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ニ章
39話 共に歩む
しおりを挟む――私の身体には鬼の血が流れている。
本来、鬼人族は魔族との間にしか子を成せないとされていた。
それは強靭無比な鬼の力を、最大限に生かせる肉体の器は魔族からしか形成できないから。
時の流れと共に、魔族の血がより濃くなった為に起きた弊害ともされているらしい。
それでも何事にも例外が、始まりがあるように、始祖の鬼も最初は人から発祥していた。
ただ能力の継承ができないだけ。
人の性質を色濃く残すだけで、そこには確かに鬼の血が流れているらしい。
そして私は特別だった。
遠い遠いご先祖様の中の物好きな鬼人が人族との間に作った子供。
両親は至って普通だったのに、どうしてだか私だけ鬼の力が突如として復活した。
”先祖返り”と呼ばれるらしいそれは、私の人生を無茶苦茶に壊していく。
触れた物が簡単に壊れる。
無意識に魔力が暴走してしまう。
心配して近付いてくれた人も家族も傷付けていく。
まだ幼かった私には制御ができず、いや、そもそも理解すらできずにただ翻弄される日々。
とても怖かった。
鬼人族はかつて終戦後も人と争い続け、そして一人残らず滅ぼされた。
その理由はいまいちわからなかったけど、一つの結末として歴史に残っている。
いずれ私も鬼の仲間として殺される。報復される。
そう思うと外に出るのも怖くなった、人の視線が恐ろしくなった。
だから村外れにある放棄された倉庫に閉じ籠った。
力だけは有り余っていたから、扉をへし折り誰も入って来れないように壁を作った。
両親は何度も説得してくれた。
出ておいで、誰も貴方を傷付けないよって。
鬼である私をそれでも受け入れようとしてくれた。
その身に刻まれた痛々しい大きな傷を隠して、優しく声を掛けてくれる。
それでも私自身が受け止められなかった。
一人にして欲しい、辛いだけだから優しくしないで欲しい。
扉の前に食料と水だけが置かれて、それを頼りにただ生き永らえている。
何もせず、何も感じず、ただ息を吸うだけ。
それは決して生きているとはいえず。私は確かに死んでいた。死人だった。
このまま暗く狭い閉じた世界で朽果てるんだと思って、ずっと一人で泣いていた。
「あれ、こんな所に倉庫なんてあったんだ。――あっ、もしかして!」
「…………っ!」
時間の感覚すらも失った、とある日の事だった。
開かずの扉を越えて男の子の声が聞こえてきた。
子供が入る隙間も無かったはずなのにどうやって?
顔を覗かせると、壁に大きな丸い穴が生まれていた。
若干の焦げ臭さと共に、懐かしくも輝かしい光が倉庫内を埋め尽くしている。
「あーやっと見つけた! 随分と探したんだよ? ほらっ、一緒に帰ろう。フィリスちゃん!」
「だ……れ……」
声が出ない。
ずっと一人で閉じ籠っていたから、喉が枯れていて思ったように口が動かない。
それでも、言葉を返そうという意思が残されていた事に自分でも驚いた。
その子はまるで後光が差しているみたいに綺麗だった。
直視するのが辛いくらいに、男の子にこんな感想を抱く事自体がおかしいのかもしれない。
白く透き通るような肌と髪はまるで天使様のようで、果たしてこんな子が村にいたのか思い出せない。
少しずつ、止まっていた頭を働かせていくと微かな記憶が蘇ってきた。
「ニ……ノ……くん?」
「うん、ちょっと離れたお隣に住んでる、ニノ・アーティスだよ! 覚えてくれていたんだね!」
ニノくんは嬉しそうに笑っている。
まだ私が鬼の力に目覚める前に、何度か一緒に遊んだ年下の男の子。
女の子のような容姿で周りの子たちにからかわれていて可哀想だったから声を掛けたんだ。
まだ自分の事を心配してくれている人がいた。その事実が乾いた心に潤いを与えてくれる。
だけど、本当は泣きたいくらい嬉しい癖に、それでも拒絶する。帰ってと追い払う。
化け物の血を宿している今の私に関わったらきっと、不幸になるから。
「駄目だよ。理由はわからないけど、こんな暗くて狭い所に閉じ籠っていたら、いつまでも心と身体が落ち込んだままだよ? 頑張って外に出てお日様に当たらないと……!」
ニノくんは私の腕を掴むと立ち上がらせようと引っ張ってきた。
全力を出しているみたいなのに身体は少しも動かない。あまりにも彼の力が弱すぎて心配になる。
……違った。こっちが強すぎるからだ。抵抗しているから動かないんだ。
「うぅ、重い!」
「重くない……もん」
「ごめんね。フィリスちゃん、自分で立てない?」
「……嫌だ」
「だーめーだーよー! 外に出るのー!」
「嫌だ、やだやだ!!」
「意地っ張り! こうなったら無理矢理にでも立たせるから!!」
「やめて――」
「うわっ!!」
――やってしまった。
半年もの間、人との触れ合いを避けてきたから。
ただでさえ力の加減ができないのに本気で振り払ってしまった。
「あっ……あぁ……あああ……」
ニノくんの腕が不自然に折れ曲がっていた。
骨が肉を貫いて飛び出し血が噴き出している。
本人も何が起こったのかわからないといった表情だった。
違う、そんなつもりはなかった。私はただ手を動かしただけで……。
嫌だ嫌だ嫌だ。どうしてこうも上手くいかないのか。何でこうなってしまうのか。
私は声を上げて泣いた。
枯れた喉から出てくるのは低く潰れた声。
気持ちが悪い、まるで化け物そのものだった。
「フィリス……ちゃん? 安心して……僕は……大丈夫だよ?」
「……えっ」
ニノくんは――笑っていた。
