闇精霊に好かれた精霊術師(旧題:ダンジョン最下層でパーティに見捨てられた精霊術師の少年、闇精霊に気に入られ最強の精霊使いになる。)

お茶っ葉

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ニ章

36話 水の精霊

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 錆びついた鉄の匂いと不快な異臭が立ち込める空間。
 巨大な蒼の魔法陣に包まれた水門からは水の流れる音が絶えず続いている。
 微かに泣き啜る声も聞こえてくる、戦えない残された人質の獣人たちの姿だ。

 セレーネの案内の元、辿り着いた先には予想通り三人の男たちが待ち構えていた。
 背後には大きな魔光石の結晶体が突き刺さっている。距離はあるが微かに人影が見える。
 水の精霊がそこに封じ込められているのは間違いない。

 男たちはフィリスたちの姿に驚いた表情を見せていたが、すぐに捕食者の目に切り替わる。 

「人族の女だ! しかもそこそこの上玉じゃねぇか。よくやった上出来だ。おい、最初は俺に寄越せよ?」
「そう焦るなよ。まずはオヤジの検分が終わってからだろ? 楽しみは後に取っておけ」
「だがよ。へへっ、我慢できねぇよ」

 目の前で品定めを始める下衆な男たち。
 だがそれ以上に鼻につくのは周囲に立ち込める体臭だった。
 逃亡生活が長く続いた為か、身体を清めるという基本的な習慣を忘れてしまっているらしい。

「うぅ、酷い臭いだぁ……うぇ」
「さ、最悪です……。女性を道具として扱うだなんて、あまりにも惨い」

 腕を拘束されているので、鼻を摘まむ事もできずにただ顔をしかめる二人。
 幸か不幸かフィリスはそれが一体どういうものなのか気付いていない。
 ある程度察しがついたケイシアはただ目を瞑るだけだ。

「二人とも餓鬼かと思えば意外と胸もあるじゃねぇか、早速、装備を脱がしていいか?」
「……調子に乗るなゲル、コイツらは仮にも獣人の追っ手を一度は振り切った連中だぞ。噛み殺されても知らねぇからな?」
「ん? あぁ確かにそうだったな、やべぇ。油断するところだった」

 バルクの言葉で我に返ったのかゲルは警戒を強める。
 鋭い眼つきのままナイフを取り出すと、まずはフィリスの頬に突き付けた。
 
「よぉ、嬢ちゃん。俺たちの為にノコノコと捕まりに来てくれたんだよなぁ? お前らの残りのお仲間さんたちがどこに潜んでいるのか教えてもらおうか?」
「や、やだあああああああ! き、気持ち悪い!! 近付かないでよ~!!」
「お、おい。馬鹿、いきなりどうした!? 大人しくしてろ……!」
(ちょ、ちょっとフィリス落ち着いて!!)

 突然暴れ出すフィリスをセレーネは後ろから無理矢理抑えつける。
 予定になかった彼女の変貌に場の空気が一変した。焦るあまりセレーネも素が出てしまっている。
 一見して馬鹿げた行動に思えるが、どうやら男たちには効果的だったらしい。

「……ハッ、冒険者といえどただの餓鬼か。ナイフを見ただけでこんなにも怯えちまってよ」
「…………追っ手を振り切ったってのも偶然だったのか。警戒して損したな」
「ひっ!! こ、来ないで……! う……うぇ」
「うわっきたねぇな。コイツ、吐きやがったぞ。ったく色気も糞もねぇ、あーつまんねぇ萎えちまった」
「……残念だったな。お前の望んでいた気の強い女ではなかったらしい」

 そう言ってバルクは笑う。ゲルは苛立ちげに唾を吐き捨てた。
 フィリスの迫真の演技が功を奏し、二人は完全にこちらが無力であると信じ込んでいる。
 
(フィリス!! 驚かせないでください、いくらなんでも反応が大袈裟過ぎます!)
(上手くいったから問題ないでしょ? 実際、本気で気分が悪くなったし……とにかくケイシアは私がウィズリィ様を説得するまでの時間を稼いで、五分もあれば十分だから)
(わ、私一人でですか!? も、もうっ、今度からは相談もなしに勝手に進めないでくださいね!)

