鮮明な月

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間章 ちょっと合間の話3

間話115.余波の落としドコロ。4

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それは、今からかれこれ20年以上も前の話。
そこは所謂会員制のバーで、宏太自身も花街の顔役・八幡万智から情報と紹介を貰って訪れた。花街でも少し西側にずれた人気のない路地裏(行く行くは、そこは名前を変えて《random face》と呼ばれる店に変わるのだけれど、当時は別な名前の店だったのだ。)の先で訪れた奇妙な店。そこに訪れた宏太がここで働かせて欲しいと申し出たのは、通い始めてそれ程期間としては経ってはいない時だった。

見た目もいいし、まぁ気に入った……。

そう表情も変えずに経営者は宏太の願いを受け入れて、宏太が身に付けたい技術を持っている男の下に一先ずは見習いとして雇ってくれたのだ。

「…………何で俺だけ、これなんですか…………。クボさん。」

不満というか戸惑いともとれる声で外崎宏太が問いかけたのは、このバーの経営者でもある久保田惣一。ハッキリした年は聞いたことがないが26歳の宏太よりは、幾つかしか歳上ではない筈の惣一は平然とした氷みたいな顔で自分を見る。
宏太が興味をもって身に付けたいと願ったのは、所謂SMのS側……ご主人様やら主やらの立場の方で、このバーには専属の調教師がいた。その男の下に見習いとして雇ってもらえる事になったのだが、先日全身を隈無く採寸したと思いきや突然これを着ろと手渡されたものに実は宏太は凍りついている。

「仕方ねぇだろ?トノ、まだ半人前なんだからよ。」

半人前。そんな風に自分の事を言ったこと後あるのは、産まれてからというものの実は片手で数える程しかいない。独りは宏太の合気道の師匠である鳥飼千羽哉と、目の前の久保田惣一位だ。勿論惣一自身も調教師でもあって様々な技能は教えてくれるのだが、何しろ経営者でもあるから全てには手が回らない面もある。それに人には向き不向きがあるとの事で惣一の不得意分野を指導するのに、宏太は普段はもう独りの調教師の見習いをさせられていた。

「そりゃ、祐玄のオーダーだ。我慢しろ、ありゃ変態だからな。」
「ひどいなー、トノには似合うからってワザワザそれにしてやったのにー。」

惣一の声に戸口にたった細面の優男がヘラリと嗤う。普段はノホホンとした口調の祐玄の名乗る男は表立っては茶道の師範なんかもやっているというが、この店では惣一曰く下衆の下卑た変態だ。この男は技能はまずますなのだが、どうしても人が嫌がったりするのを好む性質、どちらかと言えばショー向きの露出系、しかも多人数の調教を特に好む。そんな祐玄は人の特性を見抜くのに長けていて、対象を落とすための調教を組むのが上手い。実は眉目も整ってしなやかな体つきをしている宏太は、てっきり調教されたい方なのかと惣一は勘違いして祐玄に預けられた訳なのだった。依頼主から調教して欲しいと渡された商品ではないが、これほど美しい顔立ちで自分から望んで調教されている従順な商品なら後からでも買い取り手はつくものだ。

祐玄、程程にやれよ?

そう言われ預けられた商品として、祐玄が宏太を組み敷いて先ずは縛ろうとした結果。古武術も身に付けていた宏太は実際には全く祐玄の思う通りにはならずに、逆にアッサリと祐玄を組み敷いていた。しかも祐玄の言葉に従い素直に手を差し出して手首を縛られていても、祐玄が尻でも撫でようもんなら即座に足技1つで宏太は昏倒させに来る。それでも以前にそんな相手を調教したことがあるからと祐玄は、更に様々な手段で追い討ちを掛けはしたのだ。どんなに両手両足を縛られて弄くられそうになっても、宏太が我慢できないと感じる一線に近づくと無意識に縄脱けした手が出てしまうし足が飛ぶ。玩具をつけようにもここは嫌だと感じた瞬間に、凶器の手足が飛ぶのに何度祐玄はヒヤリとさせられているか。
結局数日掛けても言葉でも行動でも、宏太は全く揺るがない。身辺調査までされて揺さぶられても宏太は、まるで折れなかった。(因みに宏太の方は祐玄が仕掛けてくることに対して、自分が遊びで申し出たのかどうかを惣一達が試しているのだと思っていて。試されているんだろうくらいにしか考えていなかったらしい。)そうして半月ほどして祐玄は調教師になって初めて、これは無理だと降参した。