おびただしい量の血で倉庫を汚しながら、腕をぶら下げながら。それでも気丈に振る舞っている。
どうして? 痛いはずなのに、辛いはずなのに何で笑っていられるの。
「君が、倉庫に隠れていた理由がわかったよ。じゃあ今度は……僕が秘密を見せる番だね」
「…………う、嘘……!」
目の錯覚かと疑った。
私がニノくんを最初、天使様と見間違えたから。都合よく頭が幻覚を見せているのだと。
でも、何度目を擦っても、男の子の背中には白く光る翼が生えている。
羽根が倉庫の中をフワフワと浮いていた。
キラキラと闇を照らし出している。とても眩しく、暖かくて優しい。
その光が収まる頃には、ニノくんの腕が元通りになっていた。
「ほら、フィリスちゃんは何も悪い事はしていないよ。だって誰も傷付けていないからね」
「ニノ……くん……? それは……?」
「僕の身体にはレムちゃ――光の精霊様の血が流れているんだ。つまりは亜人って事なのかな? だからフィリスちゃんと同じなんだ。僕たち気が合いそうだね」
彼は恐れずにもう一度私に手を差し伸べてくれる。
「……どうして……私なんか……ただの……他人なのに……」
「だって、友達が急にいなくなったら誰だって心配するでしょ? フィリスちゃんの家族に聞いても誰も教えてくれないし。だからずっと探していたんだ。ほらっ、外に出るよ!」
「う、うん」
驚きが連続するあまり、自分が引き籠っていた理由も忘れて立ち上がる。
ニノくんに聞いたところ半年ぶりらしい外は、白く霞んでいて目が慣れるのに時間がかかってしまった。
それでも歩みに何の違和感もない辺り鬼の身体は頑丈だった。
「……これから一緒に力を制御する訓練をしようよ。きっとフィリスちゃんなら乗り越えられるから!」
「で、でも……」
「ほら、僕って怪我してもすぐに治るし、練習相手には最適だと思うよ?」
そう言って私の手を力強く握ってくれる。
その瞬間、ポキッと空気に響く音が鳴った。指の骨を折ってしまったらしい。
「……だ……大丈夫?」
「へ、平気……!」
「ニノくん……泣いてる……」
「泣いてない! 男の子は簡単に泣いたら駄目なんだよ!!」
強がって涙を零しながらも笑って見せる男の子。
怪我は確かに治っていた。それでも痛みまでは誤魔化しきれないらしい。
歯を食いしばり堪えている。小さな怪我だと治り始めるのに時間がかかるみたいだ。
でも、どうして友達とはいえそこまでしてくれるのだろうか。
「男なら困っている女の子には優しく手を差し伸べなさいって父さんが言ってたんだ。父さんはいつもは情けないけど偶にはいい事を教えてくれるんだよね」
「女の子……?」
「えっ、どうしてそこに疑問を? ……フィリスちゃんもしかして男の子だったりするの!?」
「ち、違う、嬉し……かったから……! 嬉しい……!」
自分は化け物だと何度も言い聞かせながら閉じ籠っていた。
そんな私を人として扱ってくれる。女の子として見てくれている。助けてくれる。
人の優しさが、こんなにも暖かいものだなんて思いもしなかった。
こんなにも誰かの為に強くなれる、なろうとできる人がいるなんて。やっぱり彼は……天使様だ。
「どうしたの? もしかして外が眩しかった?」
「ううん、違うの……これは、違う……けど。止まらないの……」
ニノくんが困っているのもお構いなしに私は延々と一人で泣いてしまった。
◇
「いくよー!」
走り寄る気配に目を向ける。
ニノくんの攻撃を避けながら、跳躍、周囲にある木を蹴り宙を舞う。
背後から両足で胴を挟み込んで、そのまま振り子の要領で投げ飛ばす。
「うわっ!」
翼を広げて空中で姿勢を取り戻そうとするニノくん。
その隙を逃さず真っ直ぐに飛びかかる。人一人分の重さに耐え切れなかったのか高度が下がった。
山の中を二人してゴロゴロと転がり落ちていく。
そして馬乗りになり、私が上を取ったところで拳を目の前で止める。
「ま、負けたよ。これ以上はもう無理だ」
「やった。これで三百五十一勝目!」
「……やっぱりフィリスちゃんは強いなぁ。僕は三百五十一連敗だよ。一度も勝ててない……ガクッ」
地面に大の字に寝転がるニノくん。
身体には無数の掠り傷が刻まれていて、それでも大きな外傷はない。
私もその隣に倒れ込んで一緒になって空を見上げる。腕を突っつくと痛いよって怒られた。
訓練を始めてからちょうど二年が経った。
最初こそは、ちょっとした接触で大怪我をたくさん負わせてしまった。
返り血で服を何着も台無しにして、辛い思いもさせてしまって、その度に挫けそうになった。
『大丈夫。焦らずに少しずつね? 自分自身では気付いていないだけで、ちゃんと変わってきてるよ』
ニノくんがいつも励ましてくれた。
だから諦めずに、何度も何度も試行錯誤を繰り返した。
少しずつ、一歩ずつ。歩くように数えるように。私は頑張り続けた。
今ではこうして遊び感覚でじゃれ合える。
普通の人としての最低限の暮らしが送れる程度には成長できた。
やろうと思えば抱擁だって……それは恥ずかしくて今でも難しいけど。
「あっ……そうだ。お母さんにお弁当作ってもらったんだ。一緒に食べよう?」
「やった! フィリスちゃんのお母さん料理上手だもんね」
私が家から持ってきたお弁当を置くと、すぐ隣にニノくんが座った。
肌と肌がくっつくくらいの近い距離。胸の鼓動が早くなる、緊張で手が少し震えていた。
訓練の時はこれ以上に接触する機会も多いのに、自分でも不思議だった。
「私も少しだけ手伝ったよ。……野菜を切っただけだけど。本当は一から作りたかったんだけど、危ないからって止められちゃった」
