闇精霊に好かれた精霊術師(旧題:ダンジョン最下層でパーティに見捨てられた精霊術師の少年、闇精霊に気に入られ最強の精霊使いになる。)

お茶っ葉

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ニ章

38話 悲涙の雨に流されて

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 ニノがこの世界に生を受けてから数年の月日が経過した。
 精霊の血をその身に宿した男の子は元気に外を走り回っている。
 その姿を私は陰から見守り続けた。父親であるレイと同じで家族として大切に想っていたから。

「のーと様今日もありがとうございます」
「おーニノは偉いな。そうやって日々感謝する事はいい心掛けだと思うぞ?」
「でもとうさんはもっとかあさんを大切にしてあげるべきだと思いました」
「それはないだろ~。父さんは母さんもちゃんと愛しているんだからな?」
「でもいつものーと様の話ばかりして、かあさん怒ってた、僕もとうさんはだめだと思う」
《私もそう思います。レイはいい加減子離れするべきです》
「父さんは二人が冷たくて泣きそうだよ……」
「のーと様、近くにいるの?」
「今も傍にいらっしゃると思うぞ。よしニノ、一緒に恥ずかしがり屋さんな精霊様を探そうか?」
「おー!」
《や、やめてください!!》

 ニノはレムと似て心優しく、また、光の精霊の力までも受け継いでいた。
 それだけに、彼がこの先様々な困難に直面してしまうのは容易に想像ができる。
 今度こそは決して片時も離れずに傍にいる。誰に何と罵られたとしてもこの子を守り続ける。

 それはレムを失った後悔から来る贖罪なのかもしれない。
 ニノを通してあの子の面影を追っているだけなのかもしれない。
 それでも私は確かにこの子を愛していた、依存しているとは自分でも自覚していた。

 ――幸福な時間が流れていく。

 光の属性力に引き寄せられた魔物を裏で片付けた。
 何かあればレイたちの相談に乗った。時には手伝いもした。
 ニノがその女性的な容姿故に、友人ができないと聞いた時は私も一緒に悲しんだ。
 私の為に手作りの花冠を作ってくれて、それを受け取った時は少し泣いてしまった。
 
 それから――フィリスさんとの一件があった。
 そこで私は彼の優しさが彼自身を苦しめている事を思い知らされる。
 ニノは自身の命を繋げている光の力を、彼女を救う為に使ってしまったのだ。
 
 ニノは一度生死の境を彷徨った。

 結果的に命は助かりフィリスさんの問題も解決した。
 ただ、このままでは危険だと判断した両親の手によってニノは記憶の一部と力を封印されてしまう。
 記憶を失った事で彼の性格にも多少の影響を及ぼしてしまった。
 
 ……全てが順調だった訳じゃない。
 それでも、自分がやっている事は間違いではないと信じていた。
 記憶の齟齬によって引き籠りがちになっていたニノを、フィリスさんが助けてくれた。
 彼女もニノを大切に想ってくれている、その根底にあるものは私と同じ感情なのも知っている。

 誰もが誰かを想いそして繋がっていく優しい世界。
 精霊の存在目的とは乖離していて、気が付くと私は人の暮らしに溶け込んでいた。

 でもそれが何だというのか。
 いつかレムが言っていた通り、誰かに強制されている訳じゃない。
 精霊にだって一カ所に落ち着いて幸せな生活を送る権利があってもいいじゃないか。

 そう……私は溺れていた。
 この幸福な世界に、家族に、少年に。
 本来の目的も自分がどういった存在であるのかも忘れて。
 
 大切な、忘れてはいけない咎を――記憶の片隅に追いやって。

  

 ◇



「お願い……お願いだから、無事でいて……! 貴方まで失ってしまえば私は……!!」

 悪天候の中、険しい山道を素足のまま走り抜ける。
 何度も転げ倒れそうになりながら、草木を掻き分け邪魔な木々を破壊していく。
 降りしきる雨と背中に流れる冷ややかな汗に、焦燥感に駆られて胸の動悸が収まらない。
 震える身体を何度も拳で叩き鼓舞しながら走った 

「一体あの子はどこに……もう、心当たりはこの場所しか……あ、あれは……!」

 土砂を飲み込んだ激しい水の流れの中に一瞬、人の腕のようなものが見えた。
 私は躊躇いなく飛び込む。冷たさのあまり激しい痛みに襲われる、それでも強引に。
 召喚した土人形ゴーレムたちで水の流れを堰き止めていく。

 流れが変わり水の干上がった川底に一人の少年が倒れていた。

「ああっ――ニノ!!」

 私は凍え切った小さな身体を強く抱きかかえて自分の熱を少年に送った。
 全身を硬直させ血色の悪い肌はまるで死人のようで、絶望のあまり何度も嗚咽が漏れてしまう。
 それでも何度も何度も声を掛け続けると、少しだけ息を吐く音が聞こえてくる。
 
「……あぁ、無事で……よかった。本当に……よかった。どうして……どうして一人で飛び出したりなんかしたんですか……!」
「……母さんに……元気になって……欲しくて……。これ……届け……ノート……様」
「――――ッ!! ごめん……なさい……私のせいで……私が……!!」
「ど……して、あや……まるの?」

 ニノの手には難病に効くとされる薬草の束が握られていた。
 酷く衰弱し自身も危うい状況だというのに、それでも家族の為にそれを届けようとしている。
 その痛ましい姿を前に私はただ謝り続ける事しかできなかった。

 心が……砕けそうになる。

 何故、私は忘れていたのだろうか。
 レムが犯した過ちをこの目で見てきたはずなのに。
 精霊の力を手にした者が辿る結末を、どうして記憶の隅から消し去っていたのか。

 レイが――消滅した。
 それもニノとフィリスさんの目の前で、一瞬の出来事だった。別れを告げる時間すらなかった。
 光の粒子となった身体はこの世界に何一つ痕跡を残していない。
 