クボー!この子、調教は無理だよ、商品にはならない。

まるで言うことの聞かせられない男だったと知って、そこで初めて『お前、何を身に付けたいんだ?』と惣一に問いかけられて『調教師になりたい』と告げたのだった。そうして今では本当に見習いとして技術を叩き込まれているところではあるのだが、調教する側となるとまた仕事の内容が変わる。
バーで行われるショーに調教師として出るのは、基本的に祐玄の仕事だった。それでもたまに祐玄が本職で商品の調教をしている間には、時折は惣一もやっていたショーを宏太がするようにと惣一が言いつけたのだ。
そして暫く前の採寸から、出来上がってきたのが手渡された衣装という訳である。

「でも、何で俺だけこんなのですか?祐玄さんみたいに和装じゃないんですか?」

宏太が手渡されたのは黒のエナメル地で全身を包むボディースーツ、しかも全裸でこれを着ろと言われたのに実は顔には出ていないが宏太は呆気にとられる。何しろ全身が隈無く覆われるかと思いきや身体の側面部分は脇から足までがシースルーになっていて、結局は身体の両側体側は全裸なのと変わらない。

「若いんだもん、いいじゃん。私みたいなおじさんにはこんなの着れないしさ。」

そう言う問題か?と言いたい。祐玄は確かに50代目前だとは本人からも聞いていたが、それ程体格としては悪くはない筈だ。それでももう若くないと、これは精神的に無理でしょと呑気に祐玄が嗤う。それにお前はまだ技術だけではお客も乗らないからと惣一にまで言われると、宏太にはこれ以上の抵抗も難しい。

「何回か見てたから分かるだろ?やることは。」
「はい。」
「主体は客だよ?サービス基本。後は流れに任せて。」

長閑な風に聞こえる事ばかり言われているが、結局台本もない上に客を満足させられないならお前が悪いというわけだ。しかも相手になる調教相手も店の準備した相手ではなく、当日の客の連れ込む相手だという。

「…………それは…………ハードル高すぎませんか…………?」

思わずそう呟く宏太に、片方は氷のようにピクリとも顔色も変えずに『いいから黙ってやれよ』と言うし、もう片方は呑気に嗤いながら『失敗されて相手に犯されればいいんじゃない?』なんて言う有り様だ。
舞台の上に立つ見事な身体を薄手のエナメル地一枚で包み込む肉体美。ピッタリと張り付く布地のせいで、ハッキリ言えば全裸なのとほぼ変わりないと宏太は内心では思う。その宏太の恥じらいもない堂々とした立ち姿に、その日の客は目を奪われて感嘆の溜め息を溢す。小さいとは言え鮮やかに淫靡な色合いで染められた舞台の上からでは、周囲を囲む客の顔は暗すぎて判別は出来ない。それでも客の視線が自分の身体に注がれている事は、チリチリするような視線で肌に直に感じる。
ジッパーが弾けてしまいそうに、肌に張り付きピッチリとしたエナメルのボンデージ姿なのだ。これって胸筋で弾けたらどうするんだろうかと祐玄に何気なく問いかけたら、前が弾けたら宏太がただ恥ずかしいだけで客は喜ぶだけと言いきられた。つまりはジッパーが弾けて前がさらけ出されても舞台から下ろさないし、そうなったらそのまま恥をさらしてショーをしろと言うわけだ。

「それでは今宵のお客様の中から…………。」

宏太ではない部屋の奥で控える美しい黒髪の女が甘やかな声音で告げて、今夜の宏太の相手になる舞台に上がる者を伺う。これで全く客が動かなければその時は宏太は店の女を相手に出きるのだけれど、この店では珍しく加わった新しく若い調教師である宏太に客達は誰もが興味津々なのだ。
暗がりの客に曝された自分の身体。
全裸ではないにしろ、身体の側面はこの照明だとシースルーの部分の布地が、反射で実は全く見えない。それをちゃんと知っていて祐玄はこの布地でワザワザ身体の横を作ったのだろうし、客が自分の太股や尻の筋肉がその隙間から少しでも多く肌を覗こうとしている。もしこの後客が望めば調教の流れで最後迄性行為をする可能性もあるのだから、その相手が見事な肉体美の若い男となれば話は違うのだろう。

