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最終幕
VS時間旅行者
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「櫻子ちゃん……だっけ? 君、あの坂本先生のとこの助手をしてるって言う……」
「…………」
緋色の目をした男が、感情の読めない不思議な笑みをその顔に貼り付けた。雲の切れ間から、淡い月明かりが窓の中へと差し込むたびに、彼の顔がぼんやりと白く影の中に浮かび上がった。書斎の壁には、古今東西、様々な言語で書かれた書物がずらりと並ぶ。壁一面を埋め尽くした本棚を背に、櫻子は礼装の男と向かい合っていた。
「いやいや、失礼。単刀直入に言おうか」
金髪の少女は、先ほどから黙ったままだった。男の透き通った声は、二人しかいない書斎によく響いた。
「田中一はこの事件の犯人は、君だと思ってる。天狗櫻子ちゃん」
「!」
「いや、今回の件だけじゃない。君たちのことを、ずっと遡って調べたんだけれど……」
彼はどこからともなく分厚いカルテのようなものを取り出すと、パラパラと捲り始めた。
「”天狗塔”の事件……。それから”透明人間”が出たなんて騒ぎがあった例の偽装密室殺人……。”物理学者”田中マルクス茂雄博士の謎の死。”河童”伝説に、”泥土山”の行方不明者……」
「…………」
彼が読み上げているのは、今まで坂本虎馬探偵が関わった事件の調査報告書だった。男は相変わらずどこか余裕のある笑みを顔に貼り付けたまま、櫻子に視線を戻した。
「これら全ての犯行は……櫻子ちゃん。君にも十分可能なんだよ」
「!」
「君のその……天狗の、異形なる力を持ってすれば、ね」
「!!」
櫻子が目を見開いた。窓の外で、月明かりが雲の陰に隠れて途絶えた。
礼装の男は薄暗い書斎の中で、固まったまま動かない櫻子をじっと見据えたまま、緋色の目をうっすらと細めた。
□□□
「んで? 今回の事件はどンなンだよ?」
「それが……密室殺人みたいなんだ」
「まーた密室か」
「事件があったのは、観光地にある古いホテルの一室。容疑者は双子で、密室の書斎に隠されていた死体はどうやら替え玉だったみたいだ。容疑者たちのアリバイは完璧なんだけど、探偵仲間のウワサじゃ、時刻表の穴を使ってるんじゃないかってさ。それに現場からは、殺害方法に酷似した謎の童歌が発見されて……」
「盛りすぎだろ。どれか一個に絞れよ。トッピング感覚で犯罪起こしてんじゃねーぞ」
「僕に言われても……」
助手席で舌打ちする金髪少女に、坂本は隣から困ったような声を上げた。
二人を乗せた軽自動車は、山奥を抜けたところにある県境の観光地へと向かっていた。蝉の鳴き声が所々で聞こえ始めた夏の頃。閑古鳥が鳴く坂本探偵事務所に、『殺人事件を解決して欲しい』と依頼が舞い込んだのは、昨日の晩のことだった。
「ちったあ仕事選べよ。話聞くだけでも、明らかに難易度おかしいだろその事件」
櫻子のため息が車内に響き渡った。
「仕方ないだろ……大丈夫、今回は僕だけじゃないんだよ。他にも呼ばれた探偵がいるんだって」
「ほぉン?」
「名前は確か、田中一耕助だったかな? 聞いたことない?」
「そう言えば、どっかで聞いたことある名前だな……」
「何でも日本を、いや世界を代表する名探偵で、手がけた事件はほぼ九割方解決。依頼主もそっちに頼りきってて、正直僕らはいざという時の保険にもなってない。つまり田中一探偵に任せておけば、僕らは観光目的で近くの滝の写真を撮りに行っても良いし、プールサイドで寝てたって良いってわけさ」
「同じ探偵として、お前にはもっとプライドとかねーのか」
「でも……」
車がトンネルの中に入った。坂本が緩やかにハンドルを切りながら、ふと首をかしげた。
「ちょっと気になるな……」
「ンだよ?」
「いや、実は依頼主さ、名前を名乗らなかったんだよ。抑揚のない機械みたいな声で、伝えたいことだけ伝えてさっさと切るって感じでさ。で、次の朝起きたら教えてないはずの僕の銀行口座に、百万振り込まれてた」
