続 水槽と鳥籠の違い

あさき のぞみ

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満たされない空虚

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早川さんと再会してから、一ヶ月が過ぎた。
キャンパスで何度かすれ違った。
お互い、軽く会釈する程度。
深く関わることはなかった。
それでよかった。
俺には、早川さんの人生に踏み込む資格なんてない。
五月になった。
ゴールデンウィークも終わり、大学は通常運転に戻った。
俺の生活は、相変わらず何も変わらなかった。
授業に出て、図書館で時間を潰して、アパートに帰る。
それだけ。
ある夜、部屋で一人、ベッドに横になっていた。
天井を見つめる。
シミが増えている気がした。
スマホを見た。
SNSを開く。
高校の同級生たちの投稿が流れてくる。
サークルで飲み会。
彼女とのデート。
バイト先での出来事。
みんな、充実している。
俺は。
何もない。
誰もいない。
彼女も、友達も、何も。
田中の投稿が流れてきた。
彼女とのツーショット。
幸せそうだった。
藤原の投稿は、もう流れてこない。
いつの間にか、アカウントを消していた。
早川さんは、最初からSNSをやっていない。
俺だけが、取り残されている。
そんな気がした。
スマホを置いた。
虚しかった。
何もかもが。
このまま、誰にも愛されることなく終わるんだろうか。
誰とも深く関わらずに。
ただ、透明人間として。
そう考えたら、むしゃくしゃした。
スマホを再び手に取った。
ブラウザを開く。
検索する。
「デリヘル」
指が勝手に動いていた。
いくつかのサイトが出てきた。
一番上のサイトを開く。
女性の写真が並んでいる。
みんな、綺麗だった。
作り笑顔で、カメラを見つめている。
料金表を見た。
60分、2万円。
高い。
でも、財布には3万円入っている。
バイトはしていないけど、父さんが時々送金してくれる。
生活費と称して。
それを、こんなことに使うのか。
でも、もういい。
もう、どうでもいい。
電話番号をタップした。
コール音。
「はい、○○です」
女性の声。
「あ、あの」
声が震えた。
「初めてですか?」
「はい」
「大丈夫ですよ。まず、ご希望の女の子はいますか?」
サイトをスクロールした。
「えっと、まいさんで」
「かしこまりました。60分コースでよろしいですか?」
「はい」
「場所は?」
住所を伝えた。
「わかりました。40分後くらいに到着します」
電話を切った。
手が震えていた。
何をしているんだ、俺は。
でも、もう遅い。
部屋を片付けた。
散らかっていた服を洗濯かごに入れた。
ゴミを集めた。
それから、シャワーを浴びた。
鏡を見た。
情けない顔をしている。
「最低だな」
自分に言った。
でも、やめられなかった。
もう、後戻りできない。
40分後。
インターホンが鳴った。
心臓が跳ねた。
ドアを開けた。
「こんばんは、まいです」
若い女性が立っていた。
20代半ばくらい。
化粧は濃いけど、綺麗な顔をしていた。
「どうぞ」
部屋に入ってもらった。
「じゃあ、最初にお支払いを」
2万円を渡した。
まいは確認して、鞄にしまった。
「ありがとうございます。初めてですか?」
「はい」
「緊張してます?」
「まあ」
「大丈夫ですよ」
まいは笑った。
営業スマイル。
「じゃあ、シャワー浴びてきますね」
まいが浴室に入った。
俺は、ベッドに座って待った。
何をしているんだ、俺は。
後悔が押し寄せてきた。
でも、もう遅い。
金も払った。
まいが出てきた。
タオル一枚を体に巻いている。
「じゃあ、始めましょうか」
「あの」
「ん?」
「これ、初めてなんですけど」
「サービス?」
「いや、そういうこと自体」
まいの顔が、少し変わった。
「童貞ってこと?」
「はい」
まいは、少し考えた。
「別にいいけどさ。でも、本番は無理だからね、うち」
「わかってます」
「ふーん」
まいは俺を値踏みするような目で見た。
「秘密でプラスお小遣いでいいよ」
「え?」
「本番。バレなきゃいいんだし。プラス一万でどう?」
一万。
手持ちにはあと一万しかない。
「持ってないです」
「マジで?」
まいは呆れた顔をした。
「じゃあ何しに呼んだの。お金ないなら最初から呼ぶなよ」
「ごめんなさい」
「謝んなくていいから」
まいは溜息をついた。
「もういいや。気だるそうに手で終わらせるから」
「すみません」
「謝らなくていいって」
まいは、機械的に作業を始めた。
何の感情も込められていない動き。
「早くして」
まいの声が冷たかった。
俺は、目を閉じた。
何も考えないようにした。
でも、考えてしまう。
これが、俺の初めてなのか。
こんな形で。
虚しかった。
終わった後、まいはすぐに手を洗って帰る準備を始めた。
「じゃあね」
ドアの前で振り返った。
「もう呼ばないでね」
それだけ言って、まいは出て行った。
ドアが閉まった。
俺は、その場に立ち尽くした。
部屋に一人。
何も残っていない。
ただ、虚無だけが残った。
ベッドに倒れ込んだ。
天井を見つめた。
何をしてるんだろう、俺は。
早川さんは、あんな目に遭って、それでも前を向いて大学に来た。
藤原は、罪を背負って、どこかで生きている。
俺は何だ。
ただ、自分の惨めさに耐えきれなくて、金を払って女を呼んで。
それすら、ちゃんとできなかった。
虚しかった。
何もかもが。
誰にも愛されない。
誰も愛せない。
スマホを見た。
まいの番号が履歴に残っている。
消すべきだと思った。
でも、消せなかった。
これが、俺が誰かと繋がった証だから。
たとえそれが、金で買った繋がりだったとしても。
窓の外を見た。
夜の街。
どこかで、早川さんも夜を過ごしている。
どこかで、藤原も。
みんな、それぞれの夜を。
俺の夜は、ただ虚しいだけだった。
何も始まらない。
何も終わらない。
ただ、時間だけが過ぎていく。
目を閉じた。
でも、眠れなかった。
まいの呆れた顔が、瞼の裏に焼き付いていた。
「もう呼ばないでね」
その言葉が、何度も何度も、頭の中でリフレインした。
俺は、もう誰も呼べない。
誰にも、呼ばれない。
そんな気がした。
朝になった。
また、大学がある。
授業に出て、帰ってくる。
いつもの日々が続く。
何も変わらない。
でも、何かが壊れた気がした。
自分の中で。
何か、大切なものが。
それが何なのか、わからなかった。
でも、もう戻らない。
そんな気がした。
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