 それから幾ばくもしないうちにニノの母親も病に倒れてしまった。
 愛する人を失い精神的に追い込まれたのか、懸命な看病も虚しく日に日に症状は悪化していく。

 彼女の命はもはや風前の灯で、もう手の施しようがない。薬草は気休めにもならない。
 生きようという意思が失われ、レムの力ですら届かなくなってしまっている。
 
 幸福だった世界が失われ、全てが破滅へと転がり落ちていく。
 
「どうか、どうか……この子はどこにも連れ去らないでください……! 私はどうなっても構いません。ですから、この子だけは……!!」

 何度も天に祈った。
 この先、誰との繋がりも求めたりなんかしない。今ここで消滅してしまってもいい。
 私に残された全てを捧げてでも目の前の少年に祝福を、償いをしたかった。
 大切な家族を、血の繋がっていない弟を救ってほしい。ただその一心で祈り続けた。
 
 それでも……祈りが届く事はなく、そして世界は限りなく残酷だった。
 

 私は――過ちを繰り返す。
 


 ◇



「……雨? もしかしてウィズリィですか……?」

 雨粒を肌に受けてノートは天を見上げた。 
 村の上空一帯に不自然にも黒い雲が折り重なっているのが見える。
 同時に強大な水の属性力までも、そこから彼女が近くにいる事を感じ取ったのだ。

「嫌な予感がします……本格的に降り始める前に早くフィリスさんを探さないと」

 言葉ではそう言いつつもノートの足取りは重たいままだ。ゆっくりと時間をかけて村を一周する。
 本心ではフィリスと会うのは避けたかったのだが、逃げ続けていてもいずれは直面する問題。
 ニノと行動を共にすると決めた以上、彼女は勇気を振り絞るしかなかった。

「どういった言葉をかければいいのでしょうか……きっとフィリスさんは今でも私の事を――ッ!!」

 魔力に精通した精霊としての本能か、反射的に身体が動いていた。
 背後から迫りくる暴力的な魔力の塊を避けて、ノートは前方に壁を作り出す。
 その直後、龍を模した水流が障壁をいとも簡単に砕き破った。

「避けられた……かぁ……。流石、精霊様だけあって……反応が鋭いですね」
「フィリス……さん……?」
「……こうしてお話しするのは……初めてですよね。ノート様」
 
 破壊された壁の奥に佇む少女。
 雨に濡らした髪を無造作に垂らしフィリスが立っている。

 暗く冷たいくぐもった声だった。雨でかき消されなかったのが不思議なくらいだ。
 誰が相手でも物怖じせず、周りを巻き込んでは太陽のような明るさと陽気さを振りまいていた少女。
 そんな彼女が今や暗黒の雲を通して降り注ぐ雨のような陰鬱とした表情を見せている。
 
 ――これが彼女の本来の姿であるのをノートは知っている。
 
「……ご挨拶に来てくれた……訳ではないのですね」
「一応、そのつもりだったのじゃが。フィリスは気が早い子でな」

 魔力によって具現化された龍が口を広げ、一人の幼女を吐き出した。
 ぬかるんだ地面を豪快に転がり、ニッコリと笑みを浮かべながら服に付いた泥を払っている。

「とりあえず、ワシもフィリスに倣って初めましてと言っておくべきかのう? ……お主とは転生前はよく知る仲であったが故に、微妙なところじゃが」

 張り詰めていた空気を壊し飄々とした態度で話す幼女。
 だがそれは相手を油断させる為の仮の姿とも取れる。ノートは警戒を解かずに距離を取る。

「ウィズリィ、貴方も……私が狙いなのですか……?」
「お主は相変わらず察しがいいのう、説明する手間が省けて助かるぞ。まさしくその通りじゃな」
「どうして……! フィリスさんならともかく、貴方に恨まれるような事は……!」
「お主にとって少年がそうであるように、ワシにとってもこの子が特別なんでな。……フィリスに亜人の――鬼の血が少しばかり流れているとはいえ、一人でお主と戦わせるにはいささか荷が重いと思うてな、協力する事にしたのじゃ」
「……そう……ですか」

 あれだけ再開を待ち望んでいた、仲間だと、親友だと思っていた人物が命を奪いに来た。
 その事実が鋭く胸に突き刺さりノートはうなだれる、雨で濡れる視界は仄かに熱を帯びていた。
 それでも心の準備をする間も与えてもらえず、フィリスが詰め寄ってくる。
 
「ノート様……一つだけ聞かせてください。どうして……どうしてニノ君を苦しませるような事をしたんですか!? ニノ君はずっとずっと貴方の事を大切に想っていたのに……!!」
「違います……私はニノを苦しめるつもりなんて……! レイと繋がったのだって偶然で……!!」

 同調は自分の意思では止められないものだ。
 感情を自在に制御する術を知らなければ、無作為に作用してしまう。
 
 生物の喜怒哀楽といった感情には古来から魔力が宿るとされていた。
 魔族の信仰から生まれた闇精霊が攻撃的な性格を持つように、属性力の管理者である精霊が人一倍感受性が強いのもその魔力に多大な影響を受けているからだ。
 他者からの干渉を受け続けている精霊にとって、感情を制御するというのは容易な事ではない。

 決して故意に誰かを不幸にしたかった訳ではない。
 寧ろその逆で、ノートは常に彼らの幸せを願い続けていた。だが、それも第三者から見れば別だ。
 他人の心の内なんて闇精霊でもなければ知り得ない。フィリスがノートを責めるのも無理はないだろう。

「ニノ君の両親の最期は私も見届けました。目の前で消えて……目の前で命が失われて……。辛かった、悲しかった。当時は確かに……貴方を恨んでいました。でも――それは仕方がない事だってわかっています。恨むのは間違っているって。だってレイさんは自分から精霊様との繋がりを求めていたって知っていますから、きっと消滅するのも覚悟の上だって事も……!」 
「……えっ? それではフィリスさんは……!」
「私が一番聞きたかったのは、どうしてノート様は、ニノ君と同調なんてしたんですか……!」
「……そ、それは……あの子を助け出す時に……偶然……で……」
「また……偶然ですか。ノート様、もう嘘はやめませんか? ニノ君から聞いています、今まで一度たりとも姿を見せてくれなかった精霊様が”何故か”その時だけは直接助けに出て来てくれたんですよね? ニノ君はノート様に会えた事を嬉しそうに何度も話していました。――それが自分の未来を対価にしているとも知らずに!!」
「あっ……ああぁぁ……!!」