「明らかに怪しさ満点じゃねーか!! 何で断らねーんだ!?」
「でも、せっかく依頼があったんだから行かないと……。どうしよう、まさか僕たちを犯人として仕立て上げる罠とかじゃ……?」
「バカ……出発する前に気づけ」
等間隔に並べられた橙色の照明が、車体を照らしては通り過ぎて行く。急に不安げな表情を浮かべる坂本に、櫻子は隣で深々とため息をついた。
□□□
やがて車はトンネルを抜け、そこからさらに一時間弱下道を走って、海が見える街へと辿り着いた。事件が起きたホテルは、その海と街が一望できる小高い丘の上に立っていた。駐車場に車を停め、二人が今にも溶け出しそうなアスファルトの上に降り立つと、白く四角いホテルの一階の入り口から誰かが立っているのが見えた。
その男は、もう夏真っ盛りだというのに全身をブラウンのスーツでビシッと決めていた。すらりと伸びた手足の先から、少し不健康すぎるほど真っ白な肌が見え隠れする。太陽の光が燦々と降り注ぐ景観と、その男の姿はあまりにも不釣り合いだった。まるでガラスケースの中に飾られたマネキンのようだ、と櫻子は思った。男が二人の姿を見て小さく笑みを浮かべ近づいてきた。清潔感のある端正な顔立ちで、その目はカラーコンタクトだろうか、うっすらと緋色に染まっていた。
「やあ、これはこれは。坂本虎馬探偵」
「あなたは……」
「初めまして、田中一耕助です。お待ちしておりましたよ、坂本先生」
「田中一……あの有名な?」
田中一と名乗った男がその細く白い右手を差し出した。彼の頭二つ分くらい背の低い坂本は、ちょっと気後れしたようにおずおずと握手に応じた。
「ご安心ください、坂本先生。密室も替え玉も双子もアリバイも時刻表も、田中一が先に解決しておきましたから」
「え……」
「先生はどうぞごゆっくり、観光を味わってください。近くに有名な滝もあるし、このホテルには屋上にプールだってあるんですよ。ご案内します……」
目をパチクリとさせる二人に、男は白い歯を見せた。
それが坂本と櫻子の、”平成最後のシャーロック・ホームズ”田中一耕助との初めての出会いになった。
「…………」
緋色の目をした男が、感情の読めない不思議な笑みをその顔に貼り付けた。雲の切れ間から、淡い月明かりが窓の中へと差し込むたびに、彼の顔がぼんやりと白く影の中に浮かび上がった。書斎の壁には、古今東西、様々な言語で書かれた書物がずらりと並ぶ。壁一面を埋め尽くした本棚を背に、櫻子は礼装の男と向かい合っていた。
「いやいや、失礼。単刀直入に言おうか」
金髪の少女は、先ほどから黙ったままだった。男の透き通った声は、二人しかいない書斎によく響いた。
「田中一はこの事件の犯人は、君だと思ってる。天狗櫻子ちゃん」
「!」
「いや、今回の件だけじゃない。君たちのことを、ずっと遡って調べたんだけれど……」
彼はどこからともなく分厚いカルテのようなものを取り出すと、パラパラと捲り始めた。
「”天狗塔”の事件……。それから”透明人間”が出たなんて騒ぎがあった例の偽装密室殺人……。”物理学者”田中マルクス茂雄博士の謎の死。”河童”伝説に、”泥土山”の行方不明者……」
「…………」
彼が読み上げているのは、今まで坂本虎馬探偵が関わった事件の調査報告書だった。男は相変わらずどこか余裕のある笑みを顔に貼り付けたまま、櫻子に視線を戻した。
「これら全ての犯行は……櫻子ちゃん。君にも十分可能なんだよ」
「!」
「君のその……天狗の、異形なる力を持ってすれば、ね」
「!!」
櫻子が目を見開いた。窓の外で、月明かりが雲の陰に隠れて途絶えた。
礼装の男は薄暗い書斎の中で、固まったまま動かない櫻子をじっと見据えたまま、緋色の目をうっすらと細めた。
□□□
「んで? 今回の事件はどンなンだよ?」
「それが……密室殺人みたいなんだ」
「まーた密室か」
「事件があったのは、観光地にある古いホテルの一室。容疑者は双子で、密室の書斎に隠されていた死体はどうやら替え玉だったみたいだ。容疑者たちのアリバイは完璧なんだけど、探偵仲間のウワサじゃ、時刻表の穴を使ってるんじゃないかってさ。それに現場からは、殺害方法に酷似した謎の童歌が発見されて……」