 口元に少量の胃液を垂らしながらフィリスは微笑む。
 そしてすぐに集中モードに移り替わった。魔法使いが高位の詠唱をする際に陥る現象に近い。
 この状況で意識を手放せる肝っ玉の大きさに驚くのと同時に、重責を背負わされた事にケイシアは気付いた。

「……どうして獣人の村を襲ったのですか? 貴方方の目的は一体……!」

 懸命に知恵を絞りだし生まれ出たのはごくありふれた問いかけ。

「難しい顔をしていたかと思えば、存外につまらない質問をするんだな。――そうだな、例えばの話だが……俺たちが平穏な生活を求めていると言ったらお前は信じるのか?」

 仲間からオヤジと呼び親しまれているリーダー格の男が反応を示した。
 ゲルやバルクと違い、この中で唯一まともに話が通じるであろう相手だ。

「平穏な生活……ですか」
「フッ、何かおかしいか?」
「いえ、これといって……。よくある話です。驚く事もありません」
「ほう、隣の娘とは違いお前のその落ち着きよう。身近に俺たちのような人種がいるのか? それとも以前それに関わる仕事でもしていたか……?」
「…………」

 ケイシアの返答が予想外だったのか男の眉が釣り上がる。
 罪を犯し逃亡生活を繰り返す者が最後に求める物はごく一部を除けば大抵共通している。
 追っ手に怯える事のない平穏な世界、ただそれだけだ。

 それを再び得るのがどれほど難しいか知りながら。過去に自らが進んで捨てたものを探し始める。
 薄暗い独房で過去を悔いる罪人たちの姿を何度見てきた事だろうか。
 ケイシアにとってそれが日常の一部だった時期がある。特に珍しい話でもない。
 
「その鎧。少し形状が変わっているが中央の物だな? 騎士団で支給される既製品に似ている――そうか、徐々に思い出してきたぞ、確かお前はエウロス騎士団団長の一人娘、ケイシア・フレースだな?」
「…………まさか私の名が無名の盗賊団にまで知れ渡っているとは……思いもしませんでした」
「お前の父親には何度も苦渋を味わわされてきたからな。俺の知り合いも部下も何人も捕らえられた。敵を知ろうとするのは当然の事だろう?」

 盗賊団は全員が中央大陸の出でだ。
 天敵である騎士団から逃れる為に、管轄外のこちらの大陸にまで逃げ延びてきた。
 ケイシアにとってそれが数多ある騎士団の中で父親と因縁のある相手だったのが不運であった。
 
「オヤジ、今の話は本当かよ! ヤバくねぇか? ただでさえ教団の連中に追われてるってのに、これ以上は対処しきれねぇよ。今すぐコイツらを処分して逃げた方がいいんじゃねぇか!?」
「馬鹿野郎、この場合は人質にするんだろうが。この女が奴の娘なら取引材料になる。オヤジ、そうだよな?」
「……ふむ」

 話の流れが悪い方向へと転がっていく。
 教団という言葉が気になってしまうが、そうは言ってられない。

 ケイシア自身、騎士団との関わりは薄い。
 父親の紹介を受け信頼を寄せる鍛冶師に特別に装備を見繕ってもらっただけだ。
 同じ工房で生み出された作品が似通っているのは仕方がない。
 
「……今の私はただの一介の冒険者です。父上もエウロス騎士団とも何の関係もありません!」
「騙されるか! そうやって油断させておいて俺たちを取り囲むつもりだな!?」
「ち、違います……! 信じてください!」

 しかしそれを証明する手段がここには存在しない。 
 興奮した彼らにはケイシアが騎士団の囮役として働いているように見えている。
 このままでは怒り狂った彼らが精霊の力を暴走させるのも時間の問題だ。

「……お前たち少し落ち着け。そもあの慎重な男が愛娘を囮として使うとは思えん。それに奴らにしては行動が遅すぎる。この女が独断で動いたか、話の通り冒険者であるかのどちらかだろう」
「オヤジ、ほ、本当か……? 油断させたところで背中を刺されたりしねぇよな?」
「今の俺たちには水の精霊がついている。情けない声を出すな」
「そ、そうだよな……チッ、驚かせやがって」
 
 ゲルは苛立ちを隠そうともせず地面を何度も蹴りつけた。
 そして大袈裟に音を立てながらケイシアの元へと近付いてくる。

「紛らわしい恰好をしやがって、一発、痛いのをお見舞いしてやる。それともなんだ? 気持ちいい方がお好みか? まずはテメェから身ぐるみ剥いでやるよ!!」
「くっ……!」
 
 誤解は解けたが、結局のところ目先の危機からは逃れられていない。
 これである程度時間は稼いだろうが、あとは……己の尊厳との戦いになる。 
 最悪、舌を噛み切る覚悟で望むしかない。
 
