声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第四章

八十三話 どうしよう

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 今週二回目の病院の日がやって来た。
 前回は文化祭中に起こった騒動による身体への異常の確認を行なった。けれど今回は前回の検査結果を聞くこと、それから定期的な抑制剤の投与が目的だ。本来ならば律樹さんには仕事があるので一人で来るつもりだったが、文化祭のあれこれで今週いっぱいはお休みということで今日は一緒に来た。

 先日律樹さんが俺にプロポーズをしてくれた。俺はその返事にキスを送ったんだけれど、それからも関係やすることは全く変わっていない。
 もし変わったとすれば以前にも増してプレイ中の雰囲気が甘くなったことだろうか。もっと触れ合いだとかキスだとかが増えるようになるかと思っていたけれど実際はそんなことはなく、ほんの少しだけ寂しく感じる。
 
 あれから律樹さんに内緒で男同士の性行為についてスマホで調べてみた。男同士でする時はなんとお尻の穴を使うらしい。ただ排泄するだけの器官だと思っていたが、そんな使い道もあるんだなぁと素直に驚いた。

 ――で、だ。
 律樹さんが買い物で家を留守にしている間に、スマホを見ながら自分でも触ってみたりしたのだが、正直入る気がしない。排泄する以外に使ったことがないからかそこは固く閉じていて、指一本どころか第一関節すらも怖くて入れられなかった。
 その上最悪なことに、そんな情報ばかり見ていたからか……その、想像して勃ってしまったりした。俺自身自分で処理をすることが苦手――寧ろ律樹さんとする擦り合わせが気持ち良すぎるのがいけない――ということもあり、律樹さんが帰ってくる直前まで治らなかったのだ。まあ、見られてないからいいんだけども。
 
 それに最近俺の身体がおかしい気がする。欲求というか、意思とは関係なしに俺の体や本能が求める何かが日に日に強くなっている気がして、少し辛い。今までは満足出来ていたプレイも、段々と物足りなさが増してきている。
 でもそれも抑制剤の効果が薄くなっているからだと思っていた。だから今日でその物足りなさともおさらばできると思っていたのに。

「――ですから、今日は抑制剤の投与が出来ません」
「……え?」

 俺の担当医である竹中先生の声が静かな室内に響いた。呆然と先生を見つめる俺の横で律樹さんが気の抜けた声を出す。

 抑制剤の投与が、出来ない……?
 瞬きをすることも忘れ、ぽかんとした表情で竹中先生を見つめ続ける。けれどそんな俺に対して、先生は眉尻を下げながら困ったような表情で俺から逸らした視線を手元の紙へと移した。

「今まで弓月くんに投与していた抑制剤は、Sub専用抑制剤の中でも効果が強いものだったんです。唯一効果があった薬だったのですが、この間の検査では殆ど薬の効果が見られませんでした。寧ろ弓月くんの身体が拒否反応を示しており、今後は効果よりも副作用の方が大きくなる可能性があります」

 副作用と聞いて、身体がびくっと跳ねる。
 そういえば先週いつものように病院で点滴を打って帰った時、お風呂場で倒れたんだっけと思い出した。やけにいろんな匂いが強く感じて気持ち悪くなって、それでシャワーを浴びたらましになるかなと思って入ったはいいものの、そのまま意識がなくなったんだ。
 その後は何もなかったし、風邪も引かなかったということもあって今まで忘れていたけれど、もしあれが副作用だったというのなら先生の言っていることは本当なのかもしれない。

「た、竹中先生……あの、副作用って……?」
「よくある症状としては特定の感覚が過敏になったり、何の前触れもなく突然ネガティブな思考になる……とかでしょうか。特定の感覚というのは、例えば今まで気にならなかった匂いや音が急に強く感じてしまうという嗅覚過敏や聴覚過敏が多いですね」
「……っ」

