はあの白いワンピースではなく病院の服だった。
「確かめないと、あれが夢じゃなかったんだって」
そうしないといけない気がした。
本当の事を確かめないといけない、考えないようにすることは簡単だけど、でも私にはどうしても確かめたいことがあった。
だけど、決心を固めたところで、部屋の中に携帯が見つからず日付も時間も分からない。
日常的に、当たり前のようにこれまでSiriのバーチャルアシスタントに頼ってきたことが仇となった。病室を手探りで探し続け、焦る気持ちだけが膨らんでいく。
ナースコールを鳴らそうとも思ったが、もう少し自分の中で出来ることをしようと思った。
私は机の上に見慣れない感触の物体があるのを見つけた。
「カードキーかな・・・、なんでこんなところに置いてあるんだろう」
誰かが意図的に置いたのか、偶然置き忘れてしまったのか判断つかなかったが、視界のない私にはそれが誰の物かもわからず、何となく可能性として首から掛けられる紐とカードケースで、それが看護師が普段ぶら下げている自動ドアが開けられるカードキーだと思った。
とりあえず私はそれを手元に持っておこうと思い、手に掴んだ。
他に自分の部屋には手掛かりがなかったので部屋のカーテンを開いて周りを調べることにした。
まずは真美の部屋を調べよう。
そう思い、真美の部屋を調べたが、すでに知らない人が眠っているようだった。
もう他の人が入院してきているのか、真美の訳はない、真美のにおいもしないし、寝息も全然違う、私は真美がいないことに切ない気持ちを抱えながら、起こしてしまわないようにベッドから離れた。
「(やっぱり、もう深夜かな・・・)」
ほかの人も起きている気配はしないので、おそらく夜遅くに目が覚めてしまったんだろう・・・。日付は分からないが、倒れたのは昼間だから最低でも深夜まで時間が経過していたことだけは事実だろう。
看護師さんに見つからないか不安はあったが、病室を出ることにした。
見つかってしまったら、すぐに病室に戻されてしまうだろう。
その不安もあったがこうしてはいられないので病室の扉を開け、外に出るとどこからか声が聞こえた気がした。
「(空耳かな・・・、でも、気になる)」
どこか遠くから私を呼んでいるような気配がした。
きっとお医者さんや看護師さんではない、そんな気がする。不思議な感覚に寒気を覚えつつも、その気配に導かれるように一歩一歩その気配のする方に進んでいく。
途中で開かない自動ドアがあったが、偶然机の上にあったカードキーで自動ドアは開いた。
ヤバいことをしているという自覚はあったが、意識は導かれるように気配の方へと向かい、止められなかった。
闇の中を手を前にして壁にぶつからないようにしながらゆっくりと歩く。
こんなことなら白杖を持ってきておけばよかった。
普段病室の外を出るときは忘れることなんてないのに、どうしてこういう時だけ忘れてしまうのか。自分でも情けなかった。
気付けばどんどんと知らない場所へと突き進んでいく。もう自分の病室までの帰り道も分からない、確かに病院は広いし、歩いたことのない場所だってあるけど、これはそんな常識的な事とは異なる。私は病院関係者しか通れないセキュリティー内部に侵入しているのだ。
現在地がまるで分からないまま、ただ歩き続ける。
そして心臓の高鳴りと共に強い気配を感じた。きっとこの部屋の中からだ。
もしかして、もしかしたら・・・、そんな予感が気持ちを焦らせる。
当然扉はロックがかかっていて中に入れないので、私はカードキーで扉の周りをかざして回った。間もなくピーという電子音と共に扉のロックが外れた。
中に入るとエアコンがかかっている訳でもないのにひんやりとして、重苦しい空気を感じた。
「(ここは・・・、霊安室? まさかね・・・)」
自分に霊感があるとは思わなかったが、なんとなく私は直感でそう感じた。
なんでそこが霊安室なのか分かったのかって、それはもう他とはまるで身体に届く肌寒さが違うから。もっと言えば、そこに漂う臭いにしても空気感にしても、何もかもが違う、普通ではないという強烈なまでの違和感。ここには簡単には触れてはならない気配があると、ただそこにいるだけで感じ取った。
きっと私を呼んでいたのだ。ここに辿り着けるように。
でも、ここに真美がいるとしたら・・・、私は偶然にしては出来過ぎていると思った、でも今は真美に会いたいという気持ちでいっぱいだった。