 フィリスの言葉は少年が精霊術師として目覚めた切っ掛けを指していた。
 そしてそれはノート本人ですら気付けなかった事実を突き付ける。

 どうしてニノを直接助け出そうとしてしまったのか。抱きかかえたりしてしまったのか。
 家族を失う悲しみという同じ方向を向いた感情は、強い繋がりを生んでしまうとわかっていたはずだ。

 強くなりたいと願った雷の精霊が同じく強さを求めた戦士と修行を通して繋がってしまったように。
 直接的な接触はより強く同調を促す。そこに喜怒哀楽の感情を共有してしまえばほぼ確実と言っていい。
 
 手段なんて幾らでもあったはずだ。ゴーレムを使うなり、誰か他の者に応援を頼むなり。
 レイを失って後悔したのではなかったのか? 少しでも可能性を取り除くべきではなかったのか? 
 何一つ対策も取らずに同じ事を繰り返して、どうしてそんな愚かな行為を働いてしまったのか。

 答えは簡単だ――最初から少年と繋がるのが目的だったからだ。

 数百年にも及ぶ孤独の檻から救い出してくれた光を、レイとの繋がりを失って焦っていたのだ。
 ニノに自分を意識させる事で同調を求めたのだ。依存できる誰かを探していたのだ。
 その結果がどうなるのかを全て理解した上で。

「私が……全てを……奪ったの? ……あの子の家族も……未来も……?」
「もしかして本当に……今まで気付いていなかったんですか?」 

 全身から力が抜け地面に倒れ込んだノートを、フィリスは冷え切った表情で見下ろしていた。
 そしてゆっくりと歩みを進めていく。その姿はまるで罪人を裁く処刑人のようだ。

「ノート様知っていますか? ニノ君は元々冒険者なんかに憧れていなかったんです。それなのにある一時を境にいきなり冒険者になるって言いだしたんです。私も、私の両親も反対しました。それでも強引に村を飛び出して……彼らしくないって思いました。でも最近になってわかったんです……」
「…………」
「精霊術師として目覚めた以上、いずれ近い将来ニノ君はレイさんのように消滅する。だけど、そうなればきっと……その原因を生み出した貴方が傷付く……! 彼は残される人の辛さを知っていますから。だから自分が消えてしまう前に、冒険者として……死ぬつもりだったんですよ」
「そ、そんな……」

 冒険者になる為には当然、戦う力が必要になってくる。
 精霊の力を扱えるとなれば、必ずギルドでも活躍の機会が与えられると考えたのだろう。
 ニノは大地の精霊術師に、同調に、意味を持たせようとしたのだ。
 普通の暮らしを送る上では過ぎたる力に役割を与え、少しでもノートの罪の意識を和らげる為に。

 それは少年の優しさだった。
 自分の敬愛する人にこの先の未来を平穏に歩んでもらう為に。
 死後の事も考えて、それを彼女たちに伝えず一人心の内に隠して。

「光の精霊様との戦いで確信しました。ニノ君は私たちを守る為にその身を盾にした、いつも前に立って誰かの為に傷付いて……。あんなの……生きようとする人が取る行動じゃない……いつ死んでもいいという覚悟があるから」

 傍でずっと少年の事を見てきたはずなのに、今になって初めてノートは理解した。
 フィリスが共同生活を提案したのも、彼女はニノを一人にさせてくなかったからだ。
 目を離せば消えてしまうのではないかと恐れていたのだ。全てが自分が生み出した結果だった。
 
「酷いよ……こんなのあまりにも……! 家族も未来も失って、それで自分の人生まで投げ捨てて、一体どこまで貴方は彼を苦しませ続けるんですか!!」
「……私が……私が……あの子を」
「だから……私は……貴方を消します。その結果、ニノ君に恨まれたとしても……消えたり死んでしまうよりかはマシです。例えこの先一緒にいられなくてもいい、遠くから見ているだけでもいい……。私は彼がいないと……自分を保つ事すらできない……弱虫ですから……」

 フィリスも涙を流していた。
 それでも覚悟を持ってこの場に立っている。
 ノートにはその覚悟を正面から受け止めるだけの力がなかった。

「ニノには……まだ二人の精霊がついています……。フィリスさんは、あの子たちの命も奪うつもりなのですか……?」

 ニノには大地の精霊の他にも闇精霊と雷の精霊との契約がある。
 仮にノートが消滅したところで、ニノが精霊術師である事には変わらない。

 フィリスの覚悟がどうであれ、フィアーとトルの二人と戦うなんてあまりにも無謀だろう。
 特にフィアーは誰が相手であろうと容赦がない。それをフィリス本人もよく知っているはずだ。
 
 何より、ニノがそれを黙って見ているはずがなかった。

「ん? お主は何を言っておるのじゃ? その二人は仮契約で止まっていたのではなかったのか?」
「……仮……契約……?」
「ノート様、実は……フィアーちゃんもトルちゃんもニノ君と正式な契約を結んでいないんです」
 
 聞き覚えのない言葉にノートは一人取り残される。
 その様子を見て、ウィズリィは申し訳なさそうに頭を下げた。

「……そうか。ノート、お主は知らなかったのか。考えてみれば当時のお主はワシと同じくあの霊峰に閉じ籠っておったからのう。既にレムから教わったものだとばかり思っておった」
「一体……それは……何なのですか……?」
「ワシがレムの奴の為に編み出した、同調を未然に防ぐ秘策じゃよ」
「秘策……? それでは、それを使えば同調は防げたのですか……!」
「厳密に言えば、防いでいるというよりは誤魔化しているというのが正しいかのう。そも同調というものは生殖機能を持たないワシら精霊が同一属性を持った仲間を作り出す為に最初から備わった機能なのじゃが……。お主も身を以って知っておる通り、これがまぁ欠陥機能でな。起動の鍵となるのが感情という曖昧なもので、突き動かすのが本能であるが故に制御も難しいときたものじゃ、おかげで前世では霊峰に引き籠る羽目になっておった」

