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壱章 愛宕山の天狗様
五
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ーー天狗に笑われてまうで
ーー愛宕の太郎坊天狗は、日本で一番の天狗やからなぁ
そんな言葉を、つい先ほど聞いた気がした。その話に出てきた天狗と同じ名を、目の前の男は名乗った。
「愛宕の……太郎坊天狗……?」
まさかそんなはずはないだろう。そう思っていたが、そんな想像はあっけなく崩される。
「うん、そうだよ。まぁ正確にはちょっと違うけど」
「……どっちなんですか」
「君が想像してるのは、たぶんうちの頭領の栄術太郎様のこと。僕はその部下の、ただの太郎坊」
「……そ、そうですか」
「さらに言うと、太郎坊天狗というのは愛宕山の天狗全員を指すんだよね。それぞれはまた個別に名前があってね……」
「あの、すみません。わかりました。もう結構です……」
思わず、太郎坊と名乗った男をじっと見てしまった。
見たことがあるようなないような出で立ちを、ようやく思い出した。本や何かで見たことのある一般的に天狗と聞いて想像する姿だったのだ。確か山中で修行する僧の装束だとか。
まじまじと見つめる藍の様子から、太郎坊はまた何かを察したようだ。
「ああ、この格好がちょっと変? 普段はちゃんとしてるんだよ。今日は当番終わりで急いでたから頭巾とか杖とか忘れてきちゃって」
「そ、そうなんですか……いや、当番終わりって何ですか?」
「当番が終わったこと」
「そうじゃなくてですね……」
どうも藍と、この太郎坊では、論点が合っているようでずれている気がしてならなかった。
あまりにもあっけらかんと「天狗だ」と名乗られて、ただでさえ信じられない状況に、さらに付いていけなくなっている……という状況を、向こうが分かっていないらしい。
この太郎坊は、天狗だということを隠さない代わりに信じさせようともしていない。それを前提条件として話している。
藍は、ようやくそのことに思い至った。ならば、と藍はぐっと拳と足に力を込めて、同時に自分に喝を入れた。踏ん張って、この状況をどうにかせねばと。
「あの……と、当番て何の当番なんですか?」
この人が前提条件として話すならば、踏み込んでみるほかない。そう思った藍の判断は……正しかったようだ。
太郎坊は瞬きを一つして、口を開いた。
「わかりやすく言うと、警備かな」
太郎坊の口から飛び出したのは、意外な言葉だった。
藍が耳にしていた伝承や噂では、天狗は人を脅かしたりさらったり、とにかく悪さを仕掛けてくるものだった。おまけに体躯も大きく、威圧的という印象だったから、子供の頃から怖い存在なのだと刷り込まれていた。
だが今目の前にいる太郎坊は、真逆だった。物腰は軽やか……というか飄々としていて、見ようによっては紳士的。体躯はそれほど大柄でもない。
おまけにやっていることは、”脅し”ではなく”警備”だという。
「な、何の警護ですか?」
「参拝者の道中を見張ってるんだよ」
「……見張る?」
「ゴミを捨てないか、木を傷つけないか、草花を取ったりしないか、山の動物と遭遇しないか、事故が起こったりしないか、等など。あとは……」
ふいに、太郎坊の視線が藍の瞳をとらえた。かと思うと、その手がいきなり藍に伸びてきた。咄嗟のことで藍は躱せるはずもなく、身を固くした。
きゅっと目をつぶり、握りつぶされるような感触を覚悟していた。が、そんなことは起きなかった。
おそるおそる目を開けると、太郎坊の腕は藍の、顔の横を突き抜けて、背後まで伸びていた。背後にいた、真っ黒な塊を、力づくで捕まえていた。
間近まで迫った太郎坊の瞳がぎらりと光ると、黒い塊は消え去った。太郎坊によって握りつぶされたように、その手のひらからはらりはらりと、散っていった。
「あとは、こういう危ないモノから守る……かな」
ーー愛宕の太郎坊天狗は、日本で一番の天狗やからなぁ
そんな言葉を、つい先ほど聞いた気がした。その話に出てきた天狗と同じ名を、目の前の男は名乗った。
「愛宕の……太郎坊天狗……?」
まさかそんなはずはないだろう。そう思っていたが、そんな想像はあっけなく崩される。
「うん、そうだよ。まぁ正確にはちょっと違うけど」
「……どっちなんですか」
「君が想像してるのは、たぶんうちの頭領の栄術太郎様のこと。僕はその部下の、ただの太郎坊」
「……そ、そうですか」
「さらに言うと、太郎坊天狗というのは愛宕山の天狗全員を指すんだよね。それぞれはまた個別に名前があってね……」
「あの、すみません。わかりました。もう結構です……」
思わず、太郎坊と名乗った男をじっと見てしまった。
見たことがあるようなないような出で立ちを、ようやく思い出した。本や何かで見たことのある一般的に天狗と聞いて想像する姿だったのだ。確か山中で修行する僧の装束だとか。
まじまじと見つめる藍の様子から、太郎坊はまた何かを察したようだ。
「ああ、この格好がちょっと変? 普段はちゃんとしてるんだよ。今日は当番終わりで急いでたから頭巾とか杖とか忘れてきちゃって」
「そ、そうなんですか……いや、当番終わりって何ですか?」
「当番が終わったこと」
「そうじゃなくてですね……」
どうも藍と、この太郎坊では、論点が合っているようでずれている気がしてならなかった。
あまりにもあっけらかんと「天狗だ」と名乗られて、ただでさえ信じられない状況に、さらに付いていけなくなっている……という状況を、向こうが分かっていないらしい。
この太郎坊は、天狗だということを隠さない代わりに信じさせようともしていない。それを前提条件として話している。
藍は、ようやくそのことに思い至った。ならば、と藍はぐっと拳と足に力を込めて、同時に自分に喝を入れた。踏ん張って、この状況をどうにかせねばと。
「あの……と、当番て何の当番なんですか?」
この人が前提条件として話すならば、踏み込んでみるほかない。そう思った藍の判断は……正しかったようだ。
太郎坊は瞬きを一つして、口を開いた。
「わかりやすく言うと、警備かな」
太郎坊の口から飛び出したのは、意外な言葉だった。
藍が耳にしていた伝承や噂では、天狗は人を脅かしたりさらったり、とにかく悪さを仕掛けてくるものだった。おまけに体躯も大きく、威圧的という印象だったから、子供の頃から怖い存在なのだと刷り込まれていた。
だが今目の前にいる太郎坊は、真逆だった。物腰は軽やか……というか飄々としていて、見ようによっては紳士的。体躯はそれほど大柄でもない。
おまけにやっていることは、”脅し”ではなく”警備”だという。
「な、何の警護ですか?」
「参拝者の道中を見張ってるんだよ」
「……見張る?」
「ゴミを捨てないか、木を傷つけないか、草花を取ったりしないか、山の動物と遭遇しないか、事故が起こったりしないか、等など。あとは……」
ふいに、太郎坊の視線が藍の瞳をとらえた。かと思うと、その手がいきなり藍に伸びてきた。咄嗟のことで藍は躱せるはずもなく、身を固くした。
きゅっと目をつぶり、握りつぶされるような感触を覚悟していた。が、そんなことは起きなかった。
おそるおそる目を開けると、太郎坊の腕は藍の、顔の横を突き抜けて、背後まで伸びていた。背後にいた、真っ黒な塊を、力づくで捕まえていた。
間近まで迫った太郎坊の瞳がぎらりと光ると、黒い塊は消え去った。太郎坊によって握りつぶされたように、その手のひらからはらりはらりと、散っていった。
「あとは、こういう危ないモノから守る……かな」
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