続 水槽と鳥籠の違い

あさき のぞみ

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境界線の崩壊

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土曜日。
学校も休み。教育実習も休み。
朝、8時。
渡瀬からDMが来た。
「おはよ、先生」
早い。
「おはよう。早いね」
「起きちゃった。一人だと暇で」
「家族は?」
「お母さん、仕事。弟は父親のとこ」
「そうなんだ」
「先生は?今日何してるの?」
「特に予定ない。部屋でだらだらしてる」
「私も。つまんない」
会話が続く。
他愛もない話。
昨日見たドラマのこと。
好きな音楽のこと。
普通の会話。
でも、どこか危うい。
「先生って、どんな女の子が好き?」
また、そういう質問が来た。
「わかんない」
「わかんないって、考えたことないの?」
「あんまり」
「嘘だ。絶対あるでしょ。正直に言ってよ」
「本当にわかんない」
「じゃあさ、私はどう?好きなタイプ?」
画面を見つめた。
返信に迷う。
「渡瀬さんは生徒だから」
「生徒じゃなかったら?」
「それは」
「それは?」
渡瀬のメッセージが矢継ぎ早に来る。
「先生、私のこと可愛いと思う?」
「可愛いと思うよ」
送信してから、後悔した。
言うべきじゃなかった。
「本当?」
「本当」
「嬉しい」
しばらく、返信が来なかった。
3分ほど経って。
「先生、今何してる?」
「さっきと同じ。部屋でだらだら」
「私も」
また、沈黙。
俺は、部屋のベッドに座っていた。
渡瀬も、どこかでスマホを握っている。
誰もいない部屋で。
一人で。
「ねえ、先生。電話してもいい?」
電話。
まずい気がした。
「今はちょっと」
「そっか。残念」
「ごめん」
「ううん、いいよ。じゃあDMで話そ」
会話が再開する。
「先生って、エッチなこと考える?」
心臓が跳ねた。
「急に何」
「だって気になるんだもん。男の人ってみんなエッチなこと考えてるって聞くし」
「まあ、普通に」
「普通にって?どんなこと?」
答えるべきじゃない。
わかっている。
でも、指が動いてしまう。
「色々」
「色々って?具体的に教えて」
「それは言えない」
「ケチ。私は正直に話すのに」
「渡瀬さんは?」
送信してから、聞くべきじゃなかったと思った。
「私?毎日してるよ」
「え」
「マスターベーション。先生もするでしょ?」
会話が、危険な領域に入っている。
「それは」
「恥ずかしがらなくていいよ。みんなしてるし」
「そうだけど」
「今もしたくなってる?」
「してない」
「嘘。絶対してるでしょ」
渡瀬のメッセージが続く。
そして。
「私、今してる」
画面を凝視した。
「え」
「先生と話しながら。気持ちいい」
やめるべきだ。
今すぐ、この会話を終わらせるべきだ。
でも、できなかった。
「そういうこと、言わない方がいい」
「なんで?先生も興奮してるくせに」
図星だった。
俺の体は反応していた。
「渡瀬さん」
「ねえ、先生も一緒にしよ」
「できない」
「なんで?誰も見てないのに」
誰も見ていない。
俺の部屋には、俺しかいない。
渡瀬の部屋には、渡瀬しかいない。
誰も、知らない。
「私、先生のこと想像してる」
「やめて」
「やめないよ。だって、気持ちいいもん」
俺は、スマホを握りしめた。
画面の向こうで、渡瀬が何をしているのか。
想像してしまう。
閉じた部屋で。
一人で。
誰もいない家で。
「先生、返信遅い。もしかして」
「何もしてない」
「嘘つき」
スタンプが送られてくる。
笑顔のスタンプ。
「いいよ、正直じゃなくても。私、わかってるから」
「何が」
「先生が、私のこと見てるって」
その言葉が、胸に刺さった。
見ている。
確かに、見ていた。
渡瀬の短いスカートを。
豊かな体を。
虚無的な目を。
全部、見ていた。
まいのことを思い出した。
金を払って、機械的に処理された。
あの虚しさ。
