この狐(こ)どこの子?

大月 けい

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第3章 婿殿を射んと欲すれば先ず母を射よ

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 夏樹には悪いが家には連絡したと、嘘をついた。
(こちらにも女のメンツってものがある)
 まさか結婚式をドタキャンして親子喧嘩の揚げ句、勘当されたなど言えるわけがない。
 この家族の厚意に甘えてしばらくここで居候生活――お金も、身分もない妖狐が世の中で生きて行けるとは思えない――することになった。
 人間の事情という――かくかくしかじかなことがあって――何と彼はこの神社の神主になっていた。
(あんな小さな子供が……月日が過ぎるのは早いねぇ)
 ――などと年寄めいたことを考えている場合ではない。
 ただ飯食いの居候という訳にはいかない。きちんと仕事をさせてもらわねば。
 紅葉は自分の両手で頬を軽く叩いて気合を入れる。
 家出をしてこの鎮守の森を出て素敵な婿殿を見つけて、楽しく暮らす計画だった。だが。
(作戦変更! 忘却の彼方に流れたピー年前の約束。彼こそきっと運命の人! 今や立派に成長してお年頃も問題なく。――自分の年齢は差し置いて。何としてでもあの日の思い出を実現させて婿殿ゲットするのだ!!)
 自分の年齢を無視した何とも身勝手な野望に、紅葉は鼻息荒くがっしと胸の前でこぶしを握った。
 将を射んとする者はまず馬を射よ――という訳で、まずは未来のお義母さんへのアピール開始! と鼻息荒く朝からキッチンへ。
(……の、必要はなかった)
 元気になったと知れると自室に招待――連行された。
(別に、襲われるとか、虐められるとかはなかったのよ。だけどね……)
 色とりどりの着物や帯、髪飾りやらずらりと並べて待ち構えていた。
 あれよあれよと言う間に着替えさせられ、きりきりと帯を締め上げられた。
(……歓迎、されているのだろうか?)
 馬子にも衣装。実際の年齢を知ったらとても着られない薄紅色の手書きの友禅に身を包み、ちんまり座布団に座っている。
(見た目、若くてよかった)
「紅葉ちゃん、次はこれに着替えましょう!」
 と弾んだ声でその手に持った若草色の友禅の小振袖。ご丁寧に柄が見えるように広げて肩に当てている。
「――これはねー、私の若い頃の着物なんだけどね」
 今にも鼻歌を歌いだしそうな笑顔。夏樹によく似た栗色の髪を結い上げた中年の女性――夏樹の母――優菜さん。
「まあ素敵、その柄、綺麗ですねー」
(もう、どれでもいいです……)
 内心、ぐったりしながら笑顔で応じる。
 ちなみに今、来ている着物は――つい一時間ほど前に着替えさせられたものである。その前は水色の小紋付だった。
 つまりこの状態は――着せ替え人形。
「でしょ?」
 優菜にすれば夢にまで見た楽しいひと時。
 着付けをされながら聞かされた情報によると我が子は男ばかり三人。
 女の子を待ち焦がれ、期待した三人目でぽっきり心が折れた。
 ――せめて名前だけでもと夏樹と名付けた。 
 ある日、彼女は気が付いた。そして次なる野望を胸に抱いた。
 ――娘がダメならお嫁さん! うちには三回もチャンスがある!
 と熱意を燃やしたのだが、三人とも女性の影どころか浮いた噂一つすらない。
 ――そんなところに転がり込んできたのが紅葉だった。
「やっぱり、肌が白いから着物がとても映えるわー」
 と着付けを終えて、ご満悦である。
(優菜さんに気に入られたのなら作戦成功!)
 居間に戻り、本日三回目のお色直しのお披露目である。
「――母さん、紅葉さんはお人形じゃないんだよ」
「あら、どうせならこのままうちに住んでもらえばいいじゃない」
 ぐいと夏樹の隣に座らせられた。
「ほら、お似合い」
 と頬に手を当てはしゃいでいる。
 もちろんあたしも内心ガッツポーズを決めた。
 大願成就計画にまっしぐらだというのに、当の本人はそうではないらしい。
 小さく咳払いして優菜を睨む。
「若い女性に僕なんかじゃ失礼でしょう? もしかしたらお付き合いされてる方がいるかもしれないのに……ごめんね 紅葉さん」
(いえ、お付き合いしている相手はおりませんし、結婚も数日前にきっちり破談にしてまいりました!)
 ……などとは口が裂けても言えない。
「そうねぇ、これだけ可愛らしいのだからきっと……」
 残念そうに眉根を寄せ、優菜は小さくため息をついてみせる。
(やばい。ここはちゃんとアピール! 釣り上げる前のお魚ちゃんにはしっかりエサを見せつけておかねば!)
「いえ。そういう方は……」
 ちゃんと、伏し目がちでぼそりと呟いて、大人しい女性を演出する。
「いらっしゃらないのね?」
 小さく呟いた紅葉の声を聞きつけ、目を輝かせる。
(うん、なかなかの地獄耳と見た。……気を付けよう)
「だとしても、本人の気持ちってものが――」
 呟いて遅めの朝食の卵焼きをぱくついた夏樹が途端に微妙な顔になる。
 しばらくもごもごして、口の中から何かを摘まみだした。
 ――薄く白い欠片。
 ちなみに歯、ではない。
「カルシウムかしら? 夏樹がイライラするから気を利かせて紅葉さんが入れてくださったのよね?」
 ものすごーく前向きなフォローが入った。
 当然だがそんなことあるはずがない。卵焼きを焼いたのは優菜だが卵を割ったのは紅葉である。
 お母さまとの初めての共同作業!――やっちまったい。
「取り除いたつもりだったんですが……残ってましたか」
「あら、大丈夫よ。育ち盛りにカルシウムは必要だから」
 笑顔の優菜に心底嫌そうな顔で夏樹が文句を垂れる。
「――僕はいつまで成長期なんですか? そのうち天井を突き破りますよ」
「まあ、天井に届きそうなんですって。ちょうど良かったわ。玄関の電球が切れてしまったの。あとで交換してくれる?」
 それはそれは綺麗な笑顔で言われて夏樹はがっくり肩を落とした。
(嫁姑関係は、うまくやっていけそう)
 紅葉にとって料理はハードルが高い!
 妖狐に食事など必要ないわけで。食べるにしてもお供え物の油揚げとか、油揚げとか……。
(あとはお酒。ちょっとだけ……好き)
 料理など生まれてこの方必要としなかった。包丁どころか卵すら割れない。
 今日の卵焼きのために犠牲になった卵は結構な数に上る……合掌。

何やら玄関の方が騒々しい。どかどかと足音が近づいてくる。
 ほどなくして現れたのは長い黒髪を一つに束ねたマッチョな大男。
 筋肉好きにはたまらないだろうが。二の腕は紅葉など簡単にぺしゃんこにされてしまいそうだ。
 縮み上がる紅葉を無視して眼光鋭く周囲を伺う。
「あら、重広しげひろさん」
 優菜が頬に手を当てこてりと首を傾げた。
(お知合いですか!?)
「紅葉さん、この子はうちの次男の重広よ」
(こっ、この子!?)
 なんと、彼はこの家の次男、重広さん。
(もしかして隠し子ですか!?)
 ひょろりと青白い夏樹とは正反対。きつね色にこんがり焼けた肌――男臭さマックス! 引き締まったボディラインを強調するのはぴちぴちのTシャツ。目つきはやたらと鋭い。好きな人は好きだろう。生憎、紅葉の好みではない。
 ――というか頭から食べられそうで怖い。
「洗い物、手伝いますねー」
 と、そそくさと退散を決め込んだ。
 相手がどう思っているかは分からないが逃げ出すことには成功した。
 可愛い嫁候補のアピールタイムが台無しである。
「――――なんで、邪魔が入るの!?」
 ぐっとこぶしを握って小さく毒づく。
 地獄耳センサーのエリア外だったらしく聞き損ねた優菜が小首をかしげた。すかさず紅葉は笑顔を作って可愛い娘を演出することを忘れない。
 そしてシンクの前で野望を燃やした。
(あたしのお婿さんゲット計画、邪魔させない!)
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