 精霊は自身の存在や奇跡を民衆に広め、信仰を得る事で力を増す。
 そして世界に属性を伴った魔力を絶やさず循環させるのを目的としている。
 だが、この広い世界に各属性につきたった一人で管理をするというのはいささか無理がある。
 そこで使われるのが同調であり、喜び、悲しみ、怒りといった共通感情を鍵として心を通わせた人物に力を託し、忠実な信徒して自分たちの仕事を手伝わせるのだ。
 
「感情というものはナマモノじゃ、例えその一瞬わかち合えたとしても、それが永遠と続くものではない。偶然に惹きつけ合う事だってある。じゃが、袂を分かったとて一度生まれた繋がりはワシらの手でも断ち切れない強固なままじゃ。ままならぬものじゃな」

 それはノートがレイと孤独を通して繋がったのと同じだ。
 始まりがほんの些細なものであったとしてもそれが一生涯続いていく。
 相手の人生を大きく変えてしまうのだ。だからこそノートもウィズリィも接触を避けていた。

「当時、レムの奴はよく人の街に入り浸れておってのう、街の者たちとの交流も盛んに行っておった。既に勇者と契約していたとはいえ、このままでは国中を同調に巻き込む可能性があった。ワシは何度も止めたのじゃが、あやつは中々に頑固者でな……」
「あの子は……人を……愛していましたから……」
「……そうじゃったな。……そこでワシがある秘策を思いついたのじゃよ。理性によって本能を制御するのが難しいのであれば、己自身を騙してやればいいと。同調によって断ち切れぬ双方の繋がりを生み出す前にこちらから一方的なバイパスを繋ぐ事で疑似的な契約を作り出す。さすれば同調が済んでいるものだと認識するのではないかとな」

 そして見事に成功したのだとウィズリィは言う。
 今まで避けようがなかった同調を未然に防ぐ手立てができたのだ。

「この疑似的な契約はこちらから一方的に繋いだものじゃから精霊側で魔力の主導権を握れる。悪人に利用される事もない。そして――任意で断ち切る事も可能なのじゃよ」

 危うくなれば一時的に仮契約を行い、そして時間と共に落ち着いたのを見計らった後に断ち切る。
 感情はナマモノであるからいずれは冷め、また元の鞘に収まる事ができる。
 この仮契約のおかげで、精霊が同調を避けながら人の暮らしに溶け込む事が可能になったのだ。

「そ、それでは……あの子たちは本当に契約も同調もしていなかったのですか……?」
「どうやらフィアーの奴はレムから仮契約を教わっていたようじゃな。あやつらは昔から競い合う仲じゃたしな。そしてトルという者は……面識がないので予測になるが、大方、少年経由で伝わったのじゃろう」

 同調はノートのあずかり知らぬところで既に解決されていた問題だった。
 もしかしたらレムは仮契約についてもを教えるつもりで下界に誘っていたのかもしれない。
 それを必要がないからと、人との接触を避け続けていた報いが来たのだとノートは後悔した。

 初めから知っていれば。そう考えたところで頭を振る。
 それはもう仮定の話であり、その世界はニノが存在しないものになる。
 どちらにしろ考えるだけ詮ない事だ。

「つまりノート、お主だけなのじゃよ。少年と双方の繋がりを持つ精霊は」
「私が死ねば……あの子は……精霊術師ではなくなるのですね……」
「その通りです……ニノ君が消滅しない未来を歩めるんですよ……!」

 フィリスによって放たれた水の鞭をノートは生身で受けた。
 抵抗も防御の姿勢も取らずに弾かれ泥の中を転がる。そして倒れたまま動かなくなる。
 
「うぅ……あぁ……」
「抵抗しないんですね……」

 身体に受けた傷は浅い。
 華奢な見た目とは裏腹に、精霊の器は並大抵の攻撃は受けきれる強度を誇る。
 だが精神的な負荷で既にノートは満身創痍であった。立ち上がる気力すら残されていない。

「……フィリスよ、雨で隠蔽しているとはいえ、このまま村で事を起こせば必ず邪魔が入る。騒ぎを聞きつけお主の愛する少年も駆けつけて来るやもしれん。場所を変えるべきじゃな。……ふむ、ワシが目覚めた地なんかどうじゃ? 景観もよいし、決戦の地としてはうってつけじゃ」
「……わかりました。ノート様、私は泉で待っていますから。絶対に”逃げないで”くださいね」
 
 フィリスは矢継ぎ早に言い終えるとノートに背中を向ける。 
 命を奪いに来たというのに、トドメも刺さず場所を変えるのだという。 
 絶対の自信から取れる行動。しかし、ノートにはフィリスが苦しんでいるようにも映っていた。

「……フィリス……さん……まっ……て……!」

 行かせてはならない。
 引き留めなければきっと後悔するだろう。それがわかっていてもノートは声が出せなかった。
 振り絞って出した感情の搾りかすは無情にも雨によってかき消される。無様に膝を付き泥水を被る。

「うぅ……ごめん……なさい……。ニノ……ごめん……なさい。私は……どうして……もう消えて……しまいたい……誰か……私を殺して……! 死に……たい……今ここで……殺して……!!」