でも、これは違う。
渡瀬は、俺を求めている。
俺も、渡瀬を。
これは、まずい。
完全にまずい。
「ねえ、先生。また月曜日ね」
話題が、急に変わった。
「学校で会えるの、楽しみ」
「うん」
「先生、私のこと、どう見るのかな」
「普通に」
「普通には見れないよ。もう」
その言葉の意味を考える前に、メッセージが続いた。
「じゃあね。また後で」
それきり、返信は来なかった。
俺は部屋に一人、残された。
体が火照っていた。
スマホを見る。
渡瀬とのDMの履歴。
消すべきだ。
でも、消せない。
これが、俺と渡瀬を繋ぐ唯一の糸だから。
まいの番号も、まだ消していない。
全部、消せない。
俺の人生の痕跡。
惨めな痕跡。
でも、消せない。
窓の外を見た。
土曜日の昼下がり。
どこかで、渡瀬も窓の外を見ているんだろうか。
満たされた顔で。
それとも、まだ満たされていない顔で。
わからない。
でも、月曜日が来る。
また、学校で会う。
その時、俺は渡瀬を、どんな目で見るんだろう。
答えは、出なかった。
翌日曜。
また朝から渡瀬からDMが来た。
「昨日あの後したの?」
画面を見つめた。
返信すべきか、無視すべきか。
でも、無視したら、また何か言われる。
学校で。
「してない」
嘘をついた。
実際は、した。
渡瀬とのDMを見返しながら。
自分でも最低だと思った。
「嘘だ」
即座に返信が来た。
「嘘じゃない」
「先生、嘘つくの下手だね」
スタンプが送られてくる。
ニヤニヤした顔のスタンプ。
「別にいいよ。私も、またしちゃったし」
心臓が跳ねる。
「渡瀬さん、そういうこと言わない方が」
「なんで?先生だけ隠してずるい」
「隠してない」
「じゃあ、正直に言ってよ。昨日、私とのDM見ながらしたんでしょ?」
答えられなかった。
「ほら、やっぱり」
「渡瀬さん」
「私も先生のこと考えながらしたよ。お揃いだね」
お揃い。
その言葉が妙に引っかかった。
「これ、まずいよ」
「何が?」
「俺は実習生で、渡瀬さんは生徒で」
「だから何?誰にも迷惑かけてないじゃん」
「そういう問題じゃない」
「じゃあどういう問題?先生、真面目すぎ」
真面目。
そうだろうか。
本当に真面目なら、こんな会話続けていない。
もっと早く、線を引いていたはずだ。
「ねえ、先生。会いたい」
「え」
「今日、会えない?どこかで」
「無理だよ」
「なんで?」
「だって」
「誰も知らない場所で会えばいいじゃん。先生の大学の近くとか」
「それは」
「私、もう家出たよ」
血の気が引いた。
「嘘でしょ」
「嘘じゃないよ。もうすぐ駅着く」
画像が送られてきた。
電車の中からの自撮り。
渡瀬が笑っていた。
「渡瀬さん、帰って」
「やだ。せっかく出てきたのに」
「親に何て言ったの」
「友達の家って言った。お母さん、気にしないし」
どうする。
どうすればいい。
「先生、無視しないでよ」
「今、考えてる」
「何を?会うか会わないか?」
「うん」
「会ってくれないと、学校で言っちゃうよ」
「何を」
「先生が、私とエッチなDMしてたって」
脅しだ。
でも、本当にやりかねない。
早川さんの顔が浮かんだ。
藤原の顔が浮かんだ。
俺は、あいつらと同じ道を辿ろうとしている。
「わかった。会う」
送信した。
もう、引き返せない。
「やった!どこがいい?」
「駅の近くのカフェ」
「了解。一時間後くらいに着くと思う」
「わかった」
DMを閉じた。
手が震えていた。
これは、完全にまずい。
でも、もう止められない。
部屋を出て、着替えた。
鏡を見る。
情けない顔をしている。
駅に向かう電車の中で、スマホが震えた。
「先生、もうすぐ着くよ」
「わかった」
「楽しみ」
ハートのスタンプ。
俺は、窓の外を見た。
流れていく景色。
水槽の外に出たつもりだった。
でも、もっと深い水の中に沈んでいくだけだ。
息ができない。
でも、止められない。
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