声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第二章

三十二話 あふれる(律樹視点)

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※このお話は本編ですが、律樹視点です。



 弓月のしたいことは全部叶えてあげたいと思う。
 それはひとえに俺が弓月のことを好きだからだ。

 ケアのためとはいえ一日一回、それも毎日行っているこのプレイだが、俺にとってはただのケア目的のノルマではなくとても大切な時間だった。だって、プレイ中は愛する弓月の全てを独占できるのだから。

 俺のコマンド一つで蕩けてしまう弓月が可愛くて仕方がない。プレイ中にSubがサブスペース――Subの意識が完全にDomのコントロール下に入ること――に入るにはプレイ相手であるDomへの信頼が必要不可欠だ。弓月がサブスペースに入りそうな今の状態は、言い換えると弓月が俺のことを十分に信頼してくれているということになる。それが堪らなく嬉しい。
 
 約束を守れたご褒美として弓月のしたいことをしようと言ったものの、俺が渡したスマホに入力されていたのはほんの些細なものばかりだった。手を繋ぎたい、頭を撫でて欲しい、抱きしめて欲しいなんて、本当にこの子は欲がないというか可愛いというか……もっと望んでも俺にとってはご褒美でしかないのに。でもそれが弓月らしいとも思う。

 スマホから視線を外して弓月を見る。火照った頬と蕩けた瞳、それと小さな唇から溢れる熱を帯びた吐息がなんとも扇情的で頭がくらくらした。
 したいことは本当にこれだけかと聞けば、弓月の肩がぴくりと跳ねた。これはもしかして他にもまだあったけれど遠慮したのかもしれないと思い至り、俺は出来るだけ優しく微笑みかける。
 きっとまた我儘だとか俺に迷惑がかかるだとか思っているんだろうな。

「なにを言っても大丈夫だよ。弓月のお願いなら叶えてあげたい。……言ったでしょ?俺は弓月のお願いを我儘だとか迷惑だなんだって思ってない。例えどんなことであっても、俺は叶えてあげたいって思ってる」
「……っ」
「だから教えて?弓月がしたい事、全部」

 そう言って弓月にスマホを差し出すと、彼は顔を俯かせたまま受け取った。あの甘そうに蕩けた黒を見ることができなくて残念だが、それ以上にどんなことを望んでくれるのかが楽しみだ。
 
 そうして入力し終わったスマホを弓月から受け取る。どんなことが書かれているんだろうなと思いながら視線をスマホの画面に移して――止まった。
 そこに表示されていた文字はたったの五文字。
 全てひらがなで書かれたそれらに、俺の心臓が高鳴りを見せる。

『きすしたい』

 心臓が痛いくらいに騒がしい。
 これはもしかして、と思わなくもないが勘違いだった時はきっと元には戻れない。俺のこの後の行動に全てがかかっているような言い知れぬ圧を感じる。

 これは俺の見間違いだろうか。それとも俺の中の希望や願いがそう見せているだけなのだろうか。
 けれど何度瞬きしても、その五文字は変わらずそこに存在していた。

「……わかった」

 覚悟を決め、そう絞り出す。
 どういう意図で書かれた言葉なのかはわからない。けれどこれが弓月のしたいことなのであれば、俺にしないという選択肢はない。
 顔が熱くて、頭が沸騰しそうだった。この五文字を見るたびに俺の中で好きという気持ちが溢れてくるような気がして堪らない。

 俺は弓月の夜空のように深くてキラキラと輝く黒が見たくて、コマンドを使った。多分プレイ中で一番好きなコマンドはと聞かれたら多分俺は『Look』だと言うだろう。この瞳に見つめられるととても満たされたような、もっとずっと見ていたい気分になるのだ。

 顔を上げた弓月の瞳は弾けてしまいそうなほどに瑞々しく、そして揺れていた。泣きそうな表情も勿論可愛いけれど、やっぱり俺は彼に笑っていて欲しいななんて思う。

 Comeおいでと言えば素直に目の前に立ってくれる。本当はそのまま胸に飛び込んできてくれたら嬉しかったけれど、まだサブスペースに入りきれていない彼には早かったようだ。
 座ってという意味のコマンドと共に膝を叩くと、動きはぎこちないながらもちょこんと膝に腰掛けてくれた。その動きや仕草が一々可愛くていじらしくて、心臓がどくどくと一気に喧しくなる。このままでも十分可愛いんだけど、この座り方だと弓月の希望する手繋ぎが難しい。

「それも可愛いんだけど、俺の膝を跨いで座ってほしいな」
「……っ」

 そう弓月の真っ赤に熟れた耳に唇を近づけて囁く。ぴくぴくと小刻みに揺れる身体が可愛らしい。
 膝の上でくるりと方向を変えてくれても良かったのだが、彼は律儀にも一度膝から降りて乗り直してくれた。弓月の柔らかな臀部が膝に触れている。俺の膝を跨ぐように腰を下ろしているため足が適度に開いており、服を着ていたとしても十分に情欲をそそる光景だった。