「…………中々の身体だな…………。」
「若いなぁ…………これはいい…………。」
「アレも大きそう…………。」

促されてもワザと時間稼ぎに、客に動きが起きないのは宏太にも分かっている。それでも宏太がここで戸惑ったり怯んだりすれば、冗談ではなく客の中に自分を犯そうと立ち上がる客も出てくるのだ。そう、つまりこれから自分の客にもなる奴らに、自分が受けなのか責めなのか自分で宣言してこいと惣一は言うのだ。だから宏太は舞台の上で表情も変えず顔を俯かせる事もなく、身体を曝すことにも怯えず冷淡に雄でいるだけ。それでも自分でも分かっているけれど、自分が望んでいる訳でもない事には大して心は揺れない。

これを望む訳ではない…………だけど、ここまでしても自分の心は何も感じない

確かにこういう客寄せパンダのような事は、嫌ではあるけれど。別にこの姿で羞恥心か沸き上がるわけでもなければ、それ程の興奮もしない。
夢なのか現実なのか分からない記憶の中で、希和を組み敷き乱暴に興奮しながら襲いかかったあの興奮の吐息は一体どうしたら自分から溢れるのだろう。

「では、そちらのお客様のお連れ様に、今宵のショーのヒロインを。」

女の声で立ち上がった相手は、一応はヒロインと呼ばれたもののどう見ても男性。自分よりは細く華奢で儚げには見えるのだけれど、高級そうなガウンの下は逸物のついた男性だと思う。そして男性は既に前室でシャワーを浴びて準備をしてあるのだろう身体を、宏太の示すままに三角の台に跨がり俯せに這いつくばる。
恭しくあえて連れである男に頭を下げて、そちらの所有物を暫しお借りいたしますと妖艶に作り上げた仮面で微笑んで見せながら、宏太はその手腕を客に向かって示し初めて見せていた。



※※※



「言うなりって…………どんなこと?」

ボンデージを着たままの自分に跨がりながら問いかけてくる外崎了に、宏太はふと我に返っていた。つい昔の事に思いが一瞬漂っていて、面白くもない記憶に耽っていたらしい。

「最初の夜は相手が男で…………主人にそいつのケツを叩きまくってくれって言われて、…………1時間パドル振ってて腱鞘炎になるかと思った。」
「ええ?1時間それだけ?!」

パドルとはカヌーなどの櫂の先のような部分のついた、殴打のための道具で革製のものや木製のものが存在する。スパンキングラケットなどという名前でアダルトショップで販売されている事が多いが、鞭のような柄の先に大き目の皮の板が取り付けられている。有る程度柔らかくしなるのが特徴で合成皮革やラバー製もあり、打撃がソフトで初心者向けの代物だ。勿論久保田惣一の店に来るのはほぼ初心者ではなかったのだが、店が客を傷つける訳にはいかないので使える道具は大概が初心者向けのものだった。

「それ…………大変だったなぁ。」

素直にそう納得して自分の姿を見下ろしている了が覆い被さり、チーッと音を立てて唇でジッパーを挟み下げていく。ゾクリと微かに肌に感じる了の甘い吐息に背筋が震えるのを、了が微かに笑いながら『動くなよ?』と柔らかに囁く。何処と無くここまでの反応で宏太がこの衣装の当時をかなり嫌がっていて、しかも当時の事も余り話したく無さそうなのも分かってしまう。右京とのこととかよりも遥かに嫌そうな気配がしていて、自分は楽しめても宏太が可哀想かもしれない。

「ね、こぉた?」
「なんだ?」
「着てくれてありがと、凄い格好よかった。」

素直にそれだけは伝えてやりながら了が下までジッパーを下ろしきって前を開くと、宏太は予想と了の行動が違うのか少し驚いたようだ。

「なんだって?」

宏太の腕を抜き取りながら了がもう一度『凄く格好いいよ?』と言うと、ほんの少し宏太が頬を染める。どうやら真剣にこれを着るのは格好が悪いと考えていた宏太に、了はクスクスと笑いながら口付けた。

「ほんと、……格好いいよ…………ヤバい位。」
「世辞……効かねぇからな…………。」
「ん、お世辞言って喜ぶような、こぉたじゃねーだろ?」

甘い声で耳元にそう囁かれ、衣装を剥ぎ取られながら宏太は少し返答に困った様子で黙りこむ。

「な、宏太が……カッコ良すぎて欲しくなった…………、駄目?」

そう甘い声で更に了からお強請りされて宏太は、もう今日は好きにしてくれと諦めたように呟いていたのだった。
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