「真美・・・、いるの・・?」
私の声は、小声で出したつもりなのに部屋中を反響したように大きく私の耳に届いた。
恐ろしいくらいに怖い気持ちになった。まるで墓地を一人歩くような心地だ。
でも、ここに真美がいるかもしれないなら引き返すことは出来ない、私は手を胸に触れた。
胸ポケットに入っている砂の入った小さな小瓶、机の上、カードキーの置いてあった傍に置いてあったそれを、私はここまでお守り代わりに持ってきていた。
私があの砂浜まで行った今ある唯一の証拠、小瓶を振ると小瓶に入った砂からササササッという音がする。
私は真美の痕跡を探してここまでやってきたのだ、あの時、唐突に消えてしまった真美のことを探して。
決意を胸に、部屋の中を手探りで探った。
そこにベッドがあった。
それだけで、もうすべてを悟ったように哀しい気持ちになった。
”それに触れてはならないと、本能的に感じた”
だけど、もう遅かった。触れることでしか私には本当の事を知るすべはないから、だから、もうベッドの手すりにも布団にも触れてしまった、
でも、怖い気持ちはあっても、逃げ出したい気持ちはあっても、それでも、私は知りたかった、本当の事と向き合いたかった。
そっと、震えそうになる手で恐る恐るベッドに手を添える。
ためらう気持ちを抑えて、布団越しに手で触れた体の感触だけで、もう、それが人であることが十分に分かった。
顔に覆われた布を丁寧に払い除けて、その頬に手を触れた。
その頬は体温を失い、とても冷たかった。
とうふのように柔らかくて、すべすべで、私がよく知っている感触だった。
「真美、ここにいたのね・・・、
霊安室、ずっとここに独りぼっちで、私が来るのを待っていたの?
どうして・・・、もう、答えてはくれないの?」
私はこの現実を受け入れなければならないのか、私はその動かない肉体に、それでもまだ触れられるだけマシだと言い聞かせながら、布団の中に隠された、その手を掴んだ。
紛れもなくそれは真美だった。今日の早朝からずっと掴んでいたもの、でも忘れることのできない大切なぬくもりは、もうそこにはなく、冷え切った手も腕も変わり果てた人のなれの果てそのものだった。
そこで、私はもう真美が死んでしまったことを受け入れるしかなかった。
そうなんだ、ずっと一人だったんだ、私も真美も。
不安を感じないために、ずっと気づかないフリをしていた。
それに気づいてしまったら、不安で足が震えて、動けなくなってしまうから。
”あの旅において最初から真美はいなかった”
”私は携帯の地図アプリを使って、ナビゲーションに従って、海に向かっていただけだった”
そういえば、アプリを開いて目的地を設定して、そこまでの道のりをシミュレーションしたことを覚えている、その時、真美がそばにいて私にわかるように何度も説明してくれたのだ。
私はそう、真美に一人でも海に行けるようにレクチャーされてきた。迷わずに海まで行けるように、私はそれを実践したに過ぎない、そんなこと信じたくなかった。私には真美のことが最後まで必要なんだって思ってきたし、そう信じたかったから。
でも、本当に真美はいない、元々、真美に残された時間は僅かにしかなかった、真美自身がその事に本当は気づいていたんじゃないか、そう思ってしまうほどに、真美は時間の許す限り私の面倒を見てくれた。
私は、真美には聞こえないと分かっていても、それでも私は真美に語り掛けた。
「真美は言ったよね、砂絵に描かれた私の姿を、現実でも見たかったって、だから誘ってくれたって。
”真美、見ててくれたかな?”
”見ててくれたよね?”
”ちゃんと私のこと”
私、信じてるから、真美は私の事を見ててくれたって、たとえ本当の身体は遠く離れていても、ずっとそばで見ていてくれたって、そう、信じてるから」
これが私なりのお別れの言葉、ちゃんと受け取ってくれたかな?
この手をずっと握っていたい、この腕をずっと掴んでいたい、それは私にとって一番安心できることだから。でも、それももうこれからはできないんだね。
あぁ、どうしてなの・・・、みんなは光の向こう側にいるのに、私はずっと暗い井戸の底にいる。暗闇から抜け出すことは永遠に出来ない。
飛べないウサギは、ずっと檻の中にいるしかないの?
自由に外の世界に行くことは許されないの?
