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第三章
五十五話 お仕置き? 中編
しおりを挟むくちゅ、くちゅという水音が耳を打つ。五感のうち一つでも欠けるとその分を補うように他の感覚が鋭くなるのだと聞いたことがあるが、それは本当なのかもしれない。重なり合った場所から伝わる感触も聞こえてくる音も、いつもよりも鮮明な気がした。
律樹さんとするキスは好きだ。優しくて温かくて、好きだって気持ちが直接伝わってくるような気がして好きだった。特に唇同士を合わせている時の、彼の水分を多く含んだキラキラと輝く琥珀色の瞳が大好きなのに、今はそれが見えなくて少し寂しい。
「……っ、……」
「んっ……」
彼が俺の舌を吸い上げると同時に、俺は肩に置いた手に力を込めた。全身が小さく震え、力が抜ける。
「Stay」
「……っ!」
唇が離れ、かくんと頽れそうになった身体がその一言でぴたりと動きを止める。しがみつくように肩を掴んだ手や膝立ちしている足がぷるぷると震えているが、不思議なことにコマンド通りにそのままの態勢を保っていた。
「そう、そのままだよ」
「……っ」
耳に吐息がかかる。距離はわからない。けれど少し動いただけで俺の耳と彼の唇が触れ合ってしまう程に近いということはわかる。全身が熱を帯び、俺は目隠しの下で耐えるようにぎゅっと目を瞑った。
不意に腰に回された律樹さんの腕に力が込められ、抱きしめられた。戸惑う俺に律樹さんは大丈夫だと囁く。耳から入ってくる低い声にお腹の奥が疼いて堪らない。心臓がどくどくと脈打ち、体温をどんどん高めていく。
抱き締める腕にさらに力が籠ったかと思えば、全身を軽い浮遊感が襲った。驚いて固まる身体に、律樹さんのくすくすという笑い声が耳に届く。
「っと……ん、もう動いてもいいよ、Goodboy」
その言葉に全身から一気に力が抜けた。それと同時に足元から湧き上がるのはふわふわとした幸せな感覚。頭がお花畑になったかのように幸せな心地に包まれていく。
「ふふ、もしかしてお仕置きなのにスペースに入っちゃった?」
くたりと律樹さんにもたれ掛かりながら熱い呼吸を漏らす。恐らく頭を預けているのは彼の胸あたりなのだろう、とくとくという少し早い心臓の音と振動が耳に届いた。
今の体勢がどんなものなのかははっきりとはわからないが、多分こうなんだろうなと想像した。多分俺は今、律樹さんの足の上に跨った状態で座っているんのだと思う。一瞬襲った浮遊感は、きっと俺を抱き上げて膝の上に乗せる時に感じたものなのだろう。
「弓月」
はぁ、と吐息を溢しながら頭を少し動かす。返事の代わりにした行動だったが、律樹さんには伝わったようだ。
「……好きだよ」
「……ッ!」
耳元で囁かれた瞬間、雷にでも撃たれたかのようなビリビリとした衝撃が走り、腰が震えた。生まれた熱はじわじわと下半身に広がり、やがてある一箇所に集まっていく。
俺は左手を律樹さんの肩から離した。そして着ていた上衣の裾を持ち、熱を持つその場所を必死で隠す。開いている足を僅かにもじもじと動かしながら、俺は顔を俯かせた。
「弓月、Up」
今俯かせたばかりの顔が上がっていく。やだ、恥ずかしいと思いながらも、俺の体はそのコマンドを歓迎しているかのように動いた。
裾を引っ張る手に、自分の固いものが触れる。完全に勃っているそれを触りたい衝動に駆られるが、動く前に俺の手首に温かな締め付けが加わった。
「駄目だよ、弓月。……自分で触ったらお仕置きにならないでしょ?」
ね?と捉えられた手が下半身から遠ざかっていく。中途半端に宙に浮いた手のひらに、温もりがぴったりと重なり合った。それは律樹さんの大きくてゴツゴツとした手だ。その手が好きだからすぐに分かった。
律樹さんは重なった手とは反対側の手にも同じように手のひらを重ねた。指と指の間に律樹さんの指がするりと入ってくる。優しく指の側面を擦るようにゆっくりと股に向かって動く指に、ぞくぞくとした快感が背筋を駆け上がっていく。まるで全身が性感帯にでもなったかのように、小さな動き一つ一つにびくんっと身体が震えて反応した。
もし声が出ていたなら、俺の意思なんて関係なく開いたこの口からあられもない声が溢れていただろう。しかし声が出ない今、こぼれ落ちるのは口内に溜まった唾液だけだ。小さく出入りする舌の動きに合わせて溢れ出るそれは、口の端から顎へと伝っていった。
「……かわいい」
唇に一瞬柔らかいものが触れ、陽だまりのような優しい香りが鼻腔をくすぐった。指が絡み合い、手のひらがぴったりと重なる。心臓がうるさくて、身体が熱い。
「……っ」
さわってほしい、そう言いたいのに言えない。
刺激を求めているのか、無意識に腰が揺れてしまう。
今律樹さんはどんな顔をしているのだろう。あの綺麗な琥珀色の瞳は今何を映して、どんな感情を浮かべているのかな。
視界を奪われてからそんなことばかり思う。
気持ちがいい、恥ずかしい、触って欲しい、見つめられたい。いろんな感情が胸の中に湧き上がり、熱に変わっていく。ふわふわと浮かぶ雲のような心地であるのに、まるで太陽のような高熱に浮かされているようでもあった。
「……どうされたい?」
律樹さんの手が離れていく。遠ざかるそれを追いかけようにも、俺にはそれがもうどこにあるのかがわからない。俺は悔しさにぎゅっと手を握った。
……どうされたい、か。
律樹さんになら何をされてもいいと思っている。口付けも、ちょっと痛いことも……その先も。俺は律樹さんの思う全てをぶつけて欲しいなぁ、なんて思う。今のふわふわとした心地の中では、例えこのまま首を絞められたとしても、俺は律樹さんがそうしたいならそれでもいいとさえ思ってしまうんだ。
それはSubとしての本能なのか、俺の思いなのかはわからない。ただ欲のままに言うのなら――
(……もっと、めちゃくちゃにしてほしい)
律樹さんなしじゃ生きられなくなるほどに、めちゃくちゃにして欲しかった。もう二度と律樹さんに秘密を作らないように、約束を破らないようにめちゃくちゃに――そこまで考えた時、不意に身体が温かいものに包まれた。それが律樹さんの腕だと気がついたのは、彼の吐息が首筋にかかったからだった。
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