141 / 210
第五章
百十一話 変わらない
しおりを挟む律樹さんがお風呂場を出てすぐ、冷え切った身体を温めるように少し熱めのお湯を浴びる。冷たくなっていた足の爪先や手の指先が熱いお湯に触れ、まるで溶けていくようにじんじんとした。
身体を洗い終えてお風呂を出ると、濡れた服を着替えた律樹さんが俺を待っていた。彼の手には緩く広げられたふわふわのバスタオル。そこにぽすんとダイブすると、律樹さんがそっとバスタオルごと俺を包み込むように抱きしめてくれた。そこに言葉はなかったが、壊れ物を扱うように俺のことを包み込んでくれるその温もりにほっと息がこぼれた。
それから律樹さんが作ってくれたご飯を二人で食べた。相変わらず律樹さんのご飯は美味しくて、思わず頬が緩む。
「ごちそうさまでした」
そんな挨拶の後、俺たちは食べ終えた食器を片付けた。二人で洗い物をして、それから居間へと戻る。
示し合わせたように俺たちはソファーの座面に横並びに腰を下ろした。テーブルの上に置いていたスマホを手に取り、俺は俺が思い出したことや今の俺の考えや気持ちを全て文字に書き起こしていく。メッセージアプリ内に書き記した文字はかなり多く、一気に送ると読みにくいだろうと何度かに分けて律樹さんへと送信していった。隣に座る彼はというと、俺が送ったメッセージを真剣に読んでくれているようだ。その証拠に琥珀色の瞳がゆっくりと動いていた。
そうして俺が全てを書き終え、彼が読み終えたのは夜も更けた頃だった。
俺たちの間に沈黙が降りる。けれど嫌な沈黙ではなかった。嫌われたくなくて黙っていたことも、幻滅されたくなくて隠していたことも全部彼に話したからか、体は疲れていたが心や頭は今までにないくらいにすっきりとしていた。
ちらりと隣に座る律樹さんを見遣ると、彼は眉間に皺を寄せながら何かを考えている様子だった。俺自身も未だに戸惑ったりすることがあるのだから、律樹さんが混乱するのも無理はない。俺は難しい顔で黙りこくる彼から顔を逸らし、肩にもたれかかりながら目を閉じた。
濡れ鼠になっていた時とは違い、乾いたスウェットからは俺の大好きな香りがした。押し当てた頭を軽く動かすと、ふわりと落ち着く彼の香りが鼻腔をくすぐる。それがなんだか擽ったい気分だった。
「……ごめん」
ずっと考えていたのだろう。絞り出された謝罪の言葉に俺はゆっくりと瞼を上げた。
何に対する謝罪なのか、それがなんとなくわかった。……わかってしまった。だからこそ俺は頷くことも首を振ることもできず、ただじっとソファーの座面に無造作に置かれた自分の掌を見つめることしかできなかった。
律樹さんはそれ以上何も言わなかった。ごめんという謝罪もそのほかの言葉も今は話すことができなくて、深いため息だけを吐き出したのだろう。俺も同じだ。発するべき言葉が見つからない。だからこそただぼんやりと掌を見つめていることしかできなかった。
律樹さんは肩に凭れ掛かる俺の頭に頭を乗せた。俺の黒い髪と彼の栗色の髪が擦れてサラサラと音が鳴る。俺の見つめる先、無造作に置いた俺の手の上に律樹さんの手のひらが重なった。恐る恐るといった感じに乗せられたそれはほんの僅かに震えている。緊張か、はたまた違う感情か、それは俺にもわからない。
「……好きだよ」
再び降りた沈黙を破ったのはやはり律樹さんだった。ぽつりと呟くようにこぼれたその声に、俺は重なった手のひらをきゅっと優しく握る。
「もし……いや、たとえどんな弓月だったとしても、俺の気持ちが変わることはない」
目の前が僅かに揺らぐ。重なった手がじんわりと滲み、鼻の奥がつんとした。
「この先もずっと、俺は弓月を愛してる」
重なった手が強く握りしめられ、俺の目から涙が溢れた。温かな雫が頬や顎を伝い、ぽとりと落ちていく。俺は視線を下げ、顔を俯かせた。
涙は一度溢れると止まらないらしい。決壊したダムのように俺の目からは涙がとめどなく流れていく。けれど嫌な気はしなかった。なんだろう、まるで憑き物が落ちたみたいだ。
律樹さんが俺をあの家から連れ出してくれたあの日、俺はこの人の優しい声と香りに安心した。あの時は意識もはっきりしていなくて夢と現実の区別すらついていなかったが、それでも彼の全てに安堵したのだ。