 唇を噛みしめ何度も謝罪の言葉を繰り返しては、地面に額を叩きつける。
 仮面が外れ呪印が刻まれた素顔が曝け出されても気にも留めずに、ひたすら自分を傷付けていく。

「……ノートよ。どうして泣いておるのじゃ?」

 ふとノートの頭に小さな手が触れた。
 ウィズリィが泥で汚れた黄土色の髪を撫で、泣き喚く子供に説き聞かせるように優しく語りかける。 

「ワシにはお主の気持ちがよくわからんでな。教えて欲しいのじゃが、人なんぞいくらでも代わりがいるものではないのか? 一人二人死んだところでそんなに悲しむものなのか?」
「そんな……ニノの……代わりなんて、あの人たちの……代わりなんて……どこにもいない……! 大切だった……愛していた……私の……宝物だった……!」
「そうか、それほど大事じゃったのか。ふむ、ならば聞くが何故――お主は逃げておるのじゃ?」
「……逃げ……る?」
「そうじゃ。ワシらは不死の存在であり一度死んだところでいずれは蘇る。多少の記憶を対価にしてな。して、お主は今、命を絶ちたいと叫んでおるではないか。それを逃げると言わずして何と呼ぶ? 大切な、代わりがないと言っておきながら、それを自ら捨てようとしておる。ワシにはお主の気持ちがまったく理解できんでのう」
「……そ、それは……でも……私は……どうすれば……!」
「さぁ、そこまでは知らぬよ。ただ……可哀想に思っただけじゃ。お主ではないぞ? お主を信じて受け入れたその者たちがじゃ」
「…………」

 ノートにはウィズリィの意図がわからない。
 命を狙っていたのではなかったのか。どうしてこんな言葉を掛けてくれるのか。
 気まぐれなのか、皮肉なのか、それでも彼女が向ける眼差しは真剣そのものだ。 

 ウィズリィが優しい言葉を掛ける時、それは決まって何かの決断を迫らせる時でもあった。
 それがたとえ痛みを伴うものだったとしても。彼女は優しくもあり、残酷でもある。

「……ノートよ。ワシら精霊は人知を超えた力を身に宿しながらも、その精神は人並みのものにしか持ち合わせておらぬ。時に喜び、時に大いに悲しむ。いや……過去を振り返れば空虚で悲しい物語ばかり歩んできた憶えがある……まぁ、生まれ直した今のワシにとっては全て朧げじゃがのう」

 それ故に、我々は転生を繰り返すのであろうなとウィズリィは付け加える。
 
「じゃがな……果たして、お主が今生で得られたのはそんな悲しい物語だけじゃったか? もっと大切なものを受け取っていたのではないのか? ……時間をかけてでもよぉーく思い出すのじゃ。フィリスはあれでも我慢強い子じゃからな、多少は待ってくれるじゃろう」
 
 頭に乗せられていた手が離れていく。
 それを名残惜しそうに眺めながらも、ノートは黙ってウィズリィの言葉を受け止めていた。

「そして今一度己と向き合い、己の信じるがままに臆する事なく立ち向かえ。相手が誰であろうと、何を背負っていたとしても関係ない。ワシらは全知全能の神ではないのじゃ。時には……許されるのであれば我儘であってもよいではないか。お主にはお主の事を今でも強く想うてくれる者たちがおるじゃろう? その者たちの事をゆめゆめ忘れるでないぞ?」
「…………ウィズ……リィ?」
「ワシが言いたいのはそれだけじゃ……。む、結局、いらぬ節介を焼いてしまったな」

 言いたい事が言えて満足したのか、フワフワと低空を浮かびながらウィズリィは飛び去っていく。

「――――おー、大切な事を伝え忘れるところじゃった。ノートよ、本日中に村を離れておく事をお勧めするぞ。決戦前にずぶ濡れになるのも嫌じゃろう? ……ん、そういえば、既にお主は濡れ鼠じゃったな。これはこれは失敬。悪かったのう」
 
 最後に悪戯っぽく笑うと、ウィズリィは小さな指でパチンと音を鳴らす。
 その瞬間、黒雲が割れ雨足がピタリと止まった。凄まじい魔力と技術がなせる業だった。
 ここまでの芸当はノートでもそう易々と真似できない。

「では、ワシは決戦の地にてお主を待つとしよう。……よいか、決して逃げるでないぞ?」
「逃げる……だなんて……私には……もう……」
「せめてその時までには涙は拭っておく事じゃ、恰好がつかんからな」
  
 次に会う時――その時は雌雄を決する戦いになる。
 あの二人が相手となると、流石のノートも一人の力では対抗しきれない。
 
 ウィズリィは現存の精霊の中でも最強と呼ぶに相応しい実力を保持している。 
 フィリスもまた全力を出してくるだろう。彼女は人を遥かに凌駕する能力を持っている。

 今のノートでは勝ち目なんてない。戦っても一方的に嬲り殺されるだけだ。
 実力でも気持ちでも全てが劣っていて、何より罪の意識に苛まれ今ここで倒れてもおかしくなかった。
 
 この場で決着をつけても良かったはずだ。
 それでも彼女たちはノートに考えるだけの猶予を与えてくれたのだ。
 逃げずに全てを乗り越えて向かって来いと。お互い悔いのないよう戦えるように。

「私に立ち向かえと……言うのですね………。ウィズリィ、貴方は……本当に……厳しい人です……」

 いつしか空は晴れ、暖かな陽の光が差し込んでいる。
 それなのに少女の視界は今も尚、冷たい雨に濡れていた。



 ◇



 ……遅い。
 いくら何でもノート様の帰りが遅すぎる。
 小さな村で人一人を探して連れ戻すだけに数時間もかけるのは普通じゃない。
 
 何かあったのかもしれない。
 本当は一人で行かせてはいけなかったのかもしれない。
 それでも信じたかった。二人が仲違いしているのは僕の単なる誤解で思い過ごしなのだと。
 
 外は今も雨が降り注いでいた。
 お祭り騒ぎだった村の広場には誰もいない。テーブルがそのままに放置されている。
 突然の雨に全員が屋内に逃れて、僕たちも空いていた民家を借りて休憩を取っていた。