 セレーネは後ろで黙って見ているだけだ。
 勝機が訪れるまで彼女の協力は望めないだろう。服を掴まれケイシアは思わず目を瞑る。
 
 そして――待望の時が来た。

「はいはい、くだらないお遊びはそこまでだよ?」
「なっ!? お、お前、いつの間に!?」
「早くケイシアからその汚い手を放してよ!」
 
 フィリスが立ち上がりゲルの腕を掴んでいた。ミシミシと骨の軋む音を立て肌を赤く染めている。
 口調は穏やかだが目は笑っていない。殺気を感じてゲルは強引に突き放し後ずさる。
 
「おいっセレーネ! どうなってやがる!? 拘束していたんじゃなかったのか!?」
「……悪いな、コイツの馬鹿力を抑えるにはただの縄では不十分だったようだ。今度は事前に鉄製のものでも用意しておくんだな」
「チッ、そういう事か……! テメェも一枚噛んでたな!?」

 放たれた矢を避けるとゲルとバルクは武器を構える。
 
「俺を怒らせてただで済むと思うなよ。今すぐテメェの村を水の底に沈めてやる!!」
「……やれるもんならやってみろ」
「これは脅しじゃねぇぞ!! 自分の行いを後悔するんだな!!」

 ゲルは水の属性力を解放し、指を鳴らす。
 だがいつまで経っても蒼の魔法陣に変化はない。

「な、何故だ、どうして破壊できない!? おいっ、バルクも手を貸せ!」
「……? 様子がおかしいぞ。力を引き出せない……!?」
「ふふんっ、残念でした。もうウィズリィ様の力は使えないよ? 私がお願いしたんだもんね!」
「まさか貴様も水の精霊術師か……!? チッ、やられた。力が抑制されてやがる。今すぐ奴を殺せ!」
「クソッ!! この生意気な餓鬼め!!」
「甘いよ!」

 フィリスは放たれたナイフを素手で弾き返すと神速の動きで敵と接触する。
 懐に入り込まれたバルクは防御の構えすら取れていなかった。顔に恐怖を張り付かせ、頬を引き攣っている。
 
「お、お前……ば、化け物か……?」
「女の子に向かって化け物は酷いよ!」
「――ゴアァッ」

 そのままバルクの腹部に拳を捻じ込む。
 強烈な一撃に男の意識が吹き飛んだ、そして垂れ下がった頭に容赦なく肘を叩き込む。

「つ、強い……! 速すぎて動きが見えなかった……!」
「……何だあの威力は、奴は本当に人族か? 流石、パパが見込んだ冒険者だけある」

 一方的な戦いぶりに思わずケイシアは見惚れてしまう。セレーネも素直に称賛していた。
 精霊術師である前に戦士としての才能が抜きん出ている。格が違い過ぎて嫉妬心すら抱けない。
 
「ぐああああああ! な、何なんだこの女!? 騎士団とも比べ物になんねぇぞ!!」
「ここを訪れた連中は全員下級冒険者だったはずだが、情報が間違っていたのか……?」
「あっ、私、実は中級冒険者なんだ」
「……ギルドは一度制度を見直す必要があるな。これで中級はふざけている」
「褒めてくれて――ありがとうっ!!」
「グボァ……!!」

 正面から蹴りを喰らいゲルは倒れ込んだ。残るはリーダー格の男ただ一人。

 フィリスは水泡アクアバブルを次々と生み出し動きに制限を加えていく。
 だが男は斧を取り出すと軽快な動作で破壊していく。機雷の爆発をものともしていない。
 全身鎧を身に付けている訳でもないのに頑丈な肉体をしている。
 
「あれ? 耐え切った? それならこれで! えぇいっ!」

 ――ズドドドドドドドドドドド

「……フィリス、それは人としておかしいですよ!」

 フィリスは大木を素足で蹴り倒していた。
 もはやケイシアも理解が追い付いていない。ただ世界の広さに驚愕するのみだ。
 
「チッ、貴様、ただの人ではないな?」
「そうかな? 私はこれでも一応、人を自称しているんだけど?」
「素足で木を薙ぎ倒す人族がいてたまるか……!」
「……そういう貴方こそ亜人の血を引いているでしょ! 逃げ足の早い!!」
「さぁどうだかな?」
「……化け物揃いだな」

 フィリスの飛び蹴りを躱し更にセレーネが放った矢を掴み折る。
 明らかに盗賊団の中でこの男だけ実力が桁違いだった。
 防戦一方とはいえ二人の猛攻を耐え切れる者などそうはいない。

「これでもお前たちよりは遥かに経験を積んでいるんでな。だが、状況が不利であるのも確かか、さてどうするか」
「うーん。天に祈るしかないんじゃないかな? もしかしたら救いがあるかもね」
「……その前に地獄に叩き落してやるがな。……覚悟しろ」
 
 精霊の力を封じられた時点で男に勝ち目はない。
 ジリジリと追い詰められ後ろに下がっていく。男の背中が魔光石と触れ合った。

 ――パリン

 その瞬間、結晶体が粉々に砕け散った。
 中にいた人物も飛び出してくる。それは小さな子供だった。
 小さくも強大な水の属性力を内に秘めている。

「……フッ、どうやら天はまだ俺を見放してはいなかったらしいな」
「あっ、ウィズリィ様が……! コラッ! 人攫いは犯罪なんだから!!」

 幼子を担ぎ上げると男は飛び上がり、木々の枝を蹴り渡っていく。
 明らかにその動きは人のものではなかった。みるみる背中が小さくなっていく。
 
「……逃がすか!」 
「セレーネちゃん一人じゃ危ないよ! ごめん、ケイシア。あとは頼んだよ!」
「フィリス! ま、待って……!!」
 
 ケイシアの制止を振り切って二人は逃げた男を追いかける。
 すぐにケイシアも続こうとしたところで――背後に殺気を感じ横に避ける。
 目の前の地面に斧が突き刺さっていた。

「あの糞餓鬼め……捕まえて滅茶苦茶に犯して最後には首をはね飛ばしてやる!!」

 ゲルは腹を抑えながらも怒りで目を血走らせていた。周囲に水の属性力が満ちていくのがわかる。
 精霊の力は今も抑制されている。とはいえフィリスが離れればそれだけ早く元に戻ってしまう。
 猶予は残されていない。ケイシアは細剣を構えた。

「あぁん? やるってのか? お望み通り、まずはお前から殺してやる!!」
「っ!」

 ゲルの初撃を何とか躱してケイシアは息をつく。
 明確な殺意を向けられ汗と震えが止まらない。初めて経験する対人の命の奪い合いだ。
 
(……落ち着いて私、精霊の力がなければ相手はただの格下。いつも通りに動けば勝てる相手です)

 出発前に手合わせをした少年の方が遥かに動きが鋭く格上だった。
 そして相手にはフィリスから受けたダメージが今も深く残されている。

 ここ数日で得られた確かな経験を全て引き出し攻撃をいなす。
 ステップを踏みフェイントを混ぜながら僅かに生まれた隙に差し込んだ。

「そこです!!」
「グアッ、い、いてぇぇ……」
 
 更に連撃を加えていく。

「グアアアアアアアアアアアアアア」

 ケイシアの一撃は見事に得物を握る男の腕に命中し肉を深く貫いた。
 ゲルは痛みのあまり樹海を震わすほどの雄叫びを上げる。その場で嘔吐した。

「あああああ殺す、てめえええええええ、ころしてやるうううううううううう!!」
「ま、まだ動けるというのですか!?」

 素手のまま、血を振り撒きながら、形振り構わず強引に掴みかかってくる男。
 その動きはもはや野生の獣そのもので、ケイシアも予想だにしていなかった行動だった。
 死を悟った者の底力を甘く見ていた。いや、そもそも知らなかったのだ。
 
「い、いやっ! だ、誰か!! 誰か助けて――」
 
 恐怖のあまり足が躓く。
 無我夢中で腕を持ち上げた。

 ――ドスッ

「グヴォ……ヴォエ……」
「えっ……?」

 気が付くと顔面蒼白とした男が大量の血を吐き出していた。 
 背中の奥で細剣の先端が見え隠れしている。相手を刺し貫いているという結果を腕にかかる重みが示していた。

「あっ……あぁ……ご、ごめんなさい。……ここまでするつもりでは」

 思わず謝罪の言葉が出てきてしまう。それは不幸な事故だった。
 騎士は捕物の際に不殺を心掛けるように徹底されている。捕らえた犯罪者から重要な証言を得る為だ。
 
 ケイシアは先祖代々から国に仕える栄えある騎士の家系だ。
 道を違え冒険者となった今でもその教えは遵守するつもりだった。
 初めて同族の命を奪ったという事実が、少しずつ脳に浸透していく。
 
「……ゲルの仇だ。一緒に地獄に落ちやがれ!!」
「う、後ろ!? しまった、まだ一人残って……け、剣が抜けない……!」

 それが致命的な油断に繋がる。
 気絶していたもう一人の男が目を覚ましていたのだ。
 武器を振り上げ走り寄ってくる、自分の得物は肉の壁を深く貫き簡単に引き抜く事ができない。

(ど、どうすれば……! このままでは……!)
 
 焦りがケイシアの動きを硬直させ、冷静な判断力を奪いさる。
 剣を捨てるなり手段は幾らでもあるというのに、身体が動かない。

「……あっ、駄目っ」

 迫りくる凶器。
 冒険者である以上、いずれどこかで朽ち果てるであろうと覚悟はしていた。
 ただそれにはあまりにも……あまりにもみっともない終わり方だとケイシアは思った。

 そして、一筋の風が吹いた。

「ガガガガ、な……何が、起こ、て……グギャギャギャギ」

 ケイシアを避けるようにして吹き上げた風は、バルクを包み込み片腕を軽々ともぎ取った。
 強力な風の属性力を肌に感じるが、それはケイシアが生み出したものではない。
 男が動くたびに身体の一部が弾け飛び、そして最後には首を撥ね上げる。
 
「……こ、この力は……風の……そうか……お前は、フレースの血筋……だったな」
「はぁ……はぁ……い、生き残れた……?」

 男が息を引き取ったのを確認して、ケイシアは地面に座り込む。
 突如として現れた救いの手に驚く事もなく、ただただ安堵からくる溜め息をつくだけだった。

「私が言えた義理ではありませんが、いくらなんでもやり過ぎです。……ですが、助かりましたよ――シルフィア」
 
 ケイシアはそう風に語りかけるも返事が戻って来る事はなかった。



 ◇



 水の精霊を攫った男を追い続けること半時間、距離にして数十キロは走っただろうか。
 ニブルクル樹海を抜け、山道を進んだ先に広がるのは広大な規模を誇るカーマイル泉だった。

 キラキラと輝く水面に多くの小鳥たちが羽を休めている。
 奥には荘厳と立ち並ぶ霧がかった山々があり自然に溢れ空気が澄んでいた。

 フィリスはその神秘的な光景に思わず息を呑んだ。
 全身に感じる強い水の属性力を頼りに泉の外周を走る。
 ここまで休みなしに移動を続けていたが疲れなど微塵も感じない。
 
 男がこの周辺に隠れ潜んでいるのはまず間違いないだろう。
 同じ属性を扱う者同士。そして相手はまだ精霊術師としては半人前。
 痕跡は探せば幾らでも見つける事ができる。
 
「見つけた! ウィズリィ様を返して――えっ!?」

 ほどなくして無事に男の姿を見つけたのだが、どうにも様子がおかしい。
 水面に力なく浮かぶ人影、呑気に泳いでいる訳でもなさそうだ。
 フィリスは足元が濡れるのも気にせずに近付いていく。
 
「ちょ、ちょっと、大丈夫? ……うわっ、矢が首に突き刺さってる」

 足を掴んで浅瀬まで引き上げる。泉に赤い線が彩られていく。
 胸元に耳を当ててみるも既に息はない、苦悶の表情を残し男はこの世を去っていた。

「……もしかしてセレーネちゃんがやったのかな? あっ、でも矢の大きさが違う気がする」
 
 矢のサイズから推測するに、大型の弓が使われている。
 セレーネが持っていた弓は、彼女の体型に合わせた小型の物であった。
 そもそもこの男を追いかける段階で、フィリスはセレーネを遥か後方に置き去りにしていた。
 
 もう一つ、気になっていた点を確かめる為に男の服を剥いでいく。
 
「……やっぱり尻尾がある。この人、獣人さんだったんだ。どうりで動きが人離れしていると思った。あれ、でもそれだとどうして獣人さんが同じ仲間の村を襲ったんだろう? ……うーん、わかんない。ニノ君に任せよっと」

 難しい話はとりあえず幼馴染の少年に託す。
 フィリスは昔から考えるのが苦手だった。とはいえ地頭が悪い訳ではない。
 戦闘分野では、その能力を遺憾なく発揮する最低限の知識はある。