「そうなんだ。いつかはフィリスちゃんの作るお弁当も食べてみたいなぁ、あっ美味しい」
「えっ……本当? でも、私、きっと下手くそだよ……?」
「だってお母さんの料理がこんなにも美味しいんだもん、きっとすぐに上手になれるよ。ほら、フィリスちゃんの切った野菜も美味しい」
「そ、そうかな? あ、ありが……とう……えへへ」
頭が沸騰して熱くなる。声も上擦っている。
もしかしたら鏡で見たら変な顔になっているかもしれない。
喋り方も再会した頃に戻っていて、たどたどしくなってて、もう訳がわからない。
「うぅ……恥ずか……しい」
挫けそうな時はいつも彼が傍にいてくれた。
一緒に泣いた、一緒に笑った。一緒に頑張った。
ただ住んでいる場所が近いだけ、生まれた年が同じなだけ。
同じ境遇の持ち主で、偶然が重なって今こうして二人で座っている。
――好き。
そうだ。
私はニノくんが大好きだった。こんな気持ち他の誰にも抱かなかった。
彼の事を考えるだけで胸が苦しい。だけどとても充実している、満たされている。
天気が悪くて会えない日は、彼の事をずっと考えていた。夢にだって出てくる。
両親も私の気持ちを理解して応援してくれていた。
寧ろ、積極的に協力してくれる。絶対に逃したら駄目だよって背中を押してくれる。
鬼の血を制御できるようになって、どれだけ喜んでくれたことか。
もう一度家族と暮らせるようになって、私の両親もニノくんに心から感謝していた。
家に遊びに来てくれた日には、家族総出で歓迎して何日も引き留めたくらいだ。
こんなにいい人は、世界のどこを探してももう二度と巡り合えない。
お弁当作りもお母さんが勧めてくれて、花嫁修業の一環だった。ちょっと気が早いと思うけど。
でも、私たちだけが盛り上がっているけど、彼自身の気持ちがわからなかった。
気になった。本当は……迷惑だったりして。
「ニノくんって……好きな人……いるの?」
「どうしたの突然。好きな人って、それって家族とか、そういう意味じゃない……よね?」
「……あ」
自分でも馬鹿だな、と思ってしまう。
つい考えていた事をポロリと口に出してしまった。
そして妙に勘が鋭いニノくんに一瞬にして悟られてしまった。
恥ずかしい。
顔が更に熱くなって誤魔化そうとして手で覆い隠す。
それが自分の本心を曝け出しているようなもので逆効果になっている。
「……僕ってこんな見た目だから弄られる事の方が多いし、そういうのには縁がないかな。こうして遊んでくれるのもフィリスちゃんだけだし、そもそも友達少ないし……」
「えっ……そうなの? 本当? 本当?」
「ちょ、ちょっと。フィリスちゃん近いよ……!」
「それじゃそれじゃ、ニノくんは私の事好き?」
もう私の気持ちはバレてしまったのだから、あとは力押しだった。
積極的に攻めないと、男の子は逃げちゃうよってお母さんに教わっていたから。
「……ごめんね、そういうのってよくわからないんだ。今は一緒に遊んでいるだけで満足しちゃってて、何となく自分の未来の姿が思い浮かばないというか……。中途半端になっちゃうから……」
「そう……なんだ」
「でも……いつか大人になったら、理解したら……その時は僕から返事をするよ。それじゃ駄目?」
「うん、わかった……ずっと、待ってるね」
本当は今、返事を聞きたかった。
ニノくんはきっと本人では気付いていないだろうけど、狙っている子は多い。
だって優しいし、頼りになるし。女の子っぽいところはあるけど時々見せる男の子らしさに惹かれる。
みんな気恥ずかしくて素直になれないだけ。好きな子を虐めてしまうみたいに。
でも、だからこそ私にもチャンスがある。こういうのはハッキリと気持ちを伝えないと届かないから。
私の取り柄なんて身体能力だけで、女の子らしさなんて考えても何一つ思い浮かばない。
他の子より優れているのはこうして、訓練と称して二人で触れ合う時間が多い事ぐらい。
だから、どうしても不安になってしまう私の心の支えが必要だった。
「ニノくん。約束……しよう? 大人になったら絶対に返事を聞かせてね」
「いいよ。それじゃ指切りだね」
指を重ねてお互いに誓いを立てる。
すると、私の身体が妙にむずむずして少し違和感を覚えた。
でもその時は、気にも留めずに安心してしまって息を吐いた。
「フィリスちゃんって意外と強引だよね……でも、そういう男らしいとこ僕は好きだよ」
「ぶー、それはあんまり……嬉しくない!」
「あはは、休憩も済んだしもう一勝負しよう。今度は負けないから!」
「ふーん。何度やっても、私が勝つもんね!」
「言ったね。僕だって日々成長してるんだから!」
ニノくんは立ち上がると元の位置まで走り出す。
そして辿り着くと、こちらに向かって楽しそうに手を振ってくれた。
私も自然と笑顔になれる。手を振って答える。
「……知ってるよ。だってずっと、見ていたから」
いつか大人になったら。
近いようでまだ遠い未来を待ち遠しく思いながら、今日も彼の背中を追い続ける。
その日もいつものように夜遅くになるまで一緒に過ごした。
◇
「大人になんてなれっこないのに……返事なんてできない癖に……ニノ君の嘘つき……」
小さく呟いた言葉は風に攫われて空の彼方へと流れていく。
世界は広く、私の憂いなんてすぐに消え失せてしまう。くだらないと。
だけど私の中はそれ一色で埋め尽くされていた。黒い憎しみを生み出し続けている。
すぐ近くで小動物たちと戯れていたウィズリィ様が戻ってきた。
「フィリスよ、先程からずっと一人で黙りこくって……不安なのか?」
