この狐(こ)どこの子?

大月 けい

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第4章 嫁入りの術も一歩から

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 春うらら。差し込む日差しは柔らかく、頬を撫でる風も暖かく優しい。
「やっと、解放された……」
 廊下の端の柱に手をついて寄りかかるように体重を預けて紅葉はぐったりと溜息を落とした。
 ようやく本日、四回目のお色直しが終わったところである。
(着せ替え人形もツライわ)
 紅葉が優菜に頼み込んで着付けをしてもらったのは振袖ではない。
 神社と言えば女の子が一度は憧れるあの衣装。――緋袴だ。
(一度この格好をしてみたかったのよね)
 紅葉も遠目にしか見た事がなかった。初めて袖を通してご機嫌である。
「夏樹さん、見てください!」
(さあ、褒めて褒めて!)
 意気揚々と満面の笑顔で襖に手をかけ、勢いよく開いた。
(……あれ? いない?)
 居間に戻って来たのだが――もぬけの殻。
 自分をほめてくれる夏樹を期待していただけに拍子抜けだ。紅葉は襖に手をかけた態勢でこてりと首を傾げた。
 いなくなったのは夏樹だけではない、仏頂面で現れた大男――重弘さんの姿もないのだ。
(トイレ? じゃなさそうよね。……せっかく気合を入れた笑顔まで用意したのにフライングじゃない。どこに行ったのかしら?)
 後ろ手に襖を閉ざして思案を巡らせる。ピクリと、紅葉の耳が反応する。
 先程から何やら外が騒々しい。金槌の音や人の話し声がするのだ。
「――――?」
(何か工事でもしてるのかしら?)
 小首をかしげたまま玄関に向かう。そこにあった草履をつっかけて外に出た。――音は自宅隣の神社から聞こえる。
 玉砂利を踏んで神社の敷地に入ると忙しない人影を見つけて声をかけた。
「何をなさってるんですか?」
 相手は参道で作業中の重弘さんだ。紅葉を見て金槌を手にしたまま化け物に会ったような顔をしている。
(何よ、そこまで驚かなくたっていいじゃない!)
 紅葉は自分がキツネであることを忘れて文句を垂れた。
「――紅葉さん?」
 と、やや離れた場所から声がかかる。お待ちかねの夏樹だ。
 神主の衣装ではなくオックスシャツとコットンパンツという軽装――肩に担いでいるのはアルミの脚立――そんなモノが必要な仕事ではない。
 夏樹の姿を見てぱしぱしと目をしばたたかせた。
「ああ、これ? 桜祭りの用意だよ」
 戸惑う紅葉に気づいた夏樹がにっこり笑って教えてくれた。
 目を遣れば重弘さんの傍らには黄色いコンテナに入った桃色の雪洞がある。
「桜祭り?」
「もうすぐ桜が咲きそうだからね。花が咲いたら氏子さんやご近所さんを招待してお茶会を開くんだよ」
 と、仰ぎ見るのは境内に植えられたひときわ大きな枝垂桜だ。
 滝のように垂れた枝。そう。枝はあるが、花は――まだ咲いていない。
「花、咲いてませんけど?」
「桜が咲いてから用意しても間に合わねぇだろ?」
 と、あきれた声を投げてきたのは重広さんだ。
(――桜はあっという間に散っちゃうね)
「いつもならもう咲き始める頃なんだけど……今年は少し遅いのかな」
 三人揃って枝を見上げて夏樹が困ったような顔でこめかみをかく。
「母さんの主催で野点をするんだけど。今日は雪洞やらの飾りつけのためにしげ兄も呼ばれた」
(なるほど、だから朝から来たのね)
 紅葉に茶道の心得などない。と、いうことは紅葉は役に立たない。
(このままじゃただの役立たずじゃないの!)
「手伝います!」
「紅葉さんが? 重兄も手伝いに駆り出されてるから大丈夫だよ」