 きっと二人ともずぶ濡れで着替えが必要になる。
 風邪を引かないように何か拭く物を用意しておいた方がいいかも。
 とにかく動いていないと落ち着いていられない。

 ――ドドドドドーーン

「ちょっとニノ! 大変よ! アイツが村に来ている!!」
「どうしたの?」

 他人様の家なのに遠慮なくドアをこじ開けフィアーが部屋に入って来た。
 僕の隣では疲れたのか、トルがベッドの上で丸くなり眠っている。今の音にすら反応がなかった。
 寝言で何度も僕の名前を呟いては口を動かして、祝いの続きでも見ているのかもしれない。

「何を呑気にしているのよ。この雨はウィズリィが生み出しているのよ? アイツ何かを企んでいるつもりだわ!」
「……だろうね」
「もしかして……ニノは知っていたの?」
「この雨そのものが魔力の結晶みたいなものだしね。そんな芸当ができる人物なんて限られているよ」

 強い、あまりにも強大な水の属性力が村全体を覆っている。
 これがウィズリィ様の影響なのは知っていた。それにフィリスが絡んでいるという事も。
 魔力にはその人が持つ癖みたいなものがあって、微々たる差なので判別するのは難しいけど。
 この雨にはフィリスの癖が混じっていた。……僕が幼馴染の使う魔法に気付かないはずがないんだ。

 二人が協力して何かを成そうとしている。
 それはフィリス一人では達成するのが難しく、ウィズリィ様の力を借りる必要があるもの。
 
 例えば強大な敵に立ち向かうとか……。
 フィリスだけでも鬼のように強いのに、二人揃って一体何と戦うのだろうか。
 今、ここで何が起こったとしても僕たちはすぐには気付けないと思う。
 魔力の雨というカーテンが世界を覆い隠し、全ての痕跡を強引に塗り潰していく。
 
 それでも僕は動かなかった。
 下手に動いて事態を複雑にする事だけは避けたかった。

「ノートとフィリスを会せてよかったの……? 上手くいってなかったんでしょ?」
「フィアーは気付いていたんだ」
「ノートが何度か話しかけようとして失敗しているの見ていたし、避けられていたから。……私は、そういうのに慣れているからすぐにわかるのよ」
「そんな悲しい事言わないでよ。フィアーはもう一人じゃないからね?」
「……そうね。ニノも含めてお人好しがたくさんいるものね。本当、毎日毎日鬱陶しいんだから」

 悪態をつきながらもフィアーは少しだけ嬉しそうにはにかんでいた。
 普段は強がっていても実は寂しがり屋であるのを僕は知っている。
 そして彼女も、フィリスとノート様が心配だって事も。

 だからこうして慌てて僕の所に来てくれたんだ。

「でも確かに、そろそろ迎えに行くべきだよね、フィアーも一緒に――」
「それには……及びません……今、戻りましたから……」

 僕たちも探しに出ようと玄関口に視線を向けると、そこにはノート様の姿があった。
 全身を雨で濡らし、ゆらゆらと今にも倒れてしまいそうなほど足取りが覚束ない。
 それに少しだけ怪我もしているようにも見える。

「ノート様……? だ、大丈夫ですか!?」
「ちょ、ちょっと! ノート、貴方仮面でよく見えないけど酷い顔よ? 少し休んだら?」

 フィアーも驚きのあまり普段以上に優しい口調でノート様を支えている。
 僕も一緒になって彼女をベッドの方へ運んでいく。部屋が濡れてしまうけど仕方がない。
 何か着替える物を探そうと立ち上がったところで衝撃、ノート様は僕の胸に飛び込んでいた。

「ごめん……なさい。……少しだけ……このままで……いさせて……貴方の力を、勇気をください……!」
「……フィリスと何があったのかは知りませんし、聞きません。ですが僕はいつでもノート様の味方ですよ?」
「どうして……貴方は……こんなにも……優しい……ううっ――ああああああっ――――!!」

 ノート様は僕の胸の中でずっと泣いていた。
 何度も何度も落ち着くまで背中を擦ってあげる。
 長い時間そうしていたのに、フィアーは珍しく何も言わずに黙って見守っていた。

「落ち着きました?」
「……えぇ……少しですか」
「ふーん。私の前でベタベタしちゃって……いいわよ、今回だけは特別に目を瞑っててあげるから、さっさとその涙と鼻水を拭きなさいよ。汚いわよ?」
「ニノ……フィアー……ありがとう。……もう、大丈夫です」 
 
 ノート様はよろけながらも、フィアーから布を受け取り器用に仮面の中を拭いている。
 どう見ても大丈夫じゃない。それでも本人がそう言っているのであれば余計な気遣いはしない。

「ニノ、聞いて欲しい事があります。……私の犯した……取り返しのつかない……罪を」
「罪……ですか?」
「何よ、ノートもニノの服を盗んだの? あっ、私は別に違うけど。ただ同じ物が欲しかっただけで……」
「…………」
「もうっ、茶化して悪かったわね! 無視するな!」

 もしかして、ノート様は今でも僕と繋がった事を後悔して……?
 でもそれについてはもうとっくの昔に受け入れてしまっている。何一つ後悔なんてしていない。
 
「僕は、この力を誇りに思っていますよ、父さんから受け継いだ貴方との繋がりを……!」
「ですが……その切っ掛けは……私が……故意に作り出したもので……」
「始まりなんてどうでもいいじゃないですか!」
「…………!」
「今の僕が受け入れて満足している。それでは……駄目なんですか……?」
「それは……でも、私が、貴方をそう思わざる負えない状況に……追い詰めてしまったから……」
「違う! そんな事は絶対ない!!」
「私が貴方を追い詰めた……冒険者として……死ぬ事を……選ばせた……」
「――――な、なんで……それを……!」
「やはり……フィリスさんの……言う通りだったのですね……」

 まさかノート様の口からそれが出るとは思わず、身体が反応してしまった。
 今まで誰にも言わずに隠し通してきた、僕が冒険者になろうと考えた始まりであり原点。
 
 父さんの死を目の当たりにした。何一つ痕跡を残さず、光になって消えてしまった。
 本当に死んでしまったのかもわからず。実感もなく、それでも辛い日々が続いていく。
 もしかしたら今もどこかで生きているかも……そんな甘い希望に縋り、どこかで諦観する。
 
