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図書館試験Ⅲ

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「下剤を利用するという手口は、吾輩は批判せん。じゃが、その手口が誰かに見つかった時点で、オヌシの負けじゃ」


 塔のなかば、受験生たちの頭上に浮かんでいる女性がいた。


 眠たげなマナコに、寝癖で狂ったような髪をしていた。乱れてはいるが、その髪はインクのように黒々としており、ヘイルータンはしばし見惚れることになった。


 周りにいた者たちは一斉にかしずいた。周りの動きに遅れてヘイルータンだけが、立ち尽くしていた。


「よくぞ。下剤が入っていたことを見抜いたな。コゾウ」


「いえ。腐っているんじゃないかと思っただけで、竜暴れの実が入っているとは思いませんでした」


「竜暴れの実の効能を知っておるか?」


「腸に排泄物が詰まったときや、有毒物質の排出などに使われます」


「コゾウ。名は?」


「ヘイルータンです」


「覚えておく。しかしそっちのコゾウは落第じゃ」


 少女はそう言うと、本を開けた。
 山羊のミルクを売っていた少年の尻尾からは、ネズミの尾が生えてきた。みるみるうちに1匹のネズミとなってしまった。ネズミは図書館からつまみ出されていた。


 それを見て気づいた。


(この人が――)
 大魔導師なのだ。


 まさか女性だとは思いもしなかった。勝手に年老いた男性を想像していた。想像とはあまりに違っていたから唖然としてしまった。


 すぐに我に返って、ヘイルータンも他のみんなと同じようにかしずいた。


 あれだけいろいろなことを伝授してくれた獣たちは、どうして大魔導師の風貌について教えてくれなかったんだろうか。たしかに、大魔導師の外見や性別について話題にのぼったことはないし、ヘイルータンのほうからも尋ねたことはなかった。


 それにしたって、今まで一度ぐらいは話題にのぼっても良かったはずだ――と、もう一度あらためて、みなの頭上に浮かぶその少女を見上げた。


 どう見たってまだ少女とすら言える年頃だ。どこにでも居りそうな娘であり、唯一無二の存在あるようにも思われた。


 絶世の美女というほどではないが、醜女というわけでもなかった。いかにも眠たげだという他には、とらえどころがない。


 とらえどころがないから、その風貌についての風聞がいままで一度も、自分の耳に入って来なかったのかもしれない。


「さて。まずはようこそ。この図書館に集うウジ虫たちよ。いまのオヌシたちは、1匹のウジに過ぎん。ここから見下ろしていると、みなの顔の判別も出来んでな。ウジと同等じゃ。文句があるなら試験に合格するが良い。合格することではじめて、他者と区別化される」
 と、黒衣を揺らめかせて、空中を歩きながら大魔導師はそうつづけた。


「このなかには、きっと図書館の内情を探るために送られた間諜もおろう。吾輩の命を狙う者もおるじゃろうし、火を放ってやろうと思うておる者もおるかもしれん。しかしその真意に興味はない。試験に受かりさえすれば、魔術師として認めてやる。1次試験の期限は1週間じゃ」


 コホン――といかにもわざとらしい空咳をかまして、さらに大魔導師はつづけた。


「もちろん1週間のあいだは、この図書館でオヌシらの世話をする。食堂を解放するから、そこを自由に使うが良い。毛布も用意してあるし、メモ用紙もそこに置かれてある。浴室もあるし自由に使うと良い」


 ただし――と大魔導師はすこし間をあけて続けた。


「決して図書館の書架にある書籍に傷はつけぬこと。そしてその場から離れた場所に持ち出さぬこと。そして読んだ書は必ず、もともとあった場所に戻すことじゃ。もし傷つけたり、失くしたりしたならば、ホントウにウジ虫に変えてやるから、覚悟しておくことじゃな」


 それでは健闘を祈る――。
 大魔導師はそう言い残すと、その場で回転した。
 そして跡形もなく消え去ってしまった。


 あれが――。
 魔法か、とヘイルータンは感心した。


 ダアゴが洞窟を照らすさいに魔法を使っていたが、他にダアゴが魔法を使うところは見たことがなかった。


 ああやって空中に浮かんだり、自在に姿を消すことが出来るのも、魔法による御業なのだろう。


 ここは、すべての魔法を管理する――図書館なのだ。


 持物はすべて回収させられることになった。ヘイルータンも持ってきた『新解ルーン文字』を魔術師にあずけることになった。


 羊皮紙とインクの匂いを嗅ぐために持ってきたものだったが、図書館はすでにその香りに満ちていたので、必要のないものだった。


「こちらが食堂になります」
 と、壁面にあったトビラのひとつが解放された。


 図書館の壁面に沿うように、弧を描くかたちで食堂は存在していた。


 同じく弧を描いたテーブルの上には、今まで見たことがないような食事が並んでいた。肉や魚にはハーブがふられているようで、なんとも香ばしい食欲をそそる匂いが充満していた。


「お酒も用意してありますので、どうぞお好きに」
 と、魔術師が言った。


 その言葉を受けてサッソク大勢の者たちが、食事にありついていた。


「ニャ。お酒も飲めるだなんて、気前が良いんだニャー。ヘイルータンも飲むかニャ?」
 と、声をかけてきた少女がいた。


 たしか山羊のミルクを口にしかけていた獣人の少女だった。


「君は?」


「ワッチはマオ。さっきは、助かったニャ。あやうくワッチは腹を下すところだったのニャ。さっきの下剤入りミルクを飲んで、トイレにこもってる連中を見てると、ゾッとするニャーよ。ありがとうニャ」


 マオは細くて長い布を巻きつけたような、変わった服を着ていた。肩のあたりを露出していて、目のやりばに困ってしまった。


「べつに助けたってわけじゃないよ。ただ、なんとなく良くない感じがしたから」


「それにしても良く、下剤が入っていることを見抜けたニャーね」


「うん。そういうのが、わかるんだ。オレには」


「ヘイルータンは何か食べないのかニャ?」


「オレは、さっきの図書室に戻るよ」


 食堂に置いてあったパピルスのメモ用紙だけもらって、ヘイルータンは図書室のほうに戻ることにした。マオも付いてきた。


「セッカク合法的にお酒が飲めるのに、もったいないニャーよ」


「どういう意味?」


「だってここは図書館なのニャ。どこの国にも属していないから、どこの国の法も通用しないニャーよ。どれだけお酒を飲んでも誰にも怒られないニャ」


「うん。でも飲んだらどうなるかわからないし」


 いままでヘイルータンはお酒を飲んだことがない。ケィアルの村に訪れる行商人が、色の薄い葡萄酒を売っていたけれど、飲みたいとは思わなかった。ここにあるお酒は美味しいかもしれないが、飲んだらどうなるかわからない。酔ったりして試験を受けられなかったら大変である。


「うん。たしかに、そうかもしれないニャーね。セッカクだけど今はまだ飲まないようにするニャ」
 と、マオは露出した肩をすくめていた。


「それより、たぶん今がチャンスなんだ」


「チャンス?」


「うん」


 図書室の床には、ルーン文字がビッシリと刻まれていた。大勢の受験生がいたときには、みんなの足に踏まれて読み取ることが出来なかった。あの文字が試験に関連しているような気がしたのだ。


 受験生の多くが食堂に移動している今なら、あの床の文字を読み取ることが出来るはずだった。


 ヘイルータンと同じ考えを持っている者はほかにもいたようだ。螺旋階段にのぼって床を見下ろして、石床に刻まれたルーン文字の解読に当たっている受験生もいた。


 山羊のミルクに下剤をまぜる少年や、酒に目がくらんだ大人たちを見ていると、試験は案外たいしたことないかもしれない――なんて肩すかしを食らったような気でいた。


 しかし、ルーン文字の解読にかかっている者たちからは、固唾を飲むことすら躊躇われるような張り詰めた空気を発していた。


 決して気を抜いて良い試験ではないと、あらためて実感した。


(ホンモノたちだ)
 と、ヘイルータンは気圧された。


 ここにいる者たちは、御馳走や美酒には目もくれず、ただ一途にルーン文字の解読に挑んでいるのだ。


 ハッとした。


 試験について、大魔導師からあたえられた言葉は、「期限は1週間」ということと、「決して本を汚したり、失くしたりしてはいけない。そして読んだ書はもとあった位置に戻す」ということだけだ。


 問題はまだ提起されていない。


 それでも、すでに試験ははじまっているのだ。合格に値する者の選別が行われようとしている。


「危なかったニャーね。ダマされるところだったニャ」
 と、マオが言った。


「え?」


「あの床文字、ただの訓戒なんかじゃないニャーよ。あのあたりには、探せ、を意味するルーン文字があるニャ。何かを探せと書いてあるニャーね」


 ウッカリ下剤の入ったミルクを飲まされそうになったり、酒に目がくらみそうになったりしていたマオとはまるで別人になっていた。その真っ青な目には、ほかの受験生と同じく炯々とした輝きを宿していた。


「もう読み取るなんて、ずいぶんと速いんだね」


「部分的に読めただけニャーよ。これを全部解読するのは、チッとばかり時間がかかるニャーよ。でも油断していたニャ。すでに試験ははじまっていたなんて、思ってもいなかったニャ」


「うん」


 この床に刻まれた文字が、1次試験の問題提起なのだ。床の文字の意味に気づかず食堂に居座っている者は、すでに大幅に遅れを取っているということになる。


(危なかった)
 と、ヘイルータンは胸をナでおろした。


 自分も一歩間違えれば、食堂で御馳走にありついていたことだ。


 どれも見たことのない料理だったけれど、実際に見るのがはじめてというだけだ。どんな調理が施されているのかは、ここの厨房で働いていた天下一の料理人だったサソリから教わっていた。


 サソリから教わっていたから、あの料理の魅力から逃れることが出来たのだと思った。


「ワッチはまたしても、ヘイルータンに助けられたニャーね。あやうく酒におぼれているところニャ。きっと度数の強い意地悪な酒に違いないニャーよ」


 そうしゃべりつつも、マオの目は床のルーン文字に釘づけになっていたし、ヘイルータンも解読に取りかかっていた。
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