「させてください。こう見えて力はあるんです。それに手伝いしてないと優菜さんの着せ替え人形になってしまいます」
 紅葉の声に夏樹は酢を飲んだような顔になって頷いた。
「あ、それからこれ、どうですか?」
 危うく忘れるところだった。
(本日四回目の衣装替えのコメントをもらってない。さあ、思う存分褒めて!)
白い袖を広げるようにつまんでくるりと回って見せる。
「似合いますか?」とかわいらしく小首をかしげて誉め言葉を要求する。
「うん。可愛い」
 小学生のような素直な笑顔。あたしの姿を見た夏樹もまんざらでもなさそう。
(あたしって、何を着ても可愛いんじゃない?)
 少し耳が赤い気がするけど指摘するのは止めておく。 
「何か手伝うことはないですか?」
(というか一緒にやりたいです! 初めての共同作業よ。まあ、素敵!)
「ええっと、雪洞の設営を手伝ってもらえると……」
 夏樹と連れ立って社務所の裏にある倉庫へ。ぎっしりと詰め込まれた倉庫の中から黄色いコンテナを引っ張り出して来る。
「――これくらいだったら持てるかな?」
 引っ張り出したのはピンク色の雪洞ぼんぼり。神社名の入ったそれがぎっしりと詰め込まれている。
(ふぅん。雪洞か。軽そうよ)
 夏樹が軽々と持ってるから油断した。
(――重いんですが!!)
「紅葉さんには重いんじゃないですか?」
「だ……大丈夫です」
 ふるふるとコンテナを持ちあげて夏樹を振り返る。
(未来の家業、しっかりお手伝いさせていただかねば!)
 と答えたはいいが。――重い。
 鬼のようにぎっしりと詰まっているそれは重かった。コンテナを抱えてそっくり返ってぎこちなく歩くのに夏樹がたまらず苦笑する。
「……がんばり、ますっ!」
(自分から言い出したのだから、意地よ!)
「これは女の子が持つには重たすぎるよ」
 さっさと運び終わって夏樹が紅葉が持つコンテナをかっさらって笑う。
(あたしの未来の旦那様、紳士すぎます!)
 さっさと歩きだした背中に思わず頬が緩んでしまう。
(いや、待て。少しぐらい役に立たないとあたしってただのお荷物じゃない?)
 我に返って夏樹に置いてけぼりにされないようにカルガモのようにのこのことついていく。参道の中ほどで設営開始だ。
「これを飾るんですね」
 コンテナから雪洞を一つ手に取って夏樹を振り返る。
 上を向いたまま、夏樹に近づこうとしてやらかした。
 ――焦った夏樹の声を聞いた気がする。
(え……?)
 ――地面が、ない!
 参道にある短い段差の存在を忘れていた。
 踏みしめる場所がない。つんのめるように体が斜めに傾ぐ。
(ごめんなさい。あたし、やっぱり、ドジキツネでした!)
 慌てて体を支えようと手を伸ばすがつかまるものなどあるわけがない。
 周囲を全く見ていなかったことを後悔した。
 ――雪洞が地面に落ちる音。
 まふっと、地面とは違う固い何かを頬に感じて目を丸くした。
 見上げて間近にあるそれに心臓が止まりそうになった。
「――――!?」
 言葉の代わりに心臓が口から飛び出しそうだ。
「参道は段差が多いから、気を付けて」
 口は動くのに言葉が出ない。いや、言葉じゃなく心臓が出る!
(うれしいのか恥ずかしいのかわけが分かりません!)
「はいぃぃっ! 気を付けますっ!」
 裏返った声で半ば夏樹を突き飛ばすようにして慌てて離れた。
 飛び跳ねた鼓動が痛い。耳まで熱い。
「あとは僕らでやるから大丈夫」
 手伝おうとしたけれど夏樹にやんわりお断りされてしまった。
(あたしって手伝うふりしてただのお荷物??)

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