雨降らし

羽川明

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その一 凍えるような女

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 ハンドバックにカツラを忍ばせ、最終電車に飛び移る。ゴウゴウと唸る暖房。閑古鳥の鳴くオンボロの席。腰を下ろすと、闇にせられた向かいの窓から凍えるような瞳が睨む。
 窓の向こうに座る女は、大きく溜め息を吐くと、再びこちらに視線を寄こす。透き通るように真白ましろな肌が、私の、黄ばんだ白目や肌をわらった。処女雪に埋まる二つの眼が、耐えがたい寒さに震えようとも、女は、私を忌み嫌う。決して、相容れないかのように。
「そんなに私が憎い?」
 引き裂くような悲鳴を上げて、電車が夜へと走り出す。同時に、私の痛んだ髪をさげすむように、窓の女が身を引いた。両胸に垂れた見事な黒髪が、遅れて追いつき、肩の上で弾ける。対して私の髪は、塊のままひしゃげた。
 ……返事は無い。女は、無言で眉をひそめるだけだ。
 永遠にも思えるような、恐ろしく長い静寂の後、沈黙を破り扉が開く。それが八回繰り返されたのち、ようやく私は席を立つ。――――線路は、そこで途切れていた。
 それでも、窓の向こうに映る女は、黙って座ったままでいる。そうしてついには扉が閉まり、私と女は、そこで別れる。
 人のまばらな深夜の駅で、逃げるようにトイレへと駆け込む。商売道具といつものカツラを引き摺り出しながら、ハンドバックを洗面台の脇に放り、くすんだ鏡に首を差し出す。蛇口を捻り顔を上げると、鏡の中に、電車の女と瓜二つの顔があった。違うのは、カツラの安っぽい茶髪と、派手な色をしたリップだけ。窓の向こうのあの女は、けがれを知らない、過去の私だ。


 改札を出て、とばりに沈む泣き虫の街を歩き出す。水たまりの上を歩くと、電車の女が泣きそうな顔をしていた。構わず蹴飛ばし見上げると、黒く塗り潰された夜空が、大粒の雨で泣いている。凍える視線に氷りつき、氷柱と化した雫が頬へ突き刺さる。私はもう、濁り切ってしまった。瞳を覆うひび割れた薄氷のせいで、一寸先も見えない。それを溶かすだけの温もりさえ、とうに失ってしまった。透けた花柄のキャミソールも、茶色の緩いロングスカートも、泥を被った橙色のサンダルも、私を溶かしてはくれない。
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