 苦手な分野にははなから関与しない。良いように解釈すると、取捨選択が得意なのだ。

「――フィリスよ。ようやくこうして顔を合わせる事ができたのう?」
「こ、この声は」

 声のする方へと振り向くと、そこにはフィリスの待望の人物の姿があった。
 広大な海を連想させる輝く青髪を片側に結んで肩に乗せ、幼いながらに凛とした眼差しは泉と同じ澄んだ蒼瞳をしている。
 
 これまで最年少であった雷の精霊よりも更に小さな肉体だ。
 精霊は高純度の魔光石の結晶体の中で、数百年もの歳月をかけて器を構成していくのだという。
 目覚めた時点で器の形が決定づけられ、それ以上の肉体成長はほぼ望めない。

 つまりこれがウィズリィ本人が望んだ理想の姿なのだろう。
 
「わぁ~! ウィズリィ様だ! 会いたかったよぉ!!」
「コラッ、待て、少しは落ち着かんか。声が大きい、頭に響くじゃろうが!」
「だってだって、想像以上だったんだもん!」
「何がじゃ?」
「ちっさくて可愛い。あと何か喋り方がヘンテコ!」
「……お主は会って早々失礼な奴じゃな」

 幼女を強く抱き寄せ喜びを表すフィリス。ウィズリィも満更でもない表情をしていた。
 どうやら喋り方が変わっているのは、眠っている間に様々な人物の影響を受けたとの事らしい。

 ウィズリィほどの実力を持つ精霊は、転生の最中でも意識だけ切り離して行動する事が可能なのだ。
 それは白昼夢にも似た朧げな景色を歩いているような感覚で、ハッキリとは記憶に残らない。
 だが彼女が訪れた土地に確かな影響を残していく。

 実際、フィリスが故郷の村でウィズリィと同調した時も、彼女の肉体は遠く離れた魔光石の中だ。
 
「ワシが眠っている間に大勢の者に迷惑を掛けてしまったみたいじゃな。……すまんのぉ」
「もぉ、あとで獣人さんたちに謝りに行こうね?」
「うーむ、仕方があるまい。困ったことに殆ど身に覚えがないのじゃがな」

 ここ最近続いた雨も、盗賊団に力を貸していた件も、全て寝惚けていた為に起こったのだという。
 はた迷惑な話だが、それで怒りをぶつけるのも違う。そも人の善悪で測れる存在ではないのだ。
 こうして素直に従ってくれるだけありがたいと思わなければならない。

「ところでフィリスよ。――あの日の約束、覚えておるか?」
「えっ……約束? いきなり、何の事かな……? よくわからないよ」
「しらばっくれるでない。お主が何故、精霊術師になったのか。その原点となったものじゃ。まさか忘れた訳ではあるまいな?」

 ウィズリィの声色が低くなる。フィリスは珍しく狼狽した表情を見せた。
 和やかな雰囲気から一転して剣呑とした空気に包まれる。緊迫とした状況に喉が渇きを訴える。
 
「……奴に復讐したいのじゃろ? ワシが協力してやると言っておるのじゃ」
「ち、違う……私はもう……許したんだから。……忘れさせてよ」

 ウィズリィの言葉にフィリスの心の奥底に封じ込めていた黒く醜い感情が膨れ上がる。
 それは幾重にも施錠し封印して忘れようとしていた幼少期の誓い。思い出したくなかったものだ。

「ウィズリィ様……そ、そんなに真剣に見つめられても、こ、困るなぁ……。私だって成長したんだから、昔とは違うんだよ……? いつまでも恨んでなんか……!」
「己の未来を捨ててまでワシの力を求めておいてか? ……隠し通そうとしても無駄じゃぞ。お主は今でも奴を表面的に受け入れていても、心の奥底では認めてはおらん」
「…………」

 わざとらしくおどけて見せるも目の前の幼女には通用しない。
 ウィズリィとも長い付き合いになる、全てを見透かされている。
 
 そうだ。今でも忘れていない。忘れられるはずがなかった。
 大好きだった人たちを失った。そして大切な人を穢されてしまった。
 フィリスにとって、それは自分の命を奪われるよりも耐え難い苦痛だった。

「これは避けては通れない道じゃよ。止まってしまったお前の時間を進める為にもな」
「……復讐……私が……あの人を……殺す……?」

 震える身体を庇いながらも、フィリスの脳裏に浮かぶのは幼馴染の少年とその家族の姿。
 あの日交した約束は、今でも心の中に強く刻み込まれている。
 
 一人の母親が息子を想いその友人に託した願い。
 まだ幼かったフィリスが何の気なしに受け止めたもの。
 
 それが今になって――呪いとして降りかかっていた。
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勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

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