 もし父さんが普通の死を遂げていれば、遺体が残っていれば僕たちはきっと決別できた。
 でもそれすら残らずただ曖昧なまま別れてしまった為に、余計な苦しみまで背負ってしまったんだ。
 結果、母さんも徐々に衰弱していき最後には倒れてしまった。

 だから僕は精霊術師となったあの日から、冒険者になる事を選んだ。
 魔力の粒子となって消滅するよりも人として死にたかった。残される者の辛さを知っていたから。
 
 冒険者は死と隣り合わせだ。今日生きた人が明日生きているとも限らない。
 傷付き倒れたとしても、誰かを悲しませる結果になったとしても。いつかは乗り越えてくれる。
 そして偶に僕の事を偲んでくれる、それくらいが丁度よかった。母さんのような人を生みたくなかった。

 その生き方が僕に合っていた。だから――

「……確かに初めはそうだった。でも今は違うんです! 僕は、幸せですよ? 精霊術師になったからこそ、フィアーやトルとも出会えて……ノート様ともこうして直接お話しできるようになったんですから……!」

 始まりなんて些細な事だ。
 大事なのは今じゃないのか。僕は今、生きたいと考えている。 
 みんなと出会えたから、未練が残ったから。だから、この道を選んだ事に後悔なんてない。

「……ごめん……なさい」
 
 それでも、どれだけ言葉を紡いでも彼女にはすり抜けてしまう。
 罪の意識に苛まれ自分を罰しようと、都合のいいように解釈してしまっている。
 言葉だけじゃ伝わらないのであれば、取れる手段は一つしかない。

「ノート様……!」

 僕は彼女の肩を掴んだ。
 自分の思いの丈を全てぶつけるつもりで、勇気を振り絞った。

 ――その時だった。

「大変だあああああああ!! 水門が破壊された! 村が沈むぞおおおおおおお!!」
「なっ――! 盗賊団は壊滅したのにどうして!?」
「ま、まさか、ウィズリィは……!」

 僕の手を振りほどいてノート様が離れていく。

「ノート様! どこに行かれるんですか!!」
「ニノ……ごめんなさい……私は貴方に許されない事をしてしまいました。……たくさんのものを奪ってしまいました。それでも……これだけは信じてください。私は……心から、貴方の事を……愛して……いました……!」
「だ、駄目だ……! ノート様、逃げたら駄目なんだ!! 自分自身に立ち向かわないと!!」

 僕の伸ばした手は僅かに届かなかった、走り去る背中が小さくなっていく。
 ノート様は命を絶つつもりだ。全てを投げして、全てを諦めようとしている。
 でもそれは所詮逃げているだけだ。永劫の時を生きる精霊であるからこそ今ここで清算しないと。

 彼女はきっと永遠に救われない。

 だけど、目の前に迫る危機を見過す訳にもいかない。
 
「くそっ!! フィアー、まずは村の人たちの安全確保だ! ノート様の事は後回しにするよ!!」
「まったく、アイツは頭が固すぎるのよ! トル! いい加減寝てないで、起きなさい!!」
「……ふぇ? フィア? お仕事……?」

 ベッドから転がり落ちたトルを無理矢理立たせて僕たちも外に出る。
 陽の光が降り注ぐ、雨が上がりぬかるんだ大地を踏みしめて周囲を見渡す。

 大地が揺れていた。
 遠くの方で木々が薙ぎ倒されていく音が響いている。
 急がないとすぐにでも濁流がこの村を呑み込んでしまう。

「おい、これは一体どうなっているんだ!? 奴らは全員討ち取ったんじゃなかったのか!? まさか他に仲間がいて報復にでも来たのか!!」

 セレーネが長老の家から飛び出してきた。
 最初の一声を聞いて、慌てて僕たちの方まで走って来たらしい。

「違う、これは盗賊団の仕業じゃない。報告にあった人数は倒したんだ。それに僕も確認済みだけど、水門には封印が施されてあって、あれを解き放つには水の精霊術師かウィズリィ様本人の意思でもなかった……ら?」

 そうだ。誰の仕業かなんて考えるまでもなかった、答えは明白だった。
 ウィズリィ様が暴走した? 違う、あの局所的雨はどう考えても彼女の意思で生み出されている。
 フィリスには村を滅ぼす理由がないけど、ノート様のあの確信した表情を思い出すと……。
 
「もうっ、犯人探しなんて今はどうでもいいでしょ!? このままじゃ巻き込まれるわよ!!」
「……そうだった、ごめん。セレーネ、村の外に出た人はいたの!?」
「いや、”幸運”にも先程の雨で狩りが中止になっていたからな。村を離れた者はパパと街に向かった数人を除いて誰もいない!」
「ならここにいる人たち全員で水の届かない高台まで逃げるよ! セレーネは――」
「ああ、私がこの場で陣頭指揮を取る。お前たちは足の遅い老人と子供を!」

「どうしたんだ! この騒ぎは一体!?」

 騒ぎを聞きつけ集まった獣人たちにセレーネは話を通している。
 その間に僕たちは翼を広げ三手に別れる。逃げるのに邪魔な建物は壊しとにかく避難を優先する。
 彼らにとって誇りである村であろうと、目の前の命には代えられない。

「兄ちゃん……!」
「怖いよ……!」
「大丈夫だよ。僕に掴まって、絶対に離したら駄目だよ?」
「「うん……!」」

 子供たちを脇に抱えて空を跳ぶ。
 訓練の成果から多少の高度は保てるようになっている。
 ここから一番近い山を目指して、僕は雷の翼を羽ばたかせた。

 獣人は優れた身体能力を持ち、鍛えられた大人たちは自分の足でも逃げ切れると思う。 
 でもそこに誰しも屈強な精神力まで伴っている訳じゃない。恐怖に震え動けない人たちだっている。