「ううん、違うよ。ちょっとだけ、感傷に浸っていただけ……」
カーマイル泉の畔。
自然溢れる広大な景色に囲まれながら、私たちは待ち人を待っていた。
開放的な空間で、ここでなら精霊様の力を使っても周囲に人的被害は及ばない。
場所も体調も万全だった。
ただ、唯一足りないとすれば時間だろうか。
もう一度覚悟を固めるだけの猶予が欲しかった。
「……らしくないのう。何も考えずに突っ走って、壁にぶつかっては無様に泣き喚くのがお主ではなかったか?」
「ひ、酷い。それってどういう意味……!」
「そのままの意味じゃよ。ほれ泣け、それか笑え。お主に不愛想な面は似合わんぞ?」
「うぅ……」
ウィズリィ様がニコニコと頬を抓ってくる。
痛くはないけど、痛い。だけど頑張って少しだけ笑って見せる。
私の為に、気を遣ってくれているのがわかるから。
今までこうして触れ合う機会はなかったけど、偶に心の中で言葉を交わすだけの関係だったけど。
長い間人生を共に歩んできたかのような親しみを感じる。優しさが身に染みる。
「少年の事を考えておったのか?」
「……どうしてわかったの? もしかして心を読んだ?」
「人の複雑な感情なんぞ読めたところでワシには理解できんよ。だがお主は単純じゃからな顔を見れば簡単に想像つく」
「きっと、そうなんだろうね……」
だって私の考えている事なんて……あの頃から殆ど変わっていないから。
「……記憶の一部を失っておるんじゃったな」
「私を助ける為に、光の精霊様の力を使い過ぎたから……全てじゃないけど、私との思い出は全部……」
ニノ君はレイさんたちの手によって光の力を封じられている。
あとで聞いた話、彼の身体は精霊様の力によって生かされている状態なのらしい。
当然、使い続ければ肉体は崩壊する。でもそんなの当時のニノ君はおくびにも出していなかった。
亜人が自分の力を行使するのは息を吸うのと同じで本能に近いものがある。
止めようと思って簡単に止められるものじゃない。私の鬼の力だってそうだ。
だから苦肉の策として記憶を封じ込めた。彼が自身を普通の人であると思い込ませる為に。
同時にその力に関わった人たちの記憶までも。
私はまた一から関係性を築く事になり、二度目の再会はあの時と立場が逆転していた。
記憶の一部が抜け落ちて、不安で家に引き籠っていたニノ君は、昔の私そのものだった。
だから今度は私から彼を引っ張って外に連れ出した。
元気になって欲しくて、昔のニノ君を参考にして慣れない事もたくさんした。
たとえ記憶がなくなったとしても、大好きだったから。この気持ちは失くせなかったから。
二ノ君は今でも、私が元気で騒がしいのが取り柄の幼馴染だと思い込んでいる。
でもそれは偽りの姿だ。模倣しただけでどこか歪で叩けばすぐに壊れてしまいそうなほど脆い。
本当の私は暗くて、一人じゃ何もできなくてウジウジしてる。
「きっとニノ君はノート様を助けに来る。ウィズリィ様、怖いよ……私にニノ君は止められない……」
「安心せい。今のワシらに敵う者などそうおらぬよ」
「それでも彼は……強いから……」
「お主にそこまで言わせるのか。それは楽しみじゃな。っと――どうやら時間のようじゃ」
ウィズリィ様は瞳を閉じて前方を顎で指す。
そこには急いで走って来たのか、肩で息をする仮面の少女の姿があった。
「ノート様……意外と、早かったですね」
別に時間を指定していた訳でもないのに。
二、三日かけたとしても文句を言うつもりはなかった。寧ろ、そちらの方が都合がよかった。
変に生真面目で融通が利かない。頭が固いとも取れる。でもそれがノート様らしさなんだと納得もした。
「フィリスさん……お待たせ……しました」
「ふぅ……まさか本当に馬鹿正直に一人で来るとはな……。そういったところは相変わらずじゃのう?」
「……ウィズリィ、どうして貴方は獣人の村を……!」
「答えを聞きたくばまずはワシらを倒す事じゃ。それが所謂、お約束というものじゃからな」
「……わかりました。転生早々に大きな怪我を負ったとしても、文句はなしですよ……?」
「それが大言壮語にならなければよいがのう」
今からこの人を手にかけるのか。これが本当に自分が望んでいる事なのか。
正しいのか、間違っているのか、何もわからない。ただ本能のままに突き動かされる。
内に秘めた蠢く漆黒の炎を高ぶらせて、拳を構える。
ここまで来たらもう――止められない。
「…………ッ!!」
何重にも連なった壁が張られる。
一つ一つが私の知る土壁の規模じゃない。
ウィズリィ様が反応して瞬時に水属性の魔力を送ってくれる。
高密度の水の泡を土台にして壁を乗り越える。
向かい合うようにしてノート様も壁の上に立っていた。
足場の両脇から槍が飛び出してくる。その全て蹴り壊し水蛇を召喚する。
殺到する蛇をゴーレムの腕で叩き潰しながらノート様は詠唱していた。
粉々になった槍の欠片が集結し、今度は巨大な槌として降り注いだ。
全身に襲い来る衝撃に弾き飛ばされる。
「流石ですね。だけど……甘いです」
「えっ……!?」
私の身体が破裂。魔力を含んだ水を振り撒いて消滅した。
それを本物の私がノート様の背後で目撃していた。
隙を晒した少女に向けて跳び蹴りを放つ。小さな身体が投げ出され泉に吸い込まれていく。
「高位の水分身!? まさかフィリスさん、ウィズリィと契約を!?」
「そうだよ、貴方を倒すこの時の為に……この力を!!」
魔力の水に触れたノート様を、水檻で縛り付ける。
鬼の力を模倣した水分身はそれ単体でも非常に強力だ。これだけで大抵の敵は葬れる。
でも本来の役割は私の魔力を取り込ませる事。水属性は一滴の水から巨大な津波でさえも引き寄せる。
「……激流の渦よ、敵を呑み込め、地の底に沈めろ」
泉の中心から膨大な魔力が膨れ上がり巨大な渦がノート様を捉える。
「あああああっ――――くうううぅ……!」
全身を拘束され、暴力的な魔力の渦に呑み込まれた彼女は、それでも一歩二歩と歩みを進める。
精霊様の器は属性力を元にして構成されている、だから闇属性以外の魔法全般の効果が薄い。
まだ終わりじゃない。
私は油断せずに待ち構える。渦から抜け出した隙を狙うつもりだった。
「参りました……私の負けです、フィリスさん……後は、好きにしてください」
「なっ…………ど、どうして!?」
ノート様は途中で力尽きるように倒れた。
どうして? 絶対におかしい。この程度で終わるはずがない。
ただ、渦が消え去ったあとに残されていたのは、傷を負って荒く息を吐く少女の姿だった。
「……終わった……の?」
あまりにも簡単だった。実感も湧かずただ倒れて動かないノート様を見つめる。
鬼の力を完璧に使いこなしたとしても、上位存在には届かないはずだった。
だからこそウィズリィ様と契約までしたのに。それなのに呆気なく終わってしまった。
「ノートの奴、まさか始めから……!」
「ウィズリィ様……ど、どうすれば……?」
いざ、その時になると判断が鈍る。
無抵抗な人物を一方的に嬲り殺しにするような嗜虐趣味なんてない。
全力でぶつかり合ってその最中に決着をつけたかった。甘い考えだとはわかっているけど。
「ふぅ……困った子じゃな……。結局、ワシの言葉も届かずじまいか」
ウィズリィ様はノート様の方に歩み寄ると、しゃがみ込んで頬を抓む。
勢いで仮面が外れ素顔が露わになっていた。目元に涙を浮かべた彼女は人形のように愛らしい。
それとは対照的な黒く禍々しい呪いの痕が目立っていた。
「ウィズリィ……痛いです」
「痛くしておるのじゃから当然じゃ。しかし死ぬのはもっと痛いのじゃぞ? 覚悟はできておるのか?」
「そう……ですね。この痛みを……ずっと、あの子も……そう思えば……我慢できます」
「お主は人の価値観に囚われ過ぎておる。我々は精霊であって人ではないのじゃぞ? そもそも死を以って償うというのも時代錯誤だとは思わんのか?」
「でも……私には、他に方法が……!」
「確かにそれについては今の段階ではお手上げじゃな。だからといって諦めるのがよい選択と思えんが」
同調は死が互いを分かつまで途絶える事がない。
私だって本当は別の道を探したかった。でもいくら調べても手掛かりすら見つけられなかった。
ウィズリィ様ですらわからないと言う、だからもうこの方法しか思いつかない。どちらかの命を奪うしか。
「あの子に生きて欲しいの……! お願い殺して……貴方の力を借りなければ私は死を選ぶ事もできない……!」
「まったく、まさかお主があの問題児二人を越えて、一番手の掛かる子になるとはな……」
「……そうですね。……私だけ……何も変わっていない……変われない」
ノート様は縋るようにウィズリィ様に助けを求めている。死という救済を。
最初から戦う必要なんてなかった。彼女はここに来た時点で覚悟が決まっていたんだ。
「……わかった。そこまで言うのであれば、これも昔からの腐れ縁じゃ。お主の代わりに少年もフィリスもまとめて面倒を見てやろう。安心して生まれ変わるがよい。必ず、あとになって後悔するじゃろうがな……」
「……そう……ですね。ですが……それも甘んじて受け止めます。だから……ありが……とう」
「……受け止めるものが違っておるわ、馬鹿者め。だがそれも、お主らしいと言えばそうか」
ウィズリィ様が寂しそうに笑うと、腕を天に掲げる。
上空に雲を掻き分けて生み出されたのは、錨の形をした魔力の塊。
今だけはそれが、罪人の首を刎ねるギロチンのように思えた。
「……ウィズリィ様」
「フィリスもこれで満足か? これで本当にお主は救われるのか?」
「わからない……けど、ニノ君は助かる。それだけで……十分です」
「そうか。ならば仕方があるまい。ノートよ……しばしの別れじゃ」
「さようなら……ウィズリィ、フィリスさん…………ごめんなさい。ニノ……!」
降り注ぐ冷たい雨と一緒に錨が迫っていた。
あと数秒が数時間のようにも感じられる。達成感も何もない。
私はただ黒く醜い感情を剥き出しにして暴れただけ。もう、疲れてしまった。
ノート様は抵抗もせず、ただその時を待っていた。
「――あの錨を止めろ! 闇槍!!」
目の前で瘴気を放った槍が通り過ぎていった。
ど真ん中に突き刺さると同時に稲妻が走る。ギロチンはそれだけでいとも簡単に霧散した。
ウィズリィ様は特に気にすることもなく、消滅した光を目で追っている。
「ふむ、どうやら別れを告げるには、まだ早急すぎたようじゃな?」
「はぁはぁ……ギリギリ……間に合った!?」
翼を解除してニノ君は私たちの元に降り立つ。
そして真剣な表情で誰かを探していた、彼の目的の人物も驚いて起き上がっている。
「よきタイミングじゃったぞ。少年もなかなかに持っておるな」
「それはどうも……。えっと、貴方がウィズリィ様ですか?」
「そうじゃ。ニノニノとは初めましてじゃな」
「へっ、ニノニノ?」
「ワシはお主の事が至極気に入ったぞ。親愛を込めてそう呼ばせてもらうがよいか?」
「ご、ご自由に」
ウィズリィ様は機嫌良さそうに私の元に戻ってくる。
残されたノート様は唖然としていた。仮面を付け直すのも忘れてしまっている。
「ウィズリィ様、もしかして手を抜いていたの?」
「何の話じゃ? ワシはニノニノが間に合わなければ遠慮なく振り下ろしておったぞ?」
「嘘だ。最初から来るってわかっていたから……」
「違う、信じておっただけじゃよ。薄情なお主らと違ってな」
「…………」
本気を出した水の精霊様の一撃を、精霊術師が打ち消すなんて不可能だ。
ウィズリィ様は最初からこの状況を望んでいたんだと思う。いや、信じていた。
目的なんて一つしかない、ニノ君に選択肢を与えて全てを委ねるつもりなんだ。
「ニノ、どうしてここに……!」
「当然、ノート様を助けに来たんですよ。何かおかしいですか?」
「で、ですが私は……!」
ノート様はニノ君に手を伸ばしていた。
本当は助けに来てくれた事が嬉しい癖に、拒絶している。そう、昔の私みたいに。
だけどそれが届く前に――
「……邪魔です。貴方はそこで黙って見ていてください」
「えっ……」
――彼はきつく振り払った。
「フィリス……見たところ楽しくお喋りをしていた訳じゃなさそうだね?」
「ニノ君なら私が何を考えているのか……わかっているんでしょ?」
「できれば否定して欲しかったんだけど……そう上手くはいかないもんだね」
ノート様を無視してニノ君はこちらを真っ直ぐに見据えている。
私はそれを逃げずに受け止める。最初からこうなるってわかっていた。
「こうして邪魔が入った訳だし、ここは一旦、諦めてくれたりしないかな?」
「無理だよ……もう私は走り出しちゃったから……途中で止まれないよ……」
「少しは立ち止まって周りを見回すのも大事だと思うけど? 躓いて転んじゃうかもしれないし」
「もう既に何度も転んだし、泣くだけ泣いたよ。だけど、それでも……私は……許せないの……!」
「わかった……。それなら戦いを放棄したノート様に代わって、僕が相手になるよ」
そして、一番恐れていた言葉が返ってきた。
「そういえば、これまで一度も僕が勝てた例がなかったよね」
「そうだね。だってニノ君は普通の人だし……私には鬼の血が混ざってるから……」
「……鬼の血? えっ、フィリスって亜人だったの!?」
「うん……黙っててごめんね」
「いや、納得したよ。どうりでおかしな身体能力をしていると思った。ケイシアさんからもフィリスが大木を足で薙ぎ倒していただなんて、恐ろしい話を聞かされていたし」
「……怖くないんだ」
「今更何を怖がる必要があるんだよ。あ、でもフィリスの手料理は今でも怖いかも」
「酷いよ、ニノ君の為に頑張って作ったのに」
「……これからだって上手くなれる機会はたくさんあるよ。いくらでも付き合うからさ。ノート様に教わるのもいいかもしれない。まぁフィアーとトルが邪魔してくるかもしれないけどね」
「……うん、それはきっと、楽しいんだろうね」
私は自らその未来を否定した。
だけど一瞬、夢見た世界はとても眩しくて目が霞んでしまった。
「今回は僕が勝つよ。今日までずっと負け続けて来たけど。それでも、この一戦だけは負けないから」
「……許可を得ていない冒険者同士の私闘は禁じられているよ」
「これは冒険者の誇りを賭けた私闘じゃない。お互いの我儘を押し通す為の、ただの子供の喧嘩だよ」
理路整然としないニノ君らしくない屁理屈。だけど、確かにそうなのかもしれない。
思い通りにいかなくて、怒って、泣き喚いて、手を出して。本当に子供の喧嘩そのものだ。
「私は……私にはニノ君と争う理由はないよ。だって――」
「僕は今、君と戦いたい。理由はそれだけで十分だ。心残りのないように全力で!」
「でも……!」
「くっくっくっ面白いのう。フィリス、これ以上は無駄じゃよ。ニノニノの決意は言葉なんぞでは揺るぎはせん。お主も初めからわかっておったじゃろ。ノートを倒す上で立ちはだかる壁になると」
ウィズリィ様が嬉しそうにしている。瞳が凛々と輝いていた。
争いが好きだという話は聞いていない。きっと目の前に立ちはだかる少年の意志の強さを称賛しているんだ。
ニノ君のこうだと決めたら最後までそれを貫き通そうとする心根の強さは私も強く憧れていた。
私には一生を掛けてでも手が届きそうにない物を彼は既に持っている。羨ましくもあり妬ましくもある。
「私は化け物だよ……ニノ君なんか……簡単に捻り潰せるんだから……!」
「どうだろう、僕も日々成長しているんだ。それに女の子に負けっぱなしなんて情けないしね!」
ニノ君が走りながら両手にゴーレムの腕を生み出す。それが合図になった。
私の血はゴーレム程度では止まらない、右手を振り絞って拳を放つ。
触れた箇所が木っ端微塵に砕け散る。
ニノ君の身体が低空に浮き上がる。右の義足から魔力が解放されているのがわかった。
雷属性の蹴り技がくる。と、同時に左手に土属性の反応があった。
「岩槍!!」
「……無駄だよ」
邪魔な岩槍を握り潰すして、回し蹴りを片手で受け止める。
そのまま全身を押し飛ばして、身体の中心を狙って正拳を放つ。
「ぐあっ――――」
浅い一撃。それでもニノ君の、男の子の身体が軽々と飛んでいく。
泉の遥か先にある木々の間を通り抜けて、切り立った崖に衝突する。
「……惨い事をするもんじゃな。まともに喰らっておったら今頃ニノニノは肉塊になっておったぞ?」
「心配ないよ。ニノ君なら……絶対に受け止めてくれるから」
「信頼しておるのじゃな」
「当然だよ。だって……私は、彼の事をずっと……見てきたんだから……!」
砂煙の中、立ち上がる影があった。
普通の人なら即死、亜人が相手でも戦闘不能に追い込めるはずの一撃。
仮に耐えられたとしても、常人なら戦意を喪失していてもおかしくない。
「はぁ……はぁ……本気なのは……嬉しいけど……! 死に掛けた……。やっぱり君は強いね……!」
「そんなの……ニノ君には敵いっこないよ……」
それでも、圧倒的な力を見せつけても諦めず前を向き続ける。
傷付くことを恐れず最後まで立ち上がろうとする。先の未来を見据えている。
幼馴染なのに、過去で止まったままの私には、あまりにも遠すぎる存在だった。
◇
少年が戦っていた。
全ての手札を使い懸命に喰らいついている。
最初の一撃で勝負がつかなかったのが奇跡と言ってもいい。
絶対的な力の差、種族の差は残酷なほど埋めようがなく、悲劇的な結末へと向かっている。
フィリスさんを越えた先にはウィズリィも控えている。あの子は必ず彼に試練を与えてくる。
そして本気を出されたとしたら、私の力を持ってしても抑える事はできない。
勝ち目なんてない、戦うだけ無駄だ。
それは当の本人が一番わかっているはずなのに。
あの子の目は死んでいない。ただ、ひたすらに前を歩み続けている。
「……どうして? どうして貴方はそこまで強くいられるのですか……?」
振り払われた手を庇うようにして胸に置く。
痛みはないはずなのに叫びたくなるほど痛い。
死を覚悟して望んだのに、たった一度の拒絶が死の恐怖をも超えて心に突き刺さる。
少年がまた吹き飛ばされていた。
私はその成り行きをただ黙って見守る事しかできない。
「…………ノートよ、お主はいつまでそこで見ておるつもりじゃ?」
気が付くとウィズリィが隣に立っていた。
私を睨み付け、どうして何もしないのかと責めてくる。
「ワシはニノニノと実際に会うのは今日が初めてなのでな。少年がどういった心境で戦っておるのかは知る由がない。しかし、こうして見ておると、お主やフィリスが言うような死を覚悟している者には到底思えんのじゃがな。ワシには……生きる為に足掻いているようにしか思えんが、これはワシの目が節穴なだけかのう?」
「それは……あの子が……フィリスさんと再会して、フィアーたちと出会って……変わったから」
村を飛び出す前に彼が言っていった。
みんなと出会って幸せに思っていると、未練ができたと。生きたいと願うようになったと。
それを聞いたウィズリィは私に掴みかかる。初めて彼女は、激しい怒りを露わにしていた。
「…………ッ!! ならば、何故お主は裏切ったのじゃ!! 少年がそのように変わった理由の中には、お主の存在も大きかったはずじゃろうに!!」
「私が……裏切った……?」
「今を懸命に生きようとする者の前でお主は死を望んだ。生まれ変わって全てを投げ出そうとした。なんと愚かで傲慢な選択か。それがどれだけニノニノを傷付けたのかまだわからんのか!! ずっと傍で見守っておったのではなかったのか!?」
「………………!!」
「人と精霊は所詮、別の生物じゃ。どれだけ傍で寄り添ったところでワシらは人にはなれん。心を許した者を不運に巻き込む事にもなる。それでも……ワシらは精霊として向き合うしかないじゃろう?」
「精霊として……」
私は自分では人の暮らしに溶け込んでいるものだと思い込んでいた。
だけど、本当の意味で何も理解していなかったのかもしれない。
精霊である以上、どこかで差が生まれてくる。どこかで迷惑をかけてしまう。
人ではないのだから当然だった。
それでも、受け入れられたからには、全てを承知の上で付き合っていくしかない。
それが共に歩むという事。逃げてはいけなかった、悲しくても目を背けてはいけなかった。
「確かに再び手を貸すことで後悔する羽目になるやもしれん。じゃがな、先の未来なんぞ神でもなければ視通すことなぞ叶わぬものじゃ。ならば、今を大事にしたいという少年の気持ちを汲んでやれ、あの子と共に生きてやれ。辛くても、苦しくても、それが……お主がすべき役目ではないのか?」
「ウィズリィ……私は……!」
「ニノニノを信じてやるのじゃ。あの子はお主一人を抱えた程度で潰えるような器ではないじゃろう?」
目の前でニノは虚空に手を伸ばしていた。
満身創痍の中それでも誰かを信じて待ち続けている。
裏切られ、どれだけ傷を負っても、最後まで頑なに意志を曲げていない。
彼はどこまでも真っ直ぐな男の子だった。
……強くなりたい。
あの子の隣に立っても恥ずかしくない、誇れるような精霊でいたい。
血の繋がらない、けれど心で繋がった姉として最後まで傍で寄り添っていたい。
「…………!!」
気が付くと私は彼の元へと走り出していた。
◇
――――強い
今までに戦ってきた他の誰よりもフィリスは強かった。
僕の技、動き、呼吸、全てを見切られている。当たり前だ、過去に何度も手合わせをしてきたのだから。
一度も見せた事がなかった戦略ですら初見で対応される。遥かに上回る圧倒的な力で捻じ伏せてくる。
岩槍を拳で破壊され、大地の盾を展開して防ぐ。
受け止めた衝撃に身体が耐え切れず、たたらを踏んで姿勢が崩れる。
反撃すらままならない、一方的に攻め続けられる。隙を見つけても、頭で理解しても身体がついていかない。
人であることの限界、亜人との絶対的な差。苦しいほどに思い知らされる。
ここまで絶望的な状況は、光の精霊と戦った時以来かもしれない。
いや、あの時と違って今は僕一人だ。そう考えるとあまりにも分が悪い。
「ははっ……マズいね、これは……!」
「もう、諦めて……! 私にはニノ君の攻撃なんて一つも通用しない!!」
「……嫌だね!!」
闇属性を解放して水属性を抑制する。
噛み付いてくる水蛇を消し、フィリスの攻撃をやり過ごす。