Goodboyいい子だね

 よく出来ましたと褒めた瞬間、弓月の雰囲気が一気に変化した。Subがスペースに入ると特有のフェロモンのような甘い香りが溢れるといわれている。その香りはプレイ相手のDomにしかわからない程度のものだそうだが、今の弓月からは僅かに甘い香りがした。
 香りだけではなく、とろんと蕩けた瞳とふわふわとした表情からも弓月がサブスペースに入っただろうことがわかる。俺のことだけを見つめるその黒色に吸い込まれそうだ。

 頭を撫で、手を繋ぐ。指先から付け根にかけてゆっくりと時間をかけながら優しく辿っていくと、気持ちがいいのかぴくんと身体が跳ねる。もぞもぞと身体を動かす様子に僅かに視線を落とすと、彼の股間が微かに反応しているのが見てとれ、俺はすっと視線を元に戻した。
 嬉しかった。コマンドや触れた手に反応してくれていることが堪らなく嬉しい。
 
 頭を撫でる手を外し、もう片方の手も同じように繋ぐ。両手を重ねあった状態で目を合わせ、俺はコマンドを発した。

「……Kissキスして

 場所なんてどこでも良かった。唇じゃなくても額でも頬でも、弓月がしたいところならどこだって良かったんだ。

 弓月の整った小さな顔が近づいてくる。本当は目を開けたまま見ていたかったが、いくらスペースに入っているとはいえ見られているとし辛いだろうと思って目を瞑った。
 心臓が耳の側にあるんじゃないかってくらい、ドックンドックンと大きく鳴り響いている。繋がった手に力が込められ、俺も同じように力を入れた。
 
 弓月の熱い呼気が鼻や口元に掛かったかと思えば、鼻に何かが触れた。初めそれが唇だと思っていたのだが、どうやらそれは鼻先だったようだ。
 重なり合った手が震えている。本当は無理しなくてもいいと声を掛けたかったが、今声を出すのは憚られて黙って待っていた。
 
 唇に柔らかな感触が触れる。
 まるで小鳥が啄むようなキスだったが、それがすぐに離れることはなかった。

「……っ」

 重なった唇からくちゅりと音が鳴る。俺の唇を喰んでいる弓月の唇、その隙間から出た舌が唇に触れた瞬間俺の方がびくりと跳ねた。それが合図になったのかはわからないが、弓月の唇がそっと離れていく。
 それに名残惜しさを感じつつ、夢見心地のまま彼の顔――いや、今まで重なっていただろう淡く色付いた唇を眺めていると、ふとそれが動いた。

「え……あ……今、なんて……?」

 無音ではあったが今の唇の動きや形って……そう思いながらも確信が持てずに俺の口からは間抜けな声が溢れる。顔が沸騰しているかのように熱い。
 弓月の前では優しくて穏やかで頼り甲斐のある大人でいたいのに、今の俺は弓月に翻弄されているだけのただ一人の男だった。

 弓月がふわりと微笑む。それが答えな気がしたが、俺の勘違いだったらという考えが抜けなかった。
 俺は静かに弓月を呼んだ。

「……もう一度、教えて」

 これはコマンドではなく、お願いだ。
 もし言わないならそれでもいい。でも、出来るなら俺は聞きたいと思った。

『すき』

 弓月が唇を動かし、文字を紡ぐ。声は出ていないはずなのに、俺の頭の中ではまだ話せていた幼い頃の弓月の声音でその言葉が再生されている。

「え、あ…………うそ……」

 俺は思わずそう溢していた。
 だって、まさか、弓月が俺のことを好きだなんて、そんなこと――あるはずがないと思っていたことが現実に起こると、人間は思考を停止するらしい。俺の身体は俺の意思とは関係なく動きを止めていた。
 目の前が霞む。頬に触れるこの温もりはなんだろう。

 弓月にとって俺は、少し歳の離れた男同士の従兄弟だ。ただそれだけだったはずだ。だから俺のこの想いは弓月には伝わらないと思っていたし、同じものを返してもらえるなんて思ってもみなかった。期待なんてこれっぽっちもしていなかったし、万が一もありえないと思っていた。
 なのに、弓月は今俺のことを『すき』だと形作った。その『すき』が俺と同じとは限らないが、でも、だけど……自惚れてもいいんだろうか?

 繋がったままの手をぎゅっと握りしめた弓月が甘く蕩けたような笑みを浮かべている。
 そしてまた動く唇に、俺の中の好きが溢れていく。今まで押し留めていたものが全部雪崩れ込んで、あふれだす。
 
 こつんと弓月の額が俺の肩に当てられ、俺は我に返った。すりと頬に擦り寄られ、俺はたまらず繋いでいた手を離して彼を腕の中に閉じ込める。
 触れた場所から温もりと共に伝わる心臓の鼓動に、きっと自分の鼓動も全部伝わっているんだろうななんて思いながら、俺は強く抱きしめた。
 
  
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