声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第五章

百十二話 恥ずかしい

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 俺は律樹さんが好きだ。
 恋人として付き合い始める前からきっと多分好きだった。

 どこが好きだなんていうのは、言葉にするのは正直難しい。だって整った綺麗な容姿も俺に対して甘くなる態度や言葉も、低く穏やかな声も、俺を優しく包み込んでくれるぬくもりも、そして落ち着く香りも全部好きだ。だからどれが、だなんて選べない。律樹さんの全てが俺は大好きなんだ。

 俺が落ち着くまでの間律樹さんは文句の一つも言わずにずっと隣にいてくれた。指を絡め、手を握り、そして片手で頭を抱え込むように俺を抱きしめながら一緒にいてくれたんだ。
 律樹さんと付き合い始めるまで俺に恋人はいなかった。幼い頃のことは覚えていないけれど、少なくとも中学生の頃は付き合った人は愚か、好きな人もいなかったような気がする。だからこの恋が俺にとっては初めての恋で、きっと最後の恋なんだろうなと思う。なんでそう思うかって?……だってこの人以上に好きになる人なんて多分いないから。
 だからこれは俺にとっては初めての恋だ。だからこそ俺は普通の恋人というものがわからない。泣いている恋人のそばにいて、落ち着くまでずっと隣にいてくれることは果たして当たり前のことなのだろうか。律樹さんは優しいから、彼にとっては当たり前のことなのかもしれない。けれど少なくとも俺に対してそんなことをしてくれるのは律樹さんだけだから、彼が特別優しくする相手も俺だけだったらいいのにと思った。

(いや思ったってなんだよ……これじゃあ俺……っ、よくわかんないけど……なんか、恥ずかしい……っ)

 涙が止まって落ち着いた時、俺が抱いた感想はそれだった。高校時代――とはいってもたった数ヶ月のことだが――のことを思い出したことで、タイミングを見失っていた思春期が今更になって到来……いや、再来してしまったのかもしれない。こうして目の前で泣いてしまったことはもちろん、今までのあれそれを一気に思い出して顔が熱くなってしまう。
 俯いているから顔が赤くなっていることに多分律樹さんは気付いていないだろうけれど、なんだろ……すごく、恥ずかしい。羞恥心が記憶が戻る前よりも数倍強くなっているような気がする。

「あぁ、もうこんな時間か……」
「っ……!」

 不意に呟かれたその声に、俺の身体はびくっと跳ねた。俺は今片手で頭を抱え込むように抱きしめられている。そのため俺の耳は律樹さんの肩と胸の間あたりに当たっているのだが、そのせいで彼の声がダイレクトに耳から伝わり、その低い声に鼓膜が震えた。
 俺を落ち着かせるためか、律樹さんの指がゆっくりと丁寧に髪の毛を撫でている。けれど彼の思いとは反対に、時折耳に触れる指の感触が俺を落ち着かなくさせる。

 心臓がうるさい。顔だけじゃなくて耳も体も全部が熱くなっていく。身体中の血液が沸騰しているみたいだ。心臓の鼓動が早くなるとそれに伴って血液の循環も活発になるらしいが、今は血と共に熱が爪先まで行き渡っていくのがわかった。きっと俺の全身は今、熱を帯びて赤くなっているに違いない。

「そろそろ寝ようか……弓月?」

 顔が上げられない。無理だ。今顔を上げたら次の瞬間には絶対にこの顔の赤さに気付かれてしまう。……いやまあバレてもいいんだけれど、なんというか真っ赤になった顔を見られるのが……その、恥ずかしいだけだし。

「ひ、ッ」

 そんなことを考えていると、不意に彼の指が俺の耳に触れた。驚きにビクッと肩が跳ね、口からは小さく悲鳴のようなか細く高い声が出る。反射的に自由だった片手で口を覆うが出てしまったものは取り消せない。そんな俺の反応に驚いたのは俺だけではなかったようで、俺の耳に触れた指がぴくりと跳ねた。

 沈黙が流れる。さっきまでとは違い、この沈黙はほんの少し気まずい。大袈裟な反応もだが、風船の空気が漏れる時のような声が出てしまったことがさらに羞恥心を刺激し、俺は耐えるようにぎゅっと強く目を閉じた。

「……えっ、と……」

 気まずいと思っていたのは俺だけじゃなかったのだろう、耐えかねたらしい律樹さんが戸惑うような声を上げた。

「ごめん……?」

 なんで疑問系なんだろうと思わないでもなかったが、きっとそれだけ律樹さんも混乱していたのだろう。俺も俺で頭を小さく縦に揺らすしかできなかった。
 
 固く閉じていた目を開き、ほんの少し頭を上げて時計を見てみると、ちょうど日付が変わろうとしているところだった。律樹さんの仕事は明日もお休みとはいえ、これ以上起きているのもあまり良くないだろう。俺はぐっと手を握り、繋いだままの律樹さんの手を軽くくいっと引っ張った。

「ん……寝る?」
「ん」

 聞かれた言葉に小さな頷きと微かな声を返す。そして手は重ねたままゆっくりと立ち上がり、もう一度腕をくんっと引いた。
 ……顔?それはまだ恥ずかしくて上げられていない。立ち上がったことで座ったままの律樹さんよりも頭の位置が高くなる。垂れた髪の毛の隙間からちらりと見えた律樹さんの表情があまりにも優しくて、思わずふいっと顔を逸らした。

「じゃあ、ベッドに行こうか」

 くすくすと笑いながら律樹さんが立ち上がる。絡めた指に力が込められ、俺の心臓はまたさらに速度を増した。
 律樹さんが足を踏み出すと同時に俺の手を優しく引く。それに大人しく従うように俺も足を踏み出した。
 
 
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