そんなのおかしい、そんなの間違っているって言ってほしい
そう、ずっと言ってほしかったの
こんなところにいるから、ずっとこんなところにいるから、みんな私を置いて行ってしまう。気づけばいつも一人、幼い頃から変わらない、変えることも出来ない。
真美はどこへ行ってしまったんだろう。肉体が朽ちて失っても、いつまでも探してしまう魂の在り処、暗闇の中で耳を澄ますように、じっと真美の残り香を探した。
この時間と共に朽ちて腐っていく身体からわずかに離れて行く気配、それを私は必死に祈るように探した。
真美の声も、真美の手のぬくもりも、まだ私の中に残っている。
私はそれだけで心が満たされた。確かに私の記憶とこの真美の身体は繋がっていたから。
「どうか、神様がいるなら・・・、真美の魂まで棺に連れて行かないでください、私が受け止めるから、その魂ごと受け止められる強い人間になるから。
だから、どうか真美を連れて行かないでください・・・」
言葉を声に出して紡ぎながら、意識の奥の奥まで、深淵の深いところまで繋がりを求めて力を込めた。
そして深い深い深淵の奥底で光る球体を目撃した。
私の知らない光、私はその球体を両腕で手繰り寄せて、そのぬくもりを感じ取った。
かけがえのないもの、大切なもの、失わないでいたいこと。
そのすべてを、手繰り寄せた球体に込めて、私の胸に優しく包みこんだ。
そして、ふいに糸が切れたように身体から力が抜け、その場に倒れて、私は再び意識を失った。
視界のない私にとって身体を動かしていないと夢か現実かは分かりづらい。でもその声が私がよく知っている人同士の会話で、私に語り掛けているようではなかったから、夢を見ているのと同じように、身体を起こさず、あまり頭の働いていないまどろみの状態のまま聞き流すことにした。
「彼女はどうやって海まで?」
男性はそう問いかけた。
「見たところ携帯電話の地図アプリのナビゲーションを起動させていたようです。目的地は彼女が倒れていた海に設定されていました。それを活用して海に行っていたと考えるのが自然ですが・・・、おそらく誰かが彼女のために設定したんでしょう」
「まさか・・・、本当に彼女はそれを頼りに?」
男性は半信半疑なようだった。
「携帯電話の使用履歴や現場の状況から考えると、それが最も可能性の高い仮説です、現に彼女は海で見つかり、生還しましたから」
「にわかに信じられないな・・・、目の見えない彼女がそんなことを・・・」
まどろみの中で聞こえていた二人の会話、枕元で冷静に分析する医師と看護師、しかし、話し声は聞こえても、私に考えるだけのその冷静さを受け止められるだけの意識はなかった。
*
意識が完全に目覚めた時、そこが柔らかいベッドの上で、自分の病室であることが最初にわかった。
さっきまで二人の会話を聞いていたような気がするけど、気が付けばまた眠っていたらしい。
すでに二人はいない、病室は静寂に包まれていた。
「私・・・、生きてる・・・。戻って来たんだ」
体を起こし、自分の身体に触れて確かめる。痛みもなく、どこにも異常なところはなかった。
「あれは・・・、夢じゃないよね。私は本当に海に行ったはず」
波の音も、砂の感触も、海水の冷たさも、海までの道のりも、全部生々しい記憶として覚えてる。あれが夢なはずがない。
それに砂絵の真実も知った。私には確かめようのないことでも、私のことが描かれていたということを。
奈美さんが眠っている間に着替えさせてくれたのか、今はあの白いワンピースではなく病院の服だった。
「確かめないと、あれが夢じゃなかったんだって」
そうしないといけない気がした。
本当の事を確かめないといけない、考えないようにすることは簡単だけど、でも私にはどうしても確かめたいことがあった。
だけど、決心を固めたところで、部屋の中に携帯が見つからず日付も時間も分からない。
日常的に、当たり前のようにこれまでSiriのバーチャルアシスタントに頼ってきたことが仇となった。病室を手探りで探し続け、焦る気持ちだけが膨らんでいく。
ナースコールを鳴らそうとも思ったが、もう少し自分の中で出来ることをしようと思った。
私は机の上に見慣れない感触の物体があるのを見つけた。
「カードキーかな・・・、なんでこんなところに置いてあるんだろう」
誰かが意図的に置いたのか、偶然置き忘れてしまったのか判断つかなかったが、視界のない私にはそれが誰の物かもわからず、何となく可能性として首から掛けられる紐とカードケースで、それが看護師が普段ぶら下げている自動ドアが開けられるカードキーだと思った。
とりあえず私はそれを手元に持っておこうと思い、手に掴んだ。
他に自分の部屋には手掛かりがなかったので部屋のカーテンを開いて周りを調べることにした。
まずは真美の部屋を調べよう。