物理的な一撃だけで致命打になる、瞬きするのも忘れて集中する。
今のままでは僕に勝ち目はない。
ウィズリィ様どころか幼馴染一人を相手にこのザマだ。
助けに来ておいて何て格好悪いんだろう。自分の無力さが恨めしい。
「私を止められる人なんていないんだから!!」
背後から殺気を感じて姿勢を下げる。
フィリスが水の分身体を生み出していた。それが一斉に襲い来る。
一人でも厳しいというのに、四人に増え、僕を追い詰めていく。
「があああああああああっ!!」
一人の攻撃を避けると続けてもう一人が。
ゴーレムの腕で何とか凌ぐ、その間に水の鞭がしなる。皮膚を裂く痛みに視界が赤く染まった。
流石にフィリスも冒険者だけあって、戦いになると誰が相手でも容赦がない。
「――――――――――――――!!」
視界の隅で、ウィズリィ様が何かを叫んでいた。ノート様に向けて言葉の矢を突き刺している。
けど今の僕にはそれが殆ど聞こえてこない。死線の中で五感がマヒしていて正常な思考が働かない。
それでも、目の前で苦しんでいる幼馴染の表情だけが鮮明に映し出されている。
「ニノ君!! お願いだから、もう、諦めて……!! これ以上続けたら死んじゃうよ!!」
「僕は死なない! 死ぬもんか!! これは君が望んだ結果でもあるんだ、最後まで戦い抜けよ!!」
「そんなのわかんないよ!! こんなの私は望んでなんかいない――――!!」
「………………がはっ……!!」
「あっ、あぁ――――!!」
押し潰される衝撃。骨が砕ける音がした。
気味の悪い感覚と胸に激痛が走り、息もできずに口から赤黒い液体が噴き出る。
この分だと、内臓にも損傷を受けたのかもしれない。
「い、嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ……!!」
フィリスが錯乱していた。
自分でも想定していなかったのか、慌てて僕の方に駆け寄ってくる。
そんな幼馴染に遠慮なく殴りかかる。
反射的に返ってきた拳とぶつかり合い、義手が悲鳴を上げた。
「勝負の最中に……隙なんて見せたら駄目だろ!!」
「な、何で……どうして!? どうして……そこまでして……私と戦うの!!」
全身全霊を籠めた一撃は、初めてフィリスを押し遣った。
「困っている女の子に……手を差し伸べるのが……男の子の……務めだから……!」
「えっ……違う……ニノ君が……それを覚えているはずなんかない!!」
「……ちょっとずつ思い出してきたんだ。以前も同じような事が……あったのかもしれないね」
かぶりを振ってフィリスが後退る。
彼女が何を言っているのか、まだ殆ど理解できていない。
過去の記憶に覆い被さっていた霧が、少しずつ晴れていく感覚がある。
(……くそっ、もう身体が……ここからが正念場だというのに……!!)
立っているだけで全身に激痛が襲う。これ以上は本当に死を覚悟しなければいけない。
だけど僕はここで死ぬつもりはない。だからこそ、これが今の限界だった。
僕のできる精一杯の抵抗。
全力を振り絞って、命を削る思いで、少し押し返しただけ。
それでも今までは届かなかった一歩だ。握り締めた拳に力が入る。
……力が欲しい。
世界を変えるような大袈裟なものなんて望まない。
ただ目の前の大切なものに手が届くだけでいい。守れる力が欲しい。
僕がたった一人でできる事なんて限られている。
精霊術師なんてそれを顕著に表した存在じゃないか。
本来の人の力なんてちっぽけなもので、精霊様の力を借りているだけで己惚れてはいけない。
だから――――手を伸ばすんだ。
どれだけ辛い悲しみの檻に囚われていたとしても、最後には立ち上がってくれると信じているから。
それぞれに悩みを抱えた困った人たちだけど。それでも一緒に歩んでいきたいと望んだから。
人も、精霊も、きっと一人では生きていけない。
どこかで誰かと寄り添っている、どこかで誰かに依存している。
その結果不幸な結末を迎えるとしても、僕は最後まで抗い続ける。それを否定する事は絶対にしない。
だって、それを否定する事は僕の存在そのものを否定する事になるのだから。
迷ってもいい、間違っててもいい。立ち止まってもいい。
その時は強引にでも腕を引っ張って、一歩でも前を進んで彼女たちの道標になろう。
だから僕は、こんな所で立ち止まってはいられない。倒れる訳にはいかない。
男なら根性を見せてみろ。一人の女の子も救えなくて何が冒険者だ。
「……絶対に…………絶対に負けられないんだよおおおおおおおおおおお!!」
「―――――――――!!」
瞬間、僕の身体を優しく包み込む抱擁があった。
腕を回して震えた小さな身体は、それが誰のものかは目が見えなくても、声が聞こえなくてもわかる。
その手を強く握り締める。
答えるようにして引き寄せる。
授けられた力を全身に感じながら心の中で感謝を告げる。
《やっと――――君と再び繋がれた》
連続した輝きが僕の内側から溢れ出していた。
記憶にはないのに、身に覚えはないはずなのに、それはどこか懐かしくて身体に馴染んでいく。
全身の痛みが消えて力が湧いてくる。頑張れと背中を押してくれる。
「あぁ……そうか。君も……一緒に戦ってくれるんだね。…………レムちゃん」
幼少の頃の記憶と、今を共に生きる大切な人の二つ分の想いを受け取って。
僕の背中に白く輝く一対の翼が生え、そして世界に溢れんばかりの光が満ちていた。
0
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