それは今も同じだ。俺も、変わらない。律樹さんの声や香り、そして触れた温もりに俺はいつだって安心するんだ。
「……っ、……」
「泣いてる弓月も大好きだよ」
律樹さんが俺の頭に頬を擦り寄せながら、甘く穏やかな声でそう言った。重なった手は一度解かれ、今度は指を絡めるように重ね合わされる。離さないとでもいうように強く絡み合った手に、おさまりかけていた涙がまた勢いを増した。
ほんの少し恥ずかしくなった俺は律樹さんの肩に額を押し当ててぐりぐりと擦り付けた。着替えたばかりの服を汚すのも忍びなくて、擦り付けたのは濡れた目元や頬ではなく額だ。けれど律樹さんは涙を拭っているのだと思ったらしい。
「あんまり擦ると赤くなるよ」
そう言って繋いでいる方とは反対の手を俺の頬に添え、手のひらで涙を拭いながら律樹さんはくすくすと笑う。その添えられた手のひらが思いの外あたたかくて、俺はまた涙を流していた。
250
あなたにおすすめの小説
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
二日に一度を目安に更新しております
カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!
野原 耳子
BL
★執着溺愛系イケメン俳優α×平凡なカメラマンΩ
平凡なオメガである保(たもつ)は、ある日テレビで見たイケメン俳優が自分の『運命』だと気付くが、
どうせ結ばれない恋だと思って、速攻で諦めることにする。
数年後、テレビカメラマンとなった保は、生放送番組で運命である藍人(あいと)と初めて出会う。
きっと自分の存在に気付くことはないだろうと思っていたのに、
生放送中、藍人はカメラ越しに保を見据えて、こう言い放つ。
「やっと見つけた。もう絶対に逃がさない」
それから藍人は、混乱する保を囲い込もうと色々と動き始めて――
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
どうせ全部、知ってるくせに。
楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】
親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。
飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。
※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。
嫁がされたと思ったら放置されたので、好きに暮らします。だから今さら構わないでください、辺境伯さま
中洲める
BL
錬金術をこよなく愛する転生者アッシュ・クロイツ。
両親の死をきっかけにクロイツ男爵領を乗っ取った叔父は、正統な後継者の僕を邪魔に思い取引相手の辺境伯へ婚約者として押し付けた。
故郷を追い出された僕が向かった先辺境グラフィカ領は、なんと薬草の楽園!!!
様々な種類の薬草が植えられた広い畑に、たくさんの未知の素材!
僕の錬金術師スイッチが入りテンションMAX!
ワクワクした気持ちで屋敷に向かうと初対面を果たした辺境伯婚約者オリバーは、「忙しいから君に構ってる暇はない。好きにしろ」と、顔も上げずに冷たく言い放つ。
うむ、好きにしていいなら好きにさせて貰おうじゃないか!
僕は屋敷を飛び出し、素材豊富なこの土地で大好きな錬金術の腕を思い切り奮う。
そうしてニ年後。
領地でいい薬を作ると評判の錬金術師となった僕と辺境伯オリバーは再び対面する。
え? 辺境伯様、僕に惚れたの? 今更でしょ。
関係ここからやり直し?できる?
Rには*ついてます。
後半に色々あるので注意事項がある時は前書きに入れておきます。
ムーンライトにも同時投稿中
隠れSubは大好きなDomに跪きたい
みー
BL
ある日ハイランクDomの榊千鶴に告白してきたのは、Subを怖がらせているという噂のあの子でー。
更新がずいぶん遅れてしまいました。全話加筆修正いたしましたので、また読んでいただけると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる