昨今の聖女は魔法なんか使わないと言うけれど

睦月はむ

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[リア]

神獣かく語りき

 皆、フェンリルの話を食い入るように聞いていた。
 彼の口調はまるで幼い少年のようだけれども、その口から語られる話は千年以上前の出来事だ。彼はそれを、ついこの間すぐ近所で見てきたかのように話している。

 この大陸の守護龍『大地の龍』は、龍の中では最年長で、かなり気の長い個体だそうだ。しかし、人はその逆鱗に触れた。
 守護龍の怒りには、亡国パトラが深く関係している。
「それまでも色々あって、あのひと結構ガマンしてたの」と、フェンリルは言った。

 パトラ王国はオルランディアの北東にあり、魔法学の研究が進んだ国だったと言う。その王都はかつて聖女が降りていた聖都だった。
 しかし、聖都はオルランディア王国の王都に変更された。
 どこに聖女を降ろすかは守護龍に決定権がある。パトラは滅亡するずいぶん前から、信頼を失っていたことになる。

 守護龍が腹を立てたのは、聖都がオルランディアに移ったあとのことだ。
 大きなきっかけとなったのは、歴史上で「パトラの騒乱」と呼ばれている出来事らしい。

 聖都の座をオルランディアに奪われた後、パトラ王国で軍事クーデターが起きた。
 時のパトラ王は家族を連れて命からがら脱出し、友好国オルランディアへ亡命。ほどなくしてパトラの新しい王が決まった。
 国名も変わった。しかし、王は謀反を起こして勝手に支配したに過ぎない。その新しい国名は、国際的に認められなかった。パトラは今でもパトラのままだ。

 新たな王は「聖都奪還」を叫んだ。
 オルランディアで平和に暮らしていた聖女をさらい、再び聖都に返り咲こうと企んでいたらしい。
 一方、オルランディアにとって、魔法研究の進んだ軍事国家は大きな脅威となった。
 時のオルランディア王は、聖女のために戦う『聖戦』だと宣言した。友好関係にあったクランツ王国をはじめとする多くの隣国が援軍を集結させ、連合国軍が結成された。
 聖女と国民を守るために戦う連合国軍と、私利私欲のために民を扇動する独裁者は国境付近で激しい戦闘を繰り広げる。その争いは何年にも及ぶことになった。
 
 パトラの新王は、ずる賢い人物だった。
「オルランディアはパトラを迫害してすべてを奪おうとしている」
「敵は悪である。国民よ立ち上がれ」
 強烈な反オルランディアのプロパガンダがパトラ国内で喧伝けんでんされていた。
 子どもから高齢者まで、すべての国民を戦いに動員される。
 捕虜になったふりをして攻撃してくるパトラの民間人に、連合国軍は苦しめられた。次第に、近づいてくるパトラ人は年齢や立場に関係なく攻撃対象とせざるを得なくなっていく。
 パトラは多くの民間人が洗脳や脅迫を受けており、巻き込まれ、捨て駒として戦わされ、犠牲になっていた。
 戦は泥沼化の一途をたどる。

 争いが続く中、ついにオルランディア王都にパトラの工作員が入り込んだ。難民を装って潜り込み、使用人に変装して当時の聖女宮に潜んでいた。
 しかし、いざ連れ去ろうというタイミングで、うっかり聖女の体を傷つけてしまった。
 聖女はパトラの新王にとっても大切な存在(フェンリルいわく恋の対象だったらしい)であり、傷つけるつもりがあってやったわけではない。それは不慮の事故であって、傷自体は小さなものだったと言う。
 しかし、これが守護龍を激怒させた。重ねた我慢が限界に達し、堪忍袋の緒が切れたのだ。

 鬱積した不満とともに、守護龍の怒りは聖女を傷つけたパトラと、そして護れなかったオルランディアにも向いた。
 守護龍は「パトラのけがれた地は浄化する」と宣言した後、その領土を『浄化の炎』で焼き尽くして焦土に還した。
 その後、オルランディア王都に舞い降り、時の王にこう言った。

 まずは人が人で在れ。
 聖女のいない千年を過ごしてみろ。
 千年後、聖女を護れる都であったならば、そのときはゆるしてやる。
 再び大陸に聖女を降ろすかどうかは、千年後の人間次第だ。
 パトラの地は草木を植え、好きに使え。

 千年間の無干渉を告げると『約束の言葉』を決め、フェンリルとともに長い眠りに入った。
 聖女のいない千年後は荒廃して醜い争いが絶えず、ただ『浄化』を待つだけの状態になっているだろう、と……そんな夢も希望もないことを語りながら守護龍は眠った。