「だから私は、飛ぶのは……苦手……なんだけど!!」
「お、重い……けど、が、頑張る!!」
「精霊様……ありがとうございます」

 フィアーもトルと協力して獣人たちを運んでくれていた。
 精霊様は腕力に関しては見た目相応で、二人掛かりでも辛そうにしている。
 だから僕が率先して身体の大きな人を背中に乗せていく。地上でも協力してくれる人たちもいた。

 セレーネの指示の下、初動が早かったおかげか怪我人もなく。
 僕たちは山の中腹辺りで村の最期を見届けていた。
 
 ――ドドドドドドドドドドド

 氾濫した川の土砂が樹海を呑み込んでいく。
 村の建物が崩され沈んでいく。自然の力を前に僕たちは成す術もない。

「おしまいじゃ……ワシらの村が……。街の方々に……何とお詫びをすれば……あぁぁ」

 村の長である初老の獣人が地べたに座り込み泣き崩れていた。
 それに釣られるようにして一人、また一人と周囲の獣人たちが膝を付いていく。

「……罰が当たったんだな。……あんな連中に少しでも肩入れしてしまった俺たちの罪だ……」
「家財も全て呑み込まれちまった。くそっ……これからどうすればいいんだ……!」
「うわあああああん……お家がなくなっちゃったよ」
「……もう、どうにでもなればいいんだ」

 ここにいる獣人たちは生気が抜け、先の見えない未来に怯えている。
 せっかく助かった命を、次にどう繋げていくのかという発想にまで至っていない。

 いや、これはただ被害を受けたのが僕の故郷ではなかったからこそできる視点だ。
 自分だったら何を思い、何を考えるのか。そして今、どういった言葉を掛けるのが正解なのか。
 
「あーーーー! さっきからノートもお前たちも、どいつもこいつも女々しい連中ばっかり!!」

 僕より先にフィアーが叫んでいた。
 今日は一段と我慢していただけに、相当鬱憤が溜っていたんだろう。

「何よ……住処を失ったからって全てが終わったかのように言って、貴方たちは今、こうして生きているでしょ!」
「闇精霊様……?」
「生きている限り何度だってやり直せる。後悔して、逃げて、閉じ籠って、何が変わるっていうの!? その手は、足は、何の為にあるのよ!? 人より優れたものを持っているんだから、街にでも押しかけて見返してやればいい。貴方たちは情けないのよ、与えられた物だけを享受するんじゃない。居場所なんて与えられなくても自分から作れるでしょ!?」
「フィアー……」

 彼女の言う通りだ。
 冒険者にも言える事じゃないか、最後まで諦めるなって。
 それがどれだけ困難な壁だったとしても、逃げない限り、諦めない限り、チャンスは巡ってくる。
 
 ……嬉しかった。何よりもフィアーがそれを教えてくれた事が。

「ああ、そうだ! 闇精霊様の仰る通りだ。本当に情けない、この程度で挫けるだなんてご先祖様に申し訳が立たねぇ!」
「村なんてまた一から作りだせばいい。生きている限り、何度でも作ってやるさ!」
「精霊様にここまで言われて、立ち止まっている訳にはいかないよね!」
「ふんっ、一々世話の掛かる連中なんだから――――って集まって来るな!!」

 獣人たちはどこか晴々とした表情でフィアーを囲んでいた。
 小さな彼女が埋もれて見えなくなってしまうくらいに。それだけ彼らの心を突き動かしたんだ。
 フィアーは鬱陶しそうに……それでいてどこか楽しそうに波をかき分けて僕を見た。

「ニノ、行くんでしょ? 私の代わりにアイツに伝えておいて”逃げるな卑怯者”って、それから全てが終わったら遊びに行くって約束、忘れてないでしょうね? ニノと私とトル、それにフィリスにノート。ついでにウィズリィも入れていいわ。とにかく、早く連れて帰って来なさいよ!」

 僕の背中を叩いて焚きつける闇の少女。
 だけど今は――とても光り輝いて見えた。僕は頷いて『当然だよ』と答える。

「トルは? トルも……ニノと一緒に……!」
「駄目よ。事情を知らない貴方が行っても話をややこしくするだけ。私と残って、あとでコイツらをまだ水没していない安全な場所に下ろすの。私が扇動したんだからその責任ぐらいは取らないと」
「また……運ぶの……? 疲れた……」
「仕方ないでしょ! どの道、街に移動するなら山を下る必要があるんだから……!」
「トル、一緒に協力してあげて?」
「うん、わかった。ニノも、頑張って……!」

 素直に頷いたトルは僕に飛びついて、それから名残惜しそうにフィアーの隣に立つ。
 セレーネや獣人たちにも見送られながら僕は走り出した。
  
「それじゃ連れ戻しに行ってくるよ。二人を……いや、三人だったね!」

 雷の翼を広げて大地を蹴り上げる。
 トルが抱きついた時に力を送ってくれたのか見る見る高度を増していく。
 眼下に映る大きな泉に、水の属性力が渦を巻いていた。
 まるで僕にその存在を知らしめるかのように、道標となっている。
 
「本当、身勝手で、意固地で、世話の掛かる精霊様ばかりで困るよ……だけど……!」
  
 今日まで精霊様たちと触れ合ってきてわかった事がある。
 彼女たちは僕たちと何一つ変わらない。神でもなければ全知全能でもない。
 喜も怒も哀も楽も全部持ち合わせていて、ただ少し力が強く、感情を上手く制御できないだけなんだ。

 大切にしたいと思う、守ってあげたいと思う。
 間違っていたら叱ってあげて、悲しんでいたら傍にいてあげたい。 
 時には喧嘩したり、時には別れたりして、それでも最後には手を取り合う。
 
 そんな未来を僕は”視ていた”
 それは一つの家族と呼んでもいいのかもしれない。
 
 血の繋がりや種族なんて関係ない。
 僕はみんなが好きだ、絶対に離したくない。これからも一緒に生きていきたい。
 偶には僕だって我儘になってもいいはずだ。

 もちろん――そこには大切な幼馴染だって含まれている。

「僕が必ず救い出してあげるから……だから、一緒に戦おう。ノート――お姉ちゃん!!」
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