「盛りすぎだろ。どれか一個に絞れよ。トッピング感覚で犯罪起こしてんじゃねーぞ」
「僕に言われても……」
助手席で舌打ちする金髪少女に、坂本は隣から困ったような声を上げた。
二人を乗せた軽自動車は、山奥を抜けたところにある県境の観光地へと向かっていた。蝉の鳴き声が所々で聞こえ始めた夏の頃。閑古鳥が鳴く坂本探偵事務所に、『殺人事件を解決して欲しい』と依頼が舞い込んだのは、昨日の晩のことだった。
「ちったあ仕事選べよ。話聞くだけでも、明らかに難易度おかしいだろその事件」
櫻子のため息が車内に響き渡った。
「仕方ないだろ……大丈夫、今回は僕だけじゃないんだよ。他にも呼ばれた探偵がいるんだって」
「ほぉン?」
「名前は確か、田中一耕助だったかな? 聞いたことない?」
「そう言えば、どっかで聞いたことある名前だな……」
「何でも日本を、いや世界を代表する名探偵で、手がけた事件はほぼ九割方解決。依頼主もそっちに頼りきってて、正直僕らはいざという時の保険にもなってない。つまり田中一探偵に任せておけば、僕らは観光目的で近くの滝の写真を撮りに行っても良いし、プールサイドで寝てたって良いってわけさ」
「同じ探偵として、お前にはもっとプライドとかねーのか」
「でも……」
車がトンネルの中に入った。坂本が緩やかにハンドルを切りながら、ふと首をかしげた。
「ちょっと気になるな……」
「ンだよ?」
「いや、実は依頼主さ、名前を名乗らなかったんだよ。抑揚のない機械みたいな声で、伝えたいことだけ伝えてさっさと切るって感じでさ。で、次の朝起きたら教えてないはずの僕の銀行口座に、百万振り込まれてた」
「明らかに怪しさ満点じゃねーか!! 何で断らねーんだ!?」
「でも、せっかく依頼があったんだから行かないと……。どうしよう、まさか僕たちを犯人として仕立て上げる罠とかじゃ……?」
「バカ……出発する前に気づけ」
等間隔に並べられた橙色の照明が、車体を照らしては通り過ぎて行く。急に不安げな表情を浮かべる坂本に、櫻子は隣で深々とため息をついた。
□□□
やがて車はトンネルを抜け、そこからさらに一時間弱下道を走って、海が見える街へと辿り着いた。事件が起きたホテルは、その海と街が一望できる小高い丘の上に立っていた。駐車場に車を停め、二人が今にも溶け出しそうなアスファルトの上に降り立つと、白く四角いホテルの一階の入り口から誰かが立っているのが見えた。
その男は、もう夏真っ盛りだというのに全身をブラウンのスーツでビシッと決めていた。すらりと伸びた手足の先から、少し不健康すぎるほど真っ白な肌が見え隠れする。太陽の光が燦々と降り注ぐ景観と、その男の姿はあまりにも不釣り合いだった。まるでガラスケースの中に飾られたマネキンのようだ、と櫻子は思った。男が二人の姿を見て小さく笑みを浮かべ近づいてきた。清潔感のある端正な顔立ちで、その目はカラーコンタクトだろうか、うっすらと緋色に染まっていた。
「やあ、これはこれは。坂本虎馬探偵」
「あなたは……」
「初めまして、田中一耕助です。お待ちしておりましたよ、坂本先生」
「田中一……あの有名な?」
田中一と名乗った男がその細く白い右手を差し出した。彼の頭二つ分くらい背の低い坂本は、ちょっと気後れしたようにおずおずと握手に応じた。
「ご安心ください、坂本先生。密室も替え玉も双子もアリバイも時刻表も、田中一が先に解決しておきましたから」
「え……」
「先生はどうぞごゆっくり、観光を味わってください。近くに有名な滝もあるし、このホテルには屋上にプールだってあるんですよ。ご案内します……」
目をパチクリとさせる二人に、男は白い歯を見せた。
それが坂本と櫻子の、”平成最後のシャーロック・ホームズ”田中一耕助との初めての出会いになった。
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