 竹中先生が段々と発していく言葉に息を呑む。やっぱりと思うのと同時に、これから先どうしたらいいんだろうという不安が襲ってくる。
 徐々に落ちていく視線。膝の上で固く握りしめた拳が白くなっていた。

「他の抑制剤は……」
「今ある抑制剤はもう……あとは、新しく発表された抑制剤でしょうか。でもそれもまだ治験段階で……そういえばまだ枠があったかな……もし治験をご希望でしたら書類をお渡ししますが……」
「治験……それって、副作用とか……あるんですよね?」
「まあ……そうですね。どの薬にも言えますが、効き目も副作用も個人差が大きいのでどのように効き目があるのかも、どんな副作用があるのかも投与してみないとわからない……と言ったところでしょうか」
「そう……ですか……」

 ぺらりと手元の書類を見ながら竹中先生はそう言う。俺のこのどうしようもない欲求が抑制できるなら、この際治験でもなんでもいいと思ってしまう。それに俺なんかが他の人の役に立てるかもなんて思ったんだ。
 けれど見上げた先、隣に立つ律樹さんの表情を見て俺は息を呑んだ。

(……なんで……そんな泣きそうな顔……)

 何でって……そんなの本当はわかってる。いつだって律樹さんは俺のためを思ってくれている。今だってきっと治験段階の薬に頼らなければならないかもしれないという事実に嘆いているのだろう。そう思うとさっきまで固かった顔が自然と緩んだ。

 俺は着ていたパーカーのポケットからスマホを取り出し、ぽちぽちと文字を打ち込んでいく。そして書き終わると同時に律樹さんの服の裾を摘んでくいっと引っ張った。その刺激にこっちを向いた律樹さんにスマホの画面を向けながら、俺はへらりと笑う。

『俺、治験に参加するよ。そしたらりつきさんの負担も減るかもしれないし』
「弓月……」

 力なく体の横に垂れ下がっていた左手を俺の両の手で優しく包み込む。普段はそれなりに温かい彼の手は、今日はとても冷たかった。

「でも……」
「……あっ!」
「……⁉︎」

 不安げな表情の律樹さんと見つめあっていると、不意に竹中先生が大きな声をあげた。驚いた俺たちはバッと勢いよく竹中先生の方を向いて疑問符を浮かべる。
 俺たちの視線に気がついたのか、竹中先生がこちらを見た。その顔はとても申し訳なさそうな、何とも言い難い顔をしている。

「ええと……瀬名さんってSランクのDom、でしたよね?」
「え? ……あ、はい」
「あー……うん、すみません、さっきの治験の話は忘れてください。この治験の条件に、Aランク以上のDomとのプレイをひと月以上していないこととありました……見落としていてすみません」

 そう言って頭を下げる竹中先生の旋毛を、俺たちは再び呆然と見つめる。そういえばそうだったな、と隣の律樹さんを見れば、同じような表情をした彼と目があった。

「弓月くんに投与できる通常の抑制剤がないので、プレイで欲求を満たすしかないですね……恐らく新しい抑制剤が現れるまで、弓月くんの欲求は日に日に高まっていくことでしょう。それこそ今まで抑圧していた分、人よりも……今まで通りのケア目的のプレイだけではどうにもならないことがあると思います。瀬名さんの負担が大きいと思いますので、もし良ければケア専門のDomの方を紹介しますが……」

 ――律樹さん以外の、Dom。
 その言葉に心臓が嫌な音を立てた。
 律樹さん以外の人とも少しは関われるようになってきたとはいえ、やはり彼以外のDomはまだ怖いと感じる。けれどこれ以上律樹さんの負担にもなりたくない。そんな相反する気持ちを抱えながらきゅっと唇を引き結ぶ。
 
「……少し、考えさせてください」

 そんな絞り出したような声が上から降ってきた。さっきまで浮かれていた気分が真っ逆様に急降下していく。

 俺は掴んだままだった彼の服をぎゅっと握りしめた。
 
 
 
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