声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第四章

七十三話 パートナーと恋人 前編

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 律樹さんが俺の髪を撫でながら額に唇を落とした。ただ触れ合わせただけのそれは少しの音も立てずに離れていく。それが少し名残惜しくて顔を上げた。

「どんなプレイがしたい?」

 そう聞かれ、俺はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
 どんなプレイがしたい、か……今は律樹さんと触れ合えればそれでいいんだけどと思いながら、目の前にある琥珀色の瞳を見つめる。近くで見るとほんの少し黄色が入っているのか、光の加減によっては金色にも見えるそれはまるで夜空に浮かぶ星のようだった。

「ん……はい、これ」

 律樹さんが俺を抱き寄せ、片方の腕を奥へと伸ばした。頭の後ろでごそごそと探る音やカチンという音がしたかと思えば、ぴったりとくっついていた身体がまた離れていく。そうして開いた空間に差し出された手の中にあったのは、枕元で充電していた俺のスマホだった。何かが外れたようなカチンという音はスマホから充電ケーブルを取り外した音だったようだ。
 スマホを渡された意味を理解した俺は、受け取り後すぐに文字を打ち込み始めた。ぽちぽちと一文字ずつ考えながら打ち込んでいく。俺を待っている間暇だったのか、律樹さんはずっと俺の髪を楽しそうに撫でていた。

「……ん、書けた?」

 その言葉にこくりと頷いて、打ち込んだ文字が見えるように彼の方へと画面を向ける。近過ぎて見えないかなとも思ったけれどどうやら杞憂だったようだ。

『りつきさんといっぱいふれあいたい』

 本当はキスがしたいって言いたかったけれど、文字にするにはやっぱり恥ずかしくてこんな書き方になってしまった。ほんの少し熱くなった顔を隠すように僅かに視線を下げる。
 いつもならすぐに何かしらの返事があるはずだった。けれどなぜか今回はどれだけ待っても反応が返って来ない。俺はやっぱり駄目だったのかななんて思いながらちらりと視線を上げた。

「……?」

 初めは視線だけを少し向けるつもりだったのだが、ちらりと見えた律樹さんの表情に思わず顔を上げる。
 ……この反応は予想していなかった。初めは驚いたような表情、そして徐々にそれは難しいものへと変化していき、今は何かを考えているような真剣な表情をしている。駄目……というわけではなさそうだが、何かを悩んでいるように見えて少し不安になった。

「……ねぇ、弓月」
「……?」

 律樹さんの琥珀色の瞳が俺を見る。先程の真剣な表情のまま俺を呼んだ律樹さんの声に返事をするように首を傾げると、彼の眉が僅かに下がった。

「もしかして、なんだけど……」

 言葉の途中で律樹さんは口を閉じた。本当は何か言いたいことがあったのだろう、はく、と小さく一度動く。しかし特に何かを発するわけでもなく再び閉じてしまった。視線を横にずらし、また何かを考えるように目が伏せられた。
 何を言われるのかという不安はあったが、それでも律樹さんの言葉をじっと待つ。言いにくいことなのか、それとも言い方に悩んでいるのか。

 律樹さんがゆっくりと瞬きをする。そして俺の方を向いて、硬く結んでいた唇を僅かに動かした。

「もしかして、弓月の言うプレイと俺の思ってるプレイって……違う?」
「……?」

 形の良い唇から放たれた言葉に俺は思わず首を傾げた。
 多分俺と律樹さんのプレイの認識に差があるかもってことなんだろうけど、正直よくわからなくて首を捻る。でも多分律樹さんが言うように相違があるのだとしたら、きっと俺の方が間違っているんだろうなぁ……とちらりと彼の目を見ると、綺麗な琥珀色の瞳に明らかな困惑の色が浮かんでいた。
 
 俺は持っていたスマホに再び視線を落とした。考えなんてまとまっていないし、俺だって困惑してるから言葉がおかしいかもしれないがそこは許してほしいと思いながら文字を打ち込んでいく。
 
 俺のプレイに対する知識は主に兄と律樹さん、それから病院で教えてもらったことしかない。
 あまり思い出したくはないが、兄とのプレイはDomがSubに命令してSubを好き勝手するというものだった。けれどそれとは対照的に律樹さんとのプレイはとても優しくて穏やかなものが多い。たまに、その……アレを触り合いっこしたりすることもあるけれど、それは本当にごく僅かだ。殆どがキスしたり、抱き合ったり、触れ合ったりという内容である。
 基本的な知識は入院中、看護師さんや担当医の竹中先生たちから教えてもらった。プレイというのは第二性の欲求を満たす行為であり、人によって様々だが性的なものを含むものもあればコマンドを使って触れ合ったりするだけのものもあるのだと。だから俺にとってのプレイは、律樹さんと触れ合うためのものみたいな認識だった。

 俺の思うプレイについて書いた画面を見せた途端、律樹さんはそれはもう大きくて深い溜息を吐き出した。

「うん……わかった……いや、そうなのかなとはたまに思ってはいたんだけど……うん……そっか……」

 ……どうやら俺は何かをやらかしていたらしい。
 俺をぎゅうぅっと強く抱きしめながら律樹さんはもう一度、今度は小さめの溜息を一つこぼした。

「弓月は……俺のことどう思う?」

 律樹さんのことをどう思うかって……そりゃあ大好きに決まってる。俺にとっては兄の元から引っ張り出してくれたヒーローだってこともあるが、それをなしにしたとしても俺は多分律樹さんのことが好きだ。この先どれほどの時間が経ったってこれ程好きだって思える人は現れないだろうって思うくらい、大事な人なんだ。

 そう書き込めば、背中に回った律樹さんの腕にさらに力が込められた。痛いくらいに抱き締められているのに、その温かさが心地よいと思う。
 
 俺が持っているものなんてたかが知れているし、価値なんてないに等しいかもしれないけれど、それでもこの命でさえも律樹さんにならどうされても良いと思っている。例え兄にされていたことを律樹さんにされたとしても、きっと俺は喜んで受け入れるだろう。
 この辺りはあまり言わない方がいいだろうなと思って書かなかったけれど、これが俺の本心だ。俺自身の想いとSubの欲求との違いなんて俺にもわからないが、きっと全部俺なのかも知れない。

「俺も、大好きだよ」

 その言葉に、良かったと安堵する。
 しかし律樹さんの表情はまだ少し寂しげだった。
 
 
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