「あの時、あのひとは人間に対してひどく失望しちゃってたの」と、フェンリルは言う。

 最後の聖女が亡くなると、東大陸は完全に聖女と神獣の加護を失った。
 聖都だった場所に、天人族の繁殖だけを担う中途半端な存在、神薙が降りるようになった。



 現代のオルランディア人にとって「パトラの騒乱」とは、パトラの王族が逃げてきた出来事から始まる戦争の歴史だ。
 騒乱のきっかけが軍事クーデターであったことや、パトラを乗っ取った貴族が聖女と面識のある人物だったこと、聖女を妻にしたがっていたことなど、陛下も初耳のことが多かった。

「与えた猶予は千年だったけどさぁ?」と、フェンリルは丸まった尻尾をぷりっと振って言った。
 陛下がフェンリルにビーフジャーキーを差し出していた。
 重苦しく大変な戦争の話をしながら、次から次へと何枚ジャーキーを食べているのやら。
「また食べすぎでお腹が痛くなるわよ?」と言うと、彼は少しずつかじることにしたようだった。前足で器用に挟んで持つと、チミチミとかじったりなめたりして、お肉を楽しみながら話を続けた。

「ちょっと前に、気の短い龍が北の大陸を火の海にしたでしょ?」
「あれには度肝を抜かれました」と、陛下はうなずいた。
「あの出来事のせいで、ボクらまで予定にない力を消費しなくちゃならなかったの。おかげで蓄えていた神力が千年持たない可能性が出てきちゃって、もーほんと迷惑な話」
 フェンリルは陛下の顔をじっと見ると、また手元のジャーキーに視線を戻した。

「ボクが知ってる聖王に顔が似てるね。フリードリヒって言ったかな。あんまり賢い王じゃなかったけど、友達がたくさんいて、みんなに助けられてた。よく『約束の言葉』を忘れなかったよね」

「一言一句違えず伝えるように言われておりました」と、陛下は言った。
『約束の言葉』は、人間のみそぎが済んだ千年後に必要になるとされていた。
 再び姿を現した神獣に、人がゆるされたのかを尋ねる唯一の手段として、オルランディア王家に伝えられていたようだ。

 元祖ノルの店の近くにある林で、フェンリルはヴィルさんに向かって神語でこう言った。

「我 なんじゆるす者」

 あれは、人が千年ぶりに神獣からゆるされた瞬間だった。守護龍はさておき、神狼フェンリルは人を赦したのだ。
 彼の言葉は、千年続いた東大陸差別の終焉しゅうえん宣言に近かった。だから、誇り高い王族と騎士は感極まって涙を流したのだろう。
 あの時、もう少し皆の気持ちをわかってあげられたらよかった。

「王が二人いることには驚いたよ。ボクもだまされそう。そっくりだ。面白いことを考えたね」
 部屋にはフェンリルのかわいい咀嚼そしゃく音がクチャクチャと響いている。
 陛下は目を伏せて頭を下げた。傍らでお義父様も目を伏せた。

「そのうち、あのひとも起きると思う。ボクが見てるものは彼も見えてるし、ボクが好きなものは彼も好き。だから彼もリアを好きだよ。そのうち、ここを聖都にするって言うんじゃないかなぁ」

 陛下の顔には明らかな失望が浮かんでいた。
 彼に会えば、聖都を宣言できるという期待があったのだろう。ところが、聖都を名乗るには守護龍のゆるしが必要だった。
 フェンリルはジャーキーを食べながら、ユル~い口調で陛下の望みを絶った。



 帰り際「お肉おいしかった?」と聞くと、フェンリルは「すっごく」と答えた。
「またご用意いたします」と、動物好きの宰相がうれしそうな顔で言った。
 お義父様は穏やかに微笑んで、わたしに「気をつけて帰りなさい」と言った。
 陛下は力なく口角を上げた。聖都の宣言がなされないとわかった時点から明らかに口数が減っている。

 別れ際、ふいにフェンリルが思い出したように三人に向かって言った。
「誤解があるといけないから言っとくけど、聖王は大陸の人間の代表として、ボクたちと話をする人のことなの」
 陛下が背すじを伸ばした。
「だから、聖王以外の人にこうして説明をするのは、これが最後」
 彼がそう言うと、三人は深々と頭を下げた。

「聖王はなりたい者がなるのではなくて、なるべくして教育を受けた者がなるんだよ」
 彼がそこだけ神語で言ったので、オルランディア語に訳そうとすると止められた。

「大丈夫。彼らはわかってるよ。今わからなくても、そのうちわかる」
「そうなの?」
「教育はとっくに始まっているからね。あとは自覚の問題かな」
 そう言うと、フェンリルはフフンと鼻を鳴らした。
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