そう思い、真美の部屋を調べたが、すでに知らない人が眠っているようだった。
もう他の人が入院してきているのか、真美の訳はない、真美のにおいもしないし、寝息も全然違う、私は真美がいないことに切ない気持ちを抱えながら、起こしてしまわないようにベッドから離れた。
「(やっぱり、もう深夜かな・・・)」
ほかの人も起きている気配はしないので、おそらく夜遅くに目が覚めてしまったんだろう・・・。日付は分からないが、倒れたのは昼間だから最低でも深夜まで時間が経過していたことだけは事実だろう。
看護師さんに見つからないか不安はあったが、病室を出ることにした。
見つかってしまったら、すぐに病室に戻されてしまうだろう。
その不安もあったがこうしてはいられないので病室の扉を開け、外に出るとどこからか声が聞こえた気がした。
「(空耳かな・・・、でも、気になる)」
どこか遠くから私を呼んでいるような気配がした。
きっとお医者さんや看護師さんではない、そんな気がする。不思議な感覚に寒気を覚えつつも、その気配に導かれるように一歩一歩その気配のする方に進んでいく。
途中で開かない自動ドアがあったが、偶然机の上にあったカードキーで自動ドアは開いた。
ヤバいことをしているという自覚はあったが、意識は導かれるように気配の方へと向かい、止められなかった。
闇の中を手を前にして壁にぶつからないようにしながらゆっくりと歩く。
こんなことなら白杖を持ってきておけばよかった。
普段病室の外を出るときは忘れることなんてないのに、どうしてこういう時だけ忘れてしまうのか。自分でも情けなかった。
気付けばどんどんと知らない場所へと突き進んでいく。もう自分の病室までの帰り道も分からない、確かに病院は広いし、歩いたことのない場所だってあるけど、これはそんな常識的な事とは異なる。私は病院関係者しか通れないセキュリティー内部に侵入しているのだ。
現在地がまるで分からないまま、ただ歩き続ける。
そして心臓の高鳴りと共に強い気配を感じた。きっとこの部屋の中からだ。
もしかして、もしかしたら・・・、そんな予感が気持ちを焦らせる。
当然扉はロックがかかっていて中に入れないので、私はカードキーで扉の周りをかざして回った。間もなくピーという電子音と共に扉のロックが外れた。
中に入るとエアコンがかかっている訳でもないのにひんやりとして、重苦しい空気を感じた。
「(ここは・・・、霊安室? まさかね・・・)」
自分に霊感があるとは思わなかったが、なんとなく私は直感でそう感じた。
なんでそこが霊安室なのか分かったのかって、それはもう他とはまるで身体に届く肌寒さが違うから。もっと言えば、そこに漂う臭いにしても空気感にしても、何もかもが違う、普通ではないという強烈なまでの違和感。ここには簡単には触れてはならない気配があると、ただそこにいるだけで感じ取った。
きっと私を呼んでいたのだ。ここに辿り着けるように。
でも、ここに真美がいるとしたら・・・、私は偶然にしては出来過ぎていると思った、でも今は真美に会いたいという気持ちでいっぱいだった。
「真美・・・、いるの・・?」
私の声は、小声で出したつもりなのに部屋中を反響したように大きく私の耳に届いた。
恐ろしいくらいに怖い気持ちになった。まるで墓地を一人歩くような心地だ。
でも、ここに真美がいるかもしれないなら引き返すことは出来ない、私は手を胸に触れた。
胸ポケットに入っている砂の入った小さな小瓶、机の上、カードキーの置いてあった傍に置いてあったそれを、私はここまでお守り代わりに持ってきていた。
私があの砂浜まで行った今ある唯一の証拠、小瓶を振ると小瓶に入った砂からササササッという音がする。
私は真美の痕跡を探してここまでやってきたのだ、あの時、唐突に消えてしまった真美のことを探して。
決意を胸に、部屋の中を手探りで探った。
そこにベッドがあった。
それだけで、もうすべてを悟ったように哀しい気持ちになった。
”それに触れてはならないと、本能的に感じた”
だけど、もう遅かった。触れることでしか私には本当の事を知るすべはないから、だから、もうベッドの手すりにも布団にも触れてしまった、
でも、怖い気持ちはあっても、逃げ出したい気持ちはあっても、それでも、私は知りたかった、本当の事と向き合いたかった。
そっと、震えそうになる手で恐る恐るベッドに手を添える。
ためらう気持ちを抑えて、布団越しに手で触れた体の感触だけで、もう、それが人であることが十分に分かった。
顔に覆われた布を丁寧に払い除けて、その頬に手を触れた。
その頬は体温を失い、とても冷たかった。
とうふのように柔らかくて、すべすべで、私がよく知っている感触だった。
「真美、ここにいたのね・・・、
霊安室、ずっとここに独りぼっちで、私が来るのを待っていたの?
どうして・・・、もう、答えてはくれないの?」
私はこの現実を受け入れなければならないのか、私はその動かない肉体に、それでもまだ触れられるだけマシだと言い聞かせながら、布団の中に隠された、その手を掴んだ。
紛れもなくそれは真美だった。今日の早朝からずっと掴んでいたもの、でも忘れることのできない大切なぬくもりは、もうそこにはなく、冷え切った手も腕も変わり果てた人のなれの果てそのものだった。
そこで、私はもう真美が死んでしまったことを受け入れるしかなかった。
そうなんだ、ずっと一人だったんだ、私も真美も。
不安を感じないために、ずっと気づかないフリをしていた。
それに気づいてしまったら、不安で足が震えて、動けなくなってしまうから。
”あの旅において最初から真美はいなかった”
”私は携帯の地図アプリを使って、ナビゲーションに従って、海に向かっていただけだった”
そういえば、アプリを開いて目的地を設定して、そこまでの道のりをシミュレーションしたことを覚えている、その時、真美がそばにいて私にわかるように何度も説明してくれたのだ。
私はそう、真美に一人でも海に行けるようにレクチャーされてきた。迷わずに海まで行けるように、私はそれを実践したに過ぎない、そんなこと信じたくなかった。私には真美のことが最後まで必要なんだって思ってきたし、そう信じたかったから。
でも、本当に真美はいない、元々、真美に残された時間は僅かにしかなかった、真美自身がその事に本当は気づいていたんじゃないか、そう思ってしまうほどに、真美は時間の許す限り私の面倒を見てくれた。
私は、真美には聞こえないと分かっていても、それでも私は真美に語り掛けた。
「真美は言ったよね、砂絵に描かれた私の姿を、現実でも見たかったって、だから誘ってくれたって。
”真美、見ててくれたかな?”
”見ててくれたよね?”
”ちゃんと私のこと”
私、信じてるから、真美は私の事を見ててくれたって、たとえ本当の身体は遠く離れていても、ずっとそばで見ていてくれたって、そう、信じてるから」
これが私なりのお別れの言葉、ちゃんと受け取ってくれたかな?
この手をずっと握っていたい、この腕をずっと掴んでいたい、それは私にとって一番安心できることだから。でも、それももうこれからはできないんだね。
あぁ、どうしてなの・・・、みんなは光の向こう側にいるのに、私はずっと暗い井戸の底にいる。暗闇から抜け出すことは永遠に出来ない。
飛べないウサギは、ずっと檻の中にいるしかないの?
自由に外の世界に行くことは許されないの?
そんなのおかしい、そんなの間違っているって言ってほしい
そう、ずっと言ってほしかったの
こんなところにいるから、ずっとこんなところにいるから、みんな私を置いて行ってしまう。気づけばいつも一人、幼い頃から変わらない、変えることも出来ない。
真美はどこへ行ってしまったんだろう。肉体が朽ちて失っても、いつまでも探してしまう魂の在り処、暗闇の中で耳を澄ますように、じっと真美の残り香を探した。
この時間と共に朽ちて腐っていく身体からわずかに離れて行く気配、それを私は必死に祈るように探した。
真美の声も、真美の手のぬくもりも、まだ私の中に残っている。
私はそれだけで心が満たされた。確かに私の記憶とこの真美の身体は繋がっていたから。
「どうか、神様がいるなら・・・、真美の魂まで棺に連れて行かないでください、私が受け止めるから、その魂ごと受け止められる強い人間になるから。
だから、どうか真美を連れて行かないでください・・・」
言葉を声に出して紡ぎながら、意識の奥の奥まで、深淵の深いところまで繋がりを求めて力を込めた。
そして深い深い深淵の奥底で光る球体を目撃した。
私の知らない光、私はその球体を両腕で手繰り寄せて、そのぬくもりを感じ取った。
かけがえのないもの、大切なもの、失わないでいたいこと。
そのすべてを、手繰り寄せた球体に込めて、私の胸に